第102話 深すぎる静寂
その日の海は、妙に静かだった。
港の波止場では、
船乗りたちが不思議そうに水面を見ている。
「風がないのか?」
誰かが言う。
だが、
旗は揺れている。
風はある。
それでも、
波はほとんど立っていなかった。
水面は滑らかだ。
鏡のように空を映している。
黒い太陽の影が、
ゆっくりと揺れる。
船が一隻、
港を出ていく。
帆は張られている。
風も受けている。
だが、
水はあまり動かない。
船の後ろに残る航跡も、
いつもより短い。
「変だな」
船長がつぶやく。
海は静かすぎた。
その頃、
丘の観測所でも同じ言葉が出ていた。
「静かすぎる」
セリーヌが記録紙を見つめている。
幹振動の波形。
低い鼓動。
だが、
振幅が小さい。
昨日よりも、
わずかに弱い。
カイルは丘の下の草を踏む。
足の裏に伝わる鼓動。
どくん。
……。
どくん。
弱い。
以前より深いが、
力がない。
それでも止まってはいない。
ただ、
静かになっている。
森の方を見る。
鳥の声も、
少ない。
風の音も、
柔らかい。
世界全体が、
少しだけ音を落としている。
エリオットが丘から降りてくる。
「各地の報告」
紙の束を渡す。
湖。
川。
海。
どこも同じだ。
水の動きが弱い。
潮の周期がわずかに遅れている。
「鼓動と同じだ」
幹振動。
世界樹の鼓動。
それが遅くなれば、
すべての周期が変わる。
水も。
風も。
重力さえも。
カイルは空を見る。
昼の空は変わらない。
雲がゆっくり流れている。
ただ、
その動きも少し遅い。
ほんのわずかだ。
誰も気づかないほど。
だが、
確かに違う。
セリーヌが言う。
「枝が重い」
枝が増えた。
世界が増えた。
幹はそれをすべて支えている。
その鼓動が、
少しだけ深くなった。
それだけのこと。
それでも。
カイルは土を踏む。
どくん。
……。
どくん。
世界はまだ動いている。
だが。
ほんのわずかに。
静かすぎる。
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