49 深淵の裂け谷
お待たせいたしました。
あらすじ:地震の元に行くと地の底で燃える赤ちゃんがいた
「あれは...いえ、あの子の名はスルト。火焔の愛し子であり愛する我が子です」
そう言ったイムダの顔からは笑みが剥がれ、悲痛な面持ちで唇を噛んだ。
リーシャは彼のその表情を見て直ぐに視線を大地の裂け目に向けた。
大地を割く深い亀裂の底では異様な速さで畝りながら形成される氷の渦。それを灼熱の魔力で溶かし膨大な数の火の精霊を集めるスルト。
その光景にアキッレやペロとラタトスクは息を飲んだ。
「そうか、この大地の裂け目は深淵の裂け谷か」
リーシャは畝り混じり合う冷気と熱気に目を細めた。
世界の始まりと共にあったと云う巨大な裂け目ギンヌンガガプ。
裂け目の向こう側は冥府であり魂の輪環へと帰れなかった死した者の魂が集まるニヴルヘイムという凍てつく氷に閉ざされた世界があるという。
神話やお伽噺でしか聞いたことの無いモノである。
ギンヌンガガプで畝り形成される氷はニヴルヘイムのものなのだろう。
冥府ニヴルヘイムが深淵の裂け谷の底、現世との狭間に居る火焔の愛し子だというスルトを取り込もうとしているのだ。
しかしスルトは膨大な数の火の精霊を呼び寄せ体に取り込み全てを焼き尽くす灼熱の魔力を帯びており、その力は膨れ上がり今にも爆発する寸前に見えた。
その力は火山爆発にも匹敵するであろうとリーシャは感じている。
そうしながらも破裂寸前のスルトの灼熱の魔力は更に火の精霊のみでなく火の力全てを飲み込もうとしている。
このフェンリルの里に到着した時、リーシャの契約している火の上位精霊サラマンドラを顕現した時に彼女が言った言葉を思い返す。
『祝福だ...あたしの意識が持って、いかれる程の、大きな火に祝福された存在が、居るみたいだ...それこそ神の呪い、みたいな...しゅくふ、く...』
「祝福...神の呪いの如き火の祝福を受けた赤子か...」
リーシャは深淵の底で赤く燃え上がりながらすやすやと眠る赤子の姿を悲しそうに見つめた。
それを横目に見たイムダは僅かに泣きそうな顔をして息をゆっくりと吐いた。
「そう、彼は...あの子は純血ではないが冬の祝福を持つ氷エルフ。しかし我が妻、つまりはあの子の母親のささやかな祈りが火の祝福という呪いとなって此処で永遠に眠る事となりました」
「母親の願いが...?」
何故ささやかな母親の願いがこんな大きな災いのような力となるのだろうか。
「「ご主人様危ないよ(わ)」」
リーシャはフギンとムニンの声でハッと顔を上げる。
その直後にギンヌンガガプから上がった巨大な火柱と膨れ上がる灼熱の魔力で大地が大きく揺れた。
火の精霊達を吸収するスルトの体内に収まりきれない灼熱の魔力が溢れ出したのだ。
灼熱の魔力の奔流が辺り一面を焼き尽くさんと膨れ上がりリーシャ達は熱気に包まれた。
純粋なる火の魔力で大気も震えている。
先程の大地の揺れはコレだったのだ。
『イムダ。早くせんと目覚めてしまう』
【天の星飲み】がスルトの魔力に凍てつく魔力をぶつけ相殺しながらイムダを急かすように言う。
ふと気付くとギンヌンガガプの周りには沢山のフェンリル達がいつの間にか集まっていた。
フェンリル達は毛を逆立て膨れ上がる灼熱の魔力にそれぞれ凍てつく魔力をぶつけていた。
スルトの膨れ上がる灼熱の魔力はフェンリル達の魔力をもってしても相殺しきれず、多少ゆっくりとなったがいつ爆発してもおかしくない。
リーシャも手助けしようとこの地にいる精霊に呼び掛ける。
すると鷲の姿をした氷の上位精霊シアチと真っ白で立派な髭を蓄えた老人の姿をした雪の上位精霊スノエルが現れた。
二体はリーシャに従い氷と雪の魔法を立ち上る灼熱の魔力にぶつけた。
しかしそれでもスルトから発する灼熱の魔力はどんどん膨れ上がる。
「ディーネ!」
リーシャは水の上位精霊ウンディーネを顕現し仲間達に結界を張る。
『リーシャ様、多分この結界でも持ちませんわ』
「ちっ!」
弱気なディーネの発言に思わず舌打ちするリーシャ。
ガクブルなペロとラタトスクをアキッレは護る様に強く抱き締める。
はち切れんばかりに膨らむ灼熱の魔力と大きく太くなる火柱に珍しく焦りを見せるリーシャ。
その力は迷宮で対峙した残滓とはいえ半神オージンを遥かに超えているのだ。
『イムダ!』
【天の星飲み】も焦る様にイムダの名を叫ぶ。
イムダは両の掌をギンヌンガガプの底から激しく燃え上がる火柱に向ける。
すると真っ直ぐ天へと立ち上る火柱が揺らめく。
そしてはち切れそうに膨れ上がった灼熱の魔力がイムダの掌へと流れ始めた。
強大な魔力がイムダに流れていく。
リーシャは灼熱の魔力がイムダに流れていくのを見て何が起きているのかを理解してギョッと驚愕する。
イムダは魔力を喰っているのだ。
イムダの口や眼から炎が漏れ出ている。
間違いなく彼は氷エルフという、火を苦手とする種族でありながら灼熱の魔力をその身に吸収しているのだ。
大量の魔力を喰らうなど普通の人間は勿論のことハイエルフのリーシャですら出来ない。
因みにハイエルフやエルフ、ドワーフなどの長命種族は魔力を喰らうのではなく呼吸する様に魂に取り込んでいるのだが、イムダの様に大量の魔力を一気に身体に吸収しようとすれば瞬く間に許容量を超え身体も魂も壊れ死んでしまうだろう。
それを知るリーシャから見たらイムダのしている事は自殺行為以外の何物でもないのだ。
それを当たり前のように行っているイムダ。
暴発寸前であったスルトの灼熱の魔力はどんどんイムダに喰われ萎んでいく。
火柱はみるみる細く短くなり、やがて消えてしまった。
辺り一面を焼き尽くさんと膨れ上がった灼熱の魔力はギンヌンガガプの底で眠るスルトの周りで炎の舌をチロチロと出すだけになった。
大地の揺れもいつの間にかおさまりリーシャは大きく息を吐いた。
荒れ狂っていた魔力の奔流が消え山の冷たい颪が頬を撫でる。
【天の星飲み】や他のフェンリル達もそのまま地面に伏せったり座ったりと身体を休めていた。
イムダは両手をだらりと下げ、深淵の裂け谷の底で赤い炎に包まれてすやすやと眠る我が子を慈しみと悲しみを混じえた様な何ともやり切れない顔で見下ろしていた。
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