12 プシュケー
不敵な笑みを浮かべたケット・シーは大きく口を開けると、キラリと光る可愛い牙をフード男の指に思い切り突き立て噛み付いた。
「痛っ」
フード男の腕が僅かに緩んだ隙にリーシャは下方へするりと抜けて、距離をとった。
「シルフィ!ノーミード!」
リーシャの呼び掛けに風の上位精霊シルフィードと大地の上位精霊ノーミードが現れた。
シルフィはリーシャの求めた魔法をフード男に向け放った。
ケット・シーが素早くフード男から離れた直後、フード男の周りを吹き荒れる風が襲う。
「何だっこれは!?」
吹き荒れる暴風で作られた壁がフード男の前後左右を隙間無く埋め、球状の結界の如く形を変えフード男を完全にその中に閉じ込めた。
暴風に触れようとすれば弾かれてしまい、暴風の結界を破る事は難しい。瞬く間に中までも暴風が吹き荒れフード男は結界の狭い空間内の暴風によって身体の自由を失い上下に左右にと振り回され、顔を涙と涎と鼻水で塗らせながら目を回して意識を手放してしまった。
もう一方、焦げ茶色の髪と茶色の肌の美女の姿をした大地の上位精霊ノーミードは残る二人に向けて掌を見せるように向ける。
すると二人の背後の床から巨大な岩で出来た手が二本生えてきた。
自身より巨大な手から逃れようと二人が身を翻すよりも速くノーミードが前に突き出した掌を下へ向けると巨大な手は同じ素早い動きで男達を容赦無く床に押し潰した。
「ぐうぅっ」
「うぅっ」
余りにも一瞬の出来事だった。
見た事も聞いた事も無い上位精霊による圧倒的な魔法とそれを操るエルフの美少女に冒険者ギルドに居た誰もが言葉を失った。
「アレン、何故イエレナとオルソンが傷付けられた?」
リーシャの呼び掛けにアレンが慌てて我を取り戻した。
「すまないっリーシャさん、迷惑を掛けてしまった!」
「コイツら俺らが目を離した隙に強引にイエレナを勧誘しようとしたんスよ。それを庇おうとしたオルソンまで殴られて...」
「かんゆう?」
「ザック!余計な事言ってリーシャさんを巻き込むな!」
アレンは悔しそうな表情でザックを諌めようとする。
「既にもうわたしも関わっているだろう」
リーシャはそう言ってグルグル回転するフード男と押し潰されたまま身動き出来ない二人の男達をゴミ虫を見る様な嫌そうな顔を向けた。
『リーシャちゃん、そろそろ止めないとあのフード男死んじゃうかもよ』
シルフィがそっと囁く様に告げるとリーシャは仕方無いといった表情をみせる。
精霊は敵と認識したモノの生命に対して容赦はしない性質だが、リーシャが殺生を嫌う性質だと知っているシルフィはリーシャの意志を忖度して暴風の結界を解いた。
床に滑るように投げ出されたフード男。
そのフードが外れるとリーシャやイエレナのようにエルフの特徴である尖った耳が顕になったが、肌の色だけが浅黒い。
それは遥か昔、邪神に与した罪で女神の呪いを受けたという闇エルフの一族の特徴であった。
気絶した闇エルフの男を一瞥して、リーシャは気を失ったままのイエレナとオルソンの傍へ行くと二人から禍々しい気配を感じ取った。
「呪いか...」
「呪いっ!?」
「呪道具か!」
「だから二人共目を覚まさないのか!?」
レオニールとザックは殴られただけで昏睡状態になったイエレナとオルソンの様子がおかしいとは感じていたが、まさかギルド内で呪いを掛けられるとは想像もしていなかったのだ。
その場に居合わせた冒険者達も普通では無いこの状況に騒めきたつ。
「あれ、何の魔法だ?」「精霊?」「呪いってヤバくねぇか?」
「くそっ」
岩の手に押し潰されたままの大男が舌打ちする。
アレンは全身から怒気を放ちながら大男に近付くと大男の髪を鷲掴みにして顔を上げさせた。
「ガイウス〜!てめぇ元兄弟子だから今まで大目に見てやっていたがもう許さねえ!」
「はっ!何が兄弟子だぁ...てめぇみてぇな...甘ちゃんを弟弟子だなんて...認めた事はねぇ...」
ガイウスと呼ばれた男は射殺さんとばかりに狂気を含んだ目でアレンを睨み付けた。
「その...エルフ女は、元々俺が先に...目を付けたん、だ...それを後からてめぇが、かっ攫った...だから、俺も...力尽くで同じ、事をした迄だぁ」
「てめぇの思考回路はぶっ壊れてんのか!イエレナに振られたからって呪いまで使うとはどこまで腐ってやがるっ!」
アレンが拳を振り上げる。
「待て!アレン!」
止めたのはリーシャ。
「リーシャさん...止めないでくれ!こいつは...」
怒りに震えるアレンの肩にリーシャが手を置いた。
アレンが唇を噛み締めながら振り返ると、リーシャは隣で潰れされているもう一人を指さした。
「こ奴だ、アレン。こ奴の持つ棍から禍々しい力が溢れている。そんな図体だけ薄らデカいのを虐める暇があったらアレを何とかした方が良いだろう」
「なっ!」
小馬鹿にされたガイウスは顔を真っ赤にして怒りに震えた。が、リーシャの魔法で一切身体は動かせない。
ぷるぷると怒りに震えながらも身動き一つ出来ないガイウスの姿を見て、アレンは鼻で笑って振り上げた拳を下ろした。
「そうだな...弱いモン虐めは良くないか」
アレンは立ち上がりガイウスを一瞥してもう一人の禍々しい棍を持つ男に向かう。
「おぉっ...ア、レンっっ!てめぇぇっっ!!!」
アレンはガイウスを完全に無視して棍を持つ男の前で大剣を抜いた。
「リーシャさん、コイツをぶっ壊せばいいのかい?」
「ああ、やってくれ」
にぃっと不敵な笑みを浮かべたアレンは両手で大剣を上段に構えた。
「ひぃっ」と小物じみた声を上げる棍の持ち主はアレンの剣気から逃れる事が出来ず床を汚した。
「ふん!」
振り下ろされた大剣は男の指を数本巻き込んでその棍を砕く。
棍を握る指を数本失った激痛と恐怖で男は「ぐふぅぅ」と息を吐き出すように呻いて気絶した。
砕かれた棍からは禍々しい気配が黒い霧となって立ち上り、空気に溶けるように消えた。
「うわっ!」
「これは...」
レオニールとザックはイエレナとオルソンの身体からも同じ様な黒い霧が出て行くのを見て驚きの声を上げた。
リーシャが駆け寄り様子を見ると呪いは解けたが、随分と生命力が失われている。
すると砕けた棍から拳大の光の玉が浮かび上がった。
リーシャがその微かな気配に気付くと、光の玉がふわふわと宙を漂いながらリーシャの元へやって来た。
「プシュケー...お主が封じられ呪いの元にされていたのか...」
『あらぁ、珍しいわ。久しぶりね、プシュケー』
シルフィが掌を向けるとプシュケーと呼ばれた光の玉はその上で再会を喜んでいる様に見えた。
隣に居たノーミードがニコニコと笑顔で掌を差し出すと光の玉はそちらに移りノーミードとも再会を喜んでいる様だ。
「プシュケーって何の精霊にゃ?」
リーシャはプシュケーに指先から魔力を与えた。
光の玉は少しづつリーシャの魔力を受け取り人の姿へと変貌してゆく。
「プシュケーは呼吸を司る生命の精霊だ。本来なら怪我や治療を得意とする精霊だが、アレンが破壊した棍は精霊を封じその力を呪いによって変換し強引に攻撃に使える様にする道具だったのだろう。だからイエレナとオルソンは呪いと共に生命力を奪われていたのだろうな」
眉を顰めてリーシャは棍の残骸を見て嘆息した。
やがてリーシャの魔力を吸収したプシュケーはシルフィより一回り幼い金色に輝く少女の姿になった。
「二人を頼めるか?」とリーシャが囁くとプシュケーは微笑みながら頷いてイエレナとオルソンの上で両手を振りかざす。
キラキラと光の粒が二人の身体に降り注ぎ、吸収されていく。
殴られて腫れていた頬がみるみる内に消えて、苦しそうだった顔色が元に戻っていく。
そして殆ど同時に二人はパチリと目を覚ました。
二人が無事であると確認して、リーシャ達が安堵すると二階の階段からバタバタと威圧を放ちながらヴァイスが駆け下りて来た。
「ギルドで暴れてんのはどこのどいつだぁ!!」
リーシャはシルフィとノーミードとプシュケーに弄ばれるケット・シーを生温かい眼を向けたまま無視する。
アレン達『疾風迅雷』と見物していた冒険者と受付嬢達は視線を床で巨大な岩に潰されて身動き出来ないガイウス等に向けた。
「ガイウス〜ッ!テメェら次は無えと言ったよなぁぁ」
ヴァイスは顬に浮かび上がった青筋をピクピクさせてガイウスを睨み付ける。
この日相当機嫌の悪いヴァイスの強烈な威圧を当てられ、サーッと血の気を失い真っ白な顔色になったガイウスは口から泡を吹いて気を失った。
たまたま居合わせてヴァイスの威圧を受けてしまった冒険者の中に少し漏らした者が数人居た事に気付いてしまったケット・シー。
しかし彼は紳士(?)なので鼻をつまみ離れるだけで何も言わなかった。




