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114「女傑」

「じゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃいませ」


 リースとライエが姿を隠すのを見届けると、カインは精気の抜かれた白っぽい顔で集落に足を踏み入れた。


(パッと見は特に変わったところのない場所だな)


 集落は深い谷の合間にあった。

 屏風のように切り立ったY字型の崖に挟まれるように孤立した村の入り口には、侵入者を阻むような棒杭が打たれているが、どう見ても素人の手仕事でグラつきが酷く、強い風が吹けば倒れそうな心細さであった。


 入口には扉などなく、見張りをする人間もいなかったがカインは集落から他者を拒むような独特の雰囲気が満ちていた。


 ――いきなり討たれることはないようだ。


 一応は村の管理者であるジャンが月に数回程度見回りに来ているので、そこまで警戒する必要もないはずであるが、これだけの家屋が密集している通りで猫の仔一匹見かけないというのはさすがに不審であった。


 ――おいでなすったな。


 遠景には大きな平屋が横たわっており、そこには鈍色の甲冑を着込んだ武者が長剣を地面に着き立てカインの来訪を待ち受けていた。

 ――さあ、ユメル一族とはどんな者たちか。


「んっ?」


 徐々に待ち受ける女衆の代表者と距離が近づくにつれ、カインは微妙な違和感を覚え疑問符を吐き出さずにいられなかった。


「んんっ?」


 明らかに縮尺がおかしいのではないか――。


 それはカインが進むにつれて露になり、彼我の距離が声の届く範囲になったとき現実であるとわかった。


 小さいのだ。


 カインの先入観であるが、古来より土地を支配してきた一族の代表者と聞いていただけあって、どれほどの偉丈夫であるかと思っていたが、目の前の人物はひどく小柄だった。

 少年であるカインの背丈も小さいが、目の前の甲冑を纏った人物の大きさはそれ以下である。


(てか、おれより確実に拳ひとつ分は小さいな)


「汝が村からの使者か。なんどいわれようともここからは人手を出すことはかなわない。見れば、まだ若く命じられただけに過ぎない汝を害そうとも思わないが、ひとりでここまでやってきた勇気に免じて命だけは助けて進ぜよう」


 明らかに若い女の声だった。


「え、ええと、あなたがユメル家の?」


 武者は兜を脱ぐとカインと同じく金色の波打つたっぷりとした髪をなびかせて、朗々とした声で名乗った。


「我はジュリアンヌ・ユメル。古来よりこの土地を治めてきた真の領主なり。従僕の少年よ。主命に従うは忠義なれど、無意味に領民の命を奪う領主のいうことなど聞けぬとユメル家の当主がいっていたと主に伝えるがよい」


 ――童顔である。


 少女は整った容貌であったがカインが見たところ、誰がどう見ても幼かった。


 十代前半かそれ以下ということも充分にありえる。


(こんな小娘ひとりをジャンは説き伏せられなかったというのかよ)


「ジュリアンヌ殿。そこを曲げて頼めないか? 足弱である女性に労役を頼むのもお門違いであるとは思うが、とにかくことは一刻を争う。当然カルリエの屋敷から出せる人間は残らず出して堤防の工事を少しでも進めたいのだ」

「少年よ。主命とはいえ偽言を弄すると我が正義の剣がその舌を切り裂くぞ」


 ジュリアンヌは素早く長剣を引き抜くと二度三度空を渡らせた。


 その刃風と速度はカインからすれば目で追い切れず、自然、脂汗が背筋を伝った。


 ――生半可な腕ではないぞ。


「先代のレオポルドもやたらにいくさを起こして人を殺したが、今代の領主もどうやらよほどのいくさ好きと見た。統治もよろしいとはいえないだろう。万民は多額の税に苦しめられ、国境の小競り合いで、つい先日もこの付近の村々から男衆を徴集した。この期に及んでさらに後家となった女や父や兄を失った娘衆を連れてゆくとは、これはすべて、現領主と名乗る男の失政の表れではないか。少年、お主は自ら仕える主人を一体どう思っている」


 語気はあくまで平静なだけにジュリアンヌの言葉はカインの胸を打った。


 カインの脳裏にある古代の聖王の徳は空よりも高く海よりも深かったが、ときとして悪を討つために兵を起こさねばならなかったことを思えば、多年いくさに明け暮れる現領主をジュリアンヌが認められないのも無理はなかった。


 ――だが、それは理想にすぎぬ。


 ここにいる小領主の子として生を受けた男は当代一の英傑でもなければ知勇に優れた政治家ではない。


 継ぎ接ぎだらけの知識と蛮勇を持ってなんとか日々を過ごすただの凡夫に過ぎないのだ。

 常人が常人の技を持って、それこそ古代の聖王ですら裸足で逃げ出すような借財を返しうるなど到底不可能なことだ。

 そのためには領民や家臣に無理を強いて、ときには無意味と思われる出血を涙ながらに願うこともある。


「そのことに関してはあらゆる領民に唾されても弁解の言葉もないだろう。だが、ジュリアンヌ殿。お主は現実を見ていないと見える」

「なに――!」


「いいや、事実から目を逸らしている。レオポルドからの負債を引き継いでわずかな月日だけですべてを推し量ろうとすることこそが、今の世を見ていない、パラデウムは世を正す正義の軍であったか。サルヴァトーレはカルリエの地を憂うて兵馬をあげた真の英主であったか。実際は、両者とも自分の領地しか考えない矮小なる匹夫だ。口先で理想を説くのは勝手だが、これ以上後手に回れば、借財のカタにカルリエの土地は商人たちに取り上げられ、良民たちは彼らの農奴になり果て、いっそう苦しむ道しか残っていない。追い詰められた農民たちがいくさを起こしても、王都の武器で固めた傭兵に散発的な反乱が成功するはずもない。私たちにできることは、いま、現実に迫る個々の問題に対処し、少しずつでも前進することだ。いくら貴女が慈悲から後家たちをかばってみせても、水害や群盗は手をゆるめるどころか、嵩にかかって攻め立てるだけだ。残念ながら、あなたの言葉は耳障りはいいが、私の求める真の領民を思っての先は欠片も窺がえない。無理を承知で労苦に喘がなければ、このカルリエは真の意味で終わりを告げてしまうぞ。そんな未来を黙って見ているわけにはいかない」


 カインの言葉に反応してかジュリアンヌは死人のように蒼ざめた。


 彼女が手にした長剣を構え直すのが目に映った。

 カインは毅然とした態度で


「重ねていう。カルリエの地を最後に守ることができるのは、その土地に住む人間だけだ」


 といった。



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