115「暗闘者」
闇。
濃い闇があった。
濃密な闇の中で幾つもの影が蠢いている。
深い森の中でその者たちの戦いは静かに続いていた。
夜空を覆う分厚い黒雲が奔馬の如く西から東へ疾駆してゆく。
不意に雲の切れ目から月が顔を出し樹木を貫いて闇で戦う者たちの姿を俄かに映し出した。
子供としか思えない体格の影が体格のよい偉丈夫といっていい男たちを圧倒していた。
男たちは巨躯である。
それぞれが二メートルをはるかに超える巨体であるが、動きは俊敏で黒豹のように森の障害物をものともせず、すべるように動いている。
だが、戦いは小さな影のほうが有利であった。
男たちはあちこちに深手と思われる出血が酷く、夜に溶け込むような黒の装束が雨に降られたように濡れていた。
覆面の下から覗く男たちの瞳は追い詰められた獣のように爛々と輝いており、そこには自らの死を覚悟した者だけが見せる絶望が色濃く表れていた。
小柄な影が跳んだ。
人の踏み入れぬ深い森の無数に生えた樹々をすり抜けるように飛翔すると小さく舌打ちを行い袂から無数の蛇を宙に吐き出した。
厚手のローブを着ているが、射出された蛇の数は明らかに容量を超えていた。
毒蛇である。
大小の毒蛇は小柄な影の意図を察したかのように、うねりながら虚空を舞うと逃げようとする男たちの身体のあちこちに噛みついた。
森のあちこちで絶叫が長く尾を引いて流れた。
男たちは巨体に似合わぬ女のような甲高い悲鳴を上げて自らに喰いついた毒蛇を払いにかかるが、襲撃者の執念は蟲としては天晴なものだった。
強靭な男たちの膂力で身体は引き千切られても首だけでしがみつき、毒を打ち込んだ牙は絶対に離れなかった。
毒蛇たちの確固たる信念――。
地上に落下した八つの影は悶絶と七転八倒を繰り返しながら、徐々に身体を硬直させ絶命してゆく。
小柄な影は全員が動かなくなったのを確認してからようやく近づいた。
「馬鹿めが!」
だが、たったひとりだけ死んだふりをしていた男がカッと両眼を見開き印を結ぶと魔術を発動させた。
土系統に属する植物を操作する術法である。
小柄な影の足元にあった下草が一瞬の内ににょるるっと伸びると全身へと巻きつき動きを完全に拘束する。
「裏切り者が……貴様だけは許さぬ」
息も絶え絶えな男が四つん這いになりなりながらも手にしたナイフを振り上げ、一緒報いようとする。
黒々と刃が光るそのナイフはかすっただけでも対象者を屠る特殊な暗器だ。
しかし、小柄な影は全身を蔓草で縛られているというのに、動揺ひとつ見せず、可憐な唇を震わせて音を出した。
口笛に呼応するかのように、小柄な影を縛っていた足元の土がぼこぼこと小さく隆起し、やがて樹木も蔓草も力を失ってしおれてゆく。
「なっ――!」
男が驚愕するよりも早く、小柄な影は右手を軽く振ってクナイを投じた。
クナイは鏢と呼ばれる中国製の棒手裏剣に近いものだった。
男の喉笛にはクナイが深々と埋没している。
「なぜだ……?」
「根切り蟲よ」
その場にはそぐわない少女の声だった。彼女の足元からは芋虫に似た生き物がひょっこりと頭を出して、カチカチと丈夫な牙を咬み合わせて鳴らしていた。
それは蟲使いユージェニーの勝利を祝う凱歌のようであった。
ユージェニーは男の樹木縛りの術を咄嗟に呼んだ根切り蟲であっさりと破ってみせたのだ。
「なぜ、なぜ、あの小僧を……かばう?」
クナイで喉を破られた男はゴボゴボと血を流しながら、恨みの籠った目でユージェニーを睨みつけている。
「やはり……穢れか」
悔し紛れに男は嘲笑うかのように吐き捨てた。
瞬間、ユージェニーの感情の抜け落ちていた顔が怒気に染まった。
ユージェニーは地を這う毒蛇を呼び寄せると、舌を鳴らして地に伏す男へと一斉に襲わせた。
大小の毒蛇が躍るように地を舞った。
毒の牙を打ち込まれた男から悲鳴が聞こえた。
「わかるものか……」
ユージェニーはカインを狙う暗殺者の一団を仕留め切ると、どこまでも広がる闇の中へ吸い込まれるように消えていった。




