繰り返す退屈
友達のいない人間にとって、修学旅行の地獄は大体二日目だ。
一日目はほとんどがクラス単位で動くため、のろのろと後ろをついていっても別段目立ちはしない。それに行動班はあまり関係ないので、仲の良い人間同士が集まり俺などのことを気にする人間もいないのだ。これは本当に楽。
だが、二日目となると話は違う。行動は班ごととなり、うしろをついていくのも気恥ずかしさが生まれる。加えて、完全に無視してくれればいいものの、同じ班ということで他の奴らがちょこちょこ気を使ってくれるのだ。
中学校の時、班員分クレープを買ってくると走っていった女の子がいた。帰ってきた彼女の手にはクレープが四つ。班員は俺も入れると五名。少し悲しそうに俺へクレープを渡す彼女の顔と、ほかの班員の「なんでお前が食うんだよ」という目線を俺は忘れない。
と、そこそこにトラウマも多い修学旅行二日目だが、今年のそれはそこそこ悪くないスタートを切った。
「それじゃ、行くよー!」
矢代班長の掛け声に、一人は馬鹿みたいに元気よく、一人はにこりと穏やかに笑いながら、二人はつまらなさげに小さく、「おー」とレスポンスした。
宿から一つ離れたバス停(最寄りのは混むから、という矢代の配慮だ)からバスに乗る。計画立てはほとんどしていないと思っていたのだが、矢代が気を聞かせてプランを用意してくれていたようだ。
「それにしても多いねー」
その矢代が困ったように笑う。バスの車内はさすがに人が多く、俺もさっきから何度も足を踏まれていた。お返しに一発……とやりたいところだが、メイドが見ている前でそれはできない。
「大丈夫か?」
「はい、圭人様が守ってくださるおかげで快適です」
扉のすぐそば、ガラスに背を預けるようにして立つメイド。俺はその正面に、彼女と正対して立っていた。すぐ隣では矢代と綾乃が空いた席に座り、また三山は人にもまれてどんどん遠くへ消えていく。さよなら、三山。
「ごめんね、私たちだけ座って」
「いえ、大丈夫ですよ。気にしないでください」
「あぁ、全然問題ない」
俺の小指はローファーと共に変形しかけているけどな、とはさすがに声に出さなかった。こういう時は、少しくらいカッコつけたっていいだろう。
矢代の隣に座る綾乃は「ごめん」と小さく言ったものの、どこか不満げな様子だ。座れているだけありがたく思って、混雑くらい我慢しろよ……。
しかし乗るときはどうも座ることさえ拒んでいた気がする。矢代に宥められ席に座ったようだが、やはり女はわからない……。
「圭人様、どうか気をつけて――きゃっ!」
「うおっ!」
ふいに車体が揺らいで、俺は背中をほかの乗客に強く押された。その衝撃で俺は扉側へ体勢を崩す。
とっさにガラスへ両手を着く。そこでようやく落ち着くが、目の前には。
「――っ!」
その奥底まで見透かしてしまえそうな、澄んだ蒼の瞳。くるりとカールした睫毛に柔らかな絹のような肌。桃色の唇から漏れる、温かな吐息。
すべてが、今、俺の目の前にあった。少し顔を近づければ、触れ合ってしまうような距離。彼女は少し戸惑いつつも、ほのかに頬を赤に染めた。
「……すまん」
慌てて顔を離した俺に、彼女は「いえ、仕方ないです……」と小さく返した。そして彼女は、俺の腰に手を添えて少しだけ引き寄せる。
「――?」
「ここ、出入り口ですから。もっと、近くに寄ってください……」
ふわりと、女の子の香がした。体の各所が、彼女の柔らかなそれと触れる。それがくすぐったくて少し体勢をずらすと、彼女がわずかに顔を俯けた。
……なんだっけか。アンドロイドとか、人を模した人形を愛する人たちのことをなんとか、って言ったよな。
そんな突拍子もない、どこから出てきたのかもわからない疑問が俺の頭の中を流れていった。
そのまま時間は過ぎていく。周囲の好奇、あるいは羨望、あるいは憎悪の視線を一身に集めながら、俺はその体勢をキープする。隣から、小さく舌打ちも聞こえた気がした。メイドの澄んだ瞳に、赤い靄がかかった気がした。
「次、降りるよ」
矢代の声の数分後、俺たちは押し出されるようにしてバスから降車した。目的地は、そのバス停から一分もかからない位置にある。
「京都御苑、ねぇ。どうしてこんなとこに来たんだい?」
「おぉ三山、生きてたか」
「死んでる可能性があったのかよ!」
騒ぐ三山は置いておいて、確かに俺もここに来た目的は気になる。目を向けると、矢代は少し自信ありげに口を開いた。
「まぁ入ってみればわかるよ。きっと驚くから!」
「矢代様はいらっしゃったことがあるのですか?」
「まぁね、何回か」
ほんの少し、矢代の表情が陰った。要するに、ここに来たことのある世界軸もある、ということか。その理論で行くとこの目の前の少女は、世界のあらゆる事柄を経験していることになるのでは。
そういう発想が浮かんだが、とりあえずそこにはあまり思考は避けなかった。なぜなら、俺はいわゆる同情とか言われる感情を彼女に抱いてしまっていたから。
「私が勧める場所なんだから、間違いはないよ」
いつの間にか耳元に口を寄せていた矢代が、俺にそう囁いた。まるで、俺の思考を読み取っていたかのように。
もし俺が彼女と同じく世界軸間の記憶を共有できたなら。世界はきっと、つまらないものになるに違いない。あらゆるものに既視感を抱くような現実があったとして、俺はそれを自分が存在する唯一の現実とは思えない。
進んでいくと、なぜ矢代がここを選んだのかすぐにわかった。
まず驚かされたのは、横幅が10から20メートルほどもある砂利道だ。その奥行きも恐ろしいほど長く、遠くに構える建物は本当に小さく見える。そのスケールにテンションが上がったのか、会話のテンポが全員少し上がった。
だが、すぐにそれも終わる。いざ京都御所まで足を踏み入れると、そこはもう別世界だった。ありのままを残しつつも整えられた樹林、それと調和して立つ御所の建物。それには西洋的な美しさとは明らかにかけ離れた、日本古来の奥ゆかしさがあった。
どうしてだろうか。建物自体はとても大きく立派なのに、奥ゆかしいなどという言葉が自然に出てくるのは。
「ここに昔の天皇が住んでたんだっけ」
俺が尋ねると、矢代がガイドよろしく説明を始めてくれた。
「そうだね。たしか、14世紀から明治の初めまではここが皇居だったはずだよ」
やけに詳しいな、という言葉は意識して口には出さなかった。なぜ彼女が多くの知識をもっているかなんて既に知れている。
かつてこの場所で崇められ、半ば神のような存在とされていた天皇の気持ちを想う。生まれたときから役目が決まっていて、自分はそれを果たすためだけに存在している。それを理解したその時、彼らはどんな心情なのだろうか。
――きっと、そんなものかと受け入れる。
「え?」
自分の問いに、自分の中の何かがそう答えていた。
「どうかなさいましたか?」
「あぁいや、なんでもない」
今のはなんだったのだろうか。まるで、自分の中に別の自分がいるような感覚を俺は一瞬感じた。それも、不快な感じではない。いたって自然に。
しかしながら、そういう意味ではアンドロイドというのは極端だが同じような例だろう。俺は再び、役目という議題で思索に沈む。
自分が自分の存在を認識したその時点で、自分の使命が決まっている。アンドロイドや特別な立場を持つ人間でなくとも、それは誰にだってある程度はあるかもしれない。
まぁしかし、この隣を歩く彼女は、きっとアンドロイドなんかじゃないのだろうけれど。
「なぁメイド」
「はい?」
最後尾を歩いていた俺たちは立ち止るが、ほかの三人は気づかず進んでいく。
だがそのまま、俺は彼女の目を見つめて尋ねた。
「お前はやっぱり、アンドロイドなのか?」
「……なにをおっしゃるのですか? 私は正真正銘、作り物の人形です」
その言葉に、偽るような雰囲気は一切ない。だが、それゆえに性質が悪い。俺は彼女に、おまえは人間であると伝えるべきなのだろうか。
加えるなら、お前はお前の中に数多くある、人格の一つなのだともいうべきなのか。
実際のところ俺もそれを確信しているわけではない。だが赤目はそう言っていた。おそらくではあるが、そこに嘘はない。
「なにしてるの、置いていくよ」
俺たちに気づいた綾乃がこちらまで寄ってきてくれた。おいていくよ、なんて言っている割に優しさがその行動にはにじみ出ていて少し可笑しい。
「あぁすまん。行こうか」




