9話:神様の要求は世界規模
「不届きな奴め! さては母上を酔わせて手籠めにしようと企んだな!」
夜の静寂を切り裂くような怒号が響き渡る。
アテナ課長の養子であり、噂の神学校生・エリクさんが、炎のような神威を全身から立ち昇らせながら僕に指を突きつけていた。
フリルエプロンにお玉というアンバランスすぎる格好にもかかわらず、その身から放たれる威圧感は紛れもなく『神様』のそれだ。
「よく見ると、お前はただの人間……! さては、アクタイオンが、懲りずに化けて出たな!? また鹿に変えてやろうか!!」
「め、滅相もございません! 大変な誤解でございますッ!!」
僕は冷や汗を滝のように流しながら、即座に脳内シミュレーションを開始する。
(ダメだ、言葉だけの弁明じゃ火に油だ! これは必殺の土下座コース――いや、スライディングできる距離がない! ならばッ!)
僕は五体投地をするため、地べたに両膝を付け、両肘、そして額を激しく地面にこすり付けようとした。
だが、両膝を付けたところで、勝利の女神が助けてくれた。
「エリク! 話を聞かない悪い子なんて、ママは嫌いよ!!」
後ろから、アテナ課長がエリクさんに言い放ってくれた。
その瞬間、エリクさんの顔から神々しいオーラが爆速で消え去った。
「……そ、そんな……ママぁ……!?」
エリクさんは絶望に打ちひしがれた顔になり、膝から崩れ落ちるように地べたに両膝をついてしまう。
辺り一面が無駄に明るい夜の路上で、人間と神様が並んで地べたに膝をつくという、非常にシュールな事態が発生した。
アテナ課長はハッと我に返ったように目を見開くと、崩れ落ちたエリクさんに駆け寄り、優しくその身体を抱きしめる。
「おかえりなさい。愛しいエリク……。会えない間、とっても寂しかったわ」
その言葉が注がれた瞬間、エリクさんの瞳に圧倒的な『光』が宿った。比喩表現ではなく、物理的に発光している。
「……ママぁぁぁぁぁッ!!!!」
エリクさんも滝のように涙を流しながら、二柱の神様は路上で固く抱き合い始めた。
そこから、感動の再会ターンがたっぷり五分間続いた。
(……今のうちに気配を消して帰りたい)
僕は膝をついた姿勢のまま、息を殺し、死んだ目でその茶番――もとい感動の親子愛を見つめ続けた。
◇
その後、アテナ課長のおざなりな説明によってどうにか誤解は解けたが、当然のようにそのまま帰宅することは許されなかった。
「母上の下僕よ、喜べ! 我が家に歓迎してやろう!」
満面の笑みで腕を組むエリクさん。
チラリとアテナ課長に助けを求める視線を送ったが、彼女は「ふふっ、立派になったわねエリク」と言わんばかりのニコニコ顔でこちらを見ているだけだった。
……どうやら勝利の女神は完全に店仕舞いしたらしい。頼りにならない。
ここで無給の残業に応じるわけにはいかない。
僕には家で豆苗に水やりをするという重大な任務があるのだ。
僕は最上級の営業スマイルを貼り直し、手振りを交えて深々と頭を下げた。
「エリク様、本日は記念すべき親子の再会日でございます。 このような喜ばしい日に、僕のような無骨な人間が立ち入るのは無作法というもの。 大変嬉しいお誘いではございますが、本日は水入らずでお過ごしになり、またの機会にされるのが最善かと愚考いたします」
絶対に帰るという固い意志を込めた説得。
すると、エリクさんは「むっ……!?」と顎に手を当てた。
「一理あるな……! あいわかった、お前の意見を取り入れてやろう」
(呆気なく引き下がってくれた! 勝った!)
「確か……牧村と言ったな? ならば明日の務めが終わり次第、すぐに我が元に来るがよい。神託を下してやろうぞ!」
そう言い残し、二柱は楽しそうに屋敷の中へと入っていった。
静まり返った夜道に取り残された僕は、しばらく膝をついたまま、虚無感と疲労感で涙が止まらなかった。
◇
翌日。
僕は定時を迎えると同時に、猛ダッシュでアテナ課長の自宅へと向かった。
(遅くなったら『神への不敬』としてまたイチャモンをつけられる可能性があるからな……!)
途中、庁舎を出る際にアテナ課長から「エリクが楽しみにしてるわよ~」と言われたので、僕が『貴女の息子さんの対応も、当然残業代は出ますよね?』という怒りと殺気を限界まで圧縮した『死んだ目』で見つめ返したところ、課長は「……ううん、なんでもないわ」と引き下がった。
息を切らしながらアテナ課長の邸宅に到着し、すかさずインターホンを押す。
ピンポーン。
『――暫く待て』
インターホンからではなく、僕の脳内に直接エリクさんの声が響いた。
それから。
玄関の前で立ち尽くすこと、実に三十分。
ガチャリと重厚な扉が開き、ようやくエリクさんが現れた。
「よし、ついて参れ!」
急いで来いと命じておいて三十分放置。
当然だが、この神様には「人を待たせた」という認識など微塵もないのだろう。
僕の目は、既に完全に死んでいた。
徒歩五分ほどで、広場に到着した。
そこは、空に浮かぶ雲に向かって水が逆流するように昇っていく、巨大な噴水が鎮座する美しい広場だった。
エリクさんは広場の中央でバッと振り返り、腕を組んだ。
「それでは神託を授けよう。牧村、お前は我が考えた祭りを取り仕切れ!」
「……はい?」
またしても、とんでもない無茶振りが飛んできた。
僕の脳内で必死に前職の知識とこの世界の常識が駆け巡る。
(祭り……? この神の国で既に行われている伝統行事の、実行委員か何かか? それならまあ、書類整理と設営の手配くらいで済むか……?)
一瞬甘い考えが浮かんだが、エリクさんの次の言葉で一蹴された。当然、悪い方向へ。
「我が親愛する母である『アテナ』の名を冠した新たな祭りを作り出し、大成功させて、恒例行事にしろ! 期間は一ヶ月だ!」
「ゼロから立ち上げろとおっしゃるのですか……!?」
牧村の声が広場に鳴り響いた。




