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神様の職業安定所 〜崖っぷちの神様と場違いな人間職員  作者: 毛布 繰丸


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7話:AIに仕事を奪われる神様と、天使のおにぎり

「……痛い。頭も痛いが、何より財布が激しく痛い」


 狭いワンルームマンションのベッドの上。

 僕――牧村サトルは、昨晩の居酒屋の領収書を両手で握りしめながら、どんよりとした目で天を仰いでいた。


 昨日は、同僚であるウズメさんのパソコンデータ消失事件を無事に解決したお祝い……という名目で、アテナ課長に強引に飲み会へと連行された。

 そこまでは良かった。職場のコミュニケーションは大切だ。


 だが、なぜかフェンさんが負担するはずの飲み会代の半分を、僕が出すことになるという悲劇が起きた。


 必死の交渉により、なんとか「三分の一負担」で合意をもぎ取ったものの、どちらにせよフェンさんの手持ちが足りなかったため、一旦は僕が全額を支払う羽目になった。


 そのせいで、今月のお給料日までの間、僕の食卓は自宅のタッパーで栽培(というより再生)している二回目、あるいは三回目の「豆苗」がメインディッシュとなることが確定した。


(絶対に許さない。フェンさんが忘れないように、お金を全額返してもらうまで、毎日耳元で囁いてやる……!)


 僕は枕に顔を埋め、心の中で固く復讐を決意した。


 ふと窓の方へ視線を向けると、そこにはお手製の干し網が吊るされており、フェンさん用にと大量に仕込んだ『自家製ビーフジャーキー』がぶら下がっていた。

 スパイシーな醤油と黒胡椒の香りが、微かに部屋の中を漂っている。


「……ゴクッ」


 僕の喉が、大きな音を立てて鳴った。

 空腹の極みにある今の僕にとって、あれは魅惑の塊だ。一切れつまみ食いしたい衝動が全身を駆け巡る。


 だが、理性という名の防波堤が必死に僕を引き止めた。


(ダメだ……! これを食べてフェンさんへの供給が途絶えれば、奴はまた窓口で暴れ出し、アクリル板を叩き割る! そうなれば、また『連帯責任』で備品代を請求されるという悪魔のループに陥ってしまう!)


 食欲よりも、更なる出費への恐怖が勝った。僕は理性を総動員して食欲をねじ伏せ、鉛のように重い身体を引きずってベッドから這い出した。

 今日も、神々が待つ地獄の職場へ行かなければならない。


 ◇


 いつものルーティーン。

『神様の職業安定所・南支店』に向かう街道沿いにある、いつもの小さな売店にて昼食を購入する。


 カランコロン、とドアベルを鳴らして店内に入ると、奥から店主――頭に立派な羊の角を生やした神様が出てきた。そして僕の顔を見るなり、あからさまに嫌そうな顔をした。


「……チッ!」


『またお前か、人間風情が』と聞こえてきそうな見事な舌打ちだが、僕の営業スマイルはこれしきのことでは崩れない。


「おはようございます。ホットコーヒーと……今日は、このたまごサンドを一つください」

「ん?」


 僕の注文を聞いて、店主は意外そうに目を丸くした。

 無理もない。僕はいつも、コーヒーと一緒に『日替わり弁当』を買っていたからだ。サンドイッチ一つなど、いつものボリュームからすればスズメの涙である。


「おい! 貴様、俺様が丹精込めて作った日替わり弁当に飽きたとでも言いたいのか!」


 バンッ! とカウンターを叩き、店主が牙を剥いた。


 まさか、お弁当を買わないだけでクレームが発生するとは思わなかった。営業スマイルでご飯を買うだけのミッションで、予期せぬ地雷を踏み抜くのがこの世界である。


「滅相もございません! 店主様のお弁当はいつも大変美味しくいただいております。本日は……お恥ずかしながら、私の金銭的な問題でして」


 僕は深く頭を下げ、素直に懐事情を説明した。


 店主は腕を組み、目を閉じてフンと鼻を鳴らした。納得したのかしていないのか分からない態度だ。


「貴様は、その薄っぺらいパンで腹が満たされるのか?」

「いえ……ですが、お給金が支払われるまでの間、しばらくは豆苗とサンドイッチで節約生活をすることになりますので」

「……そうか」


 店主は踵を返し、店の奥へと引っ込んでしまった。


(怒らせてしまっただろうか。給料が入ったらまた弁当を買わないと……)


 そう思って待っていると、店主が小さなビニール袋をいくつか手に持って戻ってきた。


「人間のことはよく分からんが、人間界の奴らはこれをよく『お供え物』に入れてきよる。人間にとっての好物で、さぞかし貴重なものなのだろう」


 店主は少し照れくさそうに視線を逸らしながら、その小袋を僕の手に押し付けた。


「神の好物ではないから食わずに余っている。仕方ないから、お前に恵んでやろう」

「えっ、いいんですか? ありがとうございます!」


 僕は頭を深々と下げ、ありがたく受け取った。


(嫌われていると思っていたけど、意外と優しいところがあるじゃないか)


 ホクホク顔で店を出て、歩きながら小袋を一つ手に取って確認する。

 カシャカシャと音の鳴る透明な袋の中には、小さな透明の粒がたくさん詰まっていた。

 そして、袋の表面にはこう印字されている。


『シリカゲル たべられません(Do Not Eat)』


「…………」


 僕は歩みを止め、死んだ目でその小袋を見つめた。


(お供え物の海苔やお菓子の中に入っていた乾燥剤を、食べ物だと思って集めてたのか……)


 もちろん、食べ物ではない。食べたら病院送りだ。

 だが、僕の心は決して落胆していなかった。


(いや、待てよ? これはこれで幸運だ! この世界は湿気を気にしなくていい環境だけど、乾燥を目的とした『ジャーキー』の保存容器にこれを入れれば、品質管理が劇的に向上するぞ!)


 僕はポジティブ思考への切り替えに成功した。

 しかし、歩き出しながら冷静に考え直す。


(……改めて考えると、僕がジャーキーを完璧に管理しても、喜ぶのはあの脳筋狼のフェンさんだけで、僕の仕事の評価にもお金にも一切直結しないよな?)


 それに気づいた瞬間、出社前だというのに僕の目は完全な「死んだ魚」のそれに戻ってしまった。


 ◇


 午前中の事務作業をこなし、お昼休みを告げるチャイムが鳴った。


 自席に戻ってきた同僚の天使・ミカちゃんが、僕のデスクを見るなりニヤリと笑った。


「主任ぃ〜、お昼ご飯は買えたんですかぁ〜?」

「サンドイッチだけだけどね。買えたよ」


 悲壮感を漂わせながら僕が答えると、ミカちゃんはやれやれと肩をすくめた。


「あの馬鹿狼のせいで、そんなことになるだろうと思いましたよぉ〜」


 そう言いながら、ミカちゃんは自分の可愛らしいランチバッグから、ラップに包まれた丸い物体を取り出した。


「口に合えばいいんですけど、私からのお裾分けです。……流石に、連帯責任でお金無くなっちゃうのは可哀想ですしぃ〜」


 ポン、ポン、と二つのおにぎりが僕のデスクに置かれた。

 僕は天にも昇る気持ちでミカちゃんを拝んだ。


「ありがとうございます! 本当にありがとうございますミカちゃん! まさに天使!」

「えへへぇ〜、私、天使ですからね! 気にしないでください!」


 顔を赤くして照れるミカちゃん。彼女はその後、自分のバッグからおにぎりを『5つ』取り出し、小さな口を大きく開けて豪快に食べ始めた。


(あの細い体のどこにそんなに入るんだ……)


 というツッコミは心の中にしまい、僕もさっそく、いただいたおにぎりに噛み付いた。


「いただきます! ……モグッ」


 その瞬間。

 僕の口の中に、脳天を突き抜けるような『強烈な甘み』が爆発した。


「ンンッ!?」


 思わずむせ返る。お米の甘みなどという生易しいものではない。和菓子、いや、ガムシロップをそのまま飲んだかのようなダイレクトな糖分の暴力だ。


「み……ミカちゃん。一応、確認の意味で聞くけど……砂糖と塩の違いは、分かるよね?」


 僕が涙目で尋ねると、ミカちゃんはぷりぷりと怒り出した。


「あぁー! 失礼ですね主任! 馬鹿にしないでくださいよ! これでも料理上手って言われてるんですよ! そんなの分かるに決まってますぅ〜!」

「そ……そうだよね。ごめんね、変なことを聞いて。このおにぎり、凄まじく甘いから、もしかして間違えちゃったのかなって……」

「あっ、気に入りました? お裾分けだから具は色々入れたんですけど、それは『お砂糖』のおにぎりですね! 元気が出るようにたっぷり使ったんですぅ! あーぁ、一番良いのを主任に渡しちゃいましたねぇ」


(具が、砂糖……!? 天使の舌と人間の舌の感覚、違いすぎるだろ!)


 僕は冷や汗を流しながら、恐る恐るもう一つのおにぎりを手に取った。


(こっちは……こっちこそは、普通の鮭とか昆布が入っているはず……)


 意を決して噛み付く。


 ――ジュワァァァッ。


 口の中に、ドロッとした生ぬるい液体が溢れ出した。


「おふっ……!?」


 唇から滴り落ちそうになる液体。これは……油?


「ミカちゃん……こっちのおにぎりは、油が、具材……かな?」

「さすが主任! 一口で気づいちゃいましたね! 精霊界から取り寄せた、最高級の菜種油なんです! 香ばしくて美味しいですよねぇ〜!」

「…………」

「主任? どうしました?」

「いや……貴重な品だから、残りは夜ご飯に取っておくね」


 僕はミカちゃんに引きつった笑顔でお礼を言い、そっと食べかけの油おにぎりをラップに包み直すと、自分の買ってきたサンドイッチを無言でかじり始めた。


 ◇


 午後。

 胃もたれと戦いながら事務仕事を続けていると、肩をツンツンと叩かれた。

 振り向くと、困り顔のミカちゃんが立っていた。


「主任、窓口に来たお客様のことなんですけど、ちょっと困っちゃいまして。手伝ってくれませんか?」


 一緒に4番窓口へ向かうと、そこには異様な風貌のお客様が座っていた。

 破れた麦わら帽子を目深に被り、ボロボロの蓑(みの)を纏い、手には軍手。まるで日本の田舎の畑に立っている『案山子(かかし)』が、そのまま喋っているような姿だ。


「クエビコ様、お待たせしましたぁ。えっと……紹介された職場にご不満があるとか」


 ミカちゃんが席に着くと、案山子の神――クエビコは、蓑をガサガサと揺らしながら不満げに言った。


「こまるよ〜。おいらの権能は『豊作』と『害虫除け』だからといって、文明が育ち切る前の原始的な世界ばかりを紹介されるのは心外だよ〜」


 僕は横からカルテ(要望シート)を覗き込んだ。

 クエビコ。日本神話における知恵と農業の神。


(なるほど。能力と経歴を見る限り、農業が主体の世界に派遣するのが一番適材適所に見えるが……何が不満なんだ?)


「えっと、クエビコ様はどのようなお仕事をされたいのでしょうか?」


 僕が尋ねると、クエビコはため息交じりに答えた。


「希望なんてないよ〜。でもさぁ、そんな発展途上の世界に行っても、何百年かして文明が育ちきったら、結局『自動農業AI』とか『魔導ゴーレム』とかなんとか言う機械においらの仕事が奪われちまうんだよ〜」

「AI、ですか」

「そうさ〜。人間もエルフも、機械の方が効率がいいって言って、おいらを畑から引っこ抜いて物置にしまいやがるんだよ〜。そのたびにクビになって職探しなんて、まっぴらごめんさ〜」


(……異世界でも、AIに仕事を奪われる労働問題が起きているのか。世知辛いな)


 どこかのブラック企業で「システム導入するから君たちの部署いらないね」と肩を叩かれたサラリーマンの愚痴を聞いているようで、僕はクエビコに強いシンパシーを感じた。


 ずっと必要とされる、機械に奪われない職場。

 僕は要望シートを眺めながら、先ほど整理していた求神ファイルの記憶を引っ張り出した。


(そうだ。あれなら……!)


「クエビコ様。世界の条件に『安全地帯であること』は無いとのことですが……例えば、勤務地に『日光』は必須でしょうか?」

「日光? まあ、案山子だからお日様は好きだけど、絶対に必要ってわけじゃないよ〜」

「でしたら、ピッタリの求神があります」


 僕はファイルをめくり、一枚の求神票を机に提示した。


「地上では誰も生きられない、『地下ダンジョンだけの世界』の求神です」

「ち、地下ぁ〜!? そんな暗くてジメジメしたところ、おいら嫌だよ〜!」

「お待ちください。クエビコ様の権能は『豊作』と『害虫除け』ですよね? 地下世界においては、ダンジョンのモンスター(害虫)を遠ざける安全地帯としての役割と、食糧となる『キノコ』や『苔』の豊作をもたらす能力は、現地に住まう冒険者や魔族からすれば、喉から手が出るほど欲しい至高の能力です」


 クエビコは「おっ?」と麦わら帽子を少し上げた。


「さらに、クエビコ様は案山子ゆえに『その場から動かない』ですよね。つまり、複雑な地下迷宮における【絶対に動かない道標(看板)】としての役割も果たせます。AIの入り込めない未開のダンジョンで、永遠に重宝される究極の安定職ですよ」


 僕が流れるような営業トークでまくし立てると、クエビコは「なるほど〜!」とポンと手を打った。


「そんなに薦めるなら〜、一応面接に行ってみるよ〜。でも合わないなら、また他の場所を探せよ〜」


 そう言い残し、クエビコは納得した様子で窓口を後にした。


「……主任。よくあんなの思いつきましたねぇ」


 ミカちゃんが目を丸くして僕を見ている。


「いや、僕が昔やってたRPGゲームを参考に思いついたネタだよ。洞窟や迷宮のセーフエリアに、必ず『看板』が立ってるだろ? あれを維持してるのは誰なんだろうなって、ずっと疑問だったんだ」

「げーむ……? よくわかりませんが、見事なマッチングでした!」


 ミカちゃんとハイタッチを交わし、僕たちは見事に一件の就職を成功させた。


 後日談だが、その地下世界では冒険者たちの間で「案山子ブーム」が起きたそうだ。

 迷宮の奥深くにある案山子の周りはモンスターが出ない安全地帯となり、周囲には美味しいキノコが群生する。冒険者たちは感謝の印として案山子に様々な装備を着せ替え、それを目当てに見物に来る観光客まで現れ、クエビコは信仰値が爆上がりしてウハウハの生活を送っているらしい。


 ◇


 そして、定時が過ぎた庁舎。

 お客様もほとんどの職員も帰り、ガランとしたフロアで、僕は一人パソコンに向かって残業をしていた。


(クレーム対応に加えて、窓口のフォロー、資料整理……雑用全般を行う負担が大きすぎる!)


 心の中で会社の体制に悪態をつきながらも、僕は電卓を叩いて「今月の残業代」を計算していた。


(ふふふ……これだけ残業すれば、フェンさんにむしり取られた飲み代の赤字も、なんとかカバーできるぞ……!)


 お金のことになると、途端に喜んでキーボードを叩くスピードが上がる悲しきサラリーマンの性である。

 一通りの事務処理が終わり、パソコンの電源を落として帰宅準備をしていると、ふと視線を感じた。

 見ると、珍しく残っていたアテナ課長が、課長席で何やら思案顔でこちらを見ていた。


「課長、お先に失礼いたします」


 関わるとろくなことがないと本能が告げていたので、僕は足早にドアへ向かおうとしたが、


「ねぇ」


 呼び止められてしまった。


「ちょっと、これから飲みに行かない?」


(ッ!!)


 僕の頭の中で、嫌な予感を告げる警戒警報の鐘がけたたましく鳴り響いた。

 手持ちがない。また奢らされるかもしれない。そもそも早く帰って豆苗に水をやらなければならない。


 断る理由は山ほどある。だが、神様であり直属の上司である彼女からの誘いに対し、しがない人間職員である僕が取れる返事は、悲しいかな、これ一つしかなかった。


「……はい! 喜んで!」


 完璧な営業スマイルを浮かべた僕――牧村サトルの目は、今日も絶好調に死んでいた。

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