2話:異世界への片道切符
既に読んで頂いていたいた方は大変申し訳ございません。
3話まで投稿させていただきましたが、文章の繋がり、単語・主観の統一を行うため、全体修正を行いました。
全体の内容に変更はございません。
新しい話を加筆しているのは、3話以降となります。
早朝、ジリリリリ! という無駄に甲高い目覚まし時計の音が、狭いワンルームに響き渡った。
「んっ……ふぅ……」
僕――牧村サトルは重い体を起こすと、ベッドの上でうーんと一つ伸びをした。
壁にかかった時計は午前六時三十分を指している。僕は足取りも重く窓辺へと歩き、遮光率百パーセントの分厚いカーテンを一気に引き開けた。
パッと部屋の中に差し込んできたのは、眩しくもどこか無機質な「日光のような光」だ。
「よし、今日も『昼』だな……」
僕は眩しそうに目を細めながら呟いた。
ここ『神々の領域』には、地球のような自転も公転も存在しない。太陽が昇ることも沈むこともなく、空の明るさも気温も、常に完璧な一定値を保ち続けている。
そのため、人間である僕が「夜」を作り出して睡眠をとるには、この分厚い遮光カーテンで部屋を暗闇にするしかなかった。
(まあ、前は暗闇の神様が契約更新のトラブルでヤケを起こして、この街全体を一日ほど一寸先も見えない暗闇に叩き落としたことがあったっけ……。あの時は『夜が長くて助かる』なんて呑気に思ってたら、仕事をクビになってうちの支店に職探しに来た時はあっけにとられたけど)
そんなくだらないトラブルを思い出しながら、僕は洗面台へと向かった。
鏡に映るのは、どこにでもいる三十代手前の男の顔だ。ただ、一点だけ異彩を放っているのは、まるで生気を失ったかのように濁りきった「死んだ目」である。
「よし、髪型ヨシ、ヒゲヨシ……」
身だしなみを整え、アイロンのピシッと効いた白いワイシャツに袖を通す。そして仕上げに、ネクタイをしっかりと締め上げた。
「……はぁ。憂鬱だ……」
鏡の中の死んだ目をした男に向かって、小さな溜息を一つ。
ネクタイの結び目を指先でギュッと確認すると、僕は出勤用のカバンを手に取り、部屋を後にした。
◇
通りに出ると、そこには地球の繁華街と、ファンタジー映画の城下町を足して二で割ったようなカオスな街並みが広がっている。
頭上にはどこまでも青い空が広がり、雲一つない。そして通りを行き交うのは、ビジネススーツを着た天使、ローブを羽織った魔法使いのような男、あるいは巨大な目のナニカだ。
僕は慣れた足取りで石畳を歩き、『職業安定所・南支店』へと向かう。その途中、街道沿いにある小さな売店にて昼食を購入するのが僕の毎朝のルーティーンだった。
この売店は、自分の世界でやることがなくなった神様が、娯楽として運営しているお店だ。
「おはようございます。ホットコーヒーと、日替わり弁当をください」
僕が窓口越しにコインを差し出すと、店奥から出てきた店主――頭に羊のような角を生やした神が、あからさまに嫌そうな顔をした。
「……チッ!」
舌打ちの音とともに、雑にカウンターへ投げ出される紙袋と紙コップ。
地球の接客業なら即座にクレームものの対応だが、僕は表情一つ変えない。むしろ、前職の企業で気難しすぎる店主たちを相手にしてきた僕にとってみれば、こんなものは挨拶みたいなものだった。
僕は営業スマイルを浮かべ、浅く頭を下げた。
店主の神様は「ふんっ!」と鼻を鳴らして奥へ引っ込んでしまったが、僕は気にせず紙袋とコーヒーを受け取った。
歩きながら、淹れたてのコーヒーの香りを楽しむ。ただの人間だからか嫌われてはいるものの、神様が作っているだけあって、味だけは地球の高級カフェを遥かに凌駕する絶品なのだ。
一口コーヒーを啜り、温かい液体が食道を通り抜けるのを感じながら、僕は青空を見上げた。
――そういえば、あの日もこんなふうに、雲一つない青空が広がっていた。
(……早く元の世界に帰りたいな)
ふと、この異質な世界に辿り着いた「あの日」の記憶が、脳裏に蘇った。
◇
かつて地球にいた頃の僕――牧村サトルは、いわゆる「しがないサラリーマン」だった。
勤めていたのは、全国展開する大手フランチャイズチェーンの本部。昔ながらの個人経営の酒屋や雑貨店を訪問し、「うちのコンビニ加盟店になりませんか?」と説得して契約を取り付ける、店舗開発の営業職だ。
僕はその粘り強さと泥臭い交渉力が評価され、三十手前でエリア統括の「主任」という役職に就いていた。
あの日も、僕は胃をキリキリと痛めながら、営業車のハンドルを白くなるほど強く握りしめていた。
「頼むから早まるなよ……!」
ハンドルを握る手に力が入る。
担当エリアにある加盟店の店長から、「もう店を辞める!」と突然の電話が入ったのだ。
経営が軌道に乗らず、思ったほど利益が出ないと毎日のようにボヤいてはいたが、まさか契約を解除するとまで言い出すとは思わなかった。本部から叱責される前に、なんとか現地へ飛んで理由を聞き、対策を提案して説得しなければならない。
(売上が落ちている原因は、近くにできた大型スーパーの影響だ。スーパーに無い物を売りだす等のプランを提案しよう。本部に掛け合って加盟金の減免措置も……)
脳内でめまぐるしく対策を組み立てながら、車は山間のワインディングロード――事故の多い峠道へと差し掛かっていた。
(この峠を越えれば、あとは一本道だ……!)
焦る気持ちから、いつもより少しだけアクセルを踏み込む。
だが、見通しの悪い急カーブを曲がった直後、僕の視界に信じられない光景が飛び込んできた。
道路の真ん中で、二台の乗用車が止まっている。どうやら交通事故が起きた直後らしく、車から這い出してきたドライバーらしき二人組の男が、路上で何やら激しく大声で言い争っていた。
(事故かっ!?)
僕は慌ててブレーキを踏み込み、車を緊急停止させた。窓から顔を出して大声で注意を促そうとした、その瞬間――。
ズズズ……ドゴォォォォンッ!!
「なっ……!?」
頭上から響き渡る、天地を揺るがすような重低音。
連日の大雨で地盤が緩んでいた峠の斜面が、まるで生き物のように崩れ落ちてきたのだ。
見上げる僕の視界を、大量の土砂と巨石が埋め尽くす。車ごと飲み込まれる死の直前、猛烈な恐怖に襲われた僕はギュッと目を閉じた。
(たすけ――)
死を覚悟した次の瞬間、全身を包み込んだのは激痛でも暗闇でもなく、温かく眩い「光」だった。
◇
……どれくらいの時間が経っただろうか。
衝撃が来ないため、僕は静かに目を開けた。
そこは、見渡す限り何も存在しない、真っ白な無限の空間だった。
「……あれ? 痛くない……?」
自分の手や足を確認する。怪我一つない。車ごと押し潰されたはずなのに、着ているスーツにも泥一つついていなかった。
(僕……死んだのかな)
そう思いながら周囲を見渡した僕は、言葉を失った。
目の前には、長蛇の列ができていた。
そしてその列に並んでいる者たちの格好が、あまりにも異常だったのだ。
背中に大きな羽根を生やした天使のような者、頭に角を生やした悪魔のような者、露出度の高い絢爛豪華な衣装をまとった、まるでモデルのような美女や老人たち。
(……コスプレ大会の会場?)
何もかもが現実離れしていた。その集団は整然と列をなし、空間の真っ只中にぽつんと佇む、巨大で荘厳な「黄金の門」を順番にくぐっていた。
呆然と立ち尽くしていると、門の脇に立っていた鎧姿の男――門番が、鋭い視線を僕に向けた。
「そこのあんた! 入る気がないなら邪魔だ、退いてくれ!」
地響きのような威圧感のある声。
前職の厳しい接客で叩き込まれた習性が、思考よりも先に反応した。
「あ、すみませんッ!」
反射的にペコリと頭を下げた僕は、慌てて列の最後尾に滑り込んだ。
周りを見渡すと、絢爛豪華な衣装に身を包んだ「コスプレイヤー」たちが、怪訝そうな顔でスーツ姿の僕を見下ろしている。逆に僕も、浮きまくっている自分の格好に肩身の狭さを感じ、身を小さくした。
(……そうか。やっぱり僕は死んだんだな)
じわじわと、実感が湧いてくる。
土砂崩れに巻き込まれるなんて、なんてついていない人生だろう。
(お父さん、お母さん、ごめん……。結局、まともに恩返しもできないままこんなことになっちゃって。友達のみんな……あと、実家で飼っていたポチも)
独身で、仕事ばかりに追われて、最期はあっけなく事故死。
後悔ばかりが押し寄せてきて、僕は静かに目頭を熱くした。だが、起きてしまったことはどうしようもない。僕は諦めとともに、トボトボと列を進めた。
やがて、僕の順番がやってくる。
黄金の門をくぐろうと足を踏み出した、その時だった。
ガチャンッ!
「おい! 許可証が見えるように呈示しろ!」
門番の槍が目の前に突きつけられ、僕は思わず足を止めた。
「えっ? きょ、許可証ですか?」
「当たり前だ! 許可証も提示せずに『神の国』に入国できると思っているのか! 後ろがつかえているんだ、さっさと出さんか!」
猛烈な怒声が飛ぶ。
だが、そんなものを僕が持っているはずもない。そもそも、死後の世界に入るのに許可証が必要だなんて、おとぎ話でも聞いたことがなかった。三途の川を渡るための「六文銭」なら知識としてあったが、そんな昔の貨幣を常時持っているわけもない。
「あの……そんなもの、聞いていませんが……」
「とぼけるな! 許可証なしでこの門を通れるわけがないだろう!」
「おい、後ろがつかえてるぞ! さっさと弾き出せ!」
周りの「コスプレイヤー」たちからも不満の声が上がり始める。焦った僕は、藁にもすがる思いでポケットに手を突っ込んだ。代わりになるわけがないとは思いつつも、出せるものはこれしかなかった。
「あの! 代わりになるか分かりませんが、身分証です!」
僕が震える手で提示したのは、前職の社名と「主任 牧村サトル」の文字、そして疲れた顔写真がプリントされた、ペラペラのプラスチック製の『社員証』だった。
荘厳な黄金の門には似つかわしくない、あまりにも安っぽい現代の遺物である。
門番は怪訝そうな顔でそのカードをつまみ上げると、ジロリと睨みつけた。
「……なんだこれは? 身分証……? 戯言を言うな! これは許可証の偽造だな! 捕らえよ!」
「えぇぇっ!? 違います、偽造なんてしてませんッ!」
弁明の機会も与えられぬまま、僕は左右から武装した兵士たちに抱え上げられ、門の脇にある重厚な建物へと連行されてしまった。
◇
連れてこられたのは、まるで取調室のような、無機質な部屋だった。
スチール製の机を挟んで僕の向かいに座ったのは、書類の山と格闘している目の下にクマを作った担当官――黒いスーツを着て、天使のような輪っかが頭に浮かんでいる男だった。
「……はあ。ただの人間が、神々の国に『偽造の許可証』で不法入国しようとするなんて……前代未聞だよ。どう処理すればいいんだ、これ……」
担当官は頭を抱え、深いため息をついた。異世界の役人にとっても、この事態は完全な想定外らしい。
僕は自分が処刑されるのではないかと冷や汗を流しながら、必死の思いで真剣な表情を作った。営業マンとして鍛え上げられた「誠意の表情」だ。
「あのですね! 担当官様! 弁明させてください! 僕は決して不法侵入なんてしようとしたわけじゃないんです!」
「だって! 普通、死後の世界に来て目の前に立派な門があれば『あぁ、これが噂のあの世への門なんだな』って思うじゃないですか! 僕は山道で土砂崩れに巻き込まれて……気づいたらあの門の前に飛ばされていたんです! 死んだら自動的にあそこに行くんだとばかり……!」
僕が身を乗り出して捲し立てると、担当官は書類をめくっていた手を止め、ぽかんと口を開けた。
「……は?」
「はい?」
「お前……土砂崩れに巻き込まれたって言ったか?」
「はい。大きな岩と土砂が落ちてきて、車ごと飲まれました」
担当官は信じられないものを見るような目で僕を凝視し、手元の水晶玉のような端末を高速で操作し始めた。やがて、画面に映し出された情報を確認した担当官は、呆れたように額を押さえた。
「……お前、まだ生きてるぞ?」
「…………はい?」
僕は自分の耳を疑った。
「生きてるって……僕、土砂崩れに巻き込まれたんですよ!?」
無機質な白に包まれた見知らぬ部屋で、僕――牧村サトルは叫んでいた。
目の前に座るのは、不機嫌そうに書類の山へとペンを走らせる神界の入国管理官だ。
「そんなことは知らん! だが、どこかの世界に召喚でもされて失敗したのか、この神々の領域へ排出されたようだな。つまり……お前は死んでここに来たわけじゃない。単なる『事故による漂流者』だ」
「……」
僕は絶句した。
確かに覚えている。あの日は、土砂崩れの危険がある地方の取引先へと無理やり車を走らせていたのだ。突如として山腹が崩れ落ち、車が茶色の土砂で埋め尽くされたところまでは記憶にある。
死んでいなかった。だが、命が助かった代償として、身一つで異世界――それも神々が住まう高次元の領土に放り出されたというのだ。
「じゃ、じゃあ……地球に帰してください! 僕、やり残した仕事も山ほどありますし、親孝行だってしたいんです! 飼っていた犬も僕に一番懐いているんです!」
ガタッと勢いよく立ち上がる僕。しかし、担当官は一切視線を上げず、冷ややかな声を向けた。
「無理だな」
担当官は即答した。コンマ一秒の躊躇すらなかった。
「空間移動には莫大なエネルギーと、神界裁判所の正式な許可が必要だ。一介の人間を地球に戻すためだけに、そんな巨額の予算や手間が下りるわけがない。なのでお前は帰れない。諦めろ」
「そんなぁ!?」
あまりの理不尽さに全身の力が抜け、僕はへなへなと床にしゃがみ込んだ。だが、担当官の追撃はそれだけでは終わらない。
「それどころか、お前は不法滞在者だ。神々の領域に、許可証を持たない者が留まることは禁じられている。本来なら即座に強制送還だが……その送還コストすら捻出できないから困っているんだ。このままではお前を次元のゴミ捨て場に処分するしかないな」
「ま、待ってください! なんでもします! 働きます! 掃除でも雑用でも、靴舐めでもなんでもやりますから! なんとか送還できるように掛け合っていただけないでしょうか!」
僕はすかさず、冷たい床に膝をつき、勢いよく額を叩きつけた。
パンッ! と乾いた音が部屋に響き渡る。
前職のブラック企業で、理不尽極まりない取引先の無茶振りに耐え抜く中で培われた、寸分の狂いもない完璧なフォームの「土下座」である。背筋の角度、肘の引き方、頭を擦り付ける深さ。どれをとっても芸術的ですらあった。
担当官はその姿を見て、少しだけ眉をひそめた。ペンを止め、初めて僕の姿を直視する。
「……ほう。プライドの高い神々や天使ばかりのこの世界で、そこまで見事に頭を下げられる奴は珍しいな……。自分の尊厳というものを持ち合わせていないのか?」
「尊厳で飯は喰えません! 生き残るためなら頭などいくらでも下げます!」
担当官はしばらく顎に手を当てて考え込んでいたが、やがて何かを思いついたように手をポンと叩いた。
「そうだ……ちょうどいい、激務な上にトラブルだらけの最悪な部署があったな。あそこが、人材を探していたはずだ」
「え?」
僕がそろりと顔を上げると、担当官はニヤリと悪魔のような不吉な笑みを浮かべた。
「よし、『労働ビザ』を発行してやる。その代わり、指定する職場で働いてもらうぞ。そこで労働に励み、帰還に必要な予算分を稼ぎ出したら、上司に送還手続きを掛け合ってやる。……どうする?」
「働きます! 喜んで働かせていただきますッ!」
こうして、僕――牧村サトルは神々の領域における唯一の人間職員として、あの最悪の吹き溜まり――『神様の職業安定所・南支店』へ配置されることになったのだった。
◇
「……はぁ。思い返しても、本当にろくでもない理由だな」
現実へと意識を戻した僕は、紙コップに入ったコーヒーを飲み干した。
歩みを進めるうちに、目的地である重厚だがどこかボロい建物が見えてきた。
看板にはデカデカと『職業安定所・南支店』と書かれている。
建物の前まで来ると、僕は両手でパンッと自分の頬を叩き、スーツのシワを伸ばして深く息を吐き出した。
「よし……今日も一日、送還に必要な予算を稼ぐためにも頑張るとしますか」
死んだ目にほんの少しだけ営業マンのプロ意識という名の光を宿し、僕――牧村サトルはゆっくりと職場の重い扉を開けたのだった。




