1話:皆が明るい素敵な職場☆
ドゴォォォォンッ!!
無機質なグレーのタイル張りのフロアに、局地的な雷鳴が轟いた。
焦げたオゾンの臭いと、安っぽい芳香剤の香りが混ざり合う。天井の蛍光灯がチカチカと明滅し、等間隔に並んだパイプ椅子が衝撃波でガタガタと揺れた。
ここは地球にある市役所とほとんど変わらない施設。
だが、待合室のパイプ椅子に座っているのは、下半身が蛇の女や、頭上に光の輪を浮かべた老人、あるいは全身から後光が射していて直視できない何か、である。
ここで働いている職員から始まり、来場するお客様に至るまで、一癖も二癖も……というか、癖しかない連中が集まっているのがこの『職業安定所・南支店』だった。
「だーっ! ですからお客様ッ! ご要望の雇用条件をほんの少しだけ、ほんの少ぉぉーしだけ落としていただければ、すぐにでもご紹介できる世界があると言っているんです!」
フロア中に響き渡るような甲高い声。
4番窓口の向こう側で、バンッ! とアクリル板を叩いたのは、背中に純白の六枚羽を生やした美少女――当支店の窓口担当であり天使の、ミカちゃんだ。
普段は清廉潔白な天使のスマイルを振りまいている彼女だが、今は眉間に深いシワを刻み、美しい金糸の髪を逆立てて怒り狂っている。
キーンッ!
その時、ひどく耳障りなマイクのハウリング音がフロアに響き渡った。
『えーっと、元・神様のアマテ様~、アマテ様いらっしゃいますかー? 8番窓口が空きましたので、他の元・神様が割り込む前にダッシュで来てください……あっ、手遅れなので今のは無しで。ブツッ!』
気怠げな館内アナウンスが流れた瞬間、待合室のパイプ椅子に座っていた後光の差す美女が、陸上選手顔負けのクラウチングスタートの姿勢をとった後、プルプル震えながら静かに座りなおした。
すぐに待合室から「ふざけるな岩戸に引きこもるぞ!」という罵声が聞こえた気がした。
……誰もが感じるだろう。
なんて熱く、賑やかな職場なのだと。
「なんだと小娘! 我の神格をなんだと思っている! 最初に『生贄は百年に一度でよい』と譲歩してやっただろうが! 次はそちらが誠意を見せる番だ!」
対するお客様は、筋骨隆々で立派な白い髭を蓄えた、いかにもな威厳を放つ老人。……恥ずかしくないのであろうか、羽衣をまとって堂々としている。
彼ら『お客様』は皆、なんらかの理由で自分の世界を維持できなくなり、自己破産してここへやって来た元・神様たちだ。
「いえ、誠意を見せるも何も、私たち職員に雇用条件を決める権限なんてないんですぅ~! 紹介先の世界がノーって言ったらノーなんですよぉ!!」
ギャーギャーと不毛な口論が続く。
いかつい老人神は顔を真っ赤にしてわなわなと拳を震わしている。
ミカは構わずたたみかける。
「ですから! 生贄を牛に変えてもらうだけでしょ! 美味しいし何が問題なんですかぁ!」
「このっ! 牛が生贄では楽しめんでないか! 我のような偉大なる存在に牛と楽しめというのか!? ……男の職員を呼べ! それか上の者を出せ!」
それを聞いて、ミカの背中の羽が、怒りに呼応してバチバチと神聖な光を放ち始めていた。
(あっ、これはマズい)
この支店で唯一の人間である僕――牧村サトルは、たまらず4番窓口のフォローに入ることにした。
職員とお客様の決闘が始まる前に、滑り込むように間に入る。
クレーム対応における「上の者を出せ」は、話が完全に平行線に入った合図だ。
僕は窓口の横から身を乗り出し、頭を一切上げないまま、アクリル板の向こうの元・神様に向かって平に平にお願いした。
「大変申し訳ございません。ご希望の条件は既に伺っておりますが、ここにはあなた様ほどのお方が満足する雇用が無いようです。ですが、明後日までお時間をいただけないでしょうか! 明後日までには必ずや、あなた様にご納得いただけるような職場をお探しいたしますので……なにとぞ、なにとぞご猶予を!」
僕が頭を下げた瞬間、老人神は信じられないものを見るように目を丸くした。
「……んん? な、なんだ貴様。天使でも悪魔でもない……ただの、人間、だと?」
「はい。しがない人間にございます」
老人神は胡乱な目で僕を上から下まで舐め回した。
無理もない。この『神様の職業安定所』において、僕はたった一人の「人間」の職員なのだから。
元神様や修行中の天使たちからすれば、絶対的なヒエラルキーの最底辺。路傍の石ころ以下の存在だ。
老人神は気味悪そうに鼻を鳴らした。
僕は老人神の耳元へ顔を寄せ、こっそりと囁く。
「……嫌々生贄として捧げられる娘より、あなた様に惚れ込み、自ら飛びついてくる娘が多い世界の方が、お楽しみいただけるのではないでしょうか?」
元・神様は立派な髭を撫でながら、傲慢に頷いた。
「ふんっ。なぜ人間がこんな神聖な窓口にいるのか知らんが……いいだろう。 このふざけた小娘よりは話が通じるようだな。 次の水の日にまた顔を見せてやろう! ありがたく思え!」
神威を含んだ声が、ビリビリと僕の鼓膜を揺らす。
常人ならショック死してもおかしくない強烈なプレッシャーらしいが、なぜか僕にとってはそよ風のようなものだった。鈍感なだけなのか、それとも前職のクレーム対応で感覚が麻痺しているのか……。
僕は再び深く頭を下げる。
老人神が去った後、背筋を伸ばし、最上級の営業スマイルで大きく手を振った。
「水の日」というのは、こちらの世界における水曜日のようなものだ。とりあえず、明後日までのタイムリミットは勝ち取った。
元・神様が満足げに背を向け、出口へと消えていくのを見届けた瞬間。
隣から、僕の背中を貫通するほどの鋭い殺気が放たれた。
「……主任!」
振り返ると、ミカちゃんが般若のような顔で僕を睨みつけていた。
そう、ヒエラルキー最底辺の「ただの人間」である僕の役職は、なぜかこの異常な職場において、彼らを束ねる『主任』なのだ。
天使である彼女が人間に指示を仰ぐことなど本来あり得ないのだが、この南支店ではそれが日常と化していた。
「どうするんですか! 明後日までになんとかするって約束しちゃいましたよね!? あんな条件の求神、あるわけないじゃないですか! 生贄なんて感覚が古すぎです! でも……もし約束破ったと判断したら、あのジジイ、主任を恨みますよ!」
「大丈夫、大丈夫」
僕は死んだ目のまま、ひきつった笑みを浮かべた。
「また、西支店に土下座しに行って、余ってる求神をなんとか分けて貰ってくるから……」
ミカちゃんは信じられないものを見るような目で僕を見た後、はぁ〜っと深いため息をついた。
怒りが収まると、彼女は年の頃なら地球の女子高生くらいの、ただの可愛い少女に見える。
「んもぉ〜っ! ってか、そもそもあいつら、自分の世界を失って力を無くしたのに、ちょっと『元・神様』って呼んだらキレるとか、意味わかんないんですけど! プライドだけ須弥山級なんですか! ただの無職のくせにぃ~!」
「あははは……」
今日もぷりぷり怒りながら、頬をぷくぅと膨らませているミカちゃん。
彼女の言い分はもっともだ。だが、元・社長が倒産後も社長風を吹かすように、元・神様もまた、かつての栄光にしがみつきたい生き物なのだ。
「ミカちゃん、落ち着いて。僕たちは職員で、ここは職場だから。お客様のプライドを傷つけないのも仕事のうちだよ。また飲みにでも行って愚痴は聞くから、今は感情を抑えてね」
「……じゃあ、奢ってくださいよ? 満足するまで」
ミカちゃんは上目遣いで、ジロリと僕を見た。
僕は冷や汗を流しながら給金の残りを計算して答えた。
「あははは……喜んで」
薄給の身としては痛い出費だが、有能な(?)窓口担当である彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。
ひとまず、4番窓口の一番熱いトラブルは収まった。
だが、安心したのも束の間。僕がフロアの周りを見渡すと、どこもかしこも似たような地獄絵図が展開されていた。
ガァァァンッ! という打撃音が聞こえて振り向くと、12番窓口のアクリル板に拳を突き立てている者がいた……職員側だった。
視線の先では、狼の頭を持つ巨体の獣神職員――フェンさんが、客である元・戦神らしき男をにらみながら喚いている。
はち切れんばかりのタイトなスーツを着こなすフェンさんだが、その隙間からは鋼のような銀色の毛皮が覗いている。
「おい、三流神。俺のキーボードを叩くスピードが遅いだと? 爪が邪魔で打ちづらいんだよ」
「この、ケダモノが……!」
「俺を誰だと思ってる? かつて『真狼』と崇められ、お前らみたいな神々を食ってきた男だぞ!」
フェンさんの喉の奥から、フロアの空気を凍りつかせるような低い唸り声が漏れた。
かつて世界を終焉に導いたと、酒の席でいつも自慢げに話すフェンさんには、窓口対応は向いていない……。
ここ『南支店』は、いわゆる吹き溜まり。
上層部が扱いかねた「劇薬」ばかりが集められた、異常な部署なのだ。
(……次は、12番窓口か)
「ミカちゃんごめん。フェンさんの窓口もヤバそうだから、ちょっと行ってくるよ」
「あーあ……。主任、食べられないでくださいねー」
ミカちゃんの気の抜けた声に背中を押されながら、僕はネクタイの結び目をギュッと締め直した。
「今日も残業だなぁ……」
誰に言うでもなく呟いた僕の悲痛な声は、神々が怒鳴り合う職場の喧騒に紛れて、誰の耳にも届くことはなかった。




