11話:恋人には嘘をついてはいけません
「ちょっ……主任!! 『ぱーどぅん』ってなんですか!! 私は本気で困っているんですよっ!!」
夕暮れの庁舎に僕の抜けきった声が響いた直後、ミカちゃんは真っ赤な顔をしてプリプリと怒り出した。
金髪のツインテールを激しく揺らし、華奢な肩を怒らせて僕を睨みつけている。
あまりの衝撃的な言葉に思考が完全にフリーズしていた僕は、パチパチと瞬きを繰り返しながら、自分の頭の中で必死に言葉の文脈を再構築した。
「ミカちゃん、落ち着いて……。僕がその『貸し』を返すためには、一体何をすればいいのかな?」
言葉足らずというのは恐ろしい。 ミカちゃんは感情が高ぶると主語や前提をすっぽかす癖があるから、よくこういう破滅的な勘違いが起きるのだ。 心臓の寿命がゴリゴリと削られる音を聞きながら、念を押すように問いかける。
「もおっ! 主任には私の『彼氏』になりきってもらいたいんです! そうして一緒にガブ兄様を説得してほしいんですぅ!」
「ふむ……」
腕を組み、顎に手を当てる。
これでようやく、全体像が少しだけ見えてきた。
(あれか。未婚の娘を心配した厳格な親族から、厄介な縁談かお見合いの話が舞い込んできたパターンか……?)
「わ、分かったよミカちゃん。できる限りの協力はするから、一旦落ち着いて詳細を教えてもらえるかな?」
『ふんす!』と鼻息を荒くしたミカちゃんは、ようやく話が通じたとばかりに、両手を腰に当てて事情を語り始めた。
◇
案の定、僕の予想は大きく外れてはいなかったものの、スケールだけは無駄に『神様サイズ』だった。
天使であるミカちゃんには、定期的に巡ってくる重要な『義務』があるらしい。それは、新たな下級天使を創造する『生の儀』と呼ばれる仕事だ。
「……『地の塵から人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れた』ってやつだね?」
僕が地球での知識から呟くと、ミカちゃんは不満げに口を尖らせた。
「そうなんです! 複数の上位天使が集まって、聖なる泥から天使の型を作り出し、そこに自分の神聖な力を惜しげもなく分け与える必要があるんです! その順番が、とうとう私に回ってきちゃったんですよ!」
「なるほど……力を使うから大変なんだね」
「それだけじゃありません! 今なんて世界は戦乱の時代じゃないから、天使なんて過剰供給で溢れかえってるんですよ!? だから私だって居場所がなくて、こうして職安で働いているんですからッ!」
鬱憤が溜まりに溜まっていたらしい。ミカちゃんの口からは、留まることを知らない勢いで愚痴が溢れ出してくる。
「戦いのない平穏な時代に天使をバカバカ増やしてどうしろって言うんですか! 完全に上の『前例踏襲主義』ですよ! 主任もガブ兄様にビシッと言ってくださいよ!」
「あ、はは……分かった、分かったから……! ミカちゃん、その背中の羽をバチバチ光らせるの、本気で怖いからやめてね!?」
怒りに比例して、彼女の背中の六枚羽が激しい静電気のような音を立て、青白い神聖な光を放ち始めている。直視すると目が眩むほどの光量だ。
僕が顔を引きつらせて宥めると、ミカちゃんは光を収め、当然のような顔で言い切った。
「さっすが主任! 話が早いですね! この後、すぐ近くの居酒屋でガブ兄様と待ち合わせなんです。だから主任が一緒についてきて、『俺の彼女にそんな面倒なことさせないぜ!』って、男らしく追い払ってくださいね!」
僕の脳裏に、数分前の自分の迂闊な返答が蘇る。
恐ろしいほどの後悔が津波のように押し寄せてきて、口から漏れ出たのは先ほどと寸分違わぬ同一の言葉だった。
「……ぱーどぅん?」
◇
——ガラガラガラ。
木製の引き戸を開けると、甘く香ばしいタレの焦げた匂いと、熟成された神酒の濃厚な香りが鼻腔をくすぐった。
やってきたのは、僕が以前アテナ課長やフェンさんたちとやってきた、神々の街の裏路地に佇むいつもの居酒屋だ。
店内には赤い提灯が吊るされ、ガヤガヤと酔っ払った神様たちの怒号と笑い声が混ざり合っている。
「ねえ……ミカちゃん。ガブ兄様って、一体どんなお方なのかな? その……何かあった時、ミカちゃんは僕のことを物理的に守ってくれると思って大丈夫なんだよね……!?」
僕は額に冷や汗を浮かべながら、隣を歩くミカちゃんを真剣な目で見つめた。
もし相手が頭の血が上りやすい武闘派の神様で、僕を守ってくれないのだとすれば、脱兎のごとく逃げ出す所存である。
ミカちゃんは安心させようと、自分の胸をポンと叩いた。
「大丈夫ですよ主任! ガブ兄様……大天使様は無益な殺生を好まない慈愛の神ですし、そもそも主な役割は『伝言係』ですから! パワーだけで言えば、私の方が上なんです! ……たぶん!」
「たぶん!?」
最後の一言があまりにも致命的すぎて、僕の胃が雑巾のように絞り上げられる。
恐怖で足を竦ませていると、奥の個室の暖簾が上がり、神聖なオーラを隠しきれていない一人の男が姿を現した。
整った顔立ちに、白銀の髪。高級そうな絹の服を纏い、冷徹なまでの眼光を放つ男——大天使ガブ様。
「……待たせたな、ミカ。む?」
ガブ様は冷ややかな視線を僕へと向けた。
「……お前は誰だ? 人間か?」
(ひっ……! 視線だけで皮膚がヒリヒリ痛む……!)
だが、ここで怖気づいていてはプロの元・営業マンの名が廃る。
(『彼氏のフリ』などというリスクが高すぎる嘘は秒で切り捨て、あくまで直属の上司として論理で圧倒する! それが営業だ!)
僕は一瞬で恐怖を脳の奥底へ押し込めると、顔筋をフル稼働させて完璧なビジネススマイルを作り出した。少しでも好意的な印象を持ってもらえるよう、最上級の深いお辞儀とともに言葉を繰り出す。
「初めまして! 私は牧村サトルと申します。ご覧の通りただの人間ではございますが、現在、ミカさんが勤めております『職業安定所・南支店』にて主任を務めさせていただいている者です」
ガブ様は胡乱な目で僕を上から下まで舐め回すように見つめた。
その瞳には明確に『なぜ無関係の人間がここにいる?』という疑問が刻まれている。言葉を発せられる前に、僕は息を吸い込み、マシンガントークを開始した。相手に喋らせる隙を与えず、こちらのペースに引きずり込むのは営業の基本だ。
「ミカさんは窓口の要として非常に優秀でして、職場の全職員から絶大な信頼を寄せられているかけがえのない存在です。今回、場違いな私が同席させていただきましたのも、ミカさんが復帰の目途も立たないような長期の離脱となれば、当支店の業務が完全に崩壊してしまうためでございます。ぜひ、詳しいお話を伺いたく参上いたしました」
一気呵成にそれっぽい同席理由を捲し立てると、ガブ様は予想外の勢いに少し圧倒されたのか、「む……まあ良い。座れ」と小さく頷いて席を促した。
(よし……第一段階クリア! だが、僕のターンはまだ終わらないぞ!)
相手に要求を言わせる前に、こちらからの『お願い』という名の先手パンチを叩き込み、相手が無理難題を切り出しにくい空気を作り出す。
これぞクレーム折衝の極意。
「ガブ様と呼ばせていただきますね。事前にお話はミカさんから伺いましたが……今回の『生の儀』、どうしてもミカさんでなければならないのでしょうか? 私どもの職場では、今ミカさんに抜けられてしまうと、再就職を待つ無数の神様たちが路頭に迷うことになってしまうのです。どうか今一度、ご検討いただけないでしょうか……!」
情に訴えかけつつ、深々と頭を下げる。
マシンガントークの連続に驚きつつも、途切れたタイミングでガブ様は腕を組み、深く考え込むような仕草を見せた。
(効いている……! 相手は『慈愛』の神だ。論理と現場の困窮を突けば、心を揺らせるはず……!)
やがて、ガブ様はゆっくりと瞼を開き、重厚な声を響かせた。
「……サトルと言ったな。ミカの上司として、これほどまでに彼女を評価し、案じてくれていることには感謝する。……だが、その要望は無理だ」
(くっ……! 一筋縄ではいかないか!)
揺らぎかけた手応えを感じつつも、僕は即座に思考を切り替えた。
『ノー』と言われたら、次はその理由がどこにあるのかを特定し、それを解消する代替案を提示するまでだ。
「失礼ですが……そちらの事情において、必ずしもミカさんでなければいけない理由があるのでしょうか? 他の天使の方で代用することは不可能なのですか?」
「ある!!!!」
ドカン、とテーブルが揺れるほどの食い気味な一撃。
ガブ様は額にピキピキと青筋を浮かべ、鋭い指先をミカちゃんへと突きつけた。
「ミカはな……! 当番であるこの『生の儀』を、過去に【七回】も連続でブッチぎっておるのだよッ!!」
「……え?」
僕の口から素っ頓狂な声が漏れた。
「毎度毎度『次こそは絶対にやります!』『来期は必ず神聖な泥を捏ねます!』と愛くるしい笑顔で宣言しておきながら、直前になると色々な言い訳をつけて逃亡した! 前回の周期もそうだ!!」
ガブ様の氷のような威厳は霧散し、溜まりに溜まった苦労人の怒りが爆発していた。
「おかげで! 私の元には上層部からも、下級の天使たちからも『いい加減にミカへ義務を果たさせろ!』と凄まじいクレームと強い要望が殺到しているのだ! これ以上長引かせることなど、絶対に不可能なのだよ!!」
静まり返る個室。
タレの焦げる匂いだけが虚しく漂う中、僕は恐る恐る、首を横に向けて隣のミカちゃんを見た。
ミカちゃんは可愛らしく「てへっ☆」と聞こえてきそうな表情で片目を瞑り、小さな舌をペロッと出しながら、自分の頭をコツンと拳で叩くポーズを取っていた。
(可愛いポーズだが、今の僕には悪魔の所業にしか見えない)
完全に確信犯である。八度目の逃亡を図ろうとしていたのだ。
ただの「面倒くさがりの自己都合による業務放棄」だった。
僕は静かに営業スマイルを消し去ると、いつものどんよりとした「完全な死んだ目」に戻り、深々とガブ様に向かって頭を下げた。
「……ガブ様。大変失礼いたしました。ミカちゃん、今すぐ荷物をまとめて泥を捏ねに行ってきなさい」
「ちょっとぉぉぉ!? 主任ッ!? 裏切るんですかぁぁぁ!!」
夕暮れの居酒屋に、ミカちゃんの悲痛な叫び声が虚しく響き渡ったのだった。
やっとこさ、処女作『魔法少女が表なら、忍びは裏。——国に見捨てられた姉妹は、偽りの聖女を影から狩る』の、エピソード2の完結まで予約投稿が済んだので、暫くは本作と『強制☆恋愛体質』の更新に専念します。
読んで頂ける読者様がいらっしゃるかは分かりませんが、完結までのプロットはあるので最後まで書ききるつもりです!




