少しだけ勇気を出して
再びヒロイン視点です。
二度目の時戻りのあと、わたしは『声』に従い、少しだけ勇気を出してハンカチに『助けて』と小さく綴った。念のため古語で。
誰かに気付いてほしいという願いを込めて。
その後お嬢様から、前回と同じ課題を言いつけられた。
「今夜はこの宿題を仕上げてよ。明日の朝までなんだからね」
内容は『アエネイスに関する一節を書き、その背景・情景を説明せよ』。
今回は頭の片隅にあった知識を総動員して、日が出ているうちに課題を仕上げた。
(アエネイスみたいにここから出ることさえできれば……自力では無理ね、こんな身体では。わたしは助けを求めることしかできない、何の力もない存在だから)
だとしても、助けが来るまでは絶対死なない、諦めない。
数日後、再びお嬢様から刺繍を頼まれた。
(もしかしたら、誰かが気付いてくれたのかしら?)
期待を込めて今度は『屋根裏部屋』『助けて』と、小さく銀糸で綴った――古語で。あのお嬢様は古語など分からないと思うから。
(早く……誰かわたしを助けに来て)
そう願いながら、茹でたじゃがいもと水だけで過ごす日々。
どこからか聞こえる『声』だけがわたしの心の支え。
《……ィネス……勇気を……出して……》
※
その日はやはり嵐だった。
深夜を過ぎたころ、コンコン……と天窓を叩く音がした。
だるい身体を無理矢理起こして天井を見上げると、柔らかなプラチナブロンドの青年が、クモの巣だらけの天窓に張り付いていた。
「誰……?」
雷の音とともに窓ガラスが破られ、窓枠が外れた。
途端に雨で床が濡れた。
「やあ、迎えに来たよ」
闇夜に似合わず明るい声。わたしが安心できる呼びかけだった。
「あなたは誰?」
「ぼくに助けを求めていただろう?」
「あなたに?」
「そうだと思ったんだけど、違った?」
「わたしは……誰でもよかったんです、ここから出してくれる人がいれば」
「そうか、誰でもよかったのか……」
「ごめんなさい、そういうことでは――あの、ありがとうございます」
「じゃあ、ぼくが誰なのか分からない?」
「申し訳ありません、分かりません、わたしには以前の記憶がないので……」
「でも刺繍はできるんだね、覚えていたんだね」
「そうみたいです」
青い瞳の『彼』の目が、まっすぐわたしを見ている。
この人にあのハンカチが渡ったんだ。
この人が『でんか』なのかもしれない。
「いいよ、ここから出してあげるよ」
思いがけない申し出。その言葉をずっとわたしは待っていた。
「本当ですか? ありがとうございます」
ここは屋敷の三階屋根裏部屋。
彼が登って来たのも不思議だし、どうやって屋敷の外に出るのかな――と思案していたら、天窓からロープが下がり、それを伝って『彼』が降りて来た。
「とても軽いね。ぼくにつかまって」
わたしは彼の首に両腕を回し、抱き上げられて広い屋根に降りた。ロープを引いたのは二人の男性だった。みんなずぶ濡れだった。
とうとうわたしは屋根裏部屋から脱出したのだ。
「歩けるかな?」
「はい……何とか」
突然雨が止み、雲が切れた。冷えて澄んだ空気が流れ込んだ。
「もう大丈夫だね」
月明かりを頼りに、わたしたちは狭くて急な外階段から地上に降りた。
※
地上で待っていた背の高い男性に背負われ、フワフワプラチナブロンドの『彼』と数人の男性に連れられて向かった先は、松明がそこかしこに灯されている広大なお屋敷だった。
夜だったから分かりにくかったけれど、恐らくここは王宮だ。ということは、『でんか』つまり『彼』は……。
わたしの体力はすっかり無くなっていた。それからずっと熱を出して眠り続けていたらしい。
ようやく起き上がれるようになり、王宮の片隅の小さな庭園で『彼』と朝食をとりながら、わたしは今までのことを話した。
意識が戻ったら屋根裏部屋に閉じ込められていたこと、自分が誰なのか覚えていないこと、出される食事は茹でたじゃがいもと水だけ、湯あみは水の張ったタライがあるだけ。
そして、お嬢様から課題を出され、出来ないと叩かれたこと……。
「よく耐えたね。今まで気付かなくて申し訳なかった。これからは安心して暮らせるようにするよ」
彼の言葉でわたしは静かに涙を流した。
――あぁ、これは泣くほどのことだったんだ。
「ゆっくり休めたかな。うん、髪の毛も身体も大分きれいになったね」
フワフワプラチナブロンドの彼がわたしの髪の毛を検分し、自ら紅茶をサーブしながら言った。
「とにかく、誰かに見つけてもらおうと必死でした」
「ぼくたちに少しの勇気があったからかな」
「少しの……勇気……?」
「お互いそれがなかったら、ぼくはあなたを見つけられなかった。それに、あなたはずっとエレナ嬢の影武者だったかもしれない――もっとも単なる見せかけだから、すぐに見破られただろうけどね。本人には知識も技術も何もなかったわけだから。ハリボテ令嬢だよ」
「実は、何回か時が戻ったんです。信じてもらえないかもしれませんけれど……」
「分かってる。ぼくの時も戻ったから」
「そうだったんですか……時が戻る際、誰かの声がして、このペンダントが光ったんです」
そう言って、わたしは彼に古ぼけたペンダントを見せた。
……あっ、他の人に言ってしまったわ。誰にも言ってはいけなかったのに。
ウッカリ過ぎるわ。
その途端ペンダントは光の粒子になってフワリと消え、『声』は二度と聞こえることはなかった。
「こんなことが……不思議だ……グウィネス嬢の叔父に聞けば何か分かるかもしれない」
「わたしはグウィネスという名前なんですか?」
「あなたはグウィネス・キリアン嬢だよ。キリアン子爵家の生き残り」
――ということは、わたしの家族はもういないのだろうか。
「グウィネス嬢は、これからどうしたい?」
「これから……わたしはあの屋敷には戻りたくない」
「それから?」
「……わたしが何者なのか知りたい」
「それから?」
「……あなたが何者なのかも知りたい」
「それなら、ぼくも協力できるかもしれないよ?」
「そうなんですか?」
「ぼくを信じてほしい。ぼくはあなたの婚約者候補だったのだから」
「だから助けに来てくれたのですか? わたしは……とにかく自分のことを知りたいです」
「分かった、これから一緒に取り組もう。グウィネス嬢の叔父にも協力してもらって。その前に、痩せ細ったその身体をどうにかしなければね」
珍しく『彼』が笑いながら言った。
少しだけの勇気――。
諦めなくて良かった。
ペンダントの秘密を打ち明けてしまったけれど、この人なら信じられそう。
『彼』はわたしの運命の人なのかな。
ずっと一緒にいたいと思ってもいいのかな……。
次回で最終回です。第三王子視点です。




