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刺繍に綴られた願い――二度目の時戻り、少しだけの勇気  作者: 赤城ハルナ


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少しだけ勇気を出して

再びヒロイン視点です。

 二度目の時戻りのあと、わたしは『声』に従い、少しだけ勇気を出してハンカチに『助けて』と小さく綴った。念のため古語で。

 誰かに気付いてほしいという願いを込めて。


 その後お嬢様から、前回と同じ課題を言いつけられた。


「今夜はこの宿題を仕上げてよ。明日の朝までなんだからね」


 内容は『アエネイスに関する一節を書き、その背景・情景を説明せよ』。

 今回は頭の片隅にあった知識を総動員して、日が出ているうちに課題を仕上げた。


(アエネイスみたいにここから出ることさえできれば……自力では無理ね、こんな身体では。わたしは助けを求めることしかできない、何の力もない存在だから)


 だとしても、助けが来るまでは絶対死なない、諦めない。


 数日後、再びお嬢様から刺繍を頼まれた。


(もしかしたら、誰かが気付いてくれたのかしら?)


 期待を込めて今度は『屋根裏部屋』『助けて』と、小さく銀糸で綴った――古語で。あのお嬢様は古語など分からないと思うから。


(早く……誰かわたしを助けに来て)


 そう願いながら、茹でたじゃがいもと水だけで過ごす日々。

 どこからか聞こえる『声』だけがわたしの心の支え。


《……ィネス……勇気を……出して……》





 その日はやはり嵐だった。

 深夜を過ぎたころ、コンコン……と天窓を叩く音がした。

 だるい身体を無理矢理起こして天井を見上げると、柔らかなプラチナブロンドの青年が、クモの巣だらけの天窓に張り付いていた。


「誰……?」


 雷の音とともに窓ガラスが破られ、窓枠が外れた。

 途端に雨で床が濡れた。


「やあ、迎えに来たよ」


 闇夜に似合わず明るい声。わたしが安心できる呼びかけだった。


「あなたは誰?」

「ぼくに助けを求めていただろう?」

「あなたに?」

「そうだと思ったんだけど、違った?」

「わたしは……誰でもよかったんです、ここから出してくれる人がいれば」

「そうか、誰でもよかったのか……」

「ごめんなさい、そういうことでは――あの、ありがとうございます」

「じゃあ、ぼくが誰なのか分からない?」

「申し訳ありません、分かりません、わたしには以前の記憶がないので……」

「でも刺繍はできるんだね、覚えていたんだね」

「そうみたいです」


 青い瞳の『彼』の目が、まっすぐわたしを見ている。

 この人にあのハンカチが渡ったんだ。

 この人が『でんか』なのかもしれない。


「いいよ、ここから出してあげるよ」


 思いがけない申し出。その言葉をずっとわたしは待っていた。


「本当ですか? ありがとうございます」


 ここは屋敷の三階屋根裏部屋。

 彼が登って来たのも不思議だし、どうやって屋敷の外に出るのかな――と思案していたら、天窓からロープが下がり、それを伝って『彼』が降りて来た。


「とても軽いね。ぼくにつかまって」

 わたしは彼の首に両腕を回し、抱き上げられて広い屋根に降りた。ロープを引いたのは二人の男性だった。みんなずぶ濡れだった。


 とうとうわたしは屋根裏部屋から脱出したのだ。


「歩けるかな?」

「はい……何とか」


 突然雨が止み、雲が切れた。冷えて澄んだ空気が流れ込んだ。


「もう大丈夫だね」


 月明かりを頼りに、わたしたちは狭くて急な外階段から地上に降りた。





 地上で待っていた背の高い男性に背負われ、フワフワプラチナブロンドの『彼』と数人の男性に連れられて向かった先は、松明がそこかしこに灯されている広大なお屋敷だった。

 夜だったから分かりにくかったけれど、恐らくここは王宮だ。ということは、『でんか』つまり『彼』は……。


 わたしの体力はすっかり無くなっていた。それからずっと熱を出して眠り続けていたらしい。

 ようやく起き上がれるようになり、王宮の片隅の小さな庭園で『彼』と朝食をとりながら、わたしは今までのことを話した。


 意識が戻ったら屋根裏部屋に閉じ込められていたこと、自分が誰なのか覚えていないこと、出される食事は茹でたじゃがいもと水だけ、湯あみは水の張ったタライがあるだけ。

 そして、お嬢様から課題を出され、出来ないと叩かれたこと……。


「よく耐えたね。今まで気付かなくて申し訳なかった。これからは安心して暮らせるようにするよ」


 彼の言葉でわたしは静かに涙を流した。

 ――あぁ、これは泣くほどのことだったんだ。


「ゆっくり休めたかな。うん、髪の毛も身体も大分きれいになったね」

 フワフワプラチナブロンドの彼がわたしの髪の毛を検分し、自ら紅茶をサーブしながら言った。


「とにかく、誰かに見つけてもらおうと必死でした」


「ぼくたちに少しの勇気があったからかな」

「少しの……勇気……?」

「お互いそれがなかったら、ぼくはあなたを見つけられなかった。それに、あなたはずっとエレナ嬢の影武者だったかもしれない――もっとも単なる見せかけだから、すぐに見破られただろうけどね。本人には知識も技術も何もなかったわけだから。ハリボテ令嬢だよ」

「実は、何回か時が戻ったんです。信じてもらえないかもしれませんけれど……」

「分かってる。ぼくの時も戻ったから」

「そうだったんですか……時が戻る際、誰かの声がして、このペンダントが光ったんです」

 そう言って、わたしは彼に古ぼけたペンダントを見せた。


 ……あっ、他の人に言ってしまったわ。誰にも言ってはいけなかったのに。

 ウッカリ過ぎるわ。


 その途端ペンダントは光の粒子になってフワリと消え、『声』は二度と聞こえることはなかった。


「こんなことが……不思議だ……グウィネス嬢の叔父に聞けば何か分かるかもしれない」

「わたしはグウィネスという名前なんですか?」

「あなたはグウィネス・キリアン嬢だよ。キリアン子爵家の生き残り」


 ――ということは、わたしの家族はもういないのだろうか。


「グウィネス嬢は、これからどうしたい?」

「これから……わたしはあの屋敷には戻りたくない」

「それから?」

「……わたしが何者なのか知りたい」

「それから?」

「……あなたが何者なのかも知りたい」

「それなら、ぼくも協力できるかもしれないよ?」

「そうなんですか?」

「ぼくを信じてほしい。ぼくはあなたの婚約者候補だったのだから」

「だから助けに来てくれたのですか? わたしは……とにかく自分のことを知りたいです」


「分かった、これから一緒に取り組もう。グウィネス嬢の叔父にも協力してもらって。その前に、痩せ細ったその身体をどうにかしなければね」

 珍しく『彼』が笑いながら言った。


 少しだけの勇気――。


 諦めなくて良かった。

 ペンダントの秘密を打ち明けてしまったけれど、この人なら信じられそう。


『彼』はわたしの運命の人なのかな。

 ずっと一緒にいたいと思ってもいいのかな……。

次回で最終回です。第三王子視点です。

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