62 そうして生まれたものは
ナインちゃんがやらかすだろうなっていう話。
ナインは、花冠を作る、という行為はした事がある。
しかしそれは、室内において病原菌を徹底的に排除され、他人の手によって摘み取られ、予め綺麗な輪が作れるようにと完璧なマニュアルを用意されてのものだった。
その花は、思いやりに溢れてはいたが、何か冷たい感触がした。
それでも自分の手で作り出した花冠には熱が宿る。丁寧に作られたそれは、1つめはドライフラワーに。2つめは飼っていた鳥の墓前に。3つめはこれまた飼っていた猫の餌食となった。
そして10歳となるほんのちょっと前。
ナインが死んでしまう、数時間前の事だ。
ナインは閃いた。
公園ならば、花くらいは咲いているはず。
自分と同じで、しかし自分より幼い故に外の世界を知らない弟に、外の世界で、自分の意思で、自分の手で摘んだ花を使った花冠を作ろうか、と。
そうして帰ったら、母と父に怒られながらも弟に渡そうか、と。
考えるだけで微笑ましい光景だった。
まさか、そんなささやかな幸せが叶わないなど、思ってもみなかった。
常に明るく、ほんの少しわがままなお嬢様の、数少ない『未練』の話である。
ナインが作った花冠は、それはもう綺麗な形だった。
紫のラベンダーと、白く小さなハイビスカスみたいな形の花をあしらった花冠だ。
甘い香りがふわりと漂い、ナインから手渡された少年は驚きに目を見開く。
何せ、呼ぼうかどうか迷った挙句、時間が深夜になってしまったため、明日の朝また考えようとしていた矢先、その呼ぼうとしていた相手が、自ら来たのだから。
その出会いは偶然だ。
決して意図してやったわけではない。
ロキも、そして神様も、誰も彼等の邂逅を予想していなかったのだ。
「こんばんは」
ナインは作り笑顔を浮かべる。
「……こん、ばんは」
少年……コノエは、現状把握が上手く行かずに目を白黒させる。
目の前の美少女がナインだと分かっていても。あの圧倒的な歌唱力を見せ付けたナインだと理解していても。それが、既に自分の『姉』ではない存在だと、突きつけられた気がして。
何せ姿が違う。
ナインは髪色がプラチナに、瞳の色が金色になってしまった。
コノエは姿のどこにも、コノエの要素が存在しない。魂が直接容姿に繋がるナイン達と違い、コノエ達は親がおり、その親によって容姿が変化するからだ。
前世と違う姿。
前世と違う声。
声だって、前世では既に変声期を迎えていた。今とは全く違う。エーヴェはピアノの事を口に出したり、不意に鑑定した事で気付いたが……この世界では、プライバシー侵害でもしなければ、互いに前世持ちなどと分かりようも無い。
今世において、それは初の邂逅である。
コノエは気付いていた。あの歌声を聴いて、間違い無いと確信できた。
しかしながら、ナインはロキやエニシに教えてもらうでも、オウレンディアスから写真を見せられるでもなく、コノエを『コノエ』と呼んだのだ。
「久しぶりだね、コノエ」
作り笑顔から一転。ふわりと浮かべられた自然な笑みに、コノエは再び驚いた。
やはり、ナインは自分の事を知っているのだ、と。
「ふふ、私が最後に見たのは5歳の時だったから、どうしても大きくなったね、としか言えないや。コノエはどうかな? 髪とか目とか、色が変わっちゃったけど。分かる?」
こてん、と。微笑みを浮かべたまま首を傾げる姿は、さながら小さな女神様のようで。
大抵、記憶というのは美化されるものだ。たとえ写真を毎日見せ付けられたとして、脳に焼きついている記憶は段々と自分の都合が良いように改竄されていくのだろう。
しかしながら、コノエの美化された記憶は、それでもまだ不足していたのかと思い知らされる。
美しいのだ。
たしかに、あの艶やかで美しかった黒髪も黒目も無くなってしまった。
しかし、このファンタジー極まりない世界においては、むしろそのプラチナの髪こそ相応しいと思えるのだから不思議である。
コノエのようなエルディラにはほとんどいないが、人類の約4割は黒髪で、黒目だ。どちらか一方だけという遺伝もあるが、この世界における黒髪黒目はさして珍しくは無い。
だからこそ、ナインほど力と才能に溢れる者に与えられる薄い色素の髪は目立つ。
だからこそ、歌姫の称号を賜ったナインにこそ、その髪色は相応しいと言えた。
手渡された花冠と、ナインの顔を交互に見やるコノエ。
コノエは何度も往復させていた視線を、やがてナインに固定する。
「驚いた?」
「……うん。とても」
「ふふっ、私もだよ! コノエってば、全然変わらないんだもん」
コノエのふわふわと跳ねた髪を潰さないよう、ナインはそっと撫でた。
懐かしそうに、愛おしそうに。
「あのね、公園に行けたら、花冠を作ってお土産にしようって思ってたの。その前に死んじゃって、残念無念の未練たらたらなんだよ?」
「え……」
「だから、ここで解消するのです!」
ナインはコノエが両手で持っている花冠を、コノエの手ごとコノエの頭に乗せる。
「あの時のコノエは、まだ5歳だったし、花冠は作った事が無かったでしょ? 私が教えてあげるんだー、ってお父さんにもお母さんにも宣言してたの」
「……だから、教えてくれなかったのかな」
「あっ、良かったぁ。約束守ってくれたんだ! じゃあ、今教えても良い? 今ね、とっても暇なの!」
ともすれば中庭の花が成長過程をすっ飛ばして満開になりそうな、そんな零れるような笑みを浮かべて、ナインはコノエの小さな手を引いた。
それでも、ナインにとっては5年分、覚えている物より大きな手。
夜の中庭の、ちょうど中央にあるテラスへ、適当に見繕った花を集めていく。
庭の景観を損ねない、必要最低限の花を。
「コノエは今でも、黄緑が好きなのかな」
「好き、だけど。今は青かな?」
「良かったぁ、黄緑の花ってここにはあまり無かったから!」
「……うん」
未だ混乱は抜け切らない。
しかし、コノエはああ、こんな人だったな、と頬を緩ませた。
このお嬢様は、気を許した相手にはとことん甘えてとことん強引なのだ。それでいて引き際を弁えているから性質が悪い。
ああ、性質が悪い。
「ふ、ふふっ。あははっ」
気付けば、コノエは懐かしさに笑みが溢れていた。
頬を、温かいものが伝う。
「コノエ」
「ふふっ、うん、大丈夫。嬉しいだけ、だから」
「嬉しい?」
「うん。だって、さ。20年前は、ずっと一緒にいて。これからもずっと一緒なんだろうなって、思っていたのに。貴方が―― お姉ちゃんが死んでから、もう、20年で」
「――……」
20年。
10年前、コノエは死んで、転生した。
その更に10年前、ナインは死んだのだ。
1年かそこらまでならば、まだ許容範囲内だっただろう。しかし10年も前に死んでしまった人物と再び姉弟として生まれることが出来るのか? と問われれば、無理に近い話だと。
そう、考えていたのだ。
少なくとも、コノエは。
「10年前、きっとお姉ちゃんは来ないと思った。だって、10年も前に死んだ人と、同じ歳、同じ世界に生まれるなんて、奇跡にもほどがある」
「っ、でも」
「うん、分かってる。これは奇跡だよ。お姉ちゃん」
それはまるで、20年前。もしナインが死なず、無事に帰ってきたなら、本当にあったのだろうやり取りだった。
外の世界を知らない弟に、外の世界を教える姉。
それはそれは、微笑ましい光景だっただろう。
今はもう血の繋がらない、赤の他人となってしまったけれど。確かにそれは、20年前に忘れ去られた、あったかもしれない幸せ。
20年越しに再現されたそれは、コノエの涙腺を崩壊させるに至る衝撃だった。
奔放な歌姫がもたらした、姉弟しての、最後の贈り物だと。
「エーヴェから、聞いた。この世界では同い年だって」
「……うん。神様の手違いで、10年前に生まれたからね」
「じゃあ、お姉ちゃん呼びはダメだね。ナインって、呼んでも良い?」
「もちろん!」
むしろ実際に生きた年数で言えば、既にコノエはナインよりも年上だ。
ナインはふわりと微笑んで、快く了承した。
コノエも、もうナインとは似てもいない顔立ちのまま、ふにゃりと微笑む。
それは。
「うん。やっぱり、変わってない」
完成した花冠は、ナインの物はとても綺麗に。コノエの花冠は、少し不恰好になった。口頭と、薄暗い中ナインの手元を見るだけだったにしては、綺麗なのだが。
ふわふわと甘い香りが漂う。
どちらからともなく、2人はお互いに作った花冠を頭に乗せあった。
「似合ってるよ、コノエ」
「……僕のは、似合ってないね」
「そう?」
「うん……」
コノエは1度だけ、ナインの頭の上に乗せられた白と黄色の花をあしらった花冠を一瞥する。かわいらしくも美しいナインには、不相応に見えたから。
むすっと不貞腐れたコノエは、静かにナインから目を逸らす。
「けど、私は今まで作ったり、作ってもらったりした花冠の中で、これが1番好きだよ」
「えっ」
「だって、コノエが、私のために、一生懸命丁寧に作ってくれたんだもん。一生大事にする」
「一生って。僕もナインも、かなり長寿だよ?」
軽く見積もって万単位で生きる。それが龍であり、その血を色濃く受け継ぐエルディラの特徴だ。
それを知っているからこそ、コノエは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。何せ、自分の稚作が万年単位で残るのだから、止めたくもなる。
何が悲しくて、歴史的価値の高そうな物質になりかねない物が自分の稚作にしなくてはならないのか。
「ふふっ、ドライフラワーにしたり、樹脂で固めたり。方法は幾らでもあるもん♪ 私だって、自分が作った初めての花冠はドライフラワーにされたし。コノエもそうしないと不公平!」
「ナインの花冠は物凄く綺麗だったからいいけど、僕のは普通じゃん! 返してよ!」
「そんな事ありませ~ん~」
くすくす笑うナインを、コノエは追い掛け回す。
夜にしては騒がしい中庭に響く笑い声。2人は、見た目はともかく、生態系ピラミッドの頂点に位置する生物なのだ。体力はどれだけ走っても減りやしない。
ナインにとっては、何にも代え難いほどの宝物なのだ。決して譲る気は無いし、既にどのように飾るかを頭の中で設計してしまっている。クロウも巻き込んで、芸術的に仕上げてしまおうと決めていた。
頑なに花冠を渡さない様子は、コノエが幼い頃に見た彼女そのもので。
ああ、確かに変わらないものなのか、と。納得して。
「うーん、そろそろ帰っても良い頃かなぁ。コノエ、明日も会える?」
「え、う、うん。……お父様に、頼めば」
「お父様……あぁ、オウレンディアス様だね? 分かった。お願いしておくよ!」
よぉし! と、深夜にさしかかる時間だというのに、気合を入れ直す「姉」は、いそいそと花冠を空中に落とすようにしまいこむ。
コノエはそれを見て、ようやく追いかけるのをやめた。
これ以上は追いかけても無駄なのだろう、と感じて。
がっくりとうなだれながら……。
「じゃっ、また明日ね!」
「えっ、あ、ナイン?!」
機嫌良さげにスキップで廊下へと戻っていくナインに、コノエは手を伸ばし―― やめた。
月光に煌く髪は、色こそ違うものの、遠い『あの日』に見たものと酷似している。
コノエは静かに、暗闇へ消えていくナインを目で追い続けた。
そしてナインの姿が完全に見えなくなった時、小さく呟く。
「ねぇ、ナイン。僕――
―― 今度こそ、守ってみせるから」
覚悟が、そのエメラルド色の瞳に宿っていた。




