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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第一章 天皇陛下の苦悩と八咫烏の始動
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第五話 消える島

次に書付を広げたのは、諏訪だった。

刀の烏。だが、今夜彼が持ち出したのは、刃の話ではなかった。

「離島の報、と申しても、最初に申すべきは戦の話ではありません。暮らしの話です」

南西の離島の一つ。

漁と本土との航路だけで成り立っていた島が、この三年で学校を閉じ

診療所を引き、航路を減らした。

残ったのは、百人足らず。

冬になれば、老人だけの島になる。

「島が消えるのは、静かです。ただ船が減り、店が閉まり、墓参りの船が来なくなる」

「紙の上では、まだ『有人』と書かれています」

「学校と診療所と航路」


と瀬戸が呟いた。


「その三つが揃って消えたら、もう若い者は戻らん。

島は名前だけになって、あとは潮に洗われるだけだ」

「紙の上では、島は生きておる。だが、紙の上の生は、実の生とは違う。

名簿に名前があっても、家に火が灯っておらなければ、それはもう村ではない」


「私は、その島を去年、自分の目で見ました」


と諏訪は言った。


「家々に火は灯っていた。だが、灯の数に対して、立っている人間の姿が少なすぎた。

港の防波堤に立った時、背中の側から風が来るだけで、漁船の音がひとつもしなかった」


「その店の女将に聞いた話だ。今では、船が来るのは月に二度。

役所の人が監査に来る時だけだと。島の暮らしが、監査のために残っておる。

本末転倒も、そこまでくれば笑えない。」


斗真は、その光景を思い浮かべようとして、いったん諦めた。

自分の住む街には、電車の音が絶えず、夜でもどこかで火が灯っていた。

(火が灯っていても、人がいない。そういう場所が、この国にある)

斗真は、それが少しずつ自分の街へも近づいてくるのではないかと思い、その考えを手放した。

だが、手放しても、胸の奥の不安は消えなかった。


「暮らしが消える話、ここまでです」


と諏訪は言い、書付の頁を一枚、めくった。


「ここからは、戦の話です」


評定の間の空気が、変わった。

五羽の烏の気配が、ほんのわずかに引き締まったのが分かった。

先ほどまでの報は、数字と暮らしの話だった。

だが、これからは刃の話だ。

沙耶は、書付を閉じた。

諏訪の書付の方へ、肩を寄せるようにして座り直したのが分かった。

数の烏にとって、これから語られる数字は、まだ誰の計算にも載っていない数字なのだろう。

景信は、目を細めた。

烏たちは、この切り替わる時を、昔から一番恐れていた。

暮らしの話なら、急ぐ必要はない。

だが、刃の話は、いつも時間が足りなかった。


「その島の沖に、今春から外国籍の船影が増えています。漁の形をして、漁ではない動き」

「測量しているのです。水深を、航路を、電波の届く範囲を」


「測量というのは」

と斗真が訊くと、沙耶が代わって答えた。


「地図を書くのです。後日、向こうが自分たちのものとして主張するための地図です」


「どうして、そんなことが許されるのですか。あの海は、この国の海でしょう」

「表の国が、あの海に名前をつけることを避け続けてきた期間の分だけ、

そういう地図を書く余白が生まれます」


「名前をつけることを、避け続けてきた」


と斗真が呟くと、鷲尾が静かに言った。


「避けるには、理由がいります。外交とは、表の筋でだけ動くものではありません。

避けるという判断も、どこかの裏の道で、永年、積み重ねられてきた判断です」


「では、その裏の道が、今もあの海を守れているのですか」

「守れていれば、今夜、この評定は開いていません」


鷲尾の言葉は短かった。

だが、その一言が、この評定の重さそのものだった。

斗真は、思った。

(この五羽の烏が、普段どれほどの道を張り巡らせているのか、私は知らない。

だが、その道のどれかが、もう破れているのだ)

諏訪が、前へ出るように座を正した。


「刀から言えば、あれは地取りだ。奪う前に、奪えるかどうか確かめている」

「旗も人もない島に、あとから理由をつけて舟を着けるのは、昔も今も変わらない」

「撃ってよいのですか」


と斗真は、思わず訊いた。

言ってしまってから、後悔した。

そんな単純な問いを、この席で口にしてよいのか。

間が置かれた。沙耶だけが、静かに微笑んだ。


「撃った側が、侵略側になります。

相手はそれを知っていて、銃を向けさせようと待っているのです」


「力を示す理由が、表にないのです」


と諏訪は言った。


「表の国が、あの海に名前をつけることを避け続けてきた期間の分だけ

我らの刃には鞘が必要になる」

「鞘を外すには、相手に先に外させるしかない」


「つまり」

と瀬戸が言った。

「向こうは、我らが先に手を出すのを、待っているわけじゃな」


「左様です」

斗真は、初めて知った。

攻められている側が、攻め返すこともできない。


言葉の順番だけで、守りと攻めが入れ替わる。

戦は、刃の当たる前の、もっと前の段階で、すでに始まっている。

(ならば、八咫烏は、何を守れるのだ)

剣の心得のある者なら、誰でも一度は抱く問いだ。

勝つことと、正しいことは違う。

しかもこの国には、勝つための理由を、まだ誰も用意できていない。

だが、その問いは、今夜ここで口にするものではないと、斗真は自分に言い聞かせた。


「離島の報は、以上です」


と諏訪が言い、書付を畳んだ。

景信は、静かに口を開いた。


「数の報と、離島の報。よく聞け。この二つは、別の話ではない」

「市場が崩れれば、国は先に遠いものを切る。遠いものとは、航路であり、学校であり、診療所だ」

「島は、国が困った順に消えていく。消えた島を、隣の国は待っていて、拾う」

「拾うまでの間が、船影を増やして測っておる、というわけです」


と沙耶が言った。


「我らの弱り目を、先取りして計算しているのです。

あの国の地図には、まだ誰も住まぬ未来の島まで、

名前が入っているのかもしれません」


斗真は、手のひらの汗を、膝の上で静かに拭った。

数の話から、暮らしの話へ。そして今、戦の話へ。

三つの報は、順番まで含めて、一つの道になっていた。


畳まれた書付の上に、鷲尾の指が一度だけ触れた。

それだけの動作で、二つの報が一つの繋がりを持つことを、評定の間は了解した。

景信は、五羽を見渡した。


「この二つの報の先にも、失せる島の名はまだ幾つかある。

それを数えるのは、数の烏の務めだ。いつかは、その頁もここへ出される」


沙耶は、静かに頭を下げた。その横顔に、斗真は一度も見たことのない重みがあった。

日々、何かを数え続ける者が持つ重みだ。

暮らしが消えれば、交渉の支えも消える。


数の烏の報と、刀の烏の報は、別々の頁に書かれて、同じ結末に向かっていた。


「最後に、言の烏から」


と景信は言った。

八重樫は、書付を静かに畳んだ。

畳んでから、口を開くまで、彼はしばらく火を見ていた。


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