第六話 「宇治川」
承久3年6月13日、雨。北条泰時は宇治川の対岸に布陣し、朝廷軍は宇治川と瀬田を結ぶ防衛線に最後の望みを託す。13日の夜、足利義氏が泰時に知らせず宇治橋へ攻めかかり、朝廷軍の矢石に軍勢を崩される。14日の早朝、泰時は渡河を決断する。近隣の家を打ち壊して筏を作り、芝田兼義に浅瀬を探らせ、佐々木信綱・春日貞幸らが先に渡り、幕府軍が宇治川を渡る。社では影の者(伍)の報告が届き、烏は動かず、見続ける。防衛線は破られ、朝廷側の望みが切れる。
登場人物 北条泰時(幕府軍・東海道軍の大将)。北条時房(副将)。足利義氏(幕府軍の大将)。佐々木信綱(近江国守護)。芝田兼義(泰時の近侍)。春日貞幸(幕府軍の武将)。藤原秀康(朝廷軍の総大将)。佐々木広綱(朝廷軍の武将)。三浦胤義(朝廷軍の武将)。十文字 倭(情報と分析)。諏訪 之忠(実力行使と戦)。八咫彦(宗家)。影の者(伍)(緋色)。影の者(七)(藍色)。
【場面①】 承久3年6月13日 宇治川の対岸・幕府軍の陣
昼から降り始めた雨は、夕になっても止まなかった。
宇治川の水面は水量を増し、対岸の朝廷軍の旗の列が
雨の向こうにぼやけて立っていた。
泰時は対岸の小山に陣を置き、川幅と流れの速さを、雨の中で確認し続けていた。
北条泰時:「川が増水しています。今、橋を渡るのは
少々危険が大きくなります。渡る時刻は
水が多少引くと思われる、明日の早朝とします。」
北条時房:「対岸の陣は、橋の袂に寄り過ぎています。
矢が届く距離です。夜までに、陣を少し下げ間隔を広げます。」
雨の中、兵は各自の陣を整え、矢を袋の口で覆い、馬の足元にむしろを敷いた。
川を挟んで対岸の朝廷軍は、橋の防備を固め、袂に柵を巡らせていた。
泰時は陣の高い所から川を見下ろし、渡河の場所を、河原の形ごとに見て確かめていた。
北条泰時:「この川を、押さえた方が勝つ。
しかし、先に動いたら損害も大きくなるだろう。
時房。明日までに、渡河の順を決めます。」
【場面②】 同じ夜 宇治橋・幕府軍の陣
夜。雨の中、足利義氏と三浦泰村は、泰時に知らせないまま、手勢で宇治橋へ攻めかかった。
橋の上には、対岸からの矢が雨より先に降り、橋の板に刺さって折れて積もった。
橋を渡ろうとした幕府軍の兵は、矢石に崩され、橋の手前で倒れた。
川の水は兵の落ちた板の下で流れ、橋の上の兵の列は、渡らずに退いた。
泰時の陣には、夜の内に報告が入った。
北条泰時:「合図を待たず、橋から攻めたのか。損害は。」
伝令の兵:「手勢の半分が、橋の手前で落ちました。
対岸の矢は、雨の中でも届いています。」
北条泰時:「橋は渡らない。渡るのは、明日の早朝。
川の浅瀬を探させています。今夜の内に、河原の家を打ち壊し
筏の材を集めさせます。雨の音に紛れて作業を進めよ。」
泰時は芝田兼義を呼び、川の流れを下から上へ探らせ、浅瀬の場所を確かめさせた。
雨の中、兵たちは河原の民家の材を運び、筏の形に組む支度を始めた。
槌の音は雨音に紛れ、川の増水の音と混ざって、対岸には届かなかった。
芝田兼義は、川の流れの中に入り、足元の深さを一本ごとに測って岸へ上がり、泰時の陣へ戻った。
芝田兼義:「浅瀬は、川の下流に三か所あります。
水は胸まで届きます。馬は渡れます。」
北条泰時:「では、馬も渡す。佐々木信綱と春日貞幸に、一番槍を任せる。」
【場面③】 承久3年6月14日の早朝 宇治川の対岸・朝廷軍の陣
早朝。雨は小さくなり、川の向こうの幕府軍の陣から、筏の形が並んで見えた。
朝廷軍の総大将・藤原秀康は、陣の高みから川を見下ろした。
藤原秀康:「泰時は、橋を渡らず、筏を作っています。
渡河の準備だ。信綱の兄の広綱が守る防備の列を、橋の袂に寄せる。」
佐々木広綱:「川が増水している分、渡れる場所は限られます。
浅瀬に来れば、矢で止められます。」
藤原秀康:「矢が尽きるまで、矢の雨を降らせよ。
ただ、足利義氏の夜の攻めで、向こうの兵も崩れた。
今夜の内に、鎌倉へ撤退を促す文を出す。
川を渡らせなければ、戦の負けはない。」
三浦胤義:「義時への文は、既に二度出しています。
返事は来ません。鎌倉が兵を引くかどうかは
川が破れるかどうかで決まります。」
陣の列には、京から集められた武士の名が順に置かれ
矢は各陣の数だけ分けられ、柵の裏に積まれた。
だが矢の数は、東国から動く兵の数と比べられ
陣の間で話す武士たちは、数の差を声にし始めていた。
三浦胤義は、川の向こうの筏の列を見て、その数を確かめた。
三浦胤義:「筏は、確実に増えています。一夜で、あの数を作れるとは・・・
兵の数も、宿からの報告より多い。
東国の兵は、既にすべて西へ来ているんじゃないか。」
【場面④】 同じ日の朝 宇治川・渡河
朝。泰時は渡河を決断した。
雨が止んだ空の下、佐々木信綱と春日貞幸が、一番に川に入った。
川の水は馬の胸まで届き、渡る軍が、浅瀬の三か所に分けられた。
対岸からは矢の雨が降り続け、川の面に矢が刺さって流れた。
信綱は馬を進め、水流の中で馬を立て直し、対岸の柵の裏へ馬を寄せた。
先に渡った兵から順に、対岸に足場を作り、後ろの兵が渡る順を空けた。
佐々木信綱:「浅瀬は、この場所です。馬を寄せて、渡れます。」
芝田兼義:「水は胸までです。十分渡れる深さです。
筏は、下流に流し後続の道を確保せよ。」
筏には兵が乗り、流れに押されながら対岸へ寄せられた。
渡った兵は、対岸の朝廷軍の柵へ寄り、柵の裏の矢の列を崩した。
渡河の場所は一か所ではなく、浅瀬の三か所から同時に渡り
対岸の防備の列は、防ぐ場所を選べなくなった。
川の面には、渡り終えた兵が続く間、馬の蹄の音が続いた。
朝廷軍の陣からは、矢が尽きた陣から順に、後ろへ下がる動きが始まった。
陣の列は、防衛線の間隔を崩し、川の向こうの兵は、その間を埋めて進んだ。
宇治川の防衛線は、渡河の朝の内に破られ、朝廷軍の陣は、京の方向へ後退した。
【場面⑤】 同じ日の昼 熊野三山の奥・八咫烏の社・評定の間
評定の間には、五羽の烏がそろった。
机の上には、影の者(伍)からの報告の紙が置かれていた。
間の外の廊下には、影の者(伍)が東海道から戻り、旅装のまま立っていた。
十文字 倭:「影の者(伍)の報告です。十三日、雨。
泰時は宇治川の対岸に布陣し、足利義氏が泰時に知らせず宇治橋へ攻め
朝廷軍の矢石に手勢の半分を落としました。
十四日の早朝、泰時は渡河を決断しました。
民家を打ち壊して筏を作り、芝田兼義が浅瀬を探り
佐々木信綱と春日貞幸が一番に渡りました。
渡河は、朝の内に成功しました。」
諏訪 之忠:「宇治川の防衛線が、破れました。
陣は京の方向へ下がります。後ろには防衛線は残っていません。
京の兵の数は、東国の兵の数より少ない。
川が破れた時点で、戦の勝敗は決まりです。」
鷲尾 為景:「朝廷の望みは、宇治川で潰えました。
京では、戦後の粛清が始まります。帝の判断が、国を乱しました。」
八咫彦:「帝からの返事は、最後まで来ませんでした。
文は、読まれても動かなかった。
この戦が終われば、国の政治の重心は、京から鎌倉へ移ります。
移った後の国の形を、見続けます。影の者(伍)。」
影の者(伍):「承知しました。京の様子を、引き続き見てきます。」
評定はそれで終わった。五羽の烏は順に間を出ていった。
倭は最後に残り、報告の紙に渡河の順と日付を書き込んだ。
川が破れた時刻は、朝。防衛線が破れた時刻は、同じ朝の内。
帝の文が届いた時刻と、戦が決まった時刻の順が、倭の紙の上に残った。
【場面⑥】 同じ日の夕 八咫烏の社・十文字 倭の詰所
夕。詰所の窓の外には、谷の霧が立っていた。
倭は、影の者(七)から京の報告を受け取った。
宇治川の防衛線が破れた後、京では、武士の家々の間に、京を出る話が広り始めていた。
院の近くの馬場には、馬が集められ、上皇方の陣は、京の内へ引き始めていた。
影の者(七):「京では、川の勝敗の話が走っています。
上皇方の陣は、京の内へ下がり、武士の家々には
京を出る支度の話が広がり始めています。
東国の兵が京へ入る日は、遠くありません。」
十文字 倭:「ご苦労さまです。そこに置いてください。」
倭は報告に目を通し、紙の余白に、残りの順序を書いた。
宇治川の防衛線が破れた。京の陣が下がる。
東国の兵が京へ入る。戦が終わる。
その後、国の形が変わる。
倭は、書き終えた紙を机の端に置き、窓の外の山の暗さを見た。
谷の向こうでは、川の音が例より高く、季節の変わり目の風が、社の杉の梢を鳴らしていた。
参考資料
・『吾妻鏡』承久三年六月条(幕府側の記録。十三世紀後半に成立)。
・『承久記』(乱の経過を記す軍記。室町時代に成立)




