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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第一章 天皇陛下の苦悩と八咫烏の始動
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第三話 届いた報せ

「組織の姿は見せた。次は、組織を支える者を見せよう」


景信は奥の廊下へと歩き出した。

斗真は、上座と五つの座に一礼してから、その背を追った。

礼の形は、この家で誰にも習っていない。

体が自然に動いた。


続く廊下の奥に、書庫があった。

扉の前で、景信は一度立ち止まり、袖の埃を払った。

その仕草だけで、この部屋がどれほど大事なものかを、斗真は悟った。

父は、扉を開ける前に、必ず間を置く。

間を置くのは、開けてから悔いぬためだ。


「五羽の烏の下に、十二支の家が属する。

数の烏の下に子安家、卯月家、巳波家。

図の烏の下に牛尾家、犬養家、亥原家。

刀の烏の下に龍崎家、寅谷家。

蔵の烏の下に馬塚家、未森家。

言の烏の下に猿渡家、鳥羽家」


十二。斗真は指を折って数えた。

子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥。


五羽の烏の下に、十二の家が静かに並ぶ。

十二は、それぞれが得意を持ち、それぞれが違う名を持つ。

「十二支の家は、われら宗家とは関りを持たない。それぞれが独立し、

代々の家風を守り、得意とする務めをしている」


「子安家は情報の整理と暗号、卯月家は潜入と内偵、巳波家は追跡と潜伏を得意とする。

牛尾家は政務と記録、犬養家は護衛と制圧、亥原家は地理と現地工作。

龍崎家は急襲と武断、寅谷家は追討と攪乱。

馬塚家は輸送と兵站、未森家は調達と帳簿。

猿渡家は変装と伝令、鳥羽家は使節と折衝だ」


十二の名を並べると、それは家の名というより、

ひとつの国が回るために要るものが、十二の名に、ひとつずつ割り当てられていた。


「支家同士は横のつながりで結ばれている。縦の支配ではない。

友好と、緩やかな連携。それが八咫烏の形だ」


「宗家と関りを持たない家がなぜ?」


斗真の問いに、景信は初めて少しだけ黙った。

沈黙は短かったが、斗真には長く感じられた。父は、答えを持たないのではない。

言葉を選んでいるのだ。


「宗家を支えているのだ。千年以上前から、それが形だ」


斗真は、その答えが重いのか軽いのか測れなかった。

命令できない組織が、どうやって千年を保ってきたのか。

誰かが誰かを従えなければ、組織は崩れる。

斗真が習ったのは、そういう世の中の道理だった。


だが父の声は、その道理を否定もしない。

ただ、屋敷の下では別の形があると言っているようだった。

命令しなくても保たれる形。


斗真には、まだその形が見えなかった。

その問いを口にする前に、書庫の扉が目の前に現れた。

質問の続きは、また今夜のどこかで聞ける。そう思った。


書庫の奥の机に、桐の箱が一つ置かれていた。

箱は小さかった。だが、その在り様だけが、周りの空気を変えていた。

箱の周りだけ、灯りが濃い。斗真は思わず足を止めた。

机は磨かれ、墨の壺は蓋をされ、筆は軸を揃えて置かれている。

その整いぶりの真ん中に、小さな箱だけが、整わずに、在った。


景信は箱に手をかける前に、一度、手を拭った。

四隅の金具は磨り減り、縁は代々の掌の脂で黒ずんでいた。

斗真は、そこに幾人の掌があったのかを思った。

父の掌。祖父の掌。そのまた前の掌。数えきれぬ掌が、同じ縁を、同じところで磨いた。


人はそれぞれ違っても、掌の落とす場所は、ひとつだった。

そして、その横に、もう一つの細長い桐の箱が置かれていた。

景信は、そちらには指一本触れなかった。


斗真は問わなかった。聞いてはならぬ気配が、あった。

細長い箱は、まるで最初からこの部屋の主であるかのように、静かに横たわっていた。

二つの箱は並んでいたが、並んでいるというより、片方が片方を控えているようだった。


景信は蓋を開け、中の一枚を取り出して斗真に渡した。

掌に収まる、薄い木札だった。縦八センチ、横四センチ、厚さ三ミリほど。

表面には漆が施され、湿気と擦れに耐える仕上げがしてある。

首から掛ける黒い組紐は絹で、落ち着いた織りだった。

札の中央に、黒い羽が一羽、描かれていた。

写実ではなく、鋭く細身に意匠化された形で、色地の上に沈むように置かれている。

斗真が手にした札の地は、藍色だった。


「見本だ。藍は、数の烏の下に連なる支の色だ」

「これは?」

「符だ。影の者が、携える」

「影の者?」

「十二支の家の下には、それぞれ五十人前後の影の者がいる。

任務を実際に遂行する実働の者たちだ。彼らは任務中、名を持たない。

番号で呼ばれる。符に個人名は刻まない。表から見えるのは、支の色とこの黒羽のみ」


斗真は、符を指で裏返してから、元に戻した。

黒羽は、どの角度から見ても同じ形に見えた。

光の当たり方で消えることも、濃くなることもなかった。

名を持たぬとは、この羽のようになることか、と思った。

どの角度から見ても同じ、誰の手にあっても同じ。

斗真は、その静けさが少し怖かった。

斗真は符を返し、問いを改めた。


「影の者は、全部で何人いるのですか?」

「一つの支家に、およそ五十。十二で数えて、六百前後だ」


六百。斗真の頭の中で、その数が名も持たぬまま静かに立った。

斗真は、自分の手の中の一枚が急に重くなったように感じて、両手で持ち直した。

六百という数は、名簿の上ではただの数字だ。

だが、六百の呼吸が、いま、この国のどこかで、静かに息づいている。


その時、廊下の向こうから足音が近づいた。

若い男が扉の外に控え、深く頭を下げた。手には封をした書付が一つ。


「数の烏、十文字より。当直の者の報にございます」


景信は書付を受け取り、封を切って目を通した。

読む速さが、徐々に遅くなった。


景信の指が、書付の端を、一度だけ強く摘まんだ。

その小さな動きを、斗真は見逃さなかった。

父は、報せを読むとき、感情を顔に出さない。

出さないことを、この家では作法と呼ぶ。

だが指は、作法を覚えていなかった。

読み終えると、彼は書付を閉じ、斗真を見た。


「……ちょうどよい」

「何が、ですか?」

「見せると言ったものの、最後の一つだ。

八咫烏の存在を、お前に明かすには、過去と構造だけでは足りない。

いま起きていることを見せねばならん。沙耶の報は、その第一だ」


この家の時間は、外の時間と進み方が違うのかもしれない。

同じ一晩のうちに、斗真の中では慌ただしく様々なことが起きている。


景信は書付を斗真に渡した。

数行の報だった。


市場の下振れが想定を超えて広がっていること。

南西の離島周辺で、慣れない動きを示す外国籍の船影が増えていること。

そしてその背後に、表の外交の筋からは読めない交渉の痕跡があること。


三行目から先は、斗真には半分も読み取れなかった。

だが読み取れた半分だけで、夜が重くなった。


これまでは、この廊下の空気のほうが、外の世の中よりずっと重いと思っていた。

だが書付の一行は、外の世のほうが、いま、動いているのだと告げていた。

屋敷の下の静けさは、外の動きを映さないための静けさだったのかもしれない。


「明日ではなく、今夜、評定を開く。五羽の烏はすでに呼んである」

「評定に、私も……」

「同席せよ。

継ぐ者は、過去から学ぶことも大事だが、現在起きていることを知るのも大事だ」


景信は書庫の灯を高くした。

光が伸びて、五人の名を並べた斗真の記憶の棚を、ひとつずつ照らすようだった。

評定。五羽の烏が、五つの眼で同じ事実を見て、五つの答えを持ち寄る。

斗真は、その場に自分が座ることの意味を、まだ掴めないでいた。

掴めぬまま、掴もうとしている自分がいた。


その時、斗真の眼に、去り際の景信の視線が一瞬、

横の細長い箱へ落ちたことが、後刻まで残った。父は、その箱に触れなかった。


だが、見てはいなかった訳ではない。

あの一瞬の眼には、触れるのと同じだけの重さがあった。

斗真は、その重さの意味を、この夜はついに知らされなかった。


「語りは評定のあとに改めて始める。白村江の火は、ゆっくりと伝える」


白村江の火。


斗真は、その言葉を、今夜はじめて意味のあるものとして受け取った。

語りは、明日へ延びた。


斗真は書付を持ち、廊下を戻った。

掌に、さきほどの符の木の温もりが、まだ残っていた。

廊下の先で、誰かが障子を開ける音がした。

評定の支度が、静かに始まっていた。


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