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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第一章 天皇陛下の苦悩と八咫烏の始動
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第二話 五羽の烏

景信は上座には近寄らず、その前で立ち止まった。


「上座が宗家(四季家)の席。頭領の席。

頭領号は八咫彦を名乗る。当代は、わしが継いでいる」


斗真は、上座の前に立つ父の背を、初めて後ろから見た。

父はそこへ座らなかった。

座らぬことに意味がある気がしたが、問うにはまだ早い。

今宵は問いを許されている。だが、問うてよいことと、問うべき時とは、別である。

斗真は、時を待った。


「わしの下に、五羽の烏がいる。組織の中核だ。順に言う」


景信は声を落とし、五つの座をひとつずつ指すように見た。

指は動かなかったが、目線が順に移った。

その目線が移るたびに、斗真の胸の内でも、空席がひとつずつ埋まっていく気がした。


「数の烏。情報と分析を司る。当代は十文字沙耶。三十八歳。秩序と精度を重んじる人間だ。

物事を数字のように並べ、誤差を許さない。沙耶の報告に、『だいたい』という言葉は出ない」


まだ会ったこともないのに、父の言い方だけで、その人が机の前に真っ直ぐ座っている 

姿が見えるようだった。


計算の途中で背筋を伸ばし、誤差をひとつ見つけて、目を細める。

斗真は、会ったことのない人の所作まで想像している自分に気づいた。


「図の烏。政治と均衡を司る。当代は鷲尾幸一。五十六歳。均衡と実利を優先する。

わしが最も政務を頼る重鎮であり、最も警戒すべき現実主義者でもある。

幸一の前では、理想を語るには覚悟が要る」


父は、組織の重鎮を語るときでさえ、誉め言葉と戒めを同じ呼吸で置く。

それがこの家の語り方なのだと、少しずつ分かってきた。

誉めすぎる者は、この家では信じるに足りない。


「刀の烏。武力を司る。当代は諏訪直哉。四十二歳。即断即決を信条とする。

刃のように頼もしく、刃のように手を焼く。直哉が静かな時ほど、何かが始まっていると思え」


「蔵の烏。財と物流を司る。当代は瀬戸喜八。六十歳。損得と持久を見極める老じゃ。

この組織の足元を支えているのは、間違いなくあの老人だ。

喜八が算盤を叩く音を聞いたら、組織は安泰だと思っていい」


「言の烏。外交と交渉を受け持つ。当代は八重樫灯。三十一歳。まだ若いが、言葉で空気を変える力を持つ。底が読めないのが難点……いや、器かもしれん」


最後の一言だけ、景信は少し迷ったように間を置いた。

斗真は、父が迷うのを初めて見た。

迷いを隠さないことまで、この夜は許されているのだと思った。

父は、この五人を信じている。

だが信じていることと、侮らないこととは、別なのだ。

五人の名は、斗真にとってすべて初めてだった。


だが景信の口から出る各人の像は、不思議なほど明確だった。

景信は人を語る時、長所と短所を同時に言う。


数の烏は誤差を許さぬがゆえに冷たい。

図の烏は頼れるがゆえに理想を削る。

刀の烏は頼もしいがゆえに手を焼く。

蔵の烏は老練だがゆえに侮れない。

言の烏は若いがゆえに底が読めない。


それが信頼というものの形なのだと、斗真は思った。

信頼とは、相手を疑わないことではなく、相手の弱さまで承知の上で

なお任せることなのかもしれない。


壁に掛かった五枚の札の色は、それぞれ違っていた。


藍、緑青、緋、山吹、菖蒲。


「色は所属の証だ。数の烏は藍、図の烏は緑青、刀の烏は緋、蔵の烏は山吹、言の烏は菖蒲。

宗家は墨色。壁の五枚が各烏の色であり、上座の背の一枚が宗家の色だ」


斗真が見ると、上座の背の壁には、墨色の札が一枚、五枚より高く懸かっていた。

五枚が静かに並ぶ下で、墨色だけがわずかに高い。

それは誇示ではなかった。

色を確認すれば順が見え、順を見れば誰が最後に決めるかが分かる。

斗真は、この部屋が言葉より先に秩序を語っているのを感じた。

壁一面が、ひとつの文法になっている。


「五羽の烏は、宗家の下で一つになっているのですか?」

「一つにはならん。それがこの組織の在り方だ」


景信は五つの座を指でなぞるように見回した。


「五羽の烏は、それぞれ独自の判断基準と配下を持つ。

数の烏は情報で物を見る。図の烏は関わる全体像で物を図る。

刀の烏は力の使いどころで、蔵の烏は勘定で、言の烏は空気で物を見る。

同じ事実が五つの眼を通れば、五つの答えが返ってくる。

わしはそれを聞き、最後に一つにまとめる。統制は、そうしてのみ保たれる」


斗真は、五つの座のあいだに、目に見えぬ線が走るのを想像した。

線は一本も宗家へ向かっていない。


五人の視線がそれぞれ別の方を向いたまま、上座だけがそれを受ける。

一本に束ねるのではなく、五つを数えたうえで、六つ目を作る。

それでしか保てない形があるのだ。

斗真は、束ねるとは同じにすることではない、と初めて思った。


「答えを一方向からしか見ない組織は、その答えが誤った時、戻せない。

五つの見方があれば、誤りは起こらない。評定というものは、誤りをなくす場なのだ」


「戻せない、というのは」


「誤りに気づかぬまま進む、ということだ。一人の眼は、必ず偏る。

偏りは、悪ではない。偏っていることを知らぬまま

それを全体の答えにしてしまうことが、悪だ」


斗真は、その言葉を初めて、自分のこととして聞いた。

自分はこれまで、物事をどの眼で見てきたのか。

父の眼か、友の眼か、それとも自分で作った眼か。

作ったつもりで、ただ借り物だったかもしれない。

まだ答えは出なかった。出ないまま、その問いを腹の底へ沈めた。


「ただし」

景信の声が一段低くなった。


「五羽の烏の才を信頼すればよいというものでもない。

数の烏の冷徹さは人心を切り捨てる。図の烏の現実主義は宗家の理想を痩せさせる。

刀の烏の刃はいつか統制を越える。蔵の烏は金の流れを握るがゆえに最も侮れない。

言の烏は言葉で流れを変えるがゆえに底知れぬ。

信頼と警戒を、同時に保つ。それが八咫彦の務めだ」


景信は、そこまで言って、初めて斗真をまっすぐ見た。


「お前が次に座る席は、そういう席だ」


斗真の背に、冷たいものがひとすじ下りた。

席という語が、まだ遠い約束のようにも、もう足元に来ている荷のようにも感じられた。

父が座っている席は、五人を信じ、五人の弱さも抑え、なお最後に決める席だ。

斗真は、その席の重さを、言葉ではなく背中で測ろうとした。

斗真は上座を見上げた。

墨色の札が、静かに揺れていた。

風もないのに、揺れているように見えた。

揺れが止んだ時には、景信はもう、五つの座へ目を戻していた。


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