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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第六章 承久の乱 ー朝廷と武家ー
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第四話 「挙兵」

承久3年5月14日、後鳥羽上皇は、烏から返された文を政務の机で読むが、公卿たちの挙兵の声は止まらない。同じ夕、上皇方は京都守護・伊賀光季の討伐を決め、夜、光季の邸を包囲する。翌15日、光季は自害し、北条義時追討の宣旨が出る。京の外の武士が宣旨に従うかは分からないまま、戦が始まる。

登場人物 後鳥羽上皇(治天の君)。西園寺公経(大納言)。大江親広(京都守護)。藤原秀康(北面の武士)。三浦胤義(武士)。伊賀光季(京都守護)。


【場面①】 承久3年5月14日 京・院御所・政務の間


夕。政務の間には、西日が格子の影を床に落としていた。

机の上の文は昼の内にいくらか片付けられ、筆と硯が定めの位置に並んでいた。

その机の上に、古い桐の箱が一つ、白い布の上に載っていた。

箱の紐には、名の書かれない小さな木札が下がっていた。

後鳥羽上皇は机の前に座り、箱の紐を解いた。

中には一枚の文と、畳まれた添えの紙が入っていた。

上皇は文を広げ、読んだ。文を置いた者は分からない。

帝だけが、この文の来る場所を知っている。

机の傍の灯りが、文の面を照らし、紙の端まで一様に光を落としていた。

机の引き出しの内には、先日までの報告の紙が幾束か収められ

その口を紐で締めたまま、動いていなかった。

文は、戦の時期ではないと書いていた。

東国の兵の数、上洛の速さ、民の向きが計れないこと。

今戦えば、勝敗が決まらないまま世情が乱れること。

兵を挙げるのを待ってほしいこと。その三つを、整った字で書いた文だった。

字は細く、紙の余白には何も書かれていなかった。

添えの紙には、比企氏の乱から源実朝の暗殺までの二十年の列が

数字と家名だけで書かれていた。


上皇:「しばらく待ってください、か。勝てないと、計るのか。」


上皇は文を机の上に伏せた。

窓の外では、庭に集められた馬の鼻息が聞こえていた。

北面・西面の武士は日ごとに増え、武士たちは上皇の書を懐に入れ、京の通りを歩いていた。


上皇:「源実朝が死んでから、幕府は乱れ続けている。

  比企氏が滅び、畠山重忠が討たれ、和田氏が滅びた。

  義時の下には、不満を抱いた武士が幾らでもいる。」


上皇は添えの紙も伏せ、机の隅に寄せた。

二十年の列は、上皇の目には幕府の衰えの証拠と映っていた。

衰えた幕府を討つなら、今しかない。

公卿たちも、そう言っていた。

格子の外には、夕の間の馬の蹄の音が絶えず、庭の砂を踏む音が幾つも重なっていた。


【場面②】 同じ夕 京・院御所・政務の間


灯りを並べた政務の間に、公卿たちが呼ばれた。

灯りの火が幾つも並び、席の順に顔を照らしていた。

間の外には、北面の武士が二、三人、壁の傍に立っていた。

西園寺公経だけが、席の端で口を閉ざしていた。

大江親広は、京都守護の一人として席に座っていた。

公家の一人が、伊賀光季の名を挙げた。

光季だけが義時の側に残り、京の守護の職を幕府の手に置いたままだと。

上皇は大江親広に向かった。


後鳥羽上皇:「大江親広。お前は、どうする。」

大江親広:「私は、院にお従えします。京都守護の職は、返上いたします。」

後鳥羽上皇:「では、光季を討ちます。藤原秀康と三浦胤義に、兵を預けます。」

西園寺公経:「恐れながら、申しあげます。

  御家人が守っているのは、所領の保証です。

  義時を討てという紙一枚で、武士は動きません。

  この戦は、京と東国の戦になります。京の兵だけでは、勝てません。」


間が置かれた。口を開いたのは、上皇だった。


後鳥羽上皇:「帝の命令は、諸国を動かします。

  義時を討てば、幕府は解れます。

  解れた幕府の上に、院の政治を置きます。

  東国の武士も、宣旨を読めば動きます。」

西園寺公経:「東国の武士が動くと、何を根拠に仰いますか。」

後鳥羽上皇:「帝の命令という名分です。」


公経はそれ以上、言わなかった。

席を立ち、廊下へ出て行った。その足音が、間の外で止まった。

上皇は机の上の文を取り、もう一度読み、袖の下に畳んだ。


【場面③】 承久3年5月14日の夜 京・伊賀光季の邸


夜。京の通りには、火を消した家々が並び、東の方角にだけ

馬の蹄の音がいくつも重なって響いていた。

藤原秀康と三浦胤義は、兵を率いて光季の邸を囲んだ。

邸の門の前には、光季の郎等が数十人、弓を構えて立っていた。

門の内からは灯りが漏れ、囲む側の兵は門から矢を放つ距離を保って待った。

秀康の兵が矢を放つと、門の前の土に矢が立ち、郎等が応戦した。

囲む側の武士が落ち、門の外に体が倒れる音がした。

やがて邸の一角から火の手が上がり、夜空に屋根の影が映った。

囲む兵の足元では、放たれた矢が砂に积み上がり

折れた矢を拾う郎等の影が門の内を行き来していた。


藤原秀康:「光季は、籠もっています。郎等の数は知れています。

  夜明けまでに、落ちます。」


邸の周りの道には、囲む兵の順が決められ

門の東と西に二列、裏手に一列が置かれていた。


三浦胤義:「門は破れません。ただ、火が回れば、邸の内から動きます。」


夜の間、矢は止まず、邸の内からは応戦の矢が返り続けた。

京の通りからは、火の色を眺める人の影が幾つも出ていた。

火の手が一段高くなると、邸の門の前の砂が矢に穿たれ

囲む兵の列が一段後ろへ下がって、また前に詰めた。

夜明け前、門の内から戦の声が止んだ。囲む兵は門に寄らず

朝まで包囲を緩めずに待った。

邸の内の静けさが、夜明けの空の色と一緒に、門の外まで届いた。


【場面④】 翌日 京・院御所・政務の間


朝。政務の間の机の上には、昨夜の灯りの灰が残り、新しい灯りが再び並べられた。

光季が自害したという報告が、政務の間に入った。

報告の紙を受け取る上皇の膝の傍には、あの文と添えの紙が、畳んだまま置かれていた。


大江親広:「光季は自害いたしました。京の守護は、院の手に戻ります。」


間の外の廊下には、夜明けから入った報告の使者が順に並び、靴を脱いで待っていた。


後鳥羽上皇:「では、宣旨を出します。北条義時を

  天下の政務を乱す者として、討たせます。」


西園寺公経は、屋敷ごと押さえられていた。

義時の側に通じているとして、院の近くの屋敷に移され

政務の間から公経の名が消えた。

席には、公経の代わりに、挙兵を進める公家が座った。

宣旨はその日の内に書かれ、諸国へ出る写しが幾つも書かれた。

宣旨には、義時を討つこと、守護・地頭は院へ申し出ることが書かれ

写しは東の街道へ出る使者の手に渡された。

政務の間の外では、写しの巻かれた紙の束を抱えた使者が

順に馬場のほうへ歩いて行った。


後鳥羽上皇:「宣旨が出れば、諸国は動きます。東国の武士も、読めば動きます。

  兵を挙げるを待てと書いた文は返しません。」


【場面⑤】 同じ日の昼 京・大宮通


昼。大宮通には、宣旨の話が走っていた。

通りには、土を踏む人の足音が朝より多く、幌を下ろした車が一つ

避ける人々の間をゆっくりと進んでいた。

通りを行く武士たちは、互いに宣旨の内容を確かめ合い

東国の御家人がどう動くかを話していた。

問屋の前には馬が集まり、京を出る荷が増えていた。

西国から上京していた武士の中には、荷をまとめて京を出る者がいた。

通りの中ほどでは、東へ下る使者の馬に道を譲る人が、店の前の縁に寄って立っていた。

北面の詰所の前の庭は、馬と人で埋まった。

庭の砂は蹄に掘られ、馬のいななきが、詰所の声より高く庭に立っていた。

宣旨を機に院の側へ付く武士は増え、詰所の声は通りまで漏れていた。

庭の馬の背には、宿で結んだままの荷が積まれ

京を出る支度の済んだ馬が、列の外に置かれていた。

だが東国からの返事は、その日も届かず

京の外の武士が宣旨に従うのかどうかを知る者は、誰もいなかった。

京の夕に、宣旨の写しを携えた使者が、幾つも東の街道へ出て行った。

馬の蹄は、粟田口の坂を越えて遠ざかり

暮れの空の色が道の先から薄くなっていった。

使者の馬が過ぎた後、通りには、問屋の荷を運ぶ音だけが残った。

問屋の軒の下では、京を出る荷の最後の一段が、縄で締められていた。




参考資料

・『吾妻鏡』承久三年五月条(幕府側の記録。十三世紀後半に成立)。

・『承久記』(乱の経過を記す軍記。室町時代に成立)。


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