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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第五章 遣唐使停止 ー時代の転換ー
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第四話 影の者の勘定

寛平六年九月中旬、難波津と平安京。宗家の定めに従い、十二支家の当主と影の者たちが分かれて数値を確かめる。難波津で船と水手の数値を確かめ、兵部省の記録で船を失った渡航を確かめ、京の市で唐の品の値を確かめる。集まった数値は、熊野三山の奥の八咫烏の社で一つの箱に収められ、道真の許へ運ばれる。

登場人物

馬塚時行(蔵の烏の所属・輸送)/子安定行(数の烏の所属)/牛尾清継(図の烏の所属)/影の者・壱、影の者・弐(各所属)/役人A(兵部省の書生)/商人A(京の市の商人)


【場面①】 寛平六年九月中旬 難波津・船着き場


難波津の船着き場に、船が三隻係留されていた。

留の水は秋の色を含み、岸の杭に波が一定の間隔で打ち付けている。

空は薄い雲に覆われ、雲の下を雁が列を作って南へ渡っていった。

船はいずれも遣唐使のために改修を終えた船で

帆は下ろされ、櫓は舷に沿って止めてある。

岸の荷置き場に、馬塚時行が立っていた。

蔵の烏・瀬戸成房の下で輸送を司る者で、今年五十四だ。


馬塚時行:「船の改修は、この三隻で終わっているのか」

影の者・壱:「終わっています。四隻目は、まだ造船所にあります」

馬塚時行:「四隻目の完成は」

影の者・壱:「十月と聞いています。

  ただ、漆と帆布がまだ足りていません。

  大宰府から運ぶ予定です」

馬塚時行:「水手の名簿は、これか。木札に名が並んでいる」

影の者・壱:「これです。百八十人の名が

  三隻分だけ書かれています。

  四隻目の分は、まだ書かれていません」


時行は木札の名を上から順に目で追った。

名は一字ずつ、木札の面に等間隔で並んでいる。

馬塚時行:「この名は、いずれも田を持つ家の長男だ。

  船に上がれば、帰らない年がある。

  積出しの荷は、いくつ確認してある」

影の者・壱:「米八百石、塩二百桶、水三百甕。

  干し飯と乾した魚は、まだ確認していません」

馬塚時行:「確認しておけ。

  船を出す場合の数値として、全部、必要になる。

  船を出さない場合には、この荷の分が国に残る。

  その差も、数値で示せる」

影の者・壱:「荷の差も、書き添えておきます」


壱は頭を下げ、荷置き場の方へ歩いていった。

日が高くなり、船体の漆が光を強く受けた。

時行は船の舷に手を掛け、板の面の乾きを確かめた。

板は固く、手のひらに船体の固さが伝わってきた。


【場面②】 同日 平安京・兵部省の文書庫


同じ日の平安京、兵部省の文書庫に、子安定行が座っていた。

数の烏・十文字穂積の下で数値を司る者で、今年六十一だ。

文書庫は北向きの薄暗い室で、棚が壁に沿って六段並んでいる。

扉が開き、役人Aが入ってきた。兵部省の書生だ。


役人A:「検校殿。お求めの記録は

  この棚の上の段にございます。

  貞観の年の渡航の記録です」

子安定行:「持ってきてください」


役人Aは梯子を掛け、上の段から巻子を一つ下ろした。

巻子は埃を含み、机の上に置くと埃が薄く立った。

定行は巻子を開き、行を読んだ。


子安定行:「貞観の年。船は四隻で海に出た。

  帰りに一隻、難波の沖で沈んだ。

  水手三十七人の内、戻ったのは十一人」

役人A:「左様にございます。

  この年は、帰らぬ船が最も多かった年と承っています」

子安定行:「沈んだ船の水手の名簿は、どこにある」

役人A:「同じ棚の下の段にございます。

  ただ、名簿は水で濡れ、読める頁は、わずかでございます」

子安定行:「読める頁だけ確認せよ。

  読めない頁は、読めないまま数値に入れるな」

役人A:「承知しました。

  読めない頁がある旨は、そのまま書き添えます」


役人Aは頭を下げて、下の段から名簿を下ろした。

名簿の頁は水の跡で固まり、墨が滲んでいる。

定行は読める頁だけを開き、名を確認した。

読める頁の名は二十六ある。


子安定行:「二十六の名の他に、読めない頁がある。

  そのことは、紙の端に書き添える。数値は確認したものだけ。

  確認できないものは、確認できない事実として、書き添えるだけだ」

役人A:「左様にございます。では、仁和の年の記録も、お持ちしますか」

子安定行:「持ってこい。次は仁和の年を開く」


役人Aは頭を下げて、棚の方へ歩いていった。

文書庫の窓は高く、秋の午後の光が棚の上段だけを照らしている。

埃が光の中で動き、棚の下段は薄暗いままだ。

定行の筆が紙の上を進み、数値の行が増えていく。


【場面③】 同日夕刻 平安京・京の市


夕刻、京の市に、牛尾清継が立っていた。

図の烏・鷲尾峰依の下で政務と均衡を司る者で、今年五十七だ。

市は夕方の商いで人多く、唐の品を扱う店の前に、買手が列を作っている。

店の前には灯籠が立ち、灯りに火が入れられたばかりだ。


牛尾清継:「香は、今年いくらで売れている」

商人A:「沉香は一貫目が銀半両。十年前より三割高でございます。

  船が少なく、品が少ないゆえでございます」

牛尾清継:「官の船が来なくなれば、値はどうなる」

商人A:「上がります。ただ、商船の分も増えますゆえ

  長くは上がり続けません。商人は必ず動きます」

牛尾清継:「唐の紙と筆は」

商人A:「紙は変わらず入っています。寺と京の文家で買います。

  官の船が止まっても、商人の船は止まりません」


牛尾は頷き、店の棚の品を再び見た。


牛尾清継:「品はどれも、官の船が運ばなくても市に並んでいる。

  官の船が運ぶ品と、商船が運ぶ品の差は、年ごとに縮まっている。

  尋ねたいことがある。商人の船は、唐の何処から出ている」

商人A:「明州でございます。時々、揚州でございます」

牛尾清継:「唐の都の様子は、商人の耳に何と入っている」

商人A:「都は乱れ、関所は増え、道は危ういと聞いています。

  商人は商いの道を、都を避けて通っています」

牛尾清継:「その道の危うさは、数値で表せることができるか」

商人A:「数値にはなりません。

  ただ、行商人が道で失くなる話は、年ごとに増えています」


牛尾は銀を商人Aに渡し、店を離れた。

市の人の流れは夕方に濃くなり

牛尾は人の流れに沿って市の東門へ歩いた。


牛尾清継:「官の船の費用と損害。商船の品と値。

  数値は事実として並び、どちらが大きいかは

  数値が言うのではない。数値を見る者が比べる」


【場面④】 二日後の夜 熊野三山の奥・八咫烏の社


二日後の夜、熊野三山の奥。

人里離れた山間に建つ小さな社の奥の間に、五羽の烏が集まった。

中央に灯りの火が一つ、五羽の前には、それぞれが集めた数値の写しが置かれている。

机の端に、五羽の符が五枚、地色を揃えて置いてある。

公衡は写しを順に開き、数値を目で追った。


四季公衡:「難波の数値は」

馬塚時行:「船四隻の内、三隻が改修を終え、四隻目は十月の完成。

  水手百八十人の名簿は三隻分。米八百石、塩二百桶、水三百甕。

  船を出さない場合の荷の差も、書き添えました」

四季公衡:「兵部省の数値は」

子安定行:「船を失った渡航が、記録にあるだけで十一通。

  貞観の年は、水手三十七人の内、戻った十一人。

  名簿の読めない頁は、数値に入れずに書き添えてある」

四季公衡:「市の数値は」

牛尾清継:「沉香は一貫目が銀半両で、十年前より三割高。

  官の船が止まっても、商船は止まらない。

  唐の都は乱れ、商人は都を避けて道を通っている。

  行商人が道で失くなる話も、年ごとに増えている」

四季公衡:「数値は揃った。この数値を、道真の許へ運ぶ。

  道真が、この数値を理の形に整える。帝の判断は、その先だ」

鷲尾峰依:「運び先は、参議の私邸でございますか」

四季公衡:「そうだ。数値は無名の文書の形で運ぶ。

  名はどこにも残さない。運ぶのは、数の烏の影の者とする」

鷲尾峰依:「参議は、数値の文書をどう受け取るでしょうか」

四季公衡:「道真は文の家の者だから、数値の意味は分かる。

  数値の写しを順に箱に収める。箱には鍵を掛ける」


公衡は木箱を机の上に引き寄せ

数値の写しを順に箱に収めた。箱には鍵を掛けた。


四季公衡:「帝は、決める前に数値を求められた。

  決めた後に数値を求める者は、多い。

  決める前に数値を求める帝は、そういない。

  この数値は、帝の決断を支えるために集まった。

  我々の意思は、数値に含まれていない」

馬塚時行:「影の者の勘定も、この中に含まれています。

  壱と弐が確かめた荷と名簿の数値です」

四季公衡:「含まれている。明日の夜、運べ。

  数値が帝の目に届くまでは、箱を離すな」

十文字穂積:「承知しました。鍵は、私が懐に収めます」


穂積は鍵を懐に収めた。五羽は順に奥の間を出ていった。

公衡は一人、灯りの火を見ていた。

火は静かに燃え、簾の内の影は動かない。



参考資料

藤家礼之助『日中交流二千年』吉川弘文館、一九八八年

『日本三代実録』『新日本古典文学大系』岩波書店、一九九一年

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