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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第四章 大宝律令  ー敗戦の起点 その参ー
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第五話 台帳の書き方

【場面①】 大宝元年十一月末 八咫烏の社


社の戸は閉じられている。

板の間は冷え、火の器の蓋は開いていた。

座の中央に紙が一枚。統真はその前に座り、景親は向かい

影の者(壱)は戸口の内側に膝を置いた。

影の者(壱)の手には、何も持っていない。

紙は一枚も持ち帰っていない。


景親:「寺の倉に入った名前が三つ。

  浜の倉に納めた記録のない名前が六つ。

  郡の台帳から外れた名前が九つ。

  台帳から消えた人は三十七人。

  寺の田を耕す人は六十四人、うち二十六人が今年の春から」

統真:「二十六と十一で三十七。合いました」

景親:「合いました。合ったので、紙は焼きました。

  寺の倉で確認した名も、郡家で見た名も、一枚も持ち帰っておりません」

統真:「焼いた紙は」

景親:「瀬戸内の海に落としました。灰は拾って、海へ戻しました」

統真:「焼いたのは」

景親:「この者です。名を読んだのも、この者です。私は、数を受け取っただけです」


座には水を入れた椀が一つ置かれていた。

景親は椀の水を一口含み、それから指を濡らして板の間に印を置いた。

乾くと印は消える。消えるまでに、統真が確かめ直す。

統真は印を指でなぞり、三つの数を紙の上で組み直した。

丸と四角と斜めの線が、同じ戸を指している。

三つの数は、どれも九つの戸のうちの同じ三つを含んでいた。


統真:「同じ戸が、三つの数に入っている。

  三つが同じ戸を指すなら、消えたのではありません。

  書き分けられたのです」

景親:「書き分けられた」

統真:「寺の台帳には寺の者として、浜の台帳には納めた者として

  郡の台帳には浮浪として。三つに分けて書けば、どの台帳でも数が合います。

  合うように書かれた台帳は、誰も疑いません」

影の者(壱):「浜の倉では、三つの里の札だけが同じ数だけ欠けておりました。

  他の里の札は、去年と数が変わっておりません」

統真:「欠けた数は、寺の倉の二十四束と同じか」

影の者(壱):「同じではございません。

  寺の倉の二十四束は、六つの戸の一年分です。

  浜の倉で欠けたのは、三つの里の分です」

統真:「数が同じでないのは、どこで分かれた」

影の者(壱):「浜の倉で止まった分と、寺の倉へ直接入った分です。

  二つに分かれた数は、どちらの台帳でも一度しか書かれておりません」


統真はうなずき、印の脇に指を置いた。景親は座を立った。

板の間は冷え、廊下の戸が風で一度鳴った。

統真は紙を畳み、火の器の脇に置いた。まだ焼かない。

焼くのは、写しを作った後である。


【場面②】 翌日 藤原京・民部省


民部省の詰所には、台帳が三巻、机の上に開かれていた。

窓から低い日が入り、紙の上に窓枠の影が落ちている。

大録Aは立ったまま、二つの台帳を交互に見ている。

統真は机の端に座り、影の者(壱)は台帳の脇に立って、頁を送った。


大録A:「筑前の分が、まだ三か国そろっておりません」

統真:「筑前の分は、十二月の末に国へ出ます。

  郡家で四度書き直しておりました。

  書き直した紙は、破って捨てる決まりです」

大録A:「前の台帳が残れば、どちらが正しいかで争いになります」

統真:「争いになるのは、数が合わない時です。

  合っていれば、前の台帳は要りません」

影の者(壱):「筑前の郡家の台帳は、四度目だけ紙が薄うございます。

  三度目から、紙が変わっております」

大録A:「紙が変わった」

影の者(壱):「初めの二組は厚く、色が濃いものでした。

  三組目からは薄く、繊維の目が粗いものでした」


大録Aは頁を一枚、窓の光にかざした。

紙の端が乾いて、指の下で音がする。

詰所の奥には、上申書の紙を綴じる机があり、脇に糊の壺と麻の紐が置いてある。

綴じた紙の束が三段に積まれ、どの束にも端に日付が書いてあった。


大録A:「筑前の分は、三月までに戸籍作りの下書きへ回します。

  下書きができなければ、口分田の割り当てが遅れます」

統真:「遅れるのは、田ではなく人です。

  人が決まらなければ、田を割る相手が決まりません」

大録A:「里の者が、田を待っております。待つ間に、畦が崩れます」


窓の外で、荷車の輪が石を越える音がした。

民部省の前の道は、諸国からの荷が通る。

荷を載せた車は、この時期、日に何台も通る。


影の者(壱):「里ごとに書けば、里の数が出ます。

  戸ごとに書けば、里の境が紙の上に残りません」

統真:「残らないから、浮浪(住所不定)と書くしかない。

  書く言葉がなければ、書かない者が出ます。

  書かない者は、台帳から消えます」

大録A:「では、どう書けと」


統真は紙を一枚取り、縦に線を三本引いた。

左に里の名、中に戸主の名、右に田の場所を書く欄を作った。

田の場所の欄には、寺の領の内か外かを書く。

戸主が寺に名を置いていれば、その旨を同じ行に書く。


統真:「一つの戸を、二つの台帳に分けて書くのをやめます。

一つの台帳に、二つのことを書きます。

寺の者であることと、郡の者であることを、同じ行に置きます。

二重ではなく、両方です」

大録A:「両方と書けば、寺の者からも、郡の者からも、税を取ることになる」

統真:「取るのは、田のある場所で決めます。

寺の領の内の田は寺へ、外の田は郡へ。

人は動かしません。動かさなければ、書き直しも要りません」


大録Aは黙って、統真の引いた線を見た。

窓の外で、砂を掃く音がしている。

箒の先が地面を擦る音は、一定の間隔で続いた。

やがて箒の音が止み、代わりに奥の机から、麻の紐を引く音が聞こえてきた。


大録A:「この書き方で、数は合うのか」

統真:「合います。合わないのは、書く者が台帳を分けているからです。

  分けなければ、合わない数が出ません」

大録A:「国司に、この書き方を命じる形になる。

  命じれば、筑前の国司は自分の判断を変えたことになる」

統真:「変えるのではありません。

  分からなかったことを、分かるようにします。

  国司は、郡から上がった数を点検しただけです。

  点検した者が、書き方を整えるのは、責任を負うことではありません」

影の者(壱):「筑前の国司は、台帳を点検する時に欄を足しております。

  足した欄は、紙の端に小さく書いてあります」

統真:「足した欄は、根拠にします。根拠があれば、書き方は、こちらで整えられます」


【場面③】 同じ夜 八咫烏の社


夜、五人が集まった。

火の器の灯は短く、五人の手元だけを照らしている。

障子の外では風が弱まり、木の葉の落ちる音が聞こえた。

影の者(壱)は戸口に控え、報告の順を待っている。


統真:「書き方を変える案を作りました。

  里の名、戸主の名、田の場所を一行に書きます。

  寺の者であることも、同じ行に書きます」

清詞:「神祇官の側から見れば、寺の者を郡の台帳に書くのは

  寺の領を国が数えることになります。寺は反対します」

統真:「反対の理由は、人を取られることです。

  取らないと書けば、反対は弱まります」

清詞:「書いた紙が残れば、後で取られます」

統真:「残るのは台帳だけです。台帳は六年ごとに作られます。

  六年の間に、書いた者が替われば、書き方も替わります。

  替わらない形にするには、法令に書くしかありません」

成忠:「法令に書くのは、誰がやる」

統真:「私ではありません。

  民部省の大録が、上申書の形を作ります。

  私は数の根拠を渡すだけです」

昌秀:「根拠を渡せば、根拠を出した者が残る」

統真:「根拠は、筑前の郡家の台帳と、浜の倉の写しです。

  どちらも、もともと国にある紙です。

  私が作った紙は一枚もありません」

景親:「私がそろえた数値は」

統真:「数値は、あなたの記憶にあります。紙にはありません。

  紙がなければ、誰が数えたかを示せません」

影の者(壱):「寺の倉で読んだ名も、郡家で見た名も

この者の記憶にのみございます。紙は焼き、灰は海と松の根元に戻しました」


景親はうなずき、火の器の蓋に手を置いた。蓋は冷たかった。

清詞:「通すなら、順序が要ります。先に神祇官へ話を通します。

  寺の領地を数えるのではなく、寺の者を台帳に書く、という形に変えて話します。

  寺が反対しなければ、民部省の上申書は通りやすくなります」

統真:「順序を、あなたに任せます。

  私は、十二月の末に筑前の台帳がそろうように動きます」

清詞:「それから、もう一つ。

  上申書に、私の名は出しません。あなたの名も出しません」

統真:「出しません。上申書は、大録の名で出ます」

昌秀:「上申書が通れば、難波の倉の台帳も、来年から新しい様式になります。

  様式が変われば、三年分の古い台帳は、根拠として使えなくなります」

統真:「使えなくなる前に、写しを取ります。

  写しは倉に置き、国へは出しません」

昌秀:「倉に置けば、倉の者が読みます」

統真:「読ませます。読んだ者が、数を覚えます。

  覚えた数は、台帳が書き換えられても残ります」


五人はそれぞれの荷をまとめ、座を立った。

統真は最後に残り、火の器の蓋を閉じた。閉じる前に、器の油を継ぎ足した。

油差しの口が細く、注ぐのに時間がかかった。

器の縁には、これまでの油がこびり付いて黒い線を作っている。

戸を閉め、外の風の音を背にして座った。

板の間には、五人が座った跡が四角く残っていた。

戸を閉めた後、統真は机の上に残った紙を一枚取った。

書いた線は三本。線の間に、何も書かれていない。

彼は紙を灯の上にかざし、それから火の器の灰の中に落とした。

灰は白く、紙の形をしばらく保っていた。

外へ出ると、風は止んでいた。

空には星が多く、東の空だけが少し白い。 

統真は門の前の砂を避けて歩き、家へ戻る道を選んだ。

選んだ道は、来た道より遠い。


参考資料

・『続日本紀』文武天皇紀(大宝元年・二年) 諸国からの課税台帳の進上、遅延と督催に関する記事。

・『令義解』(清原夏野ら撰、833年)民部省式・田令 帳簿の様式と不輸租田の扱い。

・『正倉院文書』正集第三十九巻所収「筑前国嶋郡川辺里戸籍」(大宝二年) 戸ごとの記載と口分田面積の記入。

・虎尾俊哉『班田収授法の研究』吉川弘文館、1961年 戸籍・課税台帳と班田収授、寺田の不輸税。

・松原弘宣「阿波国府の文書行政と勘籍関連木簡」『愛媛大学法文学部論集 人文学科編』第29号、2010年 国府・郡家の帳簿と木簡の運用。


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