第六話 瀬田の水
【場面①】七月二十二日・瀬田橋の東側
村国男依らが率いる軍は、瀬田橋に着いた。
大海人皇子は不破の本営におり、ここで指揮を執っているわけではない。
近江軍は橋の一部を切り、長い板を渡していた。
敵が踏み込んだら板を引き、落とす構えだった。
兵 A:「橋の途中が切られています」
村国男依 :「残っている板と、敵が引くための綱を確かめろ。
渡る者を援護できる位置に備える」
兵B:「川へ入って渡るのですか」
村国男依 :「まず、橋に渡してある板を使えるか見る。
敵の仕掛けを崩し、向こう岸へ足場を作るんだ」
兵 A:「先に渡った者がいれば、後ろの兵も続けます」
村国男依 :「そうだ。だが、旗が見えれば安全というわけではない。
先頭を孤立させず、渡れる状態になってから続け」
大分君稚臣が進み出た。矛を捨てて甲を重ね、刀を抜き、一気に板を渡った。
敵が板を引くための綱を切ると、後続の兵も橋を渡り始めた。
向こう岸へ進んだ兵の旗が、近江軍の陣からも見えた。
【場面②】同日・瀬田橋の西側、近江軍の陣
近江軍の陣へ、東軍が橋を突破したという知らせが届いた。
伝令 :「東軍の旗が、こちら岸に立ちました」
近江軍の指揮官:「橋のどこまで進まれた」
伝令 :「先頭は橋を渡り切っています」
近江軍の指揮官 :「板を引いて落とせなかったのか」
伝令 :「綱を切られました。後続も渡ってきます」
近江軍の持ち場が崩れ、兵が陣から離れ始めた。東軍の側へ向かう者もいた。
伝令 :「こちらの兵に、持ち場を捨てて東軍の側へ向かう者がいます」
近江軍の指揮官 :「何人だ」
伝令 :「まだ数えられません」
近江軍の指揮官:「少人数なのか、大勢なのか」
伝令 :「一部だけではありません。何か所もの持ち場が崩れています」
近江軍の指揮官 :「どこを立て直せる」
伝令 :「命令が届かず、兵がそれぞれ逃げています。
このままでは、陣を維持できません」
【場面③】同日・瀬田橋突破後の陣
近江軍は瀬田で敗れた。散った兵は、山背や都へ向かう道へ逃れていった。
部下:「逃げる兵を、すべて追いますか」
村国男依 :「敵の軍が再びまとまる動きには警戒する。
だが、武器を捨てて家へ帰る者まで、むやみに斬るな」
部下 :「見逃した者が、また兵になるおそれはありませんか」
村国男依 :「そのおそれはある。
だから降伏の意思を確かめ、抵抗する兵とは分けて扱う。
投降した兵を敵に戻さないためにも、扱いをはっきりさせる」
【場面④】七月二十二日夜・近江の宮
近江の宮には、瀬田の敗戦を知らせる使者が入った。大友皇子は灯りの前で報告を受けた。
報告の官人:「瀬田橋を突破されました」
大友皇子 :「どの陣が破られた」
報告の官人 :「橋の守りが崩れ、各部隊も退いています」
大友皇子は、しばらく黙って灯りを見た。
大友皇子 :「叔父の大海人皇子は、こちらの動きを調べ続けていたのだろうな」
誰も、すぐには答えられなかった。
大友皇子 :「我々は、吉野を去った叔父を警戒しながら、実際の準備を見抜けなかった。
地方でどれだけ支持を集めているかも、知らないままだった」
官人 :「もう軍を立て直す方法はありませんか」
大友皇子 :「立て直すには、援軍が必要だ。だが、こちらへ来るはずの援軍も集まらない。
私たちは、都で命じれば人が動くと思い込んでいた」
【場面⑤】七月二十三日・大友皇子の退却先
翌七月二十三日、大友皇子は逃れた先で自ら命を絶った。二十五歳だった。
右大臣の中臣金と、左大臣の蘇我臣赤兄は、近江朝の敗北を知った。
この会話は、二人の責任と悔恨を描く場面である。
中臣金:「大友皇子は、まだ若かった」
赤兄 :「若ければ我々言いなりでことが進むと思っていましたね」
中臣金:「思っていた。こちらの意見を聞いていれば、政務を進められると考えた。
だが、我々自身が地方の事情を知ろうとしないで、正しい助言はできなかった」
赤兄 :「この後、どのような政治になるのでしょう」
中臣金 :「今の私には分からない。我々は、もう決める側ではない。
まず、自分たちの責任を問われる」
【場面⑥】七月二十四日・不破の本営
不破の本営に、大友皇子の首が届けられた。
大海人皇子は、その死と近江軍の敗北を確かめた。
高市皇子 :「大友皇子が亡くなり、近江軍も敗れました。大きな戦は、終わりました」
大海人皇子:「近江朝による政治は終わった。だが、国の仕事を止めるわけにはいかない」
高市皇子:「どのように立て直しますか」
大海人皇子 :「近江で決められた制度も、こちらが準備したことも、必要かどうかを見直す。
戦に勝ったという理由だけで、何もかも変えるつもりはない」
高市皇子 :「新しい政務の拠点は、どこに置きますか」
大海人皇子 :「近江ではなく、飛鳥へ戻る。そこで政務を整え直す」
【場面⑦】戦後・不破の本営
東国からは、兵の集合と各地の態度について、引き続き報告が届いていた。
報告の使者 :「上野と信濃から、兵を動かしたという知らせがあります」
大海人皇子 :「甲斐はどうしている」
報告の使者 :「出兵の知らせはありません。
ただ、こちらの通行を妨げる動きも、確認されていません」
大海人皇子 :「妨げないからといって、味方とは限らないな」
報告の使者 :「はい。道は通れるようですが、今から軍を向かわせますか」
大海人皇子 :「今すぐ兵を回す必要はない。相手の出方を確かめる。」
報告の使者 :「出兵を求めなかったことは、どう扱いますか」
大海人皇子 :「戦後の功績も責任も、確認できたことを基に判断する。
知らせがないだけで、協力したとも、敵対したとも決めつけるな」
【場面⑧】八月二十五日以降・新政権の記録係の部屋
八月二十五日、中臣金は処刑された。赤兄は流罪となった。
都で交わされた近江朝への誓約は、もはや命令の根拠にはならなかった。
官人A:「近江朝への誓約は、今後の記録からすべて消すのですか」
官人B :「新しい命令と、前の政権で何があったかという記録は、別だ。
誓約が効力を失っても、交わした事実までなくなるわけではない」
官人A :「従った人たちの事情も、調べる必要がありますね」
官人B:「そうだ。紙を捨てても、関わった者の記憶は残る。
都合のよい説明だけで、済ませようとするな」
【場面⑨】戦後・熊野の奥の社
熊野の社で、八束は地図に置いた家名の札を一枚ずつ外した。
戦のための配置を終え、各地の協力者を通常の暮らしへ戻すためだった。
八束 :「各地へ、臨時の連絡や見張りを終えるよう伝える」
鷲尾 :「戦の間に集めた情報は、どうしますか」
八束 :「軍を動かすための情報と、戦後も確かめる必要のあることを分ける。
古い配置を、そのまま現在の状況として使うわけにはいかない」
鷲尾 :「不要なものを分ければ、次に調べることがはっきりしますね」
八束 :「そうだな。大海人皇子が飛鳥で政治を始めれば
土地の負担や人々の暮らしも変わります。その変化を確かめなければなりません」
鷲尾 :「新しい政権のために、何から調べますか」
八束 :「まず、実際に出された命令と、各地で何が起きたかを確かめる。
こちらの予想を、決まった事実として扱わないことだ」
鷲尾:「これまで集めたことを、すべて忘れるわけではないのですね」
八束 :「ただし、今も同じ事情だとは決めつけない。
都で役職を得た者だけでなく、地方で働く人々の声も確かめる」
【場面⑩】翌年二月二十七日・飛鳥浄御原宮
翌年の二月二十七日、大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位した。天武天皇である。
政務の中心は近江から飛鳥へ移り、近江の宮には、かつての重臣たちの姿はなかった。
【場面⑪】即位の知らせが届いた後・熊野の社
即位の知らせを受けた熊野の社で、鷲尾と八束は今後の連絡について話した。
鷲尾 :「政権が変わりましたね」
八束 :「ああ。だが、戦が終われば人々の困り事までなくなるわけではない。
新しい政治がどう働くかを、これから見ます」
鷲尾 :「今後も、調べてから相手へ知らせるのですね」
八束 :「そうだ。意思を確かめ、連絡先を決め、必要な情報を集め、その後で行動する。
順序を逆にして、確かめる前に人を動かせば、また争いや犠牲を生みます。
勝った後こそ、慎重に進めよう」
史実の照合に参照した資料
四日市市教育委員会・くるべ古代歴史館「壬申の乱(現代語訳)」 https://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/school/jinshinnoran.html
関ケ原町歴史民俗学習館「壬申の乱」 https://rekimin-sekigahara.jp/main/jinsin_war/




