第五話 二筋の道
【場面①】七月上旬・大和、吹負の陣
乃楽山で敗れた吹負は、援軍と合流して軍を立て直した。
その後、西から迫る壱伎史韓国の軍に向き合った。
原稿冒頭の場面は、ここでは大和での迎撃戦として描く。
吹負:「今度は、こちらから攻める」
熊毛:「立て直したばかりの軍で、攻撃するのですか」
吹負:「韓国の軍は、こちらがどれだけ兵を集め直したか、まだつかんでいない。
その間に、守りの弱い場所を攻めたい」
熊毛:「相手が、こちらの兵力を知らないうちに動くのですね」
吹負:「そうだ。敵が配置を変えている間に押す。
ただし、敵が退いても、ばらばらに深追いはするな」
韓国の軍は退いた。吹負たちは、倭京へ通じる道の守りを固め直した。
熊毛:「これで大和を守れますね」
吹負:「守りを続けるには、土地の人々の協力がいる。
陣地を作るだけでは、食料も人手も足りない」
熊毛:「近江が押し寄せても、その協力は続くでしょうか」
吹負:「大海人皇子を支持してきた人がいる。
負けたときに見捨てられなかったのも、そのつながりがあったからだ」
熊毛:「陣地よりも、人々とのつながりが大切なのですね」
吹負:「どちらも必要だ。ただ、陣地が破られても、協力する人がいれば立て直せる。
その人たちに負担をかけすぎず、何のために戦うか説明する」
熊毛:「大和の次に、決着をつけるのは近江ですね」
吹負:「そうだ。大和を守れても、大友皇子の軍を退けなければ戦は終わらない。
近江の人々が、どちらに協力するかも大切になる」
【場面②】七月二日へ戻る・不破の本営
ここで、二方向へ軍を出すことを決めた時点に戻る。
不破では、高市皇子が配下の将たちに進軍の分担を説明していた。
高市皇子:「軍を二つに分ける」
配下の将 :「それぞれ、どこへ向かわせますか」
高市皇子:「紀臣阿閉麻呂たちは、伊勢から大和へ向かい、吹負の軍と連携する。
村国男依たちは、不破から直接近江へ進む」
配下の将:「どちらも、近江朝に対して西へ進む軍ですね」
高市皇子:「ただし、同じ一本道を進むのではない。
別の経路から進み、近江朝に両方の対応をさせる」
配下の将:「敵は、兵をどちらに集めるか迷います」
高市皇子:「そうだ。だが、分ければ必ずしも軍は速くなるわけではない。
食料と連絡の手配を別々に整え、互いの軍の進み具合を確かめるんだ」
【場面③】その後・伊勢から大和へ向かう道
大和へ向かっていた紀臣阿閉麻呂のもとに、吹負が乃楽山で敗れたという報告が届いた。
部下A:「吹負の軍が敗れました。すぐに立て直せるでしょうか」
阿閉麻呂:「立て直せるように、兵を回す。
敗れた直後に追撃されたら、残った兵まで散ってしまう。早く助けるんだ」
部下B:「助ければ、次は持ちこたえられますか」
阿閉麻呂:「必ず勝てるとは言えない。だが、前の敗因を確かめ、指揮を整え直せる。
慌てず命令に従える軍に戻すことが大切だ」
部下A:「近江朝は、こちらの軍の様子を把握しているのでしょうか」
阿閉麻呂:「古い報告の兵数を当てにしているかもしれない。
こちらには、移動の途中でも兵が加わっている。
敵が実際の人数を確かめるまでに、先へ進む」
部下B:「近江朝も、現地を調べれば人数を確認できますね」
阿閉麻呂:「できる。ただし、道や連絡先をこちらが押さえれば、調べるのに時間がかかる。
こちらも古い報告を信じ込まず、新しい知らせを取るんだ」
【場面④】七月下旬・近江の宮
近江へ進む大海人皇子側の軍について、報告が続いた。
大友皇子の前には、左大臣の蘇我臣赤兄と、右大臣の中臣金がいた。
官人A:「東国の有力な家々が、大海人皇子に協力しています」
大友皇子:「美濃、尾張、信濃もか・・・」
官人A :「いずれも、皇子側への協力が伝えられています」
大友皇子:「敵の兵は何人だ」
官人A :「全体の人数は、つかめていません」
赤兄は、手元の動員記録を見た。
赤兄 :「この記録では、東国の家がどちらにつくか分からなかった。
こちらが見込んでいなかった兵まで、動いています」
中臣金 :「書き漏らしというだけの問題ではないでしょう。
我々は、都の重臣が忠誠を誓えば、地方も従うと考えていた。
地方の家の意向を、十分に確かめなかったのです」
赤兄 :「協力を確かめていなかった家々が、敵の兵を集めているのですね」
中臣金:「はい。その見立ては正しいと思います」
赤兄:「ここまで追い詰められてから分かっても、遅いのですが」
中臣金 :「嘆いているだけでは、事態は変わりません。
今から何ができるかを考えなければ、我々が責任を問われます」
赤兄 :「あなたは以前、大海人皇子は見た目以上に考えていると言ってましたね」
赤兄 :「その皇子の軍が、都へ近づいています」
金は答えなかった。大友皇子は窓の外を見た。
大友皇子:「どこで間違えた。叔父の大海人皇子を、味方にできなかったことか」
赤兄 :「それだけではないと思います」
大友皇子 :「我々は、吉野の動きも、地方の不満も十分に調べなかった。
都の中で忠誠を誓わせて、それで全国が従うと考えた」
中臣金 :「都の重臣の誓いが、地方の協力まで保証するわけではなかったのですね」
大友皇子:「そうだ。軍を集められなければ、都の中で決めたことを実行できない」
【場面⑤】同じ頃・近江の宮、軍の手配をする部屋
近江朝は、瀬田橋で敵の進軍を止めることにした。
橋の一部を切り、一枚の板を渡し、敵が来たら板を引く準備を進めた。
官人A:「橋で食い止めれば、東軍はすぐには渡れません」
中臣金 :「止めている間に、何をする。敵も、ただ待ってはいないぞ」
官人 B:「こちらの兵を集め直します」
中臣金:「どこから集める」
官人A:「近江と山背からです」
金は、集められる兵の報告を見た。追加の兵をすぐ出せる場所は、少なくなっていた。
官人A:「少なくとも、橋で時間を稼ぐことはできます」
中臣金 :「その時間で援軍や食料を整えられなければ、待つ兵の不安が増すだけだ。
戦える見通しを示せなければ、持ち場を離れる者も出る」
官人 B:「敵は、やはりここへ来ますか」
中臣金:「来るだろう。今は、その攻撃を待つしかない。
だからこそ、止めている間に何をするかを決めるんだ」
【場面⑥】瀬田での決戦前・熊野の社
熊野では、八束が地図に東軍の進路を書き加えた。
不破から近江へ向かう線が、瀬田橋に近づいていた。
八束 :「東軍は、ここまで進んでいます」
鷲尾 :「瀬田橋が、次の攻防の場所になりそうですね」
鷲尾 :「近江軍が橋を壊す可能性も、知らせますか」
八束 :「はい。橋が使えない場合も考えて、敵の守りと川の様子を確かめる必要があります。
川があるだけで、永久に進めなくなるわけではありません」
鷲尾 :「待つ間に、東軍には兵が加わるでしょうか」
八束 :「加わる可能性はあります。ただ、人が増えれば、食料も指揮の手間も増えます。
兵数だけを見て、有利と決めることはできません」
鷲尾 :「時間を稼いでいるつもりの近江朝が、逆に不利になることもありますね」
八束 :「はい。止めている時間を、どちらが準備に使えるかです。
将の判断や兵の疲れまでは、人数だけでは分かりません」
鷲尾 :「その違いを、どう確かめますか」
八束 :「敵の配置、橋の状態、味方の食料を順に調べます。
渡ると決めるのは現場の将です。こちらは判断に必要な情報を届けます」
鷲尾 :「戦が始まったら、報告をまとめるだけでは追いつきません」
八束 :「だから、報告がいつのものかを確かめ、変化があればすぐ伝えます。
古い情報を現在のこととして渡してはいけません」
鷲尾 :「遅れて届いた報告は、使えないのですか」
八束 :「前の状況を知る役には立ちます。ただし、今も同じだとは言えない。
判断を誤らせないよう、時点を明らかにして渡します」
改稿上の注記
・冒頭の「七月二十一日、乃楽山で韓国軍を撃破」は、乃楽山での七月四日の敗戦と、その後の大和での韓国軍迎撃が混ざるため、「七月上旬・大和」の場面として整理した。
・七月二日の進軍分担は、大和方面を紀臣阿閉麻呂ら、近江方面を村国男依らとした。高市皇子自身が全軍と一緒に西へ進むという読み方を避けた。
・瀬田橋は全体が水没した橋ではなく、一部を切って板を渡した状態として描いた。
史実の照合に参照した資料
四日市市教育委員会・くるべ古代歴史館「壬申の乱(現代語訳)」 https://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/school/jinshinnoran.html
関ケ原町歴史民俗学習館「壬申の乱」 https://rekimin-sekigahara.jp/main/jinsin_war/




