第四話 倭京の旗
【場面①】六月二十九日夜・倭京の役所
近江朝は、大和の倭京に兵を集めていた。
大伴連吹負は、留守中の宮を管理する留守司の坂上直熊毛と協力し
その兵の指揮を引き継ぐ準備を進めた。熊毛は、命令の権限を示す札を持ってきた。
熊毛:「指揮に使う札は、ここにあります」
吹負:「兵を入れ替える必要はない。誰の命令に従うかを、はっきりさせる。
札を確保しただけでなく、私が指揮を執ることを兵に伝えるのだ」
熊毛:「近江朝が集めた兵を、今度は大海人皇子のために戦わせるのですね」
吹負:「そうだ。指揮を変える責任は我々にある。今まで近江朝の命令に従っていたことを
兵の罪にはしない。大海人皇子を支えるための挙兵だと、私から説明する」
熊毛:「この大和に、皇子を支持する人は多いでしょうか」
吹負:「支持していても、誰が指揮を執るか分からず、動けずにいた者がいる。
皇子のために立ったと知らせれば、協力する判断をしてもらえる」
【場面②】挙兵後・倭京の陣
吹負は各地の守りを固めた。
竜田には三百人、佐味君少麻呂には数百人を率いて大坂の道を
鴨君蝦夷には数百人を率いて石手道を守らせた。ここでいう大坂は、大和へ通じる道の名である。
熊毛 :「三百人と、二か所に数百人ずつでは、少なくありませんか」
吹負:「少ない。だから、広い場所へ薄く並べず、通り道を絞って守る。
敵が一度に攻められる人数を減らす」
熊毛:「実際より大勢いるように見せるのですか」
吹負:「兵数を隠すことも大切だが、それだけでは守れない。
狭い場所に守備を集中すれば、少人数でも持ちこたえやすい。
敵が道ごとに分かれて来たら、こちらも対処する順序を決める」
熊毛:「攻めて来た軍を、一つずつ退けるのですね」
吹負:「そうだ。敵全体より少なくても、目の前の戦いに兵を集められるようにする」
【場面③】七月四日・乃楽山の戦い
近江軍は複数の道から大和へ攻めてきた。
西から来るのは壱伎史韓国の軍、乃楽山で吹負と戦ったのは大野君果安の軍だった。
大野君果安は、山部王の事件に関わる蘇我臣果安とは別人である。
吹負:「近江軍が来たな」
熊毛:「西と北の両方から攻められることは、考えていたのですね」
吹負:「考えていた。だが、見込んだとおりに防げるとは限らない」
熊毛:「敵への備えだけでは足りません。味方の援軍がどこを通るかも分からないと、連携できません」
吹負:「援軍との連絡も確かめておこう」
近江軍の攻撃に、吹負の軍は持ちこたえられなかった。
【場面④】同日・乃楽山から退却した墨坂
しかし、七月四日の乃楽山の戦いで吹負は敗れた。兵は散り、吹負も逃れた。
退却先の墨坂で、不破方面から来た援軍と出会った。
紀臣阿閉麻呂の側も、吹負を助けるために兵を回した。
部下:「敗れたばかりですが、すぐに軍を立て直せますか」
吹負:「援軍と合流し、土地の人々にも協力を求める。
以前から大海人皇子を支持している人たちに、私がまだ指揮を執っていると知らせてくれ」
部下:「皇子の名を聞けば、もう一度集まってくれるでしょうか」
吹負:「集まる理由はある。だが、名前を出すだけで来るとは限らない。
集合する場所と、こちらがまだ戦えることも伝えるのだ」
部下:「私たちも、すぐ陣に戻れますか」
吹負:「戻る。敵は、散った兵がどこへ集まるか、まだつかんでいない。
その間に連絡を取り、指揮を立て直す」
【場面⑤】挙兵前の六月下旬へ戻る・倭京
話を、指揮を引き継ぐ前に戻す。
熊野から来た使いは、吹負に、留守司が持つ指揮権について知らせていた。
この場面は、吹負が熊毛と協力するに至った経緯である。
影の者:「留守司が、兵への命令を取り次ぐ立場にあります。
指揮に使う札も、その手元にあります。
今の段階では、武力で役所を襲う必要はないと考えています。
留守司の協力を得られるか、まず話をしてください」
吹負:「お前たちは何者で、どうして我々に協力してくれるのだ」
影の者:「あるお方の指示で動いております。
ですが、兵の指揮を引き継ぐ話を決めるのは、吹負様ご自身です」
吹負:「話をする相手は、坂上直熊毛でよいのだな」
熊野の使い:「はい。こちらは、誰が権限を持つかを調べて知らせます。
協力を求め、責任を持って指揮を執るのは吹負様です」
吹負:「お前たちは、敵の軍も調べているのか」
影の者:「軍の動きを調べるのは別の担当です。私は、その情報や、通れる道の知らせを運びます」
吹負:「届けた情報は、どこかに書き残すのか」
影の者:「組織や協力者が分かる文書は残しません。
奪われれば、連絡先や調べ方を敵に知られます。
必要な情報だけを相手に伝えます」
【場面⑥】七月二日ごろ・犬上の近江軍陣地
同じ時期、近江朝は不破への攻撃を準備していた。
山部王を総帥とし、蘇我臣果安と巨勢臣比等が数万の兵を率いて、犬上に陣を置いた。
山部王:「不破を攻める」
比等:「こちらには数万の兵がいます。兵力を集中して攻めましょう」
果安は、陣の外へ続く道を見た。
果安 :「不破で勝てても、東国から来る援軍まで止められるでしょうか。
そこまで考えておく必要があります」
山部王:「今いる兵を使って、先に攻めればよいのではないか」
果安:「一度敗れれば、大軍でも退却中に散ってしまいます。
兵が多いというだけで、勝てるとは言えません」
比等:「では、待つのですか」
果安:「敵が兵を養えず、減るのを待つ考え方もあります」
比等:「その間に、東国から兵が増えるかもしれません」
山部王:「敵が弱るのと、援軍が来るのとでは、どちらが早い」
果安:「今の情勢では、援軍が来るほうが早いかもしれません。
こちらが動けなくなれば、それだけ不利になります」
ところが、山部王は果安と比等に殺された。
殺害の詳しい動機は、ここでは断定できない。
総帥を失った近江軍は混乱し、不破へ進めなくなった。
(※直前の会話は、意見の対立を描くための創作であり、殺害の理由を説明する史料はない。)
果安:「総帥がいなくなり、軍が止まった。この間にも、敵は兵を集める」
比等:「それが分かっていて、なぜこんなことをしたのですか」
比等の問いに、果安は答えなかった。果安は犬上から引き返し、自ら頸を刺して死んだ。
近江朝へは、果安が死んだという短い報告が届いた。
短い報告だけでは、軍の内部で何が起きたのかまでは分からなかった。
【場面⑦】同じ頃・近江、記録係の部屋
近江の記録係の部屋に、河内から報告が届いた。
河内国の長官である来目臣塩籠は、大海人皇子に協力するために兵を集めていたが
計画が近江方の壱伎史韓国に知られ、自ら命を絶ったという。
報告を整理していたある官人が、内部の控えには塩籠の死を病死と書こうとしていた。
官人A:「病死ではないと、報告されていますが」
官人B:「詳しく書けば、誰が塩籠と連絡していたかまで問われる。
病死という扱いにしておきたいのだ」
官人Aは筆を止めた。先輩は、関係者を調べられることを恐れて、報告を変えようとしていた。
記録は、実際の出来事をそのまま伝えるとは限らない。
【場面⑧】同じ頃・筑紫の役所
近江朝の大友皇子は、使者の佐伯連男を筑紫へ送っていた。
筑紫の長官である栗隈王に、兵を出させるためだった。
大海人皇子が送った使者ではない。
栗隈王:「筑紫の兵は、海の向こうからの攻撃に備えている。
城を守る兵を減らして、近江へ送るわけにはいかない」
栗隈王は出兵を断った。佐伯連男は、断られた場合には栗隈王を殺すよう命じられていた。
だが、栗隈王の子である美努王と武家王が、刀を帯びてそばに立っていた。
男は手を出せなかった。
【場面⑨】後日・不破の本営
不破には、近江朝の動員がうまく進んでいないという知らせが届いた。
ここで高市皇子に話すのは、その情勢を伝えに来た影の者であり、近江朝の佐伯連男ではない。
高市皇子:「近江の使者は、栗隈王を殺せなかったのか」
影の者:「警護していた二人の子を前にして、手を出せなかったとのことです」
高市皇子:「ためらったのか、できなかったのか、詳しくは分からないな」
影の者:「はい。ただ、栗隈王は生きており、筑紫の軍も近江へは出ていません」
高市皇子:「そうか、仕方ない。今、大切なのは、その結果だ。
山部王の死で不破への攻撃も止まり、河内の塩籠も亡くなった。
各地の様子は引き続き調べるが、まず近江へ進む軍の準備を急ぐ」
影の者:「近江が援軍を集めるより、こちらが兵を集めるほうが早いのですね」
高市皇子:「今は、こちらの方に兵が集まりつつある。その間に、動ける態勢を整える」
史実の照合に参照した資料
四日市市教育委員会・くるべ古代歴史館「壬申の乱(現代語訳)」 https://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/school/jinshinnoran.html
関ケ原町歴史民俗学習館「壬申の乱」 https://rekimin-sekigahara.jp/main/jinsin_war/




