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導きの火 ー千年を語り継ぐ八咫烏  作者: 忍びでござる
第三章 壬申の乱  ―敗戦の起点その弐―
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第一話 太政大臣の座

【場面①】近江宮・大極殿 ( 朝廷)

天智十年十月。近江の宮の大極殿に、百官がそろった。


天智天皇:「大友皇子を太政大臣に任じる。

      左大臣に蘇我赤兄、右大臣に中臣金。

      御史大夫に蘇我果安、巨勢人、紀大人。」


天皇の声は低かった。石の床の上で、百官の頭がそろって下がる。

息をのむ音だけが、殿に残った。


【場面②】宮中の渡殿 | 朝廷の中枢(大友派の会話)


蘇我赤兄:「太政大臣という役の名前は、生まれて初めて聞いた。」

中臣金:「東宮という役職に、新しい名前を付けただけのことだ。」

蘇我赤兄:「そのまま東宮にしておけばよかったのに。」

中臣金:「東宮には大海人皇子がいる。」(金は声を落とした。)

中臣金:「名前を替えたのは、立場を替えるためだ。立場が替われば、座る人間も替わる。」

蘇我赤兄:「つまり。」

中臣金:「弟君の即位の道を断ち切ったということだ。」

蘇我赤兄:「断ち切った道は、戻らないか。」

中臣金:「別れた道は二度と交わらない。ただ、交差する場所は。

     世が揺れたとき、探される。その交差する場所がどこで見つかるかだ。」

蘇我赤兄:「陛下は、もともと弟君に譲るおつもりだったのではなかったか。」

中臣金:「そうだった。だが、人の心は動く。我が子がかわいくなれば、弟より子だ。」

蘇我赤兄:「そんな理由で、天皇の座が動くのか。」

中臣金:「天皇の座は、いつもそんな理由で動いてきた。」


【場面③】近江宮の外れ・大海人皇子の宿 | 大海人派


同じ夜。宮の外れの宿に、宮からの報せが届いた。


舎人:「宮から報せです。大友皇子が太政大臣に。

    左大臣に蘇我赤兄、右大臣に中臣金、御史大夫に蘇我果安、巨勢人、紀大人。」

大海人皇子:(しばらく黙って)「……そうか。」

大海人皇子:「東宮は、どこへ行った。」

舎人:「東宮は、まだ大海人皇子でございます。」

大海人皇子:「そうか…でもその役目は、もう意味をなさない。

兄は東宮とは別の役を大友皇子のために用意したのだ。」

舎人:「では、皇子が次に座る予定だった席は。」

大海人皇子:「決まっている。兄が座らせるのは、我が子だ。」

大海人皇子:「兄は、私に譲るつもりでいた。その心が、子へ移った。

それだけのことだ。子がかわいいのだろう。……私にも、わかる。」

舎人:「皇子は、どうなさるおつもりですか。」

大海人皇子:「このまま、都にいれば、何か理由をつけて粛清されるだろう。

殺される前に、自分から身を引く。出家を願い出る。」

舎人:「そんな・・・お考え直しください。」

大海人皇子:「考え直す余地などないわ。今の朝廷に、私の居場所はない。

残っているのは死を待つだけことだ。」

大海人皇子:「吉野へ行く。皇祖の神の聖地だ。祈るには、よく似合う場所だ。」


【場面④】赤兄の私邸 | 朝廷


渡殿の柱の陰に、御史大夫の巨勢人が控えていた。


巨勢人:「大海人皇子を、このまま放っておいていいのですか。」

中臣金:「今は放っておく。出家した者に兵は持てない。

     ただし、吉野に変な動きがあれば、こちらが先に動く。」

巨勢人:「では、今、手を下すのは。」

中臣金:「やめておけ。先に刀を抜いた方が負ける。

     相手に名分をやるのが、いちばんまずい。

     手を下す理由が向こうから生まれるのを待つのだ。」


同じ月末。赤兄の私邸で、数人の官人が灯りの下に酒を交わしていた。


官人A:「大海人皇子が立ち上がれば、天下は半年で二つに割れます。」

蘇我赤兄:「割れた世を、われわれで建て直せるか。」

官人A:「建て直せません。だから大友皇子なのです。

若い者は、われわれの意のままに操れます。」

官人B:「操れるやつを選ぶ。それだけのことですか。」

蘇我赤兄:「政治とは、それだけのことだ。」

官人A:「しかし、吉野の皇子を放っておいていいのですか。」

蘇我赤兄:「今は放っておく。出家した者に兵は持てない。

ただし、皆、肝に命じてくれ。吉野に変な動きがあれば、すぐ知らせてくれ。

内々にこちらで処理する。誰にももらすな。」


【場面⑤】菟道の渡し


吉野へ下る大海人皇子の行列は、小さかった。菟道の渡しまで、赤兄と金が礼を尽くして見送った。


中臣金:「道中は、どうでしたか。」

大海人皇子:「静かだった。」

中臣金:「静かなら結構。静けさを壊す者は、世から消えます。」

大海人皇子:「それは、私に向かって言っているのか。」


金は答えず、深く頭を下げた。皇子は笑った。


大海人皇子:「右大臣。吉野の者は、何か良からぬことを考えているという噂がある。」


金の肩が、一瞬固まった。

中臣金:「——皇子は、吉野に行かれ何をなするおつもりですか。」

大海人皇子:「吉野に登るだけだよ。」


渡し舟が離れると、岸に残った金は、長くその背を見た。


蘇我赤兄:「何か言われましたか。」

中臣金:「いえ。何も。」


【場面⑥】近江宮・天皇の寝所


天皇の寝所では、五位以上の官人たちが順に御前に進み、誓った。

官人たち:「大友皇子に、忠を奉じます。」

 

誓いの声は、寝所の外まで聞こえた。


【場面⑦】宮中の渡殿


蘇我果安:「これで誓いは、一つになりましたな。」

中臣金:「朝廷の中では、な。朝廷の外の声は、まだ誰の耳にも届いていない。」

蘇我果安:「地方の豪族たちには、誓わさなくていいのですか。」

中臣金:「朝廷が地方を気にする必要はない。地方は、われわれに従うしかない。」

蘇我果安:「吉野の皇子の動きは、掴めているのですか。」

中臣金:「掴めていない。……掴めていない者が、最後に動くのだ。」

 

灯りは、さらに小さくなった。


史実の照合に参照した資料

四日市市教育委員会・くるべ古代歴史館「壬申の乱(現代語訳)」

https://www.city.yokkaichi.mie.jp/kyouiku/kurube/school/jinshinnoran.html

関ケ原町歴史民俗学習館「壬申の乱」 https://rekimin-sekigahara.jp/main/jinsin_war/


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