第五話 語り、ここに始まる
【場面①】白村江
八月二十七日。
最初の戦は、引き分けだった。
されど、唐の軍は、囲む形を崩さなかった。
二十八日。
風が、変わった。
我らの四百余隻が、唐の百七十隻に正面から押した。
囲まれると分かっていて押した。数がある。それだけが頼りだった。
囲まれる前に中心を突く。それは悪い策ではなかった。
されど、唐がそれを想定していたなら、話は別である。
唐の軍は、待ってましたとばかりに、火が放たれた。
――煙は天に漲り、海水は皆赤し。
煙が天を覆い、川の水まで真っ赤に染まった。四百余隻が、一つの火になった。船は、続けざまに燃えた。逃げる船も、火に呑まれた。囲まれた海では、逃げ場はない。
指揮の一人、朴市秦造田来津は、炎の海を、前に進んだ。
――顧みることなく力戦して死んだ。
『日本書紀』は、そう一行で記す。
我らの語りは、その一行をもう少し長く語り継いでいる。
【場面②】炎の海・岸辺 我ら→八咫烏の祖(名を持たぬ者たち)
景信:「田来津は、最後まで岸の方を振り向かなかった。
振り向けば、逃げる者が出る。彼は背中で、戦を締めた」
景信:「田来津は出立の朝、中大兄殿に、生きて帰ると誓って出てきた。
誓いを戦で果たそうとした者がいた。
ならば、その続きを口で果たすのが、我らの務めだ」
されど、我らが最も長く語り継いだのは、彼の最期ではない。
岸辺のことである。生き残った兵は、岸辺に立ち尽くしていた。
火は消えず、船は沈み、帰る船はなかった。数百の兵が、水際に並んで海を見ていた。
誰もが次の船を待っていた。次の船は来ない。夜になっても、誰も動かなかった。
動けば、敗けたことを認めることになる。
波打ち際に、櫂を抱いたまま座っている者がいた。
櫂を抱いて、船がまだあると思う者。それを取り上げるのは、我らの仕事になった。
若い兵が波に向かって、友の名を呼んでいた。呼んでも、返事はない。
火は、明け方まで燃えた。燃え尽きた海は、静かになった。
静かな海の上に、黒い板が島のように浮かんでいた。
我らは小舟で出て、竿で板を押しのけた。板の下に人がいないか確かめながら。
一晩ともう一晩で、何百回か繰り返した。
我らは、その夜から、動いた。戦うことではない。名を覚えることだ。
生きている者の数を数え、傷のある者を先に、船を拾い、島伝いに南へ帰す。
我らにできたのは、それだけだった。
名を持たぬ者:「火を消すことも、戦をやり直すことでも、できない。
ただ、名を残さず、一人でも多くを、生きて国へ帰すこと」
語りは、その夜の数を、一句で留めて、途切れる。
――生きて帰り得た者は、九百余。
将の行方は、語りが一言だけ言い添える。阿曇比羅夫は、火の中に残った。
帰りの船まで用意せよと、人に課した者が、帰りの船を持たなかった。
海に長けた者は、海に還ったのだ。語りは、彼の名を、ここで一度だけ呼ぶ。
【場面③】帰還の海・対馬・壱岐・筑紫
敗戦の知らせが列島に届いたとき、朝廷を動かしたのは、悲しみではなかった。
恐怖だ。
――次は、本土が攻められるかもしれない。
この恐怖が、それからの日本を動かす、最大のエンジンになった。
心に収めたあの言葉を、中大兄は、何度も思い返した。
烏の言葉が描いていた方向へ、数年遅れて、国は動き出した。
引き上げは、夜ばかりを選んだ。昼は、海が敵のものだからだ。
舟には傷者が先に乗った。やっとのことでたどり着いた壱岐で水を得た。
島の者が黙って水差しを渡した。事情を聞く者も、尋ねる者もいない。
対馬では、夜、火が見えた。南の空だ。
我らは、一瞬、唐の追手かと息を呑んだ。
されど烽の火は、対馬から壱岐へ、壱岐から南へと、渡っていった。
見張りが、我らの舟影を見つけ、味方だと火で伝えたのだ。
我らが覚えて持った名は、死んだ者の名の方が、圧倒的に多かった。
ただ、我らは名を呼ぶことをやめなかった。
名を持たぬ我らが、名を持つ者たちの名を、呼び続けた。
筑紫に着いた朝、海は静かだった。
――帰り着いた者の顔は、忘れがたい。
【場面④】難波の港
帰国の後、難波の港に朝廷の使者が来た。
中大兄、その人は、港へは来なかった。使者が一言だけを伝えた。
中大兄の使者:――数を、報せよ。
我らは、数を報せた。生きて帰った者の数を。死者の名は、渡さなかった。
それは、我らが持つ。国が背負うには、重すぎる名がそこにあった。
九百余。その数は、史書に残らない。我らの語りの中にだけ、生きる。
使者は、数を聞いて、ただ一礼した。称制の御言葉だと伝えてきた。
使者:――苦労をかけた。中大兄様のお言葉です。
それだけだった。我らは、その一言の重さを、後になって何度も測り直した。
その夜、祖は初めて、口を開いた。
祖:――我らは、敗けを予期しておきながら、敗け方を考えていなかった。
火が見えたとき、引き方の絵が一つもなかった。
祖:――導きの者とは、勝ち方を教える者ではない。終わり方をあらかじめ知っている者だ
この夜から、我らの語りには、勝ちの知らせと同じ重さで、敗け方の語りが加わる。
――語り、ここに始まる
【場面⑤】灯りの下・語りの後夜
斗真は、顔を上げた。
斗真:「……この語りが、千年の最初の夜なのですか」
「そうだ」と景信は言った。
景信:「この語りの最後の夜は、祖自身のものではない。生きて帰った影の者が、代わりに語っている。祖は、帰ってから病が重かった。声を失ってからも、祖は、傍らの若い者に言い残したそうだ。一言、語り添えよ、と」
――帰る船を待つ者に、明日の朝は、来る。
「我らが帰すべきは、国だけではない。国がまた海を見て歩き出す日を、信じて待つ者たちだ。
それを語り残せ、と」
景信:「斗真。我らが千年、語り続けてきたのは、敗戦のことと、この一句だ。
敗けた夜を、どう語り、どう翌朝へ渡すか。それが八咫烏の始まりであり、八咫烏の今でもある」
六六四年。
対馬、壱岐、筑紫に、防人と烽が置かれた。敵を見れば、山から山へ火を渡す。
半島の火が、列島に届く前に、知らせだけを先に渡す。情報の網だ。
水城は六六四年に、大野城はその翌年に、大宰府を守る堤と城として、築かれた。
そして防人。東国から徴兵され、家族と離れて西の海辺に立った兵士だ。
のちの万葉集に、防人の歌が残っている。ほとんどが、望郷の歌だ。
――父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぞ 忘れかねつる
父母が頭を撫でて、元気でいるがよい、と言った言葉が、忘れられない。
出征の朝の、ほんのひとときの仕草が、千年残る。
景信:「斗真。ここから話をいまにつなぐ。烽は、情報の網。城は、受けの構え。
防人は、人と制度。勝った後に国を作るのではない。敗けた後に、国の次の形を作る」
景信:「日本という国の骨組みは、敗戦の処理から始まっている」
景信:「――この国は、敗けると強くなる、と言われる。されど、正しく言えばこうだ。
敗けたことを、次に活かせたときだけ、強くなる。活かせなければ、同じ火を、二度見る」
斗真:「その火を、二度と見ないために」
景信:「それが、八咫烏の務めの原型だ。国が火を見る前に、引き方の絵を、用意しておく。
白村江で我らが学んだことを、千年、我らは語り続けてきた」
景信:「斗真。お前がこの夜に覚えるべきことは、一つだ。
終わったのは、戦だけだ。敗戦は、終わっていない。あの火ことは忘れない。




