第四話 帰りの分まで
【場面①】帰国の列 | 八咫烏の語り(名を持たぬ者たち)
帰国の列は、飛鳥へ戻った。列は、長い。宮人、武器、唐の捕虜に渡す品々。
棺は、列のいちばん中に置かれた。前線に最も近い場所から、都まで、千の里。
列は、夜ごと、野に宿った。野宿の夜、中大兄は、棺のそばに座った。
誰も、その姿を近づけなかった。近づける者は、いなかった。
我らは、列に随った。名を持たぬ者として。棺を守る番は、表の兵がした。
されど、夜の番は、我らがした。夜の空は、西を向いた。
西の空には、もう、烽の火は、見えなかった。
【場面②】飛鳥・称制の政庁
中大兄は、すぐに即位はしなかった。喪に服し、称制として政務を執る。
国論を決める席に、天皇はもういない。それでも国論は、なお前へ出た。
重鎮たちは、言う。
重鎮A:「陛下の御遺志は、出兵にありました。ここで引き下がれば、御遺志を裏切ることになります」
重鎮B:「国の威信は、内外に示されねばなりませぬ」
重鎮C:「改革の途中にある朝廷が、海を渡る兵を送り出せぬとあれば、
特に内にその弱さは隠せませぬ」
重鎮たち:「冠位も、戸籍も、新しく作ったばかり。
その形に、重みがなければ、各地の豪族は、朝廷の威には従いません」
中大兄は、下を向き、黙って聞いた。内心では、反対であった。
中大兄(心の内で):『今、出るべきではない。まず内側を。母上の最後の言葉は、それだ』
されど、国論は前へ出た。遺志というものは、生き残った者たちが抱く物語である。
それを否定する者はいない。否定すれば、改革の威信と、臣下の心を、同時に失う。
景信:「斗真。遺志というものの恐ろしさを、覚えておけ」
斗真:「……否を、言えなくなるから、ですか」
景信:「そうだ。死者は、もう物が言えぬ。されど、死者の名を借りた者は、声を大きくする」
景信:「崩御の後、割れていた会議は、割れなくなった。すべてが、前へ出た」
景信:「割れない方が、危ない。割れる会議には、まだ、退く道がある。」
中大兄は、顔を上げた。
中大兄:「……派兵とする。戦の指揮は、阿曇比羅夫に任せる。
兵と船の数は、お前に一任する」
中大兄:「ただし、一つだけ、われの条件を聞け。船は、帰りの分まで用意せよ。
行きの数だけの船を海に出すな」
比羅夫は、頭を下げた。されど、帰りの船まで用意できる者は、当時の国にいなかった。
景信:「条件は、口にされた。されど、形が、なかった」
景信:「引き方を知らぬ将は、負け方も知らぬ。負け方を知らぬ将は、国も知らぬ」
陛下の言葉を、中大兄は、自分の条件に置き換えた。
されど、国に、その形を備える力は、まだなかった。
その夜、宮の廊下に一人の使者が立っていた。
名乗りもなく、ただ一言だけを伝えに来た者だった。
中大兄は、自ら立ち上がって、その言葉を聞いた。
使者:――半島の海は、勝てば遠く、負ければ近い。
――出兵の損得より、まず受け手を固めよ。
言葉は、短かった。名は、なかった。
中大兄は、しばらく、その言葉を繰り返し聞いていた。そ
して、心に収めた。忘れる者ではなかった。使者は、頭を下げて闇に消えた。
斗真:「その使者というのは、祖ですか」
景信:「……どうであろう。されど、あの夜の足音だけは、語りに残っている。
廊下の板が、一度、鳴った。それだけだ」
【場面③】半島へ
翌六六二年。
阿曇比羅夫の船が、五千の兵と豊璋と軍需物資を乗せて半島へ向かった。
豊璋は、周留城の福信のもとへ送り届けられた。百済復興軍は、王を取り戻した。
同時に、中大兄は、九州の港の整備を、密かに進めさせた。
誰にも理由を言わず。母上の遺言と、あの夜の言葉だけが、その理由だった。
六六三年。
先遣隊が送り出された。狭井檳榔、朴市秦造田来津が率い、周留城への援軍の隊である。
中大兄は、港で隊を見送った。
【場面④】筑紫・港
中大兄:「田来津」
田来津:「はい」
中大兄:「お前たちには戦の指揮をとってもらわねばならぬ。われは一緒には行けぬ」
中大兄:「ゆえに、われに代わって、戦況を見極めよ。負けると判断したなら、引いて構わない」
中大兄:「生きて帰ってきて、初めて、敗け戦の教訓となれる」
田来津は、深く頭を下げた。
田来津:「……生きて帰る者だけが、敗け方を語れます。承知いたしました」
中大兄は、港に立ったまま、船影が消えるまで見送った。
その後ろ姿を、港の物陰から見ている者がいた。名を残さぬ者の一人であった。
我らは、田来津の船には随わなかった。
我らの役目は、先に半島へ渡り、陣の形を、目にしておくことである。
場面⑤】半島・百済復興軍の陣
――六六三年、八月。
我らは半島にいた。名を持たぬ者たちとして。
半島の岸に着いた朝、福信の使いが、迎えに来ていた。
王が戻り、唐の都督府を囲み返してから、いくつもの月が過ぎていた。
されど、豊璋が王位に就いた頃から、陣の匂いは、変わり始めていた。
同じ場所で、同じ焚き火。されど、香は、別の物が燃えていた。
復興軍の片腕として支えてきた鬼室福信は、
豊璋によって「謀反の疑いあり」として処刑された。
百済の復興のために奔走した忠臣を、王自らが殺したのだ。
この出来事が、百済・日本軍の壊滅の伏線となった。
唐の水軍は、百七十隻。将は劉仁軌。
囲むように動く軍だと、報せは早くから届いていた。
景信:「囲む軍は、正面から来ない。潮目が変わる時に、回り込んで動く」
我らの側は四百余隻。数では勝っていた。
されど、海で囲まれ火を放たれれば、ただ数が多いだけになる。
密集した船は、ひとたまりもない。」
景信:「数で押すだけの戦は、囲まれれば勝てぬ。それを我らは分かっていた。
されど、分かっていても、動けなかった。海での戦経験がなかったからだ。
それも、我らの負けの一つだった」
八月十七日。
唐・新羅の連合軍は、周留城を包囲した。城の下で陸の戦が続いた。
陸戦は、勝利を重ねた。
されど城は落ちず、戦は、どんどん河口へ押し込められた
開戦の前夜、我らは、豊璋の陣を訪ねた。
名を残さぬ者の一人として、一言だけを伝えるためだ。
陣は、静かだった。焚き火が、三つ。
兵は、眠っていた。起きている者は、豊璋と、傍らの近習だけだった。
名を持たぬ者:「勝ちを求めるな。引き方を、先に決めておけ」
豊璋は、笑った。
豊璋:「引き方とは、面白いことを言うな。お前たちは、何者だ」
名を持たぬ者:「名のない者です」
豊璋:「名のない者が、王に戦のやり方を教えるのか」
名を持たぬ者:「教えませぬ。伝えるだけです。勝ちを求めるな。引き方を、先に決めておけ」
名を持たぬ者:「船があるうちに、引き方を決めておけば、敗けても、国は残ります」
豊璋は、焚き火を見た。
豊璋:「我は、王である。引き方を決めて戦えるか。引き方を決めた王を、兵は、王と呼ぶか」
豊璋:「引き方を決めた王は、もう王ではない」
名を持たぬ者:「王は、生きておればこそ、王であります」
豊璋は、笑った。笑ったまま、答えなかった。
王は、勝ちだけを見ていた。福信を殺した夜から、陣の中は静かだった。
信じる者も、語る者もいない陣の静けさ。
焚き火が、誰にも話しかけられないまま、燃えていた。
我らは、それを見て、帰り道で口を開かなかった。
報せる先は、もうなかった。
翌朝、風向きが、変わる。




