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転生したら暗君「劉禅」の教育係になったので、僕が天下を取らせます  作者: 久保カズヤ@試験に出る三国志
一章

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第3話:李仁は早速仕事を辞めたい


 僕は李仁。転生者である。

 しかしながらこの転生先の人間である「李仁」を、僕は全くと言っていいほど知りません。


 でも知らないということは、歴史の表舞台には全くと言っていいほど現れない人間なのだろう。

 そういうことなのであれば無名は無名なりに、隠れて平穏な生涯を歩もうと思っていた。


 しかしそういうわけにもいかないらしい。

 まさか、かの暗君「劉禅」の付き人になってしまうとは。


「お前が新しいヤツか」


「は、はい、李仁と申します。この度、太子厩長《たいしきゅうちょう》(太子の車や馬を管理する役職、太子僕《たいしぼく》の補佐)に任じられました。えー、どうかご指導ご鞭撻のほど」


「黙れ、うるさい。お前の名なぞ知らん。儂はな、馬鹿そうなヤツが大嫌いなのだ」


「マジぃ……?」


 太子家令《たいしかれい》(太子の食料や財政を司る役職)、来敏《らいびん》。


 眉間にはシワが刻まれ、見るからに不機嫌そうな強面のおっさんだ。

 文机に向かったまま、僕に視線を一切向けようともしない。


 職場への初出勤、配属先の部署の部長に挨拶しただけで怒られるとは思わなんだ。

 もしもし退職代行サービスですか?


 ちなみに前世の知識で、この「来敏」はなんとなくだが知っている。

 蜀漢の誇る高名な学者であり、三国志きっての御長寿さんとして有名なのだ。

 確か97歳とかまで生きたはず。え、この人そんなに長生きするの?勘弁してくれない?


「お前は本来"尹黙"の補佐だが、アイツは別件の仕事だ。今日は儂について来い」


「承知しました。あ、それとまずは太子様にもご挨拶をしたいのですが」


「うるさいうるさい!ペッペッペ!」


 おい唾吐きやがったぞこのクソジジイ!?

 そのあと、唾吐きの翁《おきな》はしゃかしゃかと立ち上がって、足早に飛び出していく。


 ひとまずついて来いと言われたからにはついて行くしかなく、追いついたらあのデカい頭を叩いてやろうかと何度も思った。


◇


「太子様、お答えなされ」


「……」


「黙ってばかりじゃどうにもならんじゃろうが!!」


「す、すまん。分からないのだ」


「たわけぇっ!一文も暗唱できんとは何事かぁあ!?」


 講義中、来敏は唾を飛ばしながら怒鳴り上げる。ここ一時間ほど、ずっとこの調子であった。

 王太子"劉禅"は気弱そうに俯き、怯えきっている。あーあーもう可哀想に。


 あの一件から七年、子どもの成長は早い。

 泣きじゃくっていた子供が、数えれば中学生の歳になっているわけだ。


 しかしただの中学生ではない。劉禅は王太子であり、かの大英傑"劉備"を継ぐ立場にある。

 そんな宿命を背負った子供なんて未だかつて出会ったことが無い。

 故に僕も、どう向き合えば良いのか手探りだった。


「ならば経書を見ながらで良い。頭から音読せい」


「……う、うぅ」


「グギギギ、漢中王殿下を継がねばならん御方がこれか。もういい。李仁、お前がどうにかせえ」


「ふぇ?」


 来敏はひどく冷めた目で劉禅を見下ろし、ため息を吐きながら部屋を出て行ってしまう。

 残されたのは僕と、そして劉禅の二人。

 今日も窓の外の空は曇っており、ジメジメと気分の悪い空気であった。


 しかしながら来敏さんが一方的に変なんだと思っていたが、講義を見ていると少し違和感を覚える。


 怯えて可哀想に見える劉禅だが、来敏に一切の受け答えをせずに謝るばかり。

 これじゃあ話が全く前に進まない。

 高校教師時代を思い出すなぁ。そういえばこういう子も居たなぁ、なんて。


「えーっと、ご挨拶がまだでしたね。改めまして、太子厩長に任じられました李仁と申します。どうぞよろしくお願いします」


「……」


 うんともすんとも言わない。

 子供のあどけなさが残るふっくらとした頬、そして広い耳と分厚い耳たぶ。


 ただただ静かに俯くばかりのふくれっ面。

 たぶん兄さんの講義の時間は、何も理解せずに黙って時間が過ぎるのを待っているだけなんだろうな。


「そういえば太子様とは初めましてではないんですよ。臣を覚えておいでですか?」


 ようやく劉禅の目がこちらを向く。丸くてつぶらな瞳をしていた。

 首を傾げているあたり、どうやら覚えていないらしい。仕方ないんだけどね、ちょっと残念。

 こっちはあの一件がトラウマだっていうのに。今でも趙雲将軍の鬼のような顔が夢に出てくるぞ。


「七年前のことです。太子様が先の母君であられた孫夫人に、揚州へ連れられそうになった折──」


「覚えてない」


「え、あ、あれ?」


「だが、私はその時、母上と共に東へ行けば良かったのだろうな」


 劉禅はそのまま文机に広げた書物や墨や筆を片づける事さえせず、トタトタと小走りで出て行った。

 部屋に残るのは僕一人。相変わらずの曇り空、辺りが一層暗く感じられる。


 生徒が授業を聞かないからって先生が出て行く場面はあるあるだけど、そのあとに生徒が先生を呼びに行かず帰ってしまう事例は聞いたことが無い。


 もしかしたら二人ともトイレに行っただけかもしれない。

 そう思ってしばらく待ってみたけど帰ってくる気配は一切ない。


 さて困った。新たな職場、その初日。

 何をすればいいのかも教えてもらえないまま放置されるとは思わなかった。


 もしもし、労働基準監督署ですか?この時代って誰に辞表を出せばいいんですか?



・来敏

 三国志きっての御長寿さん。あと気難しいことでも有名なお爺ちゃん。

 史書の評価では「学者としては当代随一だけど、徳業で褒めるとこは無い」とか言われてる。

 恐らく諸葛亮が一番対応に難儀していた曲者で、そのせいでよく仕事をクビになってる。

 でも超名門だし学者としても高名なので、クビになっては復職してを繰り返していたぞ。


・天気の話

 益州、今でいうところの四川省。この地は四川盆地と呼ばれる広大な陸の孤島である。

 そのせいか曇りが多く「蜀の犬は太陽を見たら驚く」と言われたりもするぞ。

 冬もそこまで寒くはならないので、年間を通して耕作が可能なのだとか。

 おかげで中国で最たる農耕地帯となり、諸葛亮は益州を「天府の地」と称した。


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