第2話:諸葛亮はとにかく忙しい
必ずや歴史に刻まれることとなるであろう「定軍山の戦い」。
その大勝利から日も経ち、諸葛亮は激務に追われていた。
劉備が「漢中王」に即位したことで、劉備政権は「国家」としての体裁を整えないといけなくなったためだ。
官僚機構は後漢王朝を踏襲しつつ、自身を頂点に置く行政機関(尚書台)に権限を集中。
また戦時体制のために法を厳格化して、中央による統制を強化。
更に現在、荊州では"関羽"将軍が北を攻めており、樊城では連勝が続いている。
恐ろしいほどの強さだが、まだその樊城は陥落していない。
当初の想定よりも時間が掛かっていた。
降伏させ、接収した魏兵の数も想定をはるかに上回っており、彼らを養う食料も尽きた。
どうにかしなければならない。
急ぎ"張飛"将軍に援軍を要請し、劉備はそちらの対処にかかりきりの状態になっている。
「先生、どうしたんですか?」
「うん?」
「いや、やたらニヤニヤしていたので、忙しすぎて壊れちゃったのかと」
「……そうか、いや、確かに壊れてしまったやもしれん」
驚いて目を丸くする"馬謖"に、諸葛亮は笑いながら「冗談だ」と手を振ってみせた。
時代が動いている。その中心で自分が政務を担っている。
諸葛亮はそんな状況が、どうしようもなく楽しかった。
「そういえば先生、政務の方もそうなんですけど、王太子様の件についても」
「あー、いや、うーん、またあの"御仁"が何か言ってきたのか」
「はい、あの"御仁"です」
劉備は後継者たる劉禅に、当代きっての学者達を養育係として付けるよう強く指示を出していた。
そこで諸葛亮は繋がりのある荊州の学者達の中からそれを選ぼうとした。
が、これもこれで問題があった。
この劉備政権に与した荊州人は野心溢れる曲者ばかりで、例に漏れず諸葛亮もまたその一人。
高名な学者も居るには居るが、やはり癖が強い。
思えば尹黙くらいであった、まともに会話が成り立つのは。
尹黙は益州出身者ながら荊州に古文学を学びに来た珍しい人物だった。
その学識も申し分なく、常に眠そうだが性格に歪みもなく、とにかくうってつけの人材。
ただ、老人ばかりの学者集団の中で尹黙はまだ若手も若手。
となると重鎮も必要なので仕方なく声をかけたのが「来敏」という学者であった。
「来敏殿は、天下でも最たる学識を持つ御方だ。若君の養育係はこの人しか居ないと、そう、思っていたんだがなぁ……」
学識豊か、更に家柄も抜群。なのにどうして。
諸葛亮は頭を抱えて、深くため息を吐く。
「あんのジジイ、口を開けば文句ばっかりで、会話にもなりゃしねぇ。まだ闇市場のゴロツキの方が会話できるんじゃねぇかぁ……?」
「先生、口が悪くなってますよ。ほら、深呼吸して」
「フーッ、フーッ」
まるで縄張り争いをしている猫みたいだ。
なんて、馬謖は敬愛する師を見てそう思った。
でも確かに諸葛亮がこうなってしまうのも分かる。
来敏は事あるごとに諸葛亮の執務室に飛び込んできては文句をまくしたて、自分に行政の重職をよこせと喚きまくるのだ。
代々、大臣クラスの官僚を輩出してきた超名門から、どうしてあんな人が生まれるのだろうか。
しかも来敏だけじゃない。
基本的に老学者達は全員こんな感じの性格で、顔を合わせれば取っ組み合いの殴り合いになる始末。
ジジイ同士の掴み合いだ。見苦しいことこの上ないわけで。
そりゃあ天下の諸葛亮だって怒り狂った猫になる。
馬謖は悩める師匠のために、良いお香でも買ってあげようと思った。
「あのー、お呼びでしょうか」
「これはこれは尹黙殿!よく来て下さった!本当に丁度良かった!」
「……丁度いいとは?」
執務室を訪れたのは、眠気眼のままのそのそと歩く「尹黙」である。
諸葛亮は満面の笑みで椅子から飛び上がり、自ら尹黙の手を取って、賓客用の椅子に座らせる。
肩もみまでしている。
来敏と会話が出来ない以上、王太子の教育関係の相談は尹黙とする以外にないのだ。
ちなみにこの頼みの綱である尹黙も、教師としては大外れの人材であることをまだ諸葛亮は知らない。
「若君への学問指南役、お引き受けくださり感謝で御座る。もう貴殿しか頼れないのだ」
「そう思っていただけるのは嬉しいですが、まぁ、うーん、もう少し人員を増やしていただけないものかと」
尹黙は「自分だけでは来敏を抑えきれない」という旨のことを言っており、諸葛亮もそれは十分に理解していた。
しかしどう見繕っても来敏以上に名のある学者はいないのだ。
故に元凶を挿げ替えることは難しく、となるともっと人員を増やす以外にないという話になる。
「重々承知している。若き才だが、董允と費禕という見込みのある人材がいる。将来は若君をよく補佐してくれるであろう。その二人を側仕えに置くこととした」
「来敏殿と私が主に太子様に勉学を教えて、董允殿と費禕殿にその補佐を、ということですか?」
「そういうことだ」
「その補佐役、もう一人増やしてはいただけませんか?」
「ほう、心当たりが?」
「諸葛亮殿も知っておられるかと思いますが、我々と同じ司馬徽門下であった"李仁"です」
「あー、李仁殿か!」
笑顔を浮かべて手を打ってみたものの、諸葛亮の頭には全くその顔が思い浮かんでこなかった。
その様子に気づいているのは馬謖だけであり、尹黙はそのまま話を続ける。
「今は私の下で太学教務の補佐をしてくれていまして、出来ればその男を推挙いたしたい」
「尹黙殿の推挙とあらば、断る理由などあろうはずもない。それで、尹黙殿から見てその李仁殿は、どのような才をお持ちと見ますかな?」
ふぅむ。そう言って尹黙は細い目を閉じて顎鬚をつまみ、静かに考え込む。
もしやすると居眠りを始めたのではないかと疑うほど、長らく黙りこくっていた。
「……グゥ」
「あの、尹黙殿?」
「はっ、すいません。一瞬だけ寝ていました」
「え?」
「李仁についてですが、特段、これと言って目立つ才はありませんな。まぁ、少し変わり者ではありますが、真面目でまともな男です」
すると脇から馬謖が一枚の書類を諸葛亮の前に差し込む。
このわずかな間に「李仁」なる男の関連情報をまとめてくれていたのだ。
怖いほどに気が利いている弟子に感謝し、諸葛亮はその紙にざっと目を通す。
そして、ハッと瞳を丸くした。
「あの、若君が孫夫人に連れ去られそうになった時の」
「左様。その李仁です、お忘れでしたか?」
「いやいやいや、覚えていたとも、同門の学友じゃあないか!そうか、彼であればもしやすると、若君も心を開いてくれるかもしれないな!」
「私の推挙、お聞き届けくださりますか」
「勿論だ。もしかすると今この国に最も必要なのは、目の前の泣いている子供を放っておけないような、そんな"まとも"な人間なのかもしれないな」
とにもかくにも色んな人員が足りていないこの状況。
頼れる人は頼っておきたい。猫の手でもいいから借りたいのだ。
諸葛亮はまだ李仁の顔を思い出せないでいたが、満面の笑顔を張り付けて尹黙と固い握手を交わしたのであった。
・諸葛亮
言わずと知れた天才軍師にして名宰相。中国史を代表する英傑の一人。
劉備没後、滅亡に片足どころか首まで浸かっていた蜀漢王朝を数年ほどで立て直した怪物。
しかもこういう大功を立てた臣下って国を乗っ取りがちだけど、それもしなかった忠臣。
諸葛亮を臣下に迎えて天下取れないならもう無理だよぉ('ω')
・馬謖
諸葛亮が将来を嘱望した逸材。ネットでは「登山家」と揶揄されがち。
才能に溢れ、諸葛亮は常に馬謖と共に戦略を練っていたとされているほど。
しかしこの人はあくまで参謀職。諸葛亮みたいに一人で全部やってるのが異常というね。
そんな諸葛亮に期待を寄せられ、将軍としていきなり前線に出てしまった結果……
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