第30話:李仁は皆からお酌を受ける
客人に食膳を運ぶのが、主人の役割であり礼儀であった。
兄さんの屋敷ではあるが、今日の宴席の主人は僕ということなんで、せっせと配膳を頑張るのだ。
既に皆への張紹の挨拶も済ませ、今は兄さんと飛輪さんが張紹に構ってくれている。
良かった。ウチの派閥的に張飛将軍との仲はギクシャクしてるんだけど、受け入れてもらえたらしい。
いや、兄さんは僕の顔を立ててくれたのだろう。
何から何まで頭が上がりませんよホントに。
「ふぃーっ」
「落ち着いたみたいだな。もうこっちは先に始めていたぞ」
やるべき仕事を終えて席に着くと、小麦の蒸しパン片手にやたらと活発な兄さんが肩を組んできた。
少しだけ酒臭いな。いつもは酒を飲んだらすぐに寝るくせして、今日はすこぶる機嫌が良いらしい。
「いやぁ、良かった。本当に良かった。なぁ、飛輪」
「もう兄上、何回も何回も。恥ずかしいですよ」
「ふっ、全て兄さんのおかげです。そうだ、子どもが生まれた暁にはぜひ、名をつけていただきたいのです」
「そ、そうか、良かろう。今の内から考えておかねばな」
こうも喜んでくれると、こっちまで嬉しくなる。それ以上にちょっと気恥ずかしくもあるけど。
それは飛輪さんも同じらしく、お互いに顔を見合わせて眉尻を下げ、困ったような笑顔を向けるのだ。
そして僕の盃に飛輪さんが酒を注いでくれている間に、自作の「鯉こく」もどきを一口。
味見の時にも思ったが、唇がペタペタとするほどの脂だ。というか、ゼラチンか?
皮目の部分はとにかくプルプルしていて味もあり、臭みもないからこれは本当に良い個体だったんだろうな。
しかし鯉ってあれなんだよね、魚というよりは解れるまで煮た鶏肉に近い味わいがある。
取り切れなかった小骨のわずらわしさや、後味に感じる川魚の香りが「これは魚だ」って思い出させるが。
でも旨味のある良い魚だ。確かに、何だか滋養強壮に効能があるという感覚も分かるなぁ。
「そして、酒によく合う!」
「李仁さん」
「おっと」
お酒を飲めない飛輪さんの優しい笑顔がなんだかすごく怖い。
うん、ほどほどにしておこう。酒好きの彼女には辛い光景だって失念してた。
「あ、先生、おめでとうございます」
正座をしててもデカい張紹が、空いた僕の盃にまた酒を注ぎに来てくれる。
やはり酒豪の息子は酒豪か。張紹も周囲からお酒を勧められて飲んでいるはずなのに、顔色一つ変わっちゃいない。
すると酒をひと舐めしただけで上機嫌になった兄さんが割って入ってくる。
「張紹殿、気をつけなされよ」
「え、どういう……?」
「この李仁は時によく考えず、厄介事に首を突っ込む性格でな。近くに居ると大変なのだ」
「へへへ、すいやせん」
他でもないこの人にこれを言われたら、こっちも謝ることしか出来ん。
「まぁ、張紹殿は直に我らより偉くなるだろうからな。李仁もあんまりコキ使ってると報復されるやもしれんぞ」
「あっ」
「いやいやいや自分なんて」
そうか、そういえば張紹はあの張飛の息子で、張彩さんの兄である。もう外戚ド真ん中である。
それを考えると劉禅政権で重用されるのは間違いなく、普通に僕より偉くなるであろう人材じゃん。
しかしこの気の良い青年はブンブンと首を振って、重ね過ぎているほどに謙遜を重ねていた。
どうしよう、明日からは敬語で話そうかな。
「さささっ、李仁殿!俺からも酒を注がせてくださいよ!」
すると客人の席からも一人、気の良さそうな見知った顔がニコニコでこっちに駆け寄ってくる。
ちょ、待って。まだ飲んでないから、そんなすぐには飲めないから。
「って、あれ? 費禕殿、なんでここに?」
「日夜、宴席のある場所に飛び込んでは酒を飲んでいるのでね!無断参加なんてちょろいもんですよ!」
「頭おかしいんか」
マジで何を胸張ってるんだこのバカタレは。
しかしこの人当たりの良さと笑顔を前にすると、本気で怒るのも馬鹿らしくなってくる。
兄さんも呆れ顔を浮かべてるだけだし、良いのかな、もうこの人はこれで。
「さささっ、お酌させてください!」
「分かった分かった」
さっき張紹に注がれたばかりの酒をイッキし、空いたそれを費禕の前に差し出す。
度数の低い濁り酒で助かった。僕だってそんなに強いわけじゃないんだからね。
「それにしても来敏殿の件、李仁殿のご活躍は尚書台の方にも聞こえていますよ!丞相も褒めておられた」
「えっ、ほ、ほんと?」
「そういえば丞相が近々、李仁殿と直にお話ししたいと仰られていまして、どうです?」
「勿論!断る理由は無い!」
もしかしたら、あの諸葛亮から直々に褒めてもらえるとしたら。
三国志ファンの血が疼いて疼いて仕方ない。思わず費禕の手をギュッと握っていた。
「分かり申した。では、俺の方からお伝えしておきますね」
「恩に着るよ、費禕殿!」
「ちなみになんですけどぉ、李仁殿は兵法の心得は?」
「え?いや、まぁ、暗唱するほどまではいかないけど、孫子なら読んだことはあるかな」
「それは良かった!」
少しだけ胸がざわつき、酔いが醒める。
そういえば費禕って、急に厄介な仕事押し付けてくるんだよなー、なんて。
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