第28話:劉備は出陣する
劉備は本軍を率いて永安に入り、張飛との合流を果たした。
この荊州攻めの動きに際し、孫権はようやくここで使者を遣わして戦闘回避を模索し始める。
というのも今回の荊州奪取の戦略を主導し、当然、防衛の総指揮を執るはずであった孫権軍大都督「呂蒙」が病によって急逝した為である。
使者として発ったのは、諸葛亮の実兄である「諸葛瑾」だった。
諸葛瑾は孫権の名代として劉備の皇帝即位の祝賀を行うと、次のような書簡を劉備に差し出した。
今、劉備が孫権を攻めて得するのは曹丕のみである。
関羽を失ったことと、献帝から帝位を簒奪した曹丕と、どちらに怒りを向けるべきなのか。
天下のことを考えれば今、我らは戦っている場合ではない、と。
「諸葛瑾、これを"和平を乞う書簡"とは言わん。挑発と言うのだ」
孫権直筆のその書簡を火にくべて、激高する感情を抑え込みながら、劉備は親が子に諭すようにそう告げる。
諸葛瑾としてもこの書簡が劉備の怒りを買うことなど分かり切っていた。
故にただその場に平伏すより他は無かった。
「貴殿は孔明の兄。これまでも劉家と孫家の関係を取り持つよう、粉骨砕身してこられた。それがなければ、今ここで叩き斬っていたところだ」
剣を抜き、平伏す諸葛瑾の耳元に剣を突き立て、劉備は腰を下げる。
周囲はぐるりと劉備軍の猛将が取り囲んでおり、諸葛瑾は荒い息で額をひたすらに床へ押し付けた。
「孫権は荊州の返還を望んでいないのだな」
「は、はい。されど陛下が軍を退けていただけるなら交渉も、いえ、私が命を懸けて交渉の機会を設けましょう。なのでここはどうか、冷静なご判断を……」
「勘違いをするな。荊州全土の返還は、こちらの最大限の譲歩だ。それすら飲めぬのか、と聞いている」
ただただ穏やかな声色が余計に恐ろしかった。
諸葛瑾はもはや返答することが出来ない。
劉備はじっくりとそんな諸葛瑾を見下げ、そしてそのまま諸葛瑾を幕営からつまみ出すよう衛兵に命じる。
交渉は決裂した。戦だ。
劉備は床に刺していた剣を抜いて鞘に納め、上座の床几にドカリと腰を下ろした。
「李朝、朕の大義を天下に広く知らしめる檄文を作成し、流布せよ。お前の筆で百万の人間を動かすのだ」
「御意。臣の心血を一本の筆に注ぎ込みまする」
「後詰は趙雲、李厳。趙雲は軍を、李厳は兵站を担え」
「陛下、臣にも戦働きをさせていただけませぬか」
趙雲は一歩前に進み出るが、劉備は右手を出してそれを押し留めた。
隠しもせず、正直に無念の感情が顔に出ている趙雲。劉備はそれを見て、思わず笑みが零れた。
「お前は後詰だ。背後を預けるは信頼の証ぞ。何かあれば、お前が朕を救いに来い」
「……御意」
「先鋒の総司令官は、益徳!お前に全権を委ねる、好きに暴れてこい!」
「おう!関兄の無念、この手で晴らしてくれるわ!」
「お前の麾下に、呉班と廖化の部隊を加える。呉班は水軍を、廖化は荊州から逃れて来た雲長の兵を率いる。上手く用いよ」
そして勿論、本軍を率いるのは蜀漢王朝の皇帝「劉備」である。
戦争の指揮官の強さは、どれだけの戦争を指揮してきたかという経験値がものをいう世界。
つまり今や劉備は、天下で"最強"の将軍だった。乱世を潜り抜けてきた百戦錬磨の名将である。
そしてその麾下には将来を担う若く有望な将校がずらりと並び、軍功を挙げんと才気を剥き出しにしていた。
あの劉備に、自分の働きを見てもらえるのだ。奮起しない軍人など居ない。
今この時この場所こそが時代の中心である。劉備軍の将兵は皆、それを信じて疑わない。
「そして黄権。お前は別動隊を率い、戦を避けながら北岸より進軍せよ」
黄権、現在の蜀漢王朝において益州出身者の筆頭格と目される人材である。
その性格はとにかくクソ真面目。
謹厳実直を絵にかいたような将軍であり、その戦術眼は一部の隙も無いほどに緻密。
劉備は荊州を奪還した暁には、この黄権に関羽の後任となる荊州統轄の任務を預けようと考えていた。
荊州に基盤を持つ諸葛亮が益州を、益州に基盤を持つ黄権が荊州を回し、政権のバランスを保つのだ。
「お前の任務は官僚集団の護衛だ。荊州奪取後、お前の部隊が迅速に荊州の運営にあたることとなる。準備をしておけ」
「もし、陛下。この黄権に、もしくは張飛将軍に本軍の指揮を預け、陛下が後詰となる策は如何でしょうか」
「何故だ」
「此度の戦、孫権も死に物狂いで抵抗してきましょう。戦は常に防衛側が有利であり、益州から荊州へ出る道も細く攻勢には不向きです。となれば陛下を危険に晒すわけには参らず、ここは誰かほかの者に指揮権をお預けくださいませ」
またこれか。黄権は事前の戦略段階からこの方策をしつこく劉備に進言していた。
その度に断っているのに、この頑固さには困ったものだと劉備は頭を抱える。
「この戦いは、俺のものだ。誰にも譲らんぞ、黄権」
「そういうことではなくてですな、これは戦なのですからあらゆる事態を想定せねばならず、避けられる危険は避けるのが当然の話でございます。そもそも陛下の御身はこの世で最も尊きものであるというのに、自ら兵を率いて出征するなどということが危険極まりないという話で御座いまして」
「あー、本当に長々とうるさいなお前は!何度も断ってるだろ!」
「それでも胸に良策があるのなら、何度でも進言するのが臣の役割と心得ておりますれば!」
劉備より前に益州を治めていた劉璋政権。黄権はその劉璋配下の将であった。
この口煩さ故に劉璋から遠ざけられ、それでも寡兵ながら劉備軍に最後まで降伏しなかったのだ。
劉備政権に加わってからは、私怨なども一切なく、誰よりも真面目に働く姿に劉備は心底感服した。
故にここまで口煩く諫言をしても、劉備は黄権に処罰を加えようという気持ちは毛頭なかった。
「黄権、これはこの劉備の戦だ!良いな!!」
本当に渋々という顔で黄権は嫌々引き下がる。
趙雲は脳筋だが、黄権は知恵がある。こういう説得は黄権の方が大変だった。
「者共、これより出陣する。目指すは孫権の首ただひとつ!」
時は二二一年、夏。乱世が生んだ時代の寵児は、ここに開戦を告げる。
三国志において「夷陵の戦い」と呼ばれる決戦が、始まる。
・黄権
劉璋政権にあっては「劉備の入蜀」に断固として反対し、劉璋の不興を買った。
すると黄権の予想通り劉備は劉璋に矛を向け、それでも黄権は最後まで降伏しない健闘ぶりを見せた。
劉璋降伏後に劉備に帰順。以降は劉備に重用され「定軍山の戦い」の戦略を主導。
夷陵の戦いで劉備が破れると帰還叶わず魏に亡命するが、なおも劉備に忠義を向けていた。
---------------------------------------------------------
面白いと思っていただけましたら、レビュー、ブクマ、評価など、よろしくお願いします。
評価は広告の下の「☆☆☆☆☆」を押せば出来るらしいです(*'ω'*)




