第17話:李仁は万歳を三唱する
「──皇帝陛下、万歳、万歳、万々歳!!」
戦争映画や異国の軍事政権のニュースでしか見ない様な、国家元首を崇める大合唱。
まさか僕もその中の一人となって声を振り絞ることになろうとは思わなんだ。
劉備政権に与する文武百官がずらりと並び、劉備の皇帝即位を祝う儀礼祭祀。
勿論、僕は末席にあって肝心の皇帝陛下(劉備)は点のように小さい。
「李仁殿、学士は上席に皆並んでいるのに、なぜこんな場所に」
「言わないでくれ、董允」
皇帝の即位に正当性を求めるためには、礼式に則った「正しき手順」を踏まえる必要がある。
しかし漢代のその正しき礼式というのは、乱世の中で絶え絶えとなってしまったとされる。
そこで天下の有識者を集めて、古来からの正しき儀礼祭祀を整え直す必要があった。
ちなみにその「有識者」には兄さんも加わっているわけなんだけど、僕は御覧の通りです。
「ほら、僕の専門って経書とかじゃなくて実学だから」
「仲間外れにされてるのか?」
「はっきり言わないでよ、そうじゃないと思っていたいんだから」
現代日本人の感覚が抜けない僕は、どうにも経書やら小難しい儒学の話は肌に合わなかった。
でも逆に医学や天文、算術、工学。
そういった「実学」はすんなりと受け入れられたのよね。
とはいえそんな奇特な人はやっぱり珍しかったのか、学士なんだけど変人扱い。
逆に学士じゃない人達からは学者として見られるから。うん。友達が少ないのはこのせい。
「されど、この即位の前には来敏殿も釈放されると思っていたが、叶わなかったな」
遠くの劉備を見つめつつ、僅かに落胆の色の滲む声で董允は小さく呟いた。
僕もそれは思っていた。でも、そうはならなかった。
この国の一番の学者が、即位の式典に一切関わっていないというのは異常なことだった。
やはり本気で劉備は来敏を殺すつもりなのだろうと、誰もがそれを予感できるほどに。
『──お待ちくだされ!恐れながら前部司馬が"費詩"、諫言申し上げる!!』
突然、百官の中から一人、飛び出していった人がいた。
あれは益州人の中でも弁舌にかけては随一と評されている「費詩」という官僚だ。
走る緊張感と、静寂。
しかし遠目ながらも劉備に動揺は一切見えない。
そしてその費詩はあっという間に衛兵に取り押さえられるが、その舌はなおも止まらない。
『殿下!今、曹賊(魏)が漢室を簒奪しつつある中、天下万民は怒りに震えて御座います!なればこそまずは賊を破り、その後に即位なさるべきです!それもせず帝位に昇るは私情と見られ、万民の心に疑念が生じましょうぞ!!』
四百年の長きに渡って続いた「漢王朝」の血脈。
劉備はその血を引く者であり、故に漢から帝位を奪った魏を認めないという意思を見せなければならない。
この即位の儀式は、その意思表明。
立場上やらなければならないことであった。
勿論、費詩のこの主張は正しい。しかしそれはあくまで理想論。
現実を見るのであれば、今更それを言ってもしょうがないという気がした。
じゃあ、何故だろう。
時勢を読めない人ではないだろうに。
するとそのまま費詩は衛兵に引きずられながら、乱暴に連行されていった。
騒ぎが治まると、酷い静寂が辺りを満たす。
唾を飲み込むことすら憚られるほどに。
『卑しくも、曹賊は天子を弑し、漢を簒奪した』
劉備は静寂の中、剣を天に掲げて語り出す。
決して大きくはない声。しかしどこまでも届くような声だ。
『朕は漢の命脈を途絶えさせない為にも、今、ここで帝位を継承することを宣言する』
文武百官、揃って平伏し、地に頭をつける。
ただ一人劉備だけが顔を上げ、雲に隠れた太陽に向かって剣を掲げていた。
『よく聞け、最初の勅命である。朕は、孫権と共に天を戴くことは決してない。盟約に背きし不義の孫権を討ち、その後に魏を討つ!』
費詩の諫言が脳裏によぎる。
恐らく僕だけじゃなく、この場に居る全員が同じことを考えたはず。
漢の帝位を継承したのであれば、大義名分はそこにはないだろう、と。
先に、曹賊を討つべし。それをしないのであれば、その勅命は私情である。
でも口には出さない。出せない、当たり前ながら。
僕も周りの人達も、ただただ平伏して万歳三唱を唱えるしかないんだ。
こうして皆が胸に不安を抱いたまま、即位の儀式は曇り空の下で幕を閉じた。
そして次は、戦だ。劉禅から聞いた来敏処刑のタイムリミットまであと僅かとなってしまった。
「暗い顔をしてるじゃん、二人ともっ!」
無言のまま帰ろうとしていた僕と董允の間に割って入ってきたのは、費禕であった。
なんだか久しぶりに顔を見た気がするな。
今は東宮から離れて、諸葛亮さんの下についているんだっけ。
「兄貴、そういえば尹黙殿が儀礼祭祀の準備に忙しい中、よく東宮を切り盛りしてくれているなって軍師殿も褒めてたよ」
「そ、そうか、ふふん」
分かりやすいな、董允は。鼻の穴を広げて、口角を上げたくて仕方が無いって顔をしている。
えーっと、それで、僕のことは何か褒めてなかったのかしら?
「どしたの、李仁さん。俺の顔に何かついてる?」
話題にも出ていないらしい。とほほ。
すると少し元気が出たのか、董允はその厚い胸板に費禕の顔をグッと抱き寄せる。
「そういえば費禕、お前はいつ東宮に戻ってくるのだ?」
「いやぁ、俺も早く戻りたいんだけど忙しすぎるんだよね。たぶん戻れないんじゃないかなぁ」
「まぁ、陛下も戦をすると言っておられるしなぁ」
「そーぉなんだよねぇ。そういえば俺の東宮の仕事は、今は李仁さんが?」
「あ、うん。あと兄さんも忙しそうだから"太子僕"の仕事も僕が」
うん、とにかく人員が足りなさすぎる。しかも実学の講義は基本的に僕のワンオペだ。
授業にテストの採点に部活動の監督をしていた前世を思い出す。転生後も休日返上の激務とはこれ如何に。
「じゃあちょっと心苦しいなぁ」
「え?」
「太子様の信任が厚い李仁さんに、すこーしだけ頼みたい仕事があってね。兄貴、李仁さん借りて良い?」
「困る、本当に困る」
「大丈夫だって。兄貴は凄いんだから!よっ、天才!筋肉無双!」
「……少しだけだぞ。すぐに返してくれ、これ以上の人員不足は本当に無理だからな」
董允、この調子でお金とか簡単に人に貸しちゃうんじゃないか?同僚として心配だぞ?
こうして董允の胸板から抜け出した費禕に、僕はそのまま連れていかれることに。
あ、拒否権とかは無い感じ?
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