第11話:劉禅は教えを請う
──私は、劉禅は、どうすれば『名君』になれるのかを。
難しい問いであった。
何をもって名君というのか、民主主義を掲げる現代日本からの転生者には荷が重すぎる話だ。
どう答えたものか。今、もしかすると自分は歴史の岐路に立たされているのかもしれない。
だからこそこうして手が震えるのだろう。
この先、数千年の単位で「暗君」と呼ばれることとなる男、劉禅。
果たして彼はどう生きれば名君と呼ばれたのか。
いくら考えたところで、こればかりはどう足掻いても無理な話だった。
それだけこの国の行く末というものは暗い。
劉禅一人が左右できるものではなかった。
だけど今更その"問い"から逃げることは出来ない。
僕もその問いに、劉禅と共に正面から挑んでいくしかないのだ。
「なぁ、費禕よ。お前は諸葛亮殿の覚えがめでたい。儂のことをあの御方はどう評しておる」
「それは勿論、四海に轟く学識を有する当代きっての大人物であると思っておりますよ!故にこの"次世代の中核"たる東宮をお任せになられたのではありませんか!」
喜んでいるのか、それとも釈然としないのか、来敏は眉間に皺を寄せながら揺れていた。
心地の良い演奏も流れ、酒も進む。一向に酔いは回ってきていないが、もう仕方がないと諦めよう。
そして寝ている尹黙兄さんをそのまま放っておき、席を立つ。
それぞれの卓の面々に軽く会釈をしながらするすると抜け、そして隣の別の客間の戸を叩いた。
「若君」
静かに開かれたそこには、真っ青な顔をした劉禅が立っていた。
緊張しいな内弁慶の中学生。分かる、分かるが、これは自分で決めた道なのだ。
「行きましょう」
「少し、もう少し、時間をくれないか。李仁、あと私は何を話せばいい?」
「来敏殿に教えを請うのです。先の講義での自身の非礼を侘び、礼を尽くし、来敏殿に教えを請いたい、と」
「……私は、王太子だぞ。その振る舞いはあまりにも」
「若君、名君とは何かと、臣に問いましたね。この問いに明確の答えなどありませんが、一つだけ確かなのは『人の上に立つ者は人を動かせる者』でないといけません。そのために必要なのが、法と徳に御座います」
規則によって人を動かすか、心を掴んで動かすか。
法と徳、古代中国の二大政治思想と言える。
この三国時代において、恐らく覇者たる"曹操"は法の人。
そして"劉備"は、この分類であれば徳の人だろう。
「今、若君に説いたのは徳の方策です。かつて漢中王殿下が、無位無官の若造であった諸葛亮殿に頭を下げて仕官を乞うたのと同じように、若君もこうして人の"心"を動かしていくのです」
「もう一つの方策も、聞いておきたい」
「法は、従わなかった場合に罰則を与える形のもの。先日の来敏殿の無礼な発言をこの場で大々的に告発し、捕縛し、免職になされませ。そうすれば東宮で若君に逆らう者は居なくなりましょう」
恐らくこの乱世で覇を唱えたいのであれば、後者が望ましい。
だがこれは修羅の道だ、おおよそ人の道ではない。
頂点に立つ劉禅自身に圧倒的な才覚と資質が無ければ、ただの暴君として国を崩壊へ導くこととなるだろう。
それに子どもにそんな道を提示するのは、大人の、ましてや教師のやるべきことではない。
そして劉禅自身も後者は望んでいない様子だった。そうだ、それでこそ「劉禅」だ。
「さぁ、若君」
「……李仁、お前はついて来てくれるのだな」
「勿論です」
「分かった。わ、私から、決して離れるでないぞ」
恐怖に震えつつも、一歩を踏み出せる勇気がある。
それはあの頃から変わらない、この子の持つ美徳だ。
服の裾を引かれながら宴会の場に戻ると、劉禅に気づいた面々が赤ら顔のまま慌ててその場に平伏していった。
劉禅は「気にせずに」と笑いながらその間を抜けて、上座の卓へ真っすぐに向かっていく。
「……これは、王太子様」
来敏は相変わらずの不機嫌な様子で、本当に「とりあえず」という表情を隠しもせずに浅い一礼を行う。
もう本当にこのジジイは、って呆れていたけど、あれ?これ劉禅じゃなくて僕を睨んでるよな?
「これもお前の小細工か」
「そ、そうです」
来敏に睨まれる僕を不安そうに心配しつつ、劉禅は間に割って入った。
「来敏殿、こ、これは私が願い出たのだ。どうか先生にまた教えを請いたいと、そう願って李仁に相談をしたのだ」
「そう言えと李仁に言われたのですかな」
「違う、違う!」
流石に可哀想になってきた。
怖すぎるんだよ、顔も、態度も、このジジイは。
見ていられないと思った、その矢先だった。
視界の端でむくりと起き上った尹黙兄さんが見えた。
兄さんは僕を見て、ただ静かに首を横に振る。
そしてまたうつらうつらと目を閉じてしまった。
「も、もう一度、私に講義をしていただけないか」
「お断りいたす」
「そんなっ、どうしてっ!」
「まだ分からぬか。だから嫌なのじゃ。儂はあの講義の時間が、あまりにも苦痛じゃった。尊厳を踏みにじられるような思いじゃった。学者として高名を馳せたこの頭脳は、何のためにあるのかと。死にたくなった」
来敏は鼻で笑いつつ、塩ゆでしたえんどう豆を口に放り、そして酒を煽る。
教師時代を思い出す。
確かに話を聞かず、自ら学ぶ意志を微塵も感じない生徒に授業をしていたあの時間は、耐えがたい苦痛だった。
そういう生徒ばかりではないからこそ耐えられたが、来敏と劉禅の講義は一対一。
しかも来敏はこの時代きっての学者である。その誇りと自負もある。
故に、その苦痛も人一倍であろう。
「太子様、悪いことは言わぬ。早くこの来敏の職を解くよう願い出ることじゃ。儂はもう二度とあのような惨めな思いをしたくない」
「……」
少しうつむいたまま、劉禅は握りしめていた僕の服の裾から手を放した。
するとそのまま床に膝をつく。僕も来敏も、そして周りの者達も皆その光景に目を丸く剥く。
「先生、非礼をお詫びします。申し訳御座いませんでした」
「なっ、太子様、なにを」
「私は父と比べるべくもない、未熟な人間です。しかしこんな私を英傑の器と呼び、諦めずにいてくれた者がいる。私はその思いに応えたいのです。どうかもう一度、私を導いていただけませんか。お願いします」
東宮の主だった面々が集うこの場で、太子が自ら頭を下げた。
流石にこれは来敏も予想外であったらしく、その大きな頭を冠ごとバリバリと搔きむしる。
すると酔いが回っている費禕は笑いながら、不躾に来敏の肩をポンポンと叩いた。
「来敏殿、これはしてやられましたな」
周囲からも笑いが起き、劉禅だけが何のことだと呆気に取られて、僕に助けを求める目を向ける。
「はぁ~ッ、太子様!明日、お望み道りにもう一度だけ講義をしましょう。心を入れ替えたその意識が見えねば、もう次はありませんぞ」
あの来敏が折れた。
周囲は歓喜の声を上げ、劉禅は涙を流しながら何度も頷いていた。
ほっと、胸を満たしていた息苦しさが消えていく。良かった。本当に良かった。
ここからだ、ここから一歩ずつ頑張っていこう。そんな希望を抱けるような、楽しい夜であった。
しかし、その待望の翌日は来なかった。
稲妻が走るように、ある一報が天下を駆け巡る。
関羽の死。
時代は大きなうねりの渦に呑まれて行く。
・法治と徳治
三国志の後に訪れる乱世、五胡十六国時代に「王猛」という名宰相が居た。
彼は徳治を望む主に「徳治は平時に向きます、されど世が乱れた時は厳格な法こそが肝要だ」と主張。
現に曹操も諸葛亮も厳格な軍規によって乱世に望み、名を馳せた英傑であった。
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