第9話:劉禅は「名君」になりたい
多種多様な"なんとかハラスメント"が叫ばれて久しい昨今。
新入社員への配慮によって多くの企業では飲み会文化が下火となっていったとか。
すると上下の人間関係は希薄になり職場という空間は更に無機質なものに。
なーんて話を聞いたことがある。因果関係があるかどうかは分からん。
まぁ、そもそも職場の飲み会にすらあんまり誘われないし、誘われても断っていたであろう自分には関係がない話だ。自分で言ってて悲しくなってきた。
なんて思っていたんだが、やっぱり必要なのかもしれない。
ここは単なる職場ではなく、政界の場でもある。
となれば宴会なんてやった方が得だろう。人付き合いと根回しこそが政治の本質だ、なんてね。
「というわけなんですが、董允さん」
「確かに東宮の空気はいつも張り詰めていて息苦しい。しかし国の余裕もない中での宴は、良い気はしないなぁ」
「単純な贅沢をしようというわけではなくてですね」
「ぐぬぬ、みんなで裸になって"仲良し力試し大会"でもすればいいだけの話ではないのか……?」
「あー違う違う、急に頭の悪そうな大会を開催しないで?」
曲がったことが大嫌い、堅物努力筋肉マンこと董允さん。
不真面目なことが嫌いな彼は当然、この飲みニケーションについて怪訝な表情を示した。
しかし来敏さんのあの態度を何とかしないといけない、って思ってくれているのも確からしい。
ところでそのバカみたいな大会は何なんですか?
「それでこのこと、尹黙殿には?」
「僕から話しておきます。来敏さんのあの態度のせいで仕事が増え、兄さんも困っているので承知してくれると思います」
「であれば仕方あるまい。ならば手配の件、こういうのが得意な知人が一人いる。そやつに話しておこう」
「ありがとうございます!」
「それと引き換えに、と言っては何だが、ひとつ頼まれてはくれないか?」
一難去ってまた一難。
また何か厄介事かと、難しそうに唸る董允の顔を見て嫌な予感がした。
「どうやら太子様がまた宮中に引きこもって塞ぎ込んでいるみたいで。李仁殿、どうにかしてくだされ」
なんだなんだ本当にもう。
昨日はあんなに元気だったじゃないか!
◇
しかし、どうして僕なんだろうか。いつもの講義の部屋で、窓の外の灰色の空を眺める。
聞けば劉禅は昨日から宮中に入ったまま、誰であろうと面会も難しいらしい。
でも僕だけは名指しで呼び出してくれても問題ないとのことであった。
だから董允は僕に「頼み事」をしたわけで。
懐かれているとは自分でも思っているけど、重ねた年月はまだ浅い。
「……すまない、待たせたな」
「若君」
びっくりするくらい静かな足音で、するするーっと部屋に入ってきた劉禅。
慌てて平伏してその顔を見ると、何だか申し訳なさそうに目を伏せ、もじもじとしている。
昨日のような生意気な顔は見えない。
というか尹黙兄さんほどじゃないけど、何だか眠そうだな。
「どうなされたのですか若君、体調が優れませぬか?」
「いや、まぁ、眠いだけだ。すまない、心配をかけた」
何があったのか。直接そう聞けばいいのだが、これが中々に難しい。
話したくないことだってあるし、劉禅はまだ中学生で、そして王太子だ。
簡単に踏み込んでいいわけがない。
でもなぁ、こういうときってだいたい「聞いてほしい」って思ってることも多くて。
乙女心うんぬんというより、人の心がそもそも難しい。よし。
「……若君、訳をお聞きしても? いや、話したくないなら全然かまいませんので。話したくなったらその時に」
「相変わらず、困った顔が面白いな、李仁は」
褒められているのだろうか。
いや、舐められてるのか。
「訳は、そうだな、昨日の来敏の話だ」
「……聞いて、いたんですか」
困ったように微笑む劉禅。一瞬で全身から血の気が引き、床に頭をつける。
昨日、来敏はとんでもないことを言っていた。時の王太子の器量について、散々に罵っていたのだ。
それを当の本人に聞かれていたとあれば来敏は勿論、同席していた僕も罪に問われるかもしれない。
しまった。気を抜いていた。ここは三国時代、ひとつの失言が命取りになる世界なんだ。
「別に落ち込んではいない、私がそんなこと一番よく分かってるんだ。父上と私なんて比べることすら憚られる」
「い、いや、それは」
「来敏だけではない、この国の者は皆そう思っているし、私もそう思っている。正直に口に出すだけ来敏の方がずっと清々しい」
劉禅の小さな手が、伏していた僕の肩を叩く。優しく、静かな手であった。
そこには一切の害意もなく、顔を上げるとやっぱり劉禅はまだ困った笑顔のままだった。
背負っているものが違い過ぎる。
その宿命が、子どもにこんな笑顔を浮かべさせるのだろうか。
「でも、嬉しかったぞ李仁。世辞でも、私を庇ってくれてありがとう」
「世辞では御座いません。覚えておられないと思いますが、自分は若君と出会ったあの日から」
「覚えている」
「え?」
「お前と初めて会った日のこと。母上との約束。忘れるはずがない、ずっと、ずっと、覚えていた」
震えながらも強く抱きしめてくれていた母の温もり、いつも自分を守ってくれていた忠臣の輝き。
そして、怖くて仕方なかった自分の頭を撫でてくれた、一介の兵士であろう男の優しさを。
「皆、私の背後に父上を見る。だが母上と趙将軍、そして李仁。あの日の三人だけは私を真っすぐに見てくれていた。だから李仁、お前のせいだぞ」
「自分の、せい?」
「お前があのように私を庇うから、嬉しくなって、お前の言う"英傑の器"にならなければならないと、本気で思ってしまった。だからお前のせいだ。責任を取ってもらおう」
「いや、その、責任と言いましても、自分はこれからも変わらず若君のために力を尽くす所存ですが」
「であれば教えてくれ」
「──私は、劉禅は、どうすれば『名君』になれるのかを」
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