09「悪夢 九」
◆
メテウスの足が棒になったころ、会議が終わったのだろう、場の空気が弛緩しがなり合っていた大男たちが慌ただしく外套をひっかけて出ていく。
「ハヴォックのガルレア! 来い!」
すぐさま大声で呼び出された。
神経質そうな細身の男が手招きしている。
自分は関係ないとして、メテウスが片隅によると、少女に手を引っ張られる。
「ほら、なにをしてるの? ついてきなさい!
いい? 優しい私と違って、将軍のロワットラ様に生意気いうと殺されるわよ……背筋を正してついてきなさい!」
──殺されるって……そんなことあるか?
だが、冗談とも思えない。ガレアーンという少女は生真面目な気質があり、無駄に自分のような下男を脅すわけもない。
いかにも従者ふうな顔でトコトコついていく。
上座で待ち構えていたのは、若い女だ。壁に張り出された地図を眺めている。
亜麻色の髪を背に垂れないほどの短さに整えており、装いは簡素ながら戦場の貴族らしい。腰に色鮮やかな曲剣を差しているのが目立つ。
女は手を広げてガレアーンを抱きしめた。
「ガレア。久しぶりだな。一年ぶりか?」
「はい!お久しぶりです、ロワットラ様!」
メテウスは妙な感覚を抱いた。
ガレアーンと旧交を温めている女は、つまるところ〈ブウェイック家〉の人間なんだろう。この戦争の味方側の親玉だ。
若さもあいまってお飾りの将軍職に祭り上げられた貴族の娘……とは思えない。
どう見ても精力漲り、場慣れしていた。温和な笑みを浮かべているが、目じりの鋭さに残忍な印象がある。貫禄があった。
メテウスは嫌な気分になる。
親し気な、オレンジの瞳が妙な光を放っていた。
これは強いエーテル使いによくあることで、髪や瞳に属性色が染み出るということは、そのぶん物質界よりも形而上の奇跡に親和性が高いことを意味している。だが、それだけではない。どこか淫蕩な……血に泳いで酔う蛇のような瞳をしているのだ。
メテウスはバロート人貴族のことを詳しくは知らない。だが──
──どうみても人殺しの女だ、こいつは。
「ハヴォック家の、それもガレアの初陣を任されるとは、わたしも喜ばしい! さっそく役目を与えたい」
「光栄です! 遅ればせながら、初陣の私を麾下に加えていただけたこと、父に代わって礼を申し上げます!」
「よせ。従姉妹だ。実の兄弟ときたら人間よりも熊や蛇に似ている。ともすれば従姉妹のおまえこそ、かわいい妹のようなもの。存分に期待している」
「はい!」
これは、思ったよりも暖かく迎えられていて……ブウェイック家の将軍と血で繋がっているガレアーンは、メテウスが思ったよりも高貴な血筋だ。
バロートは広い、下手な王国の王族よりも高貴な血筋ではないか?従者一人きりをつけられ戦場にほっぽりだされた貴族の娘なんて、半ば義務で戦に出され、死んでもよいものとして放置されていると誤解していた。実態はメテウスの想像と大きくずれがある。
「さて──どうせなら重要な任務を与えたいと悩んでいた。世の貴族ときたら、護衛に守られたまま雑兵を切り刻んで初陣をすませたと言い張る腰抜けが多いんだ。レアにはそんな不名誉を与えたくないからな……死ぬかもしれないが、果たせば名誉がある。そんな素晴らしい任を与えたい。いいな?」
「め、名誉……わかりました……ありがとうございます!」
うん? メテウスはいぶかしんだ。
なんか、話の旗色がよくない。
名誉とか空想上のワードが飛び交っている。
──これ、本当に困難な死地に送りされようとしてないか?
「それでこそバロート人。それでこそ戦士だ。
蠅斉天がみておられる。おまえも戦士になると決めたのだから、死ぬまで戦うほかない。それが一度目であろうと百度目であろうと最後は戦いのなかで死ぬと決まったのだから、我々は幸せ者だ。〈戦神スモルク〉がご照覧あられるなか、供儀の戦で、名誉のために死ねる。同胞よ、そう思うと気分が晴れ晴れとしてくるだろう?」
「は、はい……? はい! はい……」
「緊張がほぐれたようだな。よし、実務の話をするか……」
この将軍の女、声色にも妙な威圧感がある。おいそれと否といえない雰囲気だ。
もう露骨に戸惑って〈はい〉以外言えなくなったガレアーンすら、さきほどまでの小生意気な態度は息をひそめ、哀れなほどに緊張していた。
──これ……ガチのやつか……? というか……おれは勘違いしていたのか?
メテウスはいまさらながら己の思い違いに気づいた。
バロートでは無暗に戦士が称賛されるし、戦意高揚のためのスローガンみたいなノリで、「戦士だ」「名誉だ」と言っているのだとばかり考えていたが、事態はそう簡単ではなく。
戦神信仰がまずあり、高位の貴族は半ば戦神への供物として戦を捉えているというのが真相のようだ。
一例しかみていないが断定はできないが、少なくともロワットラという女はマジだ。
──普通、逆じゃない? 下っ端を戦わせるために戦神とかお題目を掲げて突撃させてるほうがむしろ健全じゃない? 建前と実態が反転している。侵略や略奪のために戦してるほうがまだ人間味あるんじゃない?なんだよ、供物としての戦争って……蛮族すぎる……。
メテウスが孤狼児となって絶え間なく戦に繰り出されていたのも、そうして考えれば筋道が通った。
永遠に内輪で骨肉の争いを繰り広げる蛮族だと馬鹿にしていたが、それは的外れ、むしろメテウスの想像を超えて蛮族で、戦そのものが目的の一つなのだ。
──人間は神々の駒であり、信仰はときに合理を凌駕する。
──バロート。
──この民族は数百年前まで、一つの王国であったと伝え聞く。
北方バロートの大地に、古バロート王国があり、バロート人がいた。滅んだが。
そうして大昔に崩壊した古バロート王国の遺産を引き継いだ五大血族が統治していて、年がら年じゅう内戦と外戦を繰り返している。
というか大昔は十九の高貴な血族だったというから笑えない。五大血族にまとまるまで血の編纂がすんだあとも、まだ争っているのだ。
数年も過ごしていれば風土は理解できた。
厳しい冬に穀物の育たない痩せた土地、牧畜で養える人口を超えているため、役立たずはあっさり殺される。
都会では見たこともない野蛮な神が信仰されていたりする。泣く少女からとりあげられた乳児が、粗末な祭壇に備えられ、神への供物にされて消えるのを何度も見た。口減らしのための祭壇が標準で街に備え付けられているという事実にメテウスはビビった。
その酷薄な価値観は出自が関係しているのだろうか?
バロート人は古には遊牧民としてこの枯れた大地で牧畜を営んだ。適応した百種に満たない植物しか育たない土地では、畜産を営む民だけが生き残れたのだろう。
やがてなんとか育つ芋を発見し、定住民として王国を築いたあとも、半分は遊牧民のままだ。いまだ馬に乗って矢を射る戦士の文化が貴ばれ、重税は兵士を出せば減免されるうえ、痩せた村で芋を育て満足に食えず生きるよりも、万一にかけて男のほとんどが戦士になることを望む。男の半分が戦で死ぬ土地なのだ。
「で、そいつが即席の従者か? 顔を見せろ」
ハッとする。
話題がメテウスに移り、注目されていた。顔をまじまじと凝視され、必死で無表情に保つ。
「顔立ちはここらの生まれだな。だが、その緑の目……混じり物か。うん?怖がっているのか? 孤狼児にしては賢いな」
「怖気付いているの?情けない」
「我慢しろガレア。臆病者でも馬鹿よりはましだ。馬鹿は街では生きていけるが戦場では味方を殺す。とりあえずいま殺す必要はなさそうだな」
「……そうかも」
──このアマども。手足を切り落として娼館に叩き売るぞ。不可能だが……
メテウスの内心は穏やかではないが、好き勝手無茶苦茶言われても波風立てる時ではない。
「ガレア、手下を教育したことはなかったな?
孤狼児と侮って土壇場で裏切られでもしたら死ぬ。
一つ、試しておけ。
道の確認も必要だ、今日はヘリケーなしで、そいつを連れて偵察に出ろ。ちゃんと前を歩かせろよ。戦闘になったら一人で帰ってこい」
翻訳すると地雷原を先に歩けということだ。メテウスは脳内で罵声を巻き散らかした。
「わかりました。でもこいつ、名誉な任だというのに、あまりやる気が見られません。どうすればよいでしょうか?」
不満顔をする少女に、ロワットラは笑いかけた。
「大丈夫、こういうのはコツがあるんだ。
おい、使い勝手が悪いようなら最前線で肉壁に回すぞ。どうだ孤狼児、やる気がでてきたんじゃないか?」
「……はい! ありがとうございます!」
やけくそである。
なのに、静寂が耳を傷めた。
ロワットラは、蛇に似た瞳でじっとりとメテウスを見つめた。
粘液質の視線がメテウスの体にへばりつく。
「なあ、本当にやる気があるのか? どうなんだ? 別のやつを使ってもいいんだぞ? 使い物にならないやつを私がどうするか知りたいのか?」
──目がマジだ。
メテウスの脳はフル回転し、恐ろしい女の目を見つめ返した。
自分より強いやつの意図を察することができないようでは、メテウスは傭兵として生き残れはしなかった。
「──勿論です! 自分のようなみなし子に、名誉ある役目まで与えられて望外の光栄であります!大恩あるブウェイック家にすこしでも恩を返すため、命をかけさせていただきます! ブウェイック家に栄光あれ!バンザーイ!」
──白目になってバンザイまでする。ヤケクソで返事するメテウスを胡散臭そうに全員が眺めていたが、この女が求めていることはこういうことだという確信があった。
ロワットラはうんうんと頷く。
「ほら、やる気が出た。こうして手下を教育するのが指揮官の務め。こいつ、いまなら靴でも舐めるぞ。舐めさせるか?」
「えぇ……はいぃ……いえ、舐められても……」
「冗談だ、ハハッ」
ガレアーンですらドン引きしている。
話がまとまり、出発することになった。この場では殺されなかったのでうまく乗り切ったのかもしれないとメテウスは考え直した。
──想定していたよりも、バロート貴族は理不尽で恐ろしい。俗世の恫喝と違って、暴力を飛び越えていきなり殺されるという空気がひしひしとある。蛮族どもめ……。
流されるままに孤狼児として生きていたが、いよいよ逃げ出し時を探らなければならないのかもしれなかった。




