「贄なるもの 二十七」
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──過去は幻影のように繰り返し顕れる。意味などまったくないというのに。
◆
「ああメルディウス。来なさい、話がある」
「はいご主人さま」
奴隷として働きはじめて数年たったある日、顔しか知らない主人に呼び出された。自分は使用人に雑務を命じられるだけの奴隷だから、屋敷の主人に名前を覚えられているなんて、と、いやに驚いたのを覚えている。
髭を整えた小太りの主人は、肩を掴んでこう囁いた。
「戦争やっとるのは知っとるな?」
「はい」
「悪いが街に食うもんがないんだな、これが。おまえに食わせるもんがない。よって解放する、明日には出て言ってもらう。本当にすまんな」
「……えっ?」
持ち主が奴隷を飼う余裕を失ったうえ、売ることもできないとどうなるか?
大きめのパンを選別に渡され、屋敷を追い出され、乞食となった。
あの屋敷には犬がいた。大人の奴隷に同情的な目で見送られるなか、犬の遠吠えが聞こえた。犬よりも奴隷は価値が低いと、そのときになってようやく実感した。
人間なんて、とくに意味もなく生まれて簡単に死ぬものだって、馬鹿な自分はようやく実感できた。
別に恨んじゃいない。
どうせ死ぬとわかっている奴隷にパンをもたせる程度には人間味があり、懐いた犬よりは惜しくなかった。それだけだ。
素直な子供だったはずだ。なんせ、反抗する経験も、余計な知恵もなかった。
ただ、どんなにまともに奴隷として働いたところで、意味などなかった。子供の奴隷など大した値のするものでもない。戦乱が治まったときに別の奴隷を買えば節約になる。それだけだ。世を恨んでみてもよかったが、後からよくよく考えると、恨んだりできるほどの因果すらなかった。自分に特別な慈悲を与えなかったというだけで何かを心底恨むことなどできはしない。
行くあてなどなかったが、屋敷の近くで死ぬのはなんとなく迷惑だろうなと考え、街の反対側に行った。
路に座り込んで、このまま死ぬんだろうなとぼんやり無感動に考える毎日を過ごした。
不思議と苦しかった記憶はない。なんせ同類も少なくなかった。
息子や食い扶持を失った老人や、手足を失った傷病兵、路銀を盗まれた旅人に、不貞を働き帰るところがなくなった女。
商売をはじめたり、寝泊まりする場所をすぐに見つけられる人間ばかりではない。戦時ということもあいまって、大通りから外れた路地には同じような人間がたくさんいた。老い先の短い老人など、家族の負担にならぬよう死ぬために家を出るということがあの時代にはよくあった。
アペイロン王国東部の交易道から外れた街。混沌の時代の直前、その予兆として戦が多かった時代だ。
盗みを働く乞食が生きていけるほど広い街ではなかった。稀に小銭やパンが通行人から与えられ、川から水を飲んでは寝床に帰る毎日が続いた。
転機が訪れたのは、そんな生活に慣れ、冬が来たら死ぬんだろうな、と考えるようになった頃だ。
「うーん見どころがある。痩せてるが、まだ肉がある。おまえに決めた」
はじめは自分に話しかけられているとは思わなかった。薄目を開くと、鎧を着込んだ男が見下ろしていた。
「……え。なに?」
「我が隊は名誉ある隊員を募集している。だが、こんな辺鄙な街じゃあ、夢見がちな無料の若者がいねえんだわ。ちょっと若いが、まあタダだし、おまえに飯を食わせてやる。さあ、立てよ!」
「……ご飯?」
俺は飯に釣られてノコノコついていった。
うまい話には裏がある、知らない人にはついていってはいけない、そんな童話があるのは、古今東西変わらずうまい話には実際に裏があり、子供を連れ去って利用する人間が実在するからだ。
言うまでもなく、奴隷として育った俺は絵本など読んだことはなかった。そうしてまんまと傭兵団の下働きとして雇われ、タダ働きをさせられるようになった。
生き残ったので、槍働きに駆り出された。
はじめて戦場に立ったのは十代の半ば。人を二人殺して、すこし気分が悪くなったが、次からは慣れた。
団長が死んだのが二十代のはじめ。傭兵団〈銀時計〉の誉れ高き団長殿は、恐れ多くもドブネズミみたいな人間性をしていた。人妻を寝取るのが大好きだと公言していて、人体に有害な媚薬を仕入れては、小金持ちの女を強姦してはバラすぞと脅して金を貢がせていた。案の定、刺されて死んだので傭兵団は解散ということになった。悪人の順当な末路である。
気の合う仲間と流れの傭兵として旅をしたが、仲間は腰を落ち着けるか死ぬかして、流れ者となった。
多少狂ってる人間のなかでは、完全に狂っている人間が尊敬される。
自分が人類の終わりまで生き残ることができたのは、団長殿の生き様を参考にしたからだ。大して好ましい人間ではなかったが、団長殿に学んだことはたくさんあった。
団長殿、ひとよんで寝取り馬エリック。ひでえ二つ名である。
曰く……敵には容赦するな。
揉め事では正しいほうではなく、狂ってるほうが勝つ。
人妻には夢がある。男は夢を見るために生きろ。
金勘定は他人任せにするな。雑務は他人任せにしろ。
馬鹿を見るくらいなら破滅したほうがマシだ。おっぱいは大きければ大きいほどよい。人妻のおっぱい云々……
案の定、爆乳の人妻に刺されて死んだ。クソみたいな末路だ。死体は放置したし、墓など誰もつくらなかった。死んでまでしがらみに縛られるなんて、と、死んだ当人が墓を嫌っていた。生前、どう見てもしがらみに縛られているように見えなかったので、冗談だったのかもしれない。
◆
──おれが傭兵生活に馴染めたのはなぜだろうか?
傭兵団に拾われた子供。長生きするとはだれも考えていない。
同僚や新人があっさり死んでいくので、自分もそうなるのだろうと運命を飲み込んでいた。
雑用があれば率先して雑用をこなしたし、上役からの指示は実直にこなした。理不尽に叱責されたり罰を受けても、文句は言わなかった。無意味だからだ。
道具として価値があるということが自分の価値のすべてだとわかっていた。
下働きの子供が雑用をすこしでも嫌がればそれは肉壁として殺されるだけ。
小遣い稼ぎに攫われた人間を見るたび、よくわかった。
攫われた女が股を開くのを拒否すれば余計に殴られるが、それでも殺されはしない。商品価値がある。金になるということは価値があるということだ。
だが、男が意固地をはってしまえば、それは……。
両目から矢を生やした男の顔。矢の的にされた。
試し切りで胴から下を失ってなお泣き叫び、なかなか死ねない聖職者。生まれた意味などなかったのだろう。
そんなものを見るたび、確信が湧いた。
理由はまったくわからないが、なぜかおれは死にたくなかった。
役立たずだという印象を持たれた瞬間、使い捨てられることがわかっていた。
だから道具になりきった。
人間ならば愛想笑いの一つでもしなければやっていけないだろう、だが、棒切れや包丁が笑えば不気味なだけだ。喜びも悲しみも余計なものとしか思われなかった。
年寄りや先輩に殴られれば耐えたし、何度も殴られたり犯されるようなら、夜中に寝ているところをナイフで喉を掻いた。夜中に誰かが死体になっていることは半年に一度はあることで、犯人捜しはあまり熱心に行われるものではなかった。
必要だと思えば酒を奢って技術を学んだし、上前を過度にピンハネしたり恫喝してくる上役がいたら毒を盛った。野草から矢毒をつくる傭兵の手伝いをした知識が役立った。
おれにはプライドがなかった。禁忌もなかった。
忠誠も、尊敬もなかった。自分の命も、他人の命も、そこらに歩いているアリが言葉を話しているのと同じ感覚だった。
生き残るのに必要なことをこなす、それが奴隷の生き方だった。
友誼を結んだ相手や、目をかけてくれた上役には情も生まれたけれど、特別に運命をともにしたいとは思わなかった。情と実利を切り離して物事を考えていたからだが、それができない人間がいるということに気づいたのはおとなになってからだった。
そんなプライドのない人間は傭兵にも少なかったから、結局、その節操のなさが生き延びられた理由だったのかもしれない。
──生き延びたところで、大した意味もなかったのだが。
死にたくないから生きていただけだ。
苦しみには耐えられる。みじめさにも、理不尽にも、絶望にも耐えられる。
だが、飢えと寒さだけは……。
おれにとって生き続けることそのものが飢えと寒さから逃れているだけのことで、そこに意味らしきものは見つからなかった。
飢えと寒さが、自分を生かし続けているだけだ。どのみち、すべての人間が死ぬ。人間に恐怖がなく、純粋な理性だけで考えれば、人はみな自殺を選ぶのではないだろうか?
多くの他人は、そうではないと信じているようだ。
他人の考えなんて本当は誰も興味を持っていないから、表面上を合わせればそれですむ。いわば互いに信じていない幻想をつくりあげることが目的であって、その幻想そのものにはだれも深い関心を抱いていない。
なのに、なにかの勘違いで他人の信じていることを否定すればそれは争いになる。
他人と戦わせる意見など不必要だ。社交の場で泣きわめく人間のようなもので、表面上は優しくいなされて完全に疎外されるだけ。同じく、他人に好かれることも称賛されることも害悪にすぎない。
滑稽ではないか。
上から目線で、自分の役に立つからといって、他人を褒めたり好きになる連中のことがどうしてもおれには味方には見えなかったし、そんな意見は悪意がないだけで害悪にしか思えなかった。おれには他人の好意など必要がなかった。他人は利用し合える相手であればよかった。一線をこえて邪魔なら殺せばすむと考えていたから、深く考えることもなかった。
体が成長しきった頃に気づいたのだが、おれはどうやら生き延びるのが上手いようだ。
極東小国家群に居を定め、容易に死なぬ傭兵として評判を確立したころ、愛想笑いと社交性も上達したというのに、すべてが腐りゆくように感じていた。このまま、いつの日かあっけなく死ぬだけ。それが自分の人生のすべてだ。
悩んだこともある。
自分は生まれた時からおかしくて、どうしようもないのか?
答えは、そうではない。
人は高貴の存在でありうるかもしれないが、九割九分の人間はそんな大それた生き物ではなく、己が意味のある存在だと思い込みたいだけで、その思い込みをゆりかごの中の珠の赤ん坊のように大切にするのだけども、肝心の思い込みの種類や濃度に深い意味はない。なにか人生を継続させる意味があると信じているということが重要で、その内容には人は本当はあまり深い興味を持っていない。深い分析をしない。せいぜい経験を通した思い入れがあるだけで、そのことを運命だと思えているうちは、それだけで意味があるのだ。
別の道があったのではないかと、考えたこともある。
あるいは別の人生があったのではないか?
答えは、その問いは無意味だ。人間に別の人生などないからだ。それは知性か余裕のない人間が抱く、支離滅裂な妄想というほかない。人間は他人になることができない。
というより……別の人生すらも、おれは求めていなかった。
傭兵として世間を知るほど、この世に生きたいと思うような価値はなかった。
いつまでも鮮明に思い出す光景がある。
髄液を啜った骨が散乱する家屋。女子供の姿が消え、やせ細った男が餓鬼の目で旅人を襲う村が、そこら中に生まれる飢饉も目にした。
飢えた村では、子を持つ親たちが互いの子を交換して食うのだと聞いた。
次に女衆を食って、最後に男が死ぬ。
老人のほとんどは初めに死んでいるから食う機会に乏しい。
どの村でも同じ順序なのだという。
不作による飢饉は戦争の百倍人を殺すうえ、食い物をめぐる戦も同時に起こる。地域にいる人間の半分が死ぬ過程であらゆる悲惨のイベントが起こる。子供を生かしておいても余所者に食われるとわかっているから、自分の子を頑張って食うよう迫る家族までいるのだという。
聞いたときは悪趣味な話を聞かせるなと笑ったが、実際に滅んだ村に転がる人骨を見ると笑い事どころではない。自分の子供を食えないから子供を交換して食うのは、どこの地域でも示し合わせたように行われていた。殺し合いで滅ぶほうがよほど人間らしい気がしてくるのが馬鹿らしい。
しかし、そんなわかりやすいグロテスクさすらも、まだ救いのあるほうだった。
実際には塗炭の苦しみを背負い、抜け出す方法もなく、小さな村で死んでいく人間が大勢いるのだ。
この世の悲嘆の莫大を、すこし想像するだけで人間は生きてはいけなくなる。
当たり前の話ではあるが、そんな妄想の中の他人の悲劇を想像してみて、悲しんでみたり助けようとして見ることは無意味だ。
自分のものでもない悲しみをさも知っているふりをすると言うことは、邪悪で惨めで、ひどく淫らな感情で、とことん哀れな、迂遠な自殺でしかない。傲慢とか偽善という段階にすら到達していない。
そんな自殺の材料にされちゃ、他人としてはたまったものじゃないだろう。
だが、おれは心底それを理解していて、なおのこと。
人の世に意味があると信じられなかった。
ほとほと呆れ果てていたのだ。なんなんだ?この人の世というやつは。良い人間が理不尽によって干された魚のような顔になって死ぬこともある。もしも一人でもそんなことがあるなら、この世にいかなるお題目も、おれにとっては意味のないことだった。だってこの世には善がないんだから。
なのに、人は幸福だと感じると、過去のすべてを忘れてしまう。人に意思があるというのなら、本性として抗えない幸福よりも、むしろ偽りの苦しみの中にこそ意思があるのではないか。 幸福は罪でありうるのだろうか?
これば罰なのだろうか?
みじめでいればいるほど世界が美しく感じる時もある。
世界が美しいと感じ過ぎてしまうと、今度は自分があまりに醜いと感じてしまう。
何もかもどうでも良くなってしまって、放り出して、すぐにしんでしまいたくなる。あげく、こんなポエムを考えh字メル。
おれにとって罪深いということにはある種の安心があり、それは免罪の意味合いもあったのかもしれない。
追い立てられているうちは、小動物の恐怖と引き換えに、あらゆる免罪符を得ることができる。物事をあまり考えなくても生きていける。
逆に繊細になりすぎると、この世で生きていけるとは思えない、メランコリィに支配される。答えは決まっている、早く死んだほうがマシなのだ。
長々と話してしまったが、言いたいことは単純だ。
土台、すべてのことがどっちだって良かったんだ。
いますぐ死んだってなにも変わらないということくらい、わかっていた。
奴隷になったせいだろうか?
しかし……自分のような人間はありふれていて、ほとんどが死んだなか、たまたま生き延びているだけなのだ。
奴隷としての子供時代に、自己憐憫を持てなくなったのも、そのせいだった。
奴隷から這い上がったという物語に自分の価値を感じていたから、それが単なる世間知らずの空想だと考えるようになってからは、自分そのものに価値などないという結論に至った。
決定的なのは、乞食をみると、哀れだと思うと同時に優越感を覚える人間になったことだ。
自分が、あいつの立場でなくてよかった。たまに拷問された人間をみたりすると、心底そう感じてしまう。
だが……。
心の底で、そんな優越感を抱いてしまう自分が、汚物としか思えなくなった。生きる価値がない。
苦しむ哀れな人間をみて喜ぶ人間になどなりたくはなかった。おかしくなってしまった人間を笑うような人間にはなりたくなかった。しかし自分の心を監視していると、優越感は生まれてしまうようだ。優越感とは背後に飢えと寒さを必要とする、いわば奴隷だけが耽溺する感覚だ。人間を真実愛する人間は、優越感そのものを持つことができなくなるはずだからだ。おれは自由な傭兵になったはずなのに、魂はいつまでも奴隷で、飢えたままだった。
しかし……それでも道で寒さに震えて眠る人間が自分でなくてよかったと感じるのは、やめられなかった。
いつも子供の姿を幻視する。
道で眠る乞食、すなわち、それは奴隷小屋で寒さに震えた自分なのだ。
一人の人間が、道で寝ころんで死を待つのをみて、おれは口の端に笑みを浮かべるようになってしまったのだ。
知らずに笑う人間とは違う。
飢えることがどれほど心を荒ませ、人から希望を奪い取るものか、おれは知っていた。
寒さに震える人間の魂が、どのような惨苦のなかで出口もなく死んでいくものか、泣き叫ぶこともできない彼らの運命、おれはその無慈悲さを知っていた。
なのに、他人がそうなっている姿をみて笑っていた。
助けを欲しがる人間をみて、助けたいとは感じていなかった。
震える人間に施しを与えたくなるほど、自分は満ち足りた人間ではなかった。
口先のうえではおれは昔の自分を忘れないと思い込んでいたし、底の底の自分は悪人ではないと信じていたが、実際の自分は、そうではなかった。真実の意味で、生きる価値のない罪人だった。
おれに一かけらの恥があったなら、死んでいたのかもしれない。
だがおれは生き延びた。生きる価値がないということだけはわかっていた。
だが……もう、人生など死ぬほどの意味すらなくなっていた。
そうしているうち、歳月は無意味に過ぎた。
なにもかもが鈍くなり、興味がなくなっていく。
人生や歳月に価値があったのは大昔の話だ。
仕事に対する愛着もゼロに近い。
余人ならば、傭兵生活にもなにがしかの誇りや慰めを見いだせただろう。
だが、どうしようもなく脳裏には寒さと飢えがこびりつき、なにも得られたとは思えなかった。
人を守って命を救うより、人を殺す仕事のほうがほんのわずかに気楽だったというくらいか。
金を得て、酒に酔い、博打や女で欲を満たしたところで、それが息継ぎにすぎないと知っていたから、逆に楽しむこともできた。
この世はどうでもよいものだからこそかろうじて耐えられる代物だった。
仲間も他人も戦も大義も。
金も酒も女も名誉も。
最愛の人間さえも。
求めて、得たと思えば、無価値になった。
本当にほしいものではなかったからだ。
傭兵を引退して、溜めた金で田畑を買って故郷で畑をやるという仲間に誘われたことがある。愛する女ができたのだと。業深い仕事を続けるよりはマシなのだと。
おれにはてんで意味がわからなかった。畑仕事のどこが人殺しよりマシなんだ?
愛する女というが、セックスの相性がいいだけの売女じゃないか?
すくなくとも、そんなことを考えている自分が仲間の門出についていくわけにはいかないということだけはわかっていたから、羨ましいとか適当を言って見送った。
やつは傭兵稼業でさんざ燃やした農村にこじんまりした畑なんてつくって、幸せになれたのだろうか? そこらの売女を妻にでもしたてあげて幸せな家族芝居でもするのだろうか? そうであればいいと心底願った。彼らがそれを信じられるといいし、子供を愛することができればいいし、平和と富を得て、未来が残苦と無縁であればいいと願った。
そのすべてが実現したところで、そこに救いがあるかどうかはいまいち信じきれないが、それがそいつのやりたいことだったのだから、おれには理解できないなにかを得られるとよいと願った。それがおれの精一杯の愛だったからだ。
仲間や家族が救いになるという人間もいるが、おれはそうではなかった。
肌の合う女と快楽を極め、阿吽の呼吸の恋人と人生を歩むことが未来だという人間もいるが、おれはそうではなかった。
喜怒哀楽を他人に伝えるために表現し、人生経験をさも貴重な宝物みたいな顔で話し出す人間のことは、ついぞ理解できた試しがなかった。他人の心情になど興味をもてた試しがなかったからだ。
若手の教育は失敗ばかりした。
可愛がっていた有望な若手の傭兵に、人の心がないと罵られたことがある。じゃあ好きにやれよと手放したところで、あっけなく死んでしまった。
みてみろと嗤う邪悪な心もあったが、自分がすこし我慢すれば死ななかった若者がいると考えると、さすがに人間として思うところはあったが、酒を飲んで寝るとそれでよかったのだと思うようになった。酒の肴になったからだ。
あれでよかったのだ。
他人が死んでよかったのだと思うことに矛盾はない。
生き続けたいと願っていないおれにとって、人の命は無価値だった。
むしろ全員早く死ぬほうがすっきりするような気がしていたし、事実、すべての人間は死ぬのだ。おれのひねくれた意見に関係なく……。この世がもともとひねくれているのではないか?
あるとき馴染みの娼婦が子を産んだ。
女は、可愛げがあって頭がよくてセックスの相性もよかった。明るい心で周囲の人間を照らすような善い人間だった。
だが、これから生まれてくる子供に対しておれは同情してしまった。
けっきょく女の親類だという小さな村の宿屋に引き取られた子供へ、金を送ってやることにした。気晴らしというか、奴隷に似た立場の人間にシンパシーを覚えたのかもしれない。金をもらえるあいだは、邪険にされようとも殺されないはずだった。
自分の子だとは一切考えていなかったし、娼婦に金を渡して、子供に届くと考えるほどおれは阿呆でもなかったので、直接送金する手はずを考え、宿の主と手紙を交わした。一度、いびつな子供文字で礼の便りが届いたことがある。送った金で文字を教えてもらっているのだという。本当かどうだか、極めて怪しいものだ。だが子供の書いた下手糞な文字は、珍しくおれに感傷のようなものを与えた。
なにか、よいことができたかもしれないと感じたのだ。
都合、六年ほど送金していたが、風の噂で死んだと知った。街を敗残兵が略奪したあと、生き残りはいなかったという。おれは金を送るのをやめた。詳しく調べたところで、どうせ宿に子供などいなかったとか、ろくでもない話を聞くだけだろうと諦めた。浮いた金で博打をしたので、少し落ち込んだ気分は晴れた。娼婦がどうなったかは、いま思い出してもよく覚えていない……。
万事がその調子で、早く捨てたくて仕方がなかった。
同僚や街人や貴族たちが口を開くたびに語る、それぞれの”生きる理由””人生”とやらが馬鹿げた代物に思えてしかたがなかった。
かれらは本当に気づいていないのだろうか?
人間の全てが自分の信じたいものを信じていて、好き勝手に生きているのだ。一方を美化したり、一方を悪しざまに罵ったりしてみることに意味があるとは信じられない。
二種類のアリが戦っていて、一方に肩入れする意味が分からない。優劣が感じられない。老人だろうが子供だろうが、男だろうが女だろうが、罪人だろうが善民だろうが、すべての人間にうっすらと嫌悪感を持っていて、すべての人間がそのうち死ぬから我慢できる小うるさい虫のようなものだと考えていた。世間も、他人も、自分の生命さえも、余計なものに思えて仕方がなかった。機会さえあればすべて殺してやろうと考えていた。
こんな人間には未来がない。
そうして人生どん詰まりで、空しい気分になればなるほど、なぜだか傭兵仕事だけは順調だったし、人当たりもよくなった。
何もかもどうでもよすぎて、気力が充溢していたのだ。
その気力をどうでもいい仕事に注ぎ込んで、どうでもいい信頼を買っていた。
思い入れがなかったので、正しいことを選ぶことができた。
同業者の多くに羨ましそうに才能があると言われたが、自分の求めていない才能などあっても迷惑なだけだった。
傭兵の才能とはなにか。
執着しないことだ。
どんなに美辞麗句で飾ったところで、傭兵は人を殺し人を守る仕事だ。
人の命。こんな無価値なものを、奪ったり奪われることに、いったいなんの意味があるのか?
こんな価値のない仕事をしてなぜ大金が手に入るんだ?
わからない……
だが、やはりなぜか仕事だけは順調で、人類が滅んでいくさなかでも手を変え品を変え不思議と生き残ることができた。
一切のこだわりがない、自分にとってどうでもよいことだったからかもしれない。
戦ですりつぶすされないよう立ち回り、信頼を得るよう土地の常識を理解して立ち回る。他人に期待しているふりをいくらしてもいいが、本当に重要なところで他人に依存したら破滅する。
巨大な軍隊とは一切関わらないか、有力な指揮官の庇護を得るために下出にでる。
暴力沙汰では不義理を避けて恩を売りつつ、過度に儲け話に執着しているふりをして、地雷を避ける。不相応でも、有能で野望のあるふりをしていないとつまらない奴と見切られ、利用すらされずに殺される。護衛では召使いのふりもする。だが、死の気配を見つけた瞬間、あらゆる執着を捨ててそれに対処する。人はよく信頼こそ大事だとか、家族を守りたいとか、子供が大事だとか長々と語るが、手の爪を剥がれると一瞬で考えを変えるため、鵜呑みにしてはいけない。手の爪が剥がれないうちは、という注釈がつく話をあまり信じてはいけない……。
そのすべてが無意味だ。
人間などいくら増えようが減ろうが、満足しようが不満足だろうが、厳密にイコールゼロで結ばれる存在だった。そうではないと信じている人間たちにとってはそうではないということもわかっていたが、あまり他人の考えに興味もなかったし、これは理屈ですらない実感だった。
そうしてくだらない仕事をしているうち。
やがて終末が訪れ、世界は破局した。
赤子を突き出してこの子だけは助けてと叫んだ女も、一族全員の骨を荷に積んだ老婆も、死んだ子供を背負いつづけて倒れた父親も、みな平等に死んでいった。
もしも人の感情に世界に通ずる意味があるというのなら、彼らは生き残るべきだった。
おれなんかよりよっぽど生きる価値があったはずだ。
なのに、飢えと寒さから逃げているだけの自分が生き残ってしまうさまは、虚無そのものだ。
この果てしなく空しい、寂莫とした感慨も、意味など何もないのだろう。
なんのために生きているのだろうか?
飢えと寒さから逃れるため──恐怖と虚無から逃れるため、生き続けるだけの人間という生き物。
昔、偉い学者が書いた、「人はかつて猿だった」と言う本を読んだことがある。大昔に木から降りたことが人間の間違いの源であり、もう一度人は木に登るしかない、と説かれていた。笑える。そう、考えるまでもなく人間はみな高い木を目指して登っているではないか。
木の上に戻りたいのに、戻れぬがゆえ、架空の木を見出して登らんとする我々人間の哀れは比類するものが他にないほどで……
◆
「メテウス、おまえは生きながらに死んでいる」




