「贄なるもの 二十八」
◆
「メテウス、おまえは人間ではない。剣のような生き物だ。私に使われろ」
かび臭い淀んだ空気。
メテウスは手を引かれ、幾重にも扉を潜り抜けた先にあらわれた階段をくだっていた。大昔の石工が刳った階段は風化し、斜めだったり欠けていたりする。頼りない歩みを見せるメテウスはときおり転げ落ちそうになって、そのたび、手を繋いだロワットラが引き上げた。
「一つ、役目を果たしてもらうのだが……おまえは知っておかなければならないことがある。我々、バロート人は滅びを求める民族だ。なぜだかわかるか?」
何も考えないままに答えた。
「集団自殺したいだけだろう……死にたいだけだ。珍しくもない」
「ふっ。では、なぜ人が滅びを求めるか、わかるか?
なぜ人が死を求めるか。破滅を求めるか。なぜ人が終わりを求めるのか……」
メテウスは昨日まで自分が廃人になっていたことを自覚している。天使人形に過去を追想され、自分というものをまた認識した。
ロワットラが返答を期待せず、なかば独り言を言っていることも理解できた。
……この女は、他人の答えなんて求めちゃいない。投げやりに言い放つ。
「特別なことなんてなにもないだろう? 地面にアリが歩いているとか……それと同じで。すごく疲れたとか、飽きたとか……これ以上苦しみたくないとか、なんとなく萎えたとか……人が死にたがるのにたいした理由なんてないだろう?ありふれていて、自然で……むしろ生きつづけたがってるほうが不自然なくらいだ。いろいろ建前を抜きにすれば、ただ、死ぬのが怖いから生きているだけの人間が半数を超えているんじゃないか?」
「生者の意見とちょうど真逆。死人の視点ではそうなるだろう。おまえは生死に対しての直感が鋭い。動物のように生きているからだろうな」
イラッとしたが、無限に続く地下への階段がひどく不吉だったので、メテウスはだまりこくった。
……役目を果たしてもらう?生贄にされるのだろうか……。
コツコツ……ぴちゃっ。
地下水が染み出ているのか、石壁も地面もうっすら湿っている。
ロワットラが手のひらから生み出した、ぽわりと浮き上がる橙色の魔光をたよりに降り続けているが、ひどく狭くて息苦しい。
──できることはなにもなさそうだが……覚悟だけはしておくべきだろうな……。
メテウスは死を覚悟している。
ロワットラはなぜだか上機嫌で、歌うように言う。
「滅びの希求とは果たして欲望といえるのだろうか?
滅びを望むことは、他の欲求の不在でもある。
いわば井戸から水が汲み取られたあとに表れた虚空の穴。枯れ井戸が晒す無様。
しかし、はたして自然なのはどちらだ? 生命という水を汲み取られた後にさえ残る穴は、はたして不自然なのだろうか?
そう、けっして不自然ではない。
人間に元から備わった無垢の欲求こそ、死への衝動でもあるのだろう。
ともすれば欲望とは無垢の人間性の死だ。
あらゆる渇望は、自己を空白に染め上げるところに本質がある。マゾヒストにサディストがどれほど我の破壊を望み、そこに莫大な恍惚を見出しているか、余人にはけっして理解できないほどだ。
自己の空白……生まれる前にみていた景色を望むということ。
くふふっ──みな、生まれる前のことを思い出しては泣き叫ぶ子供じゃあないか。
欲望は常に死の代替品を探し続けていて、その偽りが底をついたとき、人は滅びを直接に求めるようになる。
ここにジレンマが没落し、一つの真実があらわになった。
破壊と創造。虚空と生命。それらは別のものではない。
人は森羅万象の子であるがゆえに、森羅万象の性質をあるていど受け継いでいる。見ろ」
風が髪をなぶった。
メテウスはぼんやりと顔を上げる。
いつのまにか階段は、開けた空間に貫通していた。
きらきらと青白く光る水面が見える。
──湖?
ブウェイック城がすっぽり入りそうな空間。
水平線まで見えそうな、地底湖があらわになった。
壁が淡い輝きを発し、仄かな赤と青の混光が莫大な空間をうっすら照らす。
いま降りている、壁沿いに掘られた石階段はいかにも落下しそうで、メテウスは壁にすがりつく代わりにロワットラの手をぎゅっと握りしめる。女の手は柔くて小さく、メテウスは頼りない心地がした。
……かといっておっさんの手を握りしめたい気持ちはゼロだから、女の手のほうがマシか……
ロワットラは染み一つない無垢白の毛皮に全身を包まれているが、ときおり後ろを向いてメテウスの姿を確認する。考え事でもしているのか、独り言を繰るように、訥々と話しを続けた。
「見ろ、この巨大な穴を……。
何百年と昔の話……。
不死種である光人の奴隷種族として我々バロート人は生まれた。
高貴なる光人が下等な人間を犯し、生まれながらに下等な血を継いだ半光人たちは、長いあいだ定命の奴隷種族として生を営んだという……。
しかしある日。
彼らは神を得て、火を得た。
主人を弑して奴隷ではなくなった。
己等を奴婢から解放した、大恩ある神に捧げ物をしつづけると決めた……。
ゆえにバロート人は闘いを求め、栄えるを求めない。滅びのなかに生き続ける。それが戦神スモルクへ命を捧げる、唯一無二の祭祀だから……」
メテウスは茶々をいれたくなった。
馬鹿らしいおとぎ話にしか聞こえない。
この蛇女が真顔で言うからには、きっと事実かもしれないが、たった数十年昔の戦争でさえ人間はすぐに忘れるものなのに、いつまで神代の過去に囚われているのか?
あまりにも皮肉で奴隷じみている。
「へっ。かみさまに、命を捧げるって?
美化できるような行いじゃないよな……。
人間の奴隷から、神様の奴隷になっただけじゃないのか?
どうせなら捧げ物のいらない、もっと良い神様の奴隷になったほうがよかったんじゃないか……へっ」
「道理だ。神々は偉大だが、しかし闘神スモルクのほかにバロート人の神などいない……すぐにわかる」
ロワットラの能面のような表情にメテウスの生存本能は怯えた。
長い階段を下り続ける。
メテウスは周囲の観察に徹した。
あまりの奇景に、素朴な畏敬の念を覚えてしまう。。
地底湖が発光しているのはそういう微細な生物がいるからだろうか?
ただ、地底湖を囲む地面が、ほのかに赤く発光しているのが不自然で不可解だ。
空気が淀んでいてもおかしくないのに、生ぬるい風は妙に不快感がない。まっとうな神経をしていたら恐ろしさで小便を漏らすようなところなのに、メテウスはなぜか腹の底に恐怖を感じない。
宗教の秘祭にはうってつけの場所だろう。
ロワットラの話しぶりからするに、祭壇でもあらわれるのだろうか?
やがて階段を降りきり、暗い石の地面に足をつけた。
「うわ、なんだこれ……」
近づいてみると、地面には幾何学的な紋様が掘られていて、そこを液体が流れている。目立つのは赤色だが、灼熱色の融解した金属、鈍い虹の精霊鉱、淡麗石の気化金属、蒼月鉱、黒金の天緋隕石……
「貴金属ばかりか?回収したら一生食っていけそうだな……」
「呆れる。この光景をみて、盗む算段とは……あのな、一応言っておくぞ?本当に盗んだらどうなるかわかっているだろうな? 驚いて手をついて拝めとは言わんが……私もこんなこと言うのはじめてだぞ」
めちゃくちゃ呆れられていた。
盗んだら確実に殺されるだろう。
メテウスは佇まいを直した。
そして、いまから自分が殺される予定ではないと知り、心の奥底から安堵した。
「……いい加減教えて下さい。こんなところにつれてきて。なんなんですか、これ?」
「……」
……だんまりか。
ロワットラは歩調を子供に合わせることなどなく、どんどん前に進んでいく。追うように歩き続け、軽く汗ばんだころ、地底湖の浜辺へ到達した。
なぜか、湖は波打っている。
波打つ水へ足をつけたロワットラに促され、嫌々ながら近づく。洞窟全体は青白い燐光を放ち、地底湖の底も凝視するとほのかに透けて見えた。
だが、天井や対岸の壁は、途中から真っ暗な闇になるほど広い。感覚を麻痺させるようなスケールの空間に、メテウスの鋭いとはいえない生存本能が怯え、恐怖が沸き立つ。
ロワットラの視線の先、石造りの水橋が湖へ突き出していて、そこから多色の金属が湯気をあげながら湖へ沈殿していた。
……地面を流れていた金属か?
融解した貴金属は発光しながら落ちるも、湯気を生み出さない。ほのかな輝きをまとって湖の底へ行き渡っているようで、底を透かして見せる……。
「ああ……」
足が萎えて、浅瀬に尻もちをついてしまった。
まず見えたものは目玉だ。
目玉、手、歯、足、乳房。
縄のような髪の毛、脂肪と繊維が垂れた小腸、裁断された指……。
巨大な人体。そのパーツが底に浸かっていた。
──バラバラの巨人。太古の種族かなにかの──骸。
ロワットラが言う。
「ここにくると、いつも美しい気分になる……。
芸術だよな?」
メテウスは芸術には全く詳しくないが、芸術というよりも、どちらかというと邪教に遭遇するサイコスリラーだったので、頷くことはできなかった。
「芸術は常に偉大だ。
芸術が偉大なのは、狂気なくして個人を個人以上のものに引き上げるからだ。
下等な人間はすこし飢え始めると芸術を道楽だと考え始めるが、事実はそうではない。人間にとってパンはしょせんパンだし、飢えたなら全員死ぬだけの話だが、芸術は無限性を持つ。
美しいものをみると、対象と己の境目がなくなる……。
あらゆる美術品は、人間という美術品を自分以上のものに仕立て上げてくれる。
いや、自分を自分以上のものに引き立てるようで、本当は、人間そのものがみな美しい価値あるものだと気づかせてくれる……。
人の感性を引き上げ、日常生活ではけっして気づくことのできない、真実の側面を暴き出す。
神々が人間という楽器に息を吹き込み、魂を奏でるように。
この地底湖に遺棄された骸は、我々バロート人の罪そのものだ。
美しい……」
メテウスは隣人が狂信者だと気づいた被害者Aの表情でドン引きしていた。
ロワットラは外套を脱ぎ、ブーツを脱ぎ、ベルトを外して分厚いズボンを脱ぎ……肌着だけになって湖の水を浴びる。浮き出た乳首が場違いにエロチックで、メテウスは笑いそうになった。悍ましいというより、とうとつな喜劇に笑うしかないという感覚。
つづけてロワットラはメテウスの肩を掴んだかと思うと、強引に服を脱がせ、その胸に刻まれた神象へ人差し指をつける。
「メテウス。アークサインを得たな?」
「? なんのことだ? それより、おれはこれからこのわけのわからん邪教の神殿で殺されるんじゃないのか?」
「殺さんが……覚えていないのか?おまえが神から下賜された武器のことだ」
「ああ、あれ……」
メテウスは黒曜石の短剣を思い出す。邪神がなんかポンとくれた武器だ。神々が直接生み出した神聖武具は神血杯と呼ばれているが……メテウスは邪神にありがたみを感じていないので大したものとは思えず、あまり考えていなかった。
「 自覚がないのか?おまえが狂ったのは、神の情念に飲まれたからだぞ?」
「え? あ、ああ……マジで?」
メテウスは思い出した。前世、フレア・フレアから受けた拷問を。
その記憶と憎悪で頭がおかしくなったと考えていたが、邪神の狂気にあてられていたらしい。よく考えたら、メテウスは過去に何度か狂いかけたことがあるので、人格をしめる面積に正気の面積が広くない。人間が真実の意味で狂気に陥ることができるのは、正気を信じている最初の一度だけだ。中途半端に狂ったことのある人間は、正気の存在そのものを信じられなくなるので、完全に狂うことができないのだ。
──じゃあ全部邪神のせいじゃないか?
「おまえが渡されたものを、アークサインという。この湖に転がっている、あの〈リインスモルク〉の無様な屍と同じだ。
神の骸を渡された者は、尋常の理から外れる。
メテウス、これより私の言葉に従え。
おまえの記憶をみた──。
復讐、したいのだろう?」
「ふく、しゅう──」
……本当はいますぐ死んだってよかった。
はじめは強がりだったかも知れないが、死を受け入れる気持ちは、もう、本心と不可分になってしまっている。
能動的に死ぬ理由もないから生きているだけで、生きようが死のうが等価だと感じていた。その違いを見つけようとするすべての試みは、もはや溺れる鼠ががむしゃらに壁を登ろうとするのに似ていて……。
とくに、一度死んだはずなのに、子どもの体で蘇ってからは、なおさら投げやりな想いが強い。一度苦しみ抜いて生き抜いたのに、もう一度同じことをやれと言われても、まったくの無意味だと感じている。馬鹿らしい、という凝り固まった怒りがあるのかもしれない。
生命や人生に執着していた頃の気持ちが思い出せないから、まだ生きようと考えている人間の気持ちがよくわからなくなってしまっていて、たとえばガレアーンなんかとよく喧嘩をしてしまっている。
生きながらに死んでいる。どうしようもなく下等だということはわかっている。それは苦楽そのものを無視した態度で、自分なんかには相応の末路だと感じていた。
なのに──
「不死商のフレア・フレア。ソーマ酒を売って莫大な富を得た、典型的な超越者だな。おまえ、拷問されて壊れてしまったんだろう?」
──フレア。
フレア・フレア。
妖精のような立ち姿の、紫の瞳をした背の低い女を思い出す。
──そうだ。
なぜ死んだってのに、生きているのか?
おれは思い出したはずだ。
フレア・フレアの記憶。邪神の言葉。前世のくだらない人生……。
すべての記憶が一つの事実を指し示す。
『やりましたね!喜んでください!
仮想時空制御術式はエネルギー事情に革命を起こします!
なんせ一人の人間を何千年でも意識の牢獄に閉じ込めてしまえば、膨大な苦しみだけが抽出できるのですから。
”業獄装置”とでも名付けましょうか。
ねえ……貴方、理解できますか?
これは珍しい、残酷な話なんかじゃありません。人の世はもともと業に支配されているんです……。
世界というフラスコを火で炙るものがなにか……それが重要なことなんですよ。我々みなの魂を炙る火を……』
サイコパスめ。
──その言葉のとおりに使われたわけだ。
永劫に等しい暗闇で、死ぬこともできずに彷徨い続けた記憶……。
無間地獄で破壊されたおれは、そんな世界にお似合いの神様とであって、契約したのだ。
発狂してしまった理由は、邪神がおれの正気を保つために奪っていた記憶を、神秘の武具を通じて渡されたから。
「そうだ──不滅のフレアを殺す。不死者どもを全員殺す。それが、おれの唯一の願いだ」
「大仰だな……そんなことは不可能だろうが──なぜおまえがそんな記憶を与えられたのか、その理由にこそ考察すべき意味がある。
神々はあまりにも強大で、地上に顕現してしまえば叶わぬことなどなにもない。
だが、その根源を地上に持つがゆえ、冥府に鎮座する神々は契約を通さなければ地上と関わることができない。一つの神が地上にそのままあらわれれば、すべての神の源が破壊されかねないがゆえに、彼らは世界を破壊しないための理を定めた。
それはべインレーテルの掟と呼ばれている。
”情報は時を遡ることができない”
おまえの未来の記憶は、偽の記憶なのだ。
神々の都合のよい端末として、記憶を植え付けられた自覚はあるのか?」
……笑ってしまう。そんなことは、もはやどうでもよいのだ。
「メテウス、おまえは人間としては落第だが……その非人間性は美しい。
人間として生きることができず、剣や獣として生きるしかない者がいる。
理を切り開き、摂理を超越し、いくど魂を破壊されようとも怨敵を殺そうとするような人間にこそ……。私は、そういうものにこそ何かを託したいと願う……。
神々も同じだ。
本来は地上に直接手を伸ばすことのできない冥府の存在が、地上に干渉するとき、きまって人間に己の肉体の一部を与えて契約する。鍵として、縁として、運命の通り道として……。
人が神に供物を捧げるのと真逆。
神が人に肉体を捧げてまで願いを通そうとする。その逆光の腕を、炉印と呼ぶ。
メテウス、おまえという獣に与えられたものは、神の肉だ。
メテウス、おまえの運命は不死者を殺すことなんだろう。
おまえの神が望み、おまえに偽りの記憶を与え、割り振った役割だ。
それを望みと呼ぶのならば……。
私が協力してやってもいい。
だからこそ、私の血盟弟になれ。それぞれが目的を果たすために」
──理解できる。
ロワットラが利用価値を見出しているのだ。
不滅のフレアを殺すために、ロワットラの力が利用できればどれほど目的に近づくだろうか。
利用し合う関係。
遠い血縁だろうが、義理の姉と弟という関係性で、縛り付けることもできる……。
メテウスにはすべてが理解できた。
湖の水で顔を荒い、目を見開いたまま周囲を見渡す。
真っ暗な大地の底を伝う炎の河が、地底湖に注がれる。
燃えしゃくる液体金属。まるで血のように赤い。
直感と連想が錯綜し、メテウスに一つのイメージを与えた。
あれは神の血なのだ。
バロートは穀物の育たたぬ大地だ。
穢れた土地。
その底を流れる貴金属の血液。
地底に沈められた、巨人の骸。
かつて神であったという、人体のパーツ──
「あの湖に沈められているのは、”赤き”スモルクが弑逆した、初代〈リイン・スモルク〉の死体だ。だが、神は殺したところで消えるようなものではない。
ああしてその魂を慰撫するため、各地から流された大地の血を飲みつづけようと、一つ目のスモルクは永遠に自らを殺した者を呪っている。
2つ目のスモルクは呪いによって狂い、その狂気を慰めるためにバロート人は血を捧げつづける。
百年?二百年?否、これまでも、これから先も、ずっとずっと──我々バロート人は滅びつづけるし、呪い呪われる民族なのだ。はは、まるでいたちごっこじゃないか?」
この穢れた大地は、神の骸なのだ。
ロワットラという女は、神々の極まった呪いに立ち向かおうとしている。
さしずめ、祭壇に捧げられる──
「……あれ?おれ、やっぱり生贄じゃないか?」
「……。…………」
「なんか言ってくれよ」
ロワットラは背から湖に倒れ、天を見上げた。
メテウスは腑に落ちない顔をした。
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