「贄なるもの 二十五」
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>業魔府のメサンドゥ
「魔剣、人造」
薄暮の頃、泰山に声が響いた。岩石ばかりの山頂にて、片腕を天へと掲げる人影が空闇に溶けている。発した言葉は命を奪う合言葉、神秘を神ならぬ身で人造する禁忌の祝詞だった。
「ご、んなごどをしてただでずむと」
「魔剣、人心抹消」
ば、と泡を吹く醜い叫びにも影は動じない。その腕が掲げているものは筋肉質の中背の男で、これから人間ではなくなる。男の人体は甲高く骨を鳴らして変形をはじめる。肉が縮んで脂肪が裏返り、世界が夜に沈む頃には人ではなくなった。
その物質物体を片腕で握りしめた人影は女で、とても背が高い。
「魔剣、命名」
声は低く、掲げた物体と共振している。
「"形あるものは有限であり、形のないものに時はなく、ゆえに永遠と刹那を区別しない"
"一者ではない。二者の間にある無形の関係性こそが器の本質であり、君を人たらしめる器を名と呼ぶ"
"尊厳の杯"
"そうした尊厳の杯に注ぎ込まれ、いつか神に飲まれるもの。これを人と呼ぶ"
"そうした尊厳の杯を自他ともに叩き割り、捨てた者は人ではない。こうして君は人ではなくなった"
しかして、人としての生を終え、剣として振るわれる君よ」
形だけでなく役割を成形され、人ならぬ形へ精錬されていくもの、その名は。
「銘を"ザーイングライド"と名付けよう。
自由を肯定するがゆえ、混沌・破滅・無法を望んだ罪人にはこの名が相当である。
エッゼの書いわく──古の理想郷〈ザーイングライド〉の住人は、この世の富のすべてを手に入れたという。
永遠の命。無窮の愛。はてなき知性を得たすえ、滅んだ巨人種の楽土である。彼らは不死のすえ、人の身では知られぬ真理の永遠に憧れ、それが死であると論じ、皆が自死を選んだ。
彼らほど賢い民はいない。彼らほど唾棄すべき民もいない。
ゆえに、地上に理想郷を再現さしめようという、このうえなく貴い愚者を戒める時、〈ザーイングライド〉の名は語られる。
人としての生を捨て、剣として命を奪う71本目の魔剣──新しき業魔のアークサインよ。此処に業魔府のメサンドゥが再誕永劫の刑を執行した」
人だったもの。ザーイングライドと名付けられた剣は短剣で、黒曜石に星を散りばめたような刀身を晒している。影が手を離すと、短剣は泰山から岩間を転がり、雲の下へ落ちて消えていった。
”希望を捨てること勿れ”
魔剣にはそう刻まれている。
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>光冥府のネステフ
ネステフは自らを認識した。
所有者が現れると同時にアークサインは目覚める。アークサインとしてのネステフを目覚めさせ、道具として扱う人間がまた現れたのだ。
道具。それはネステフにとって屈辱ともいえる状態だが、抹消されるか否かの瀬戸際にあたって、ネステフは道具になることを選んだ。
ユイフェルは皆シンボルを持っていて、ネステフは己が創り上げたシンボルに並々ならぬ執着を抱いている。
それは世界で、唯一、名前よりも肉体よりも精神よりも自己と同定されている確かなものだったから、死は恐れずとも、シンボルの消滅は受け入れることができなかった。
感傷ではない。それがネステフの存在理由だからだ。
あらゆる苦痛から解放された楽園で、なお強固な自我を保ち、捨てきれないものがあるから、ネステフは強大な神とまで呼ばれたのだから。
「善──善を知らないか?私の力を求めているのなら、対価として”善”を要求する──」
ネステフは所有者に問いかけた。答えは返ってこない。たしかに資格者があらわれたはずだが、声が届いていないのだろうか?
ネステフのシンボル──神象──は、根を失った天秤。
含意は、善への渇望。
ネステフは、善の追及というシンボルを人類に刻むことが最も望みのあることだと信じた。
ネステフはかつて神だった。
いまとなっては、黒曜石に銀の星を散りばめたような短剣。それがネステフの拠り所である。貶められきった姿。しかしネステフはなにも問題があるとは考えていない。
人なるものが、善を求め続ける果てに現れる光輝は、厳密な等価性を持つはずだ。人が善を求めるケダモノである限り、ネステフのシンボルは消滅しない。たとえ神の記憶からの完全な抹消を受けようとも、ネステフと等価性を持つシンボルが世には顕れる。それはまるで神秘者が、宇宙の本質に自己同一性を抱くのと同じように、ネステフは神象に己を持っている。
神に人間性はない。生死の意味も違う。かつて神であったネステフの死は、人類の絶滅を意味している。
この処遇は無意味な刑罰でしかなかった。
それでも神に刑罰を下す者たちの意図は、楽園の存続に尽きる。
光冥府という、魂の楽園を損なうまでに先鋭化したネステフのシンボルは、その価値が故に危険と判断され、アークサインにまで貶められた。
彼らはそれを罪と呼ぶ。
ネステフは真理と呼んだ。
戦いは、いまだ続いている。
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