「贄なるもの 二十四」
◆
「で?また?」
イオは指先でくるくると前髪をいじった。
天使人形、いわば世界の調律機械であるイオは、前回、少年メテウスをできるだけ調和を保つ方向に調律したつもりだ。なのに……狂って戻ってきた。
「目も耳も動いてる。状況を理解している。なのに情動がない。口を開かない。廃人だね」
誂えの服を着た使用人は、白黒で我を主張しない服装に見合わない賢そうな笑みを浮かべている。
「はい。ロワットラ様からの命でして」
「この子を使い潰すつもりなんだね?だから、最低限動けるようにしろ、と?」
「……珍しいですね? この城の人間は、私たち使用人を含めて、だれもあなたに親しみを持っていません。なぜなら、人間のことを気にかけることもない人形だからです。なのに、文句があるというのですか?」
そのとおり。何年も話し相手になって夜の帷の慰めをともにしていた兵隊が、ある日に死んでもイオは気にもとめない。なのに、イオは少年の処遇に引っかかりを覚えている。そして、そんな自分に戸惑ってもいた。
「文句なんてないけれども。でも、魂を接続した相手だ。無感動ではいられない」
「はぁ。さっさと仕事をすませていただきたいのですが」
「仕事?天使に仕事なんてものはないのさ。あるのは義務だけ。義務──人の子には難しい観念かもしれないな。百人に一人も義務を理解していないだろう」
「なにを言っているんですか?」
「話を伸ばしているんだ。だって、抵抗があるからね。少年をこのまま死なせてあげることはできない?」
医者と親だけは人間の死を肯定できない。
だが、イオは医者でも人の親でもなかったので、人間の死が慈悲であり得ると考えていた。生き続けてしまって、苦しみ抜いたすえになんの意味もなかったと泣いてししぬ人間のことを、イオは何人も観てきたのだから……。
「さっさとしてくれませんか?天使人形に意思などないでしょう?」
またしても、そのとおり。
天使だけど人形。ゆえに天使人形。
人形なのに、天使として創られている。ゆえに天使人形。
ちょうど人間が、美や徳を求めれば求めるほど堕落するように、イオは人間に憧れることはあっても人間になろうと考えることは決してない。
存在が違いすぎる。
下界の人間は、どれほど有力で長生きでもイオのような天使人形にとっては、対等でもないし意味もない。良くも悪くも百年もせずに死ぬ命に感情移入をするようにはつくられていない。長命種だってそうしている。稀に長命種が人間の命に執着して自殺まがいの悲劇を演ずるように、イオが人間に感傷を持ってしまえば、そうそうに狂ってしまうだろう。
人間もどきなのだ。
イオは狂ってはいない。感傷を持つこともない。
天使人形は神々の干渉機として地上の人間を模してはいるけども、人間を主たる対象としていない。世界そのものを調律するための存在だ。なのに……
「うん?あれ?もしかして、ぼく、操られている?」
イオはメテウスから記憶を吸い上げるため、魂を接続し、人生を追体験した。
メテウスは、名も知られぬ邪神に寵愛を受けている。
もしも、その魂の奥深くに、神々の意図が隠れていたら。さすがの天使人形も、運命を操られるかもしれない。
「なぁんだ。印象が逆流しただけなら、悩むことはないのかもしれないな」
「ねえ、ほんと悩まなくていいから。どれくらいかかります?」
「ブウェイック城の使用人たちは、とても冷たいよね」
「あなたは人形でしょう?哲学的ゾンビと同じで、当人がいくら意識があると信じていてもそこに意識はない。すべて独り言なんです、たまに騙される人がいるかもしれませんが、常識ですよ」
「哲学的ゾンビとは、これまた古いおとぎ話だね。意識なんてものを拝めてありがたがる人間の気持ちはよくわからないのだけれど、そう、君たちが考えるような意識はボクにはない。逆に……人間たちに同じような意識があると信じられている理由がよくわからなのだけれど。全員が全員違う言語を話しているのかもしれないよ?曖昧なプロトコルを発明して、同期をとっているだけなんだから、その信頼に裏付けはないんじゃないかな?」
「ときどき壊れたみたいに話しはじめるって先輩がたもいってましたよ、ポンコツ。ねえ、どれくらいかかります?はやくしてくれませんか?私、暇ではないので」
お仕着せの賢そうな少女が、フフンと笑うのをみて、イオは嬉しくなってしまった。若い人間が得意げにしているのをみると、鈍った感性がすこし若返る気がする。
「半刻もかからない。混乱を解きほぐすだけなんだから。お湯のなかで糸をふやけさせるのと同じで、身体の緊張とトラウマの接続を解くだけで正常化するはずだ。記憶と感情と身体的な緊張は繋がっているものだから、マッサージでなんとかなるんだよ。ボクは何百年も経験を持つ超一流マッサージ師なんだから。さあ、少年の服を脱がして」
黄金の羊のような巻き毛を長く伸ばした、メテウスよりもすこし背が高い天使人形。手足が細くて球体関節を隠すような執事服に、白衣を羽織っている。とても人間の少年に似ているのだけれど、目に底がなく、表情はいつも無感動にしている。そんな天使人形のイオを眺めてリージェントは嫌悪感を抑えられない。人間を模した生き物は、どうしてこうも気味が悪いのだろうか?
◆
少年の記憶を追走していると、不連続があらわれる。神に招かれた、と当人は考えているのだけれど、記憶をいくらさぐってもそんな追想は見つからない。
──罠?
イオの能力を超えた神の御業だろうか?
それとも……はじめから仕込まれていた記憶だろうか?
神々は、それぞれが抱える無限のタスクを消化するために分体をつくることがある。オリジナルとほとんど同じ権限を持つ高位分体もいれば、一言だけ囁くような低位分体もいる。エーテルに対する権限を移譲された分体は、総体への奉仕に従事するため、人を操っていてもそこに情はない。メテウスの中に神が分体を残して、会話をしたと見せかけていたのだろうか?
少年の記憶を時系列順にたどるにつれ、イオは心底驚愕した。
その光景。羽虫を潰したり砂遊びをしていた夢見心地の記憶のあとのこと。
少年が神象から取り出したもの。イオはその現象そのものを知識として知っていた。
イオは呆然として言う。
「──メテウスくん。神様から、なにか渡されなかったかい?」
抱きしめている少年は、眠たそうに半眼を開いて呟く。
「ああ……なんか、渡されたな。死なれたら困るってんだろ、めんどうだな、はぁ……寝る」
大義そうに目をつむり、すやすやと寝息をたてた少年。
マイティ・グラドールとの戦いで神象から取り出した、黒曜石を削ったようなナイフ。当人は、神に与えられた、多少便利な武具と思い込んでいるが、そんなはずはない。
神々が我が信徒の英雄に、と、神具を与えることは、珍しいがない話ではない。聖庭教会の倉庫には、過去の聖人の神具がゴロゴロと転がっているだろう。
だが、神々が神象を通じて、人に武具を与える?
神象とは世界に刻まれた新たなる理だ。一柱の神が世界に刻みつけた、己そのものを祀る証だ。神象を通して顕れるものは、常に神の肉体と決まっている。
それは──アークサインではないだろうか?
庭師の選定鋏、神の屍、炉塵──。
人に過ぎたる神骸だ。




