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不滅を狩るる ~ 終末の傭兵に二度目があったなら?→紅をぶった斬れ!!!~  作者: 六津井パラピポチ


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「贄なるもの 二十二」


◆


 おれが盗聴者たちとの心温まる相談でリラックスしている間に、ベネディクトは思考を整理したようだ。


 さきほどとは打って変わって、無表情で指先を見つめながら口を開いた。


「貴方がたに身を委ねようと思います。目的もすべて明かします。保護していただきたい」


 格子の外で話すか?と身振りで合図したが、首を振られた。

 おれはおもねり笑顔で頷く。


「さすが決断が早い。納得していただけたのならよかった。出立の準備はすこしかかりますか?」


「それよりもメテウスさん。話に付き合っていただきたい」


 なぜか目を合わせてくれず、下方を見つめたまま話し出す男がちょっと怖い。

 これが本性か?


「『落下と上昇の違いが存在しない』

 その言葉は私の研究に方向性を与える。

 さすがは神々、称えざるをえない。


 神──そう、人間に視線もくれぬ、あの偉大にして高慢なる神々の一柱が私に言葉をかけたということは、言外に決断を強いている。


 本題に入りましょう。

 私がここにやってきた目的は、行商などではありません。実験のためです。


 私の研究の後ろ盾になっているゼノ=フレア商会からお誘いをいただきました」


「ゼノ=フレア、商会?」


 ……聞き覚えがある。

 異界に入ってから、ずっと断続的に続いていた頭痛が、前触れなく頂点に達した。

 目を固く瞑って耐えた。

 フレア……。


 ゼノフレア……。

 聞き覚えがある。

 心臓が不整脈をおこし、刺すように痛んだ。

 脂汗がにじみ出る。

 頭の片隅で引っ掻かれるのを永遠に待っている、耐え難い痛痒感のような名前だ。


 現実を失う。

 肌の感覚がおかしくなり、手先のむずむずとした違和感──アカシジア──まで始まる。なにもかもをかきむしりたくなるようなストレス。

 

 それは……敵の名前では、なかったか?


「ああ、ご存知ありませんか?

 ゼノフレア商会は正式な名ですからね、こちらのほうが有名でしょう。

 ──フレア・フレアの商会。不死の武器商として名高い彼女が運営する、あの商会ですよ。パトロンとして、こちらで実験を行えばよいと誘ってきたのです」


 ──フレア・フレア……。

 不滅者の中でも名が知られている大物だ。その資金と伝手は小国くらい消し飛ばすような名だが……。

 ……それだけではない。


 体が、拒否反応を起こして痛くもないのに腹を抱えて倒れ込みそうになった。

 混乱した頭に、アッシュブロンドの女の笑顔が浮かぶ。


 おれは──あの女に何をされた?


 目玉が勝手に動く強烈な激情を抑えるため、額に手をあてて顔を隠した。

 動揺を誰にも悟られたくない。筋肉を固め、かろうじて感情が表に出ないように取り繕う。

 気絶しそうだ。

 気絶しそうだ。

 憎悪で、頭がおかしくなりそうだ。

 

 理屈ではない。

 因果もなにもかも無視した究極の苛立ちを、目の前のベネディクトに向けないよう理性で自分を抑えた。


 ベネディクトはおれの様子を気にもせず、独り言のような話を続ける。


「

 私は研究者ですから、好奇心の振るうままに生きることが望みでした。

 だが、それも叶ってしまえば他の目的がなくなってしまう。


 いま思えば、いくら窮屈でも、学術都市に籍を置いて刺激を受けるべきでした。

 私財で研究費を賄えるという幸運が逆に作用していた。


 趣味をいくら楽しんでも、趣味にしかならない。

 音楽に魂を慰められようとも、病までは治らない。

 人間という病を治す仕事は医者ではなく聖職者であるという言葉がありますが、それはひどく正しい。私は宗教に救いを求めましたが、神々は私に答えてはくれなかった。


 あげく好奇心が満たされつづけているはずの、研究の毎日に飽いてしまった。

 いや、研究に追われるのは変わらず喜ばしいことでした。

 しかし好奇心が別の栄養を欲するようになった。気ままな研究の毎日は生き甲斐ではなく、趣味と化してしまっていたというわけです。


 私は落ちこぼれでしてね。世間体も義務もない……それが幸運だったはずなのに、不運として作用してしまうようになった。

 薬物などいくらでも手に入るゆえ、幻覚剤に興奮剤をひととおり試してもみた。

 無為に飽いた頭を曖昧にするのは喜ばしいことでした。幸い、体や脳へのダメージは大金をだせば〈再生〉持ちの治癒術を受けられますからね。


 だが、いかなる快楽も幻覚も空虚を満たしてはくれなかった……。

 水底に沈殿する静謐の安寧は、死の再生産に過ぎません。どうせ手に入るものを強いて手に入れようとは思えませんでした。

 無限の快楽も、修験者ならば瞑想の一種として楽しめるでしょうが、私には快楽でしかありませんでした。そう、逆にいえば、瞑想すらも私にとっては快楽の一種としてしか受け取れなかったのですよ。


 快楽。それが苦しみの別名であることに愚かな私は気づいていなかった。己を失うからこそ快楽は意味がある。快楽が己の意味になってしまえば、忘我さえもできなくなる……。


 人はあまりに生き甲斐がなくなると、遠い未来や神々のことを思うようになる。

 皮肉なことに、そこに私の運命がありました。生まれ持った業なのでしょうね。自分が求めているのがなにか、理解することができるようになった。


 ただ一人の愚か者であれるならそれ以上のことはなかった。

 だが、いま、神々の使徒が直接警告に来られた。すなわち、私の行いは無意味ではなかった。

 それがプラスの意味でも、マイナスの意味でも……。歓ぶべきことに違いない。


 私は究極を求めているのです。ええ、どこへなりとも連れて行ってください。メテウスさん。あなたが私の運命なのですから」



「……フレア──」


 頭痛が臨界点をこえ、ぶちぶちと首から脳にかけての血管が断裂し、たまらない痛みにうずくまる。


「はい?なんといいましたか?」


「不滅の、フレア──」

「それは──」

「殺さなければない──おれの敵だ」


 目の奥から血があふれ、鼻と口から吹き出す。

 思い出す。

 奪われていた記憶を──否、自分が正気でいるために、忘れていた記憶か──


◆


 それは惹かれ鄙びたる無底の宿。

 罪を知らない歓びの律動する箱庭。

 業の一色で描かれた失楽の命《わたし》にはとても耐えられないような歓びで満ちている──


◆


 ──死を嘆く詩人をさんざ見聞きしてきたが。

 終わりがあるということは、ヒトに与えられた最上の救いだったのだろう。


 身じろぎもできない。

 手足の腱は破壊され。

 筋肉は丁重に切断された。

 かろうじて動く瞼と舌は絶叫を吐くだけで、この苦痛《よろこび》には逃げ口というものがない。


 ここには音楽がある。苦鳴の律動という音楽が。


 人の頭の中にある、楽苑と業獄。冥府はそれに似ているのだという。2つは同じものの別の側面で、どちらも永遠だというのなら、二つを分かつものはまさしく落ちる方角一つに違いない。


 ──空へ逆しまに落下する際限なき奈落。


 そんな詩を読んだ記憶が頭をかすめた。たしか、エッゼの本だ。

 虜囚生活の気晴らしに、古代の詩を口ずさんでみたものの、てんで意味はわからない。

 あいにく、奴隷生まれだ。文化なんてものに興味を持ったためしはない。

『エッゼの書』なんかは最低限の教養だというから、つまらない祈りや聖句を習い覚えたことがあるっていうだけ。


 デタラメの言葉が思い浮かぶ。


 タチの悪いジョークとしか思えなかったが、閉じ込められたいまとなって祈り言葉が浮かぶんだから、案外、意味はあったのかもしれないが──おれが求めているものはそんな精神的なものじゃない。



 ――音楽なんて求めちゃいない。なのに、牢獄は音楽で満ちている。



 疑似的な死を与えないことが肝要なのだと”敵”は言っていた。

 体内で蠕動する苦痛を与えるための芋虫が、不定期に蠢いては自分というものを奪い去る。

 痛覚が嬌声《ぜっきょう》をあげるたび、喉奥から蚕の群れがあふれ出す。


 苦痛を餌に生育する蚕たちは我先に羽ばたくのだけれど、飛べることなく地に落ちて死んでしまう。


 不甲斐ない。我が子たちのあえかなる終焉《おわり》に嘆いてしまう。


 あまりにもあっけなかった、ヒトとしての自分の終焉《おわり》を再演しているかのよう。血は水よりも濃いという言葉はどこまでも正しいみたいだ。




 己にある自由は目を動かすことだけ。発狂する自由もないものだから、正気のままに事態を見つめ続けている。


 ──何年?


 体内で育つ蚕は死んだあと、鼠の餌となる。だから鼠たちは自分の孫のようで、餌を生み出す肉体《きかい》としては、彼らに情を抱かずにはいられない。苦痛から気を逸らす唯一の変化として鼠の一生を追う。鼠が死ぬと、彼らは同族を平らげて元気に駆け回る。


 ──それは惹かれ鄙びたる無底の宿。罪を知らない歓びの律動する箱庭。


 究極のメランコリィに自殺という行いの絶対的な正しさを確信する。だが、死ぬことはできない。


 明滅する魂がジレンマを起こす。

 明滅する意識がデジャブを感じる。

 明滅する世界のヴァーティゴが摂理を捻じ曲げる。


 極限の苦痛に喘いで明滅する存在が、チカチカと消えては生まれ、チカチカと生まれては消える。なのに、人は死ななければ死ぬことができない。


 ──願わくば獣になりたいものだ。


 恨めしい。

 羨ましい。

 鼠の死をみると、血の吐くような嫉妬がたぎる。

 自分も死ぬことができればよかったのに。

 煮詰まって胸に溜まりどろどろとした妬心は、嘔吐《えず》いて苦しいのだけれど、恐ろしい現実と向き合うよりはまだ蚕を吐いているほうが救いのあるものだから、そんな些細な救いに縋り付いている自分が苦痛の蚕よりも下等な生命で嗤えてしまう。


 虫以下、という罵倒はさんざ見聞きしてきたが。

 その言葉に、今の己よりも他にあてはまるものなど存在しえない。


 また一日がはじまる。この一日は終わらない。


 ──業輪に轢き潰される魂と無関係ではいられないというわけだ。


 永遠の一日が繰り返される。

 動きの鈍くなる、同じことしか起きない一日が、脂汗の滲み続ける苦しみを伴って、車輪として毎日が無限に回りつづける。

 終わりのない不安と絶望は、いつしかいかなる顔よりも家族じみて慣れ親しんでいる。だんだん、なくてはならないものになる。

 感情は物理的な信号でしかなく、体を駆け巡って痛覚と溶け合いシンフォニーを奏でた。

 いまとなっては、膨張して自分を押しつぶす、壮大な恐怖の連続性だけが己の正気を保証してくれる。



 ──ここには音楽がある。音楽《クツウ》だけが救いで、それは憎くて憎くて愛らしい。


 突発的な激情の瀑布が、不定期に自分を壊してしまう。

 だけれど狂うことはできない。

 只管《ひたすら》に怖い。

 狂うことができればどれほどよかったことか──


 一つだけ願いが叶うのなら。

 願わくば、二度と覚めない眠りがほしい──


 ◆


 ──不滅を狩るのだ。

 魂の底から流出する真実の言葉。

 不滅を狩るほか、道はない。


 ◆



 青白い月を模したエーテル灯が地下墓の一室を照らしていた。

 男は目覚めるたびに不思議な気分になる。

 鎖につながれ、手足の腱を切られている自分の体を眺める。

 手術の痕跡は全身に及んでいる。


 いまだ人間らしい形を保っていることが不可思議でしかたがない。


 小さな通風孔の開いた地下室には、虫や鼠が足元を駆けまわっていて、いっそ光がなければよいのだと何億回も考える。


 何日も、何日も……

 呆然と地下室を眺める時間が過ぎ去っていると、

 前触れなく石面にさざなみがあらわれ、一人の女が現れた。


 小柄な肉体に不釣り合いな、巨大なエーテルの気配。膨張した魂が影だけを落とす不吉な気配。

 深々と被ったフードをはらいおとす。

 アッシュブロンドの髪をウェーブさせて整えた、フレア・フレアのいつもの微笑みが現れた。


『私はこんなに人が善いでしょう?』というような笑み。


 白亜の妖精じみた優しい顔つきをしている。

 紫の瞳に青白いエーテル灯が反射し、幻想劇の中にいるかのようだ。


 瞬きすると、印象が切り替わった。

 闇に浮かび上がった、真っ白な顔面。


 生理的嫌悪の極限が襲いかかる。

 男は、しゃがれ声で言う。


「早く……殺せ……」

「たまには違うことを言ってみてはいかがですか?」


 上品なくすくす笑い。

 手元を口に当てたフレア・フレアの声が響くと、鼠たちが下水孔へ逃げてゆく。男は他人事のように思う、鼠は存外賢い生き物なのだ。自分なんかとは違う。

 鼠よりも愚かだから、逃げ出さなかった。


「……俺が悪かったよ……もう満足しただろ?早く殺してくれ……」

「口先だけ。目をみればわかります」


 ブーツで頭を蹴り上げられ、男は仰向けに転がされた。


「意思の潰えない目をしている。わたくし、強情な人間は嫌いなんですよね。

 豊かな人間性を持つ人間には取引が通じる。意思疎通ができるんです。人生に未練があって、本当の不利益を許容できない。つまり拷問が通じる。


 拷問ほど優秀な取引手段は古今東西ほかに滅多にみられないもので、わたくしも愛用しておりますから、そういった人間のことは丁重に扱おうという気にもなる。理性で意思疎通ができるのなら、使い道があるものです。


 貴方のような人間は違う。

 利益も不利益も考えられない。不思議ですよねえ、下等な人間に限って強情を張って恨みを忘れないんですから。本当にわからないんですか?


 人と人は利用し合えるからこそ互いに存在を肯定できる。利用できない人間に対して人がどういう態度をとるか、貴方、知っていますか?

 知っていませんか?

 知っていますね?


 貴方のような人は利用できるところがないため、わたくしのような高貴な人間にとっては、穀物を食い荒らす鼠のようなもので、できればひっそり死んでほしいと考えてしまう。

 そんな醜い考えを自分に抱かせる、貴方のような弱者のことを本当に憎らしく思ってしまう。


 大多数の人間だってそうでしょう。

 嫌ですよね、そばにいるだけで醜い感情をかきたててしまう人間なんて、存在しているだけで不利益をまき散らす害虫なんですから。

 いわば、芸術の反対。目にするだけで不利益を与える存在なんです。


 昔は貴方のような人間がわかりませんでした。せめてしおらしく、無意味な弱者は弱者らしく、せめて有害な形をしてほしくはないと願っていたものです。乞食だって臭いのきつい乞食よりも臭いのない乞食のほうが好ましいものでしょう?


 弱者は一人で勝手に死ねばいいものを、みじめったらしく不快な姿を見せて、その不出来な外見だけで人を害するんですから、これほど不快なものはない。


 わたくしって人が良いんでしょうね、昔から貴方のような人間がなぜ強情を張るのがわからなくてずいぶんと苦労したものです。理解がおよばなかった。

 幼稚な考えなど、わたくしのような高貴な女性には理解できるものでもありませんでしたが、今は推察できます。知性がありますからね。あなたと違って。


 ねえ……あなた。

 怒りに身をゆだねているだけで、なにも考えていないんですよね?

 あなた……どうして生きているんですか?


 誤解なきように言っておきますが、わたくしは怒ってなどいません。


 ただ、希少な実験台を長持ちさせるために、適度に痛みと飴を与えているだけなのです。こうして話をしなければすぐに狂ってしまう。爪を剥がれたくらいで壊れる実験台に比べれば、貴方は怒りを持っている間は発狂しないでしょう?くすくす……」


 言っている内容は下品だ。なのに声色が物静かで、上品な笑みを浮かべるフレア・フレアは、表面的な印象だけはとても高貴だ。


 それがひどく男の勘に障った。

 男はフレア・フレアの思惑どおりに怒りを漲らせ、死を望む心を叩き伏せた。


 拷問などどうでもいい。

 手足がなくなろうと関係がない。

 喉笛を噛みちぎる歯が上下に一そろいあれば、まだ希望は残っている。


 闘うために生まれてきた、そんな憎悪だ。

 だがそう考える頭の裏では、同時に、その希望が偽りの希望だとわかってる。


 男はもともと猜疑心が強い性質をしていた。

 自尊心を煽ったり、怒りを掻き立てる情報は、すべてノイズのようなもので受け取るだけの価値がない。ましてや同調するなどもってのほかだった。その背後には蛆虫の生態にも似た真相しかない。悍ましい無意味な操り人形に成り下がるような心地がする。


 いま自分が持っている希望も、操作されているだけの、くだらない希望だ。

 奴隷を自死させないための飴玉。実験動物に与えられる、わずかばかりの太陽の光。

 夢物語は流行するし、パンとサーカスさえあれば、というやつだ。

 そういう不条理が嫌いで嫌いで……まさしくフレア・フレアは男の敵だった。


 ただ、それでも……。

 敵を殺すためならば、男はなんにだって耐えられる気がしていた。そのためなら偽りの希望を信じるのも悪くはないことだった。


 嘘の希望に生かされていると自覚していても、人間は希望を捨てられないものだった。


「無為に苦しんでいると思えば苦しみも増すものです。

 希少な実験体、いうなれば協力者ですからね。

 教えてあげましょう。

 あなたが苦しむことには意味があるんです。

 朗報があります。

 貴方の魂を分割して精製した複写ホムンクルス。かれらを使いつぶした、前回の仮想時空制御術式の実験は、一応の結論を得ました。


 エーテルよりも根深い相互観測作用で維持される、この世界の中立性を凌駕することは今のところ不可能です。しかし、ある個人の時間とは、空間の連続ではなく意識の連続にほかなりません。主観的な時間制御はテーマとしては陳腐ですが、一つの府をつくりあげるほどのものは秘奥でしょう。


 今回の、意識の連続性を極限まで間延びさせる仮想時空制御術式は、あまり使い道は多くありませんが、貴方の尊い犠牲によって実用圏に到達いたしました。


 ねえ貴方、嬉しいですか?」


 男はフレア・フレアに術式をかけられ、真っ暗闇の空間に何年も捕らわれたつもりでいた。

 しかし、この言いようが正しいならば、男の意識だけが捕らわれていたのだ。

 何年も。

 恐ろしいことだ。

 女の機嫌次第で、発狂するまで何十年も……。


「魔の術式とは、その名のとおりエーテルを貶めるための方法論であり、法術とは比べるべくもない小規模な事象干渉技術ですが、神々のシンボル──神象《ヴァグナ》──が地上世界から失われた今となっては、なかなか望みのある技術といえます。


 エーテルの技術は、物質界《マナス》に寄る科学技術と違って、条件を揃えたところで再現性がありませんからね。ゆえに呪術や錬金術は成立するのですが……。芸術的な個人の才能に依存しているがゆえ、母数を大きくしても技術が発展しないんですよね。


 ところで、わたくし、なかなか芸術の才能がありましてね。わたくしのような高貴な生まれの人間には、そういった才能があるものなのですよ。くすくす……。


 あら、意外ですか?

 思えば音楽は好きだし、絵画だって理解できます。演劇を鑑賞しない人生なんて考えられませんし、旅行も好きで、人好きのする性格ですしね。下民のとる料理をしかたなく食べるときなんて、屈辱を覚えてしまうほど味覚も鋭い。わたくし、もしかすると芸術家なのかもしれません。


 つまり呪術も扱えるということです。

 この術式を使えば、人間の苦しみを贄とする呪術を無制限に発動できるかもしれません。


 なんせ一人の人間を何千年でも意識の牢獄に閉じ込めてしまえば、膨大な苦しみだけが抽出できるのですから。


 業獄装置とでも名付けましょうか。


 魂をフラスコに閉じ込めて火にあぶるだけで、疑似的な永久機関の完成です。白々しい永久機関という言葉は、たとえ偽りだとわかっていても人の想像力を刺激しますよね。無限のエナジーの使い道を考えるとわくわくしてしまいまもの。くすくす。震えていますね。


 世界というフラスコを火で炙るものがなにか……それが重要なことなんですよ。ねえ貴方、理解できますか?

 我々みなの魂を炙るものがなにか……フラスコから揮発するものがなにか……」


 男は死を求めたが、フレア・フレアにどのような懇願も通用しないことはわかっていた。


 不滅のフレア。武器商のゼノフレア。戦争差配人のフレア・フレア。先の最終戦争では、何百万……いや、間接的なものを含めれば何千万人も殺した女だ。慈悲は期待できない。だが、男は祈るように謝罪の言葉をつぶやいた。


「すまなかった……ゆるしてくれ……」

「いえいえ、怒ってなどいませんから、ゆるすもゆるさないもありません。

 あなたをつかい潰すつもりもありません。

 意外に思われるかもしれませんが、わたくし、人間のことは大嫌いなんです。


 不清潔で、意地汚くて、嫉妬深くて、全員が性器をよくいじっている。あまり愛らしい生き物とはいえませんよね。なのに、そのことを忘れて清潔なふりをしている。みな偽善が大好きのくせして、すべて幼児性の発露で、無根拠に自分を愛していて。なにも知らないのに知っているという顔をしていて、善や正義を追求しない永遠の獣。しゃなりしゃなりと気取って歩く姿ときたら、もう……滑稽を超えたなにかでしかありませんよ。どうやって好きになればいいのかよくわかりません。


 でも……面映ゆいですが、貴方はすこし好みなのかもしれませんね。

 異性として。

 すなわち実験動物として。


 貴方という被検体は、なんせ不滅者ではありませんから、この不滅者の国では最低限の権利がありません。リスクフリーな人体実験が行える、こんな好都合な存在、ほかにいませんよ。愛着だって湧いてしまいます。


 悲願を果たすための生贄が、貴方一人で賄えるかもしれないんですから、こんなに好ましいものはほかにありえないといっても過言ではないでしょう……。もはやこれは、愛情、なのでは?


 愛情、よい言葉ですよね。

 愛情があると言えば、どんな物事にも救いがあるような気がしてしまうもの。

 なにか救いがあるということは、とても良いことですよねぇ。


 たかだか百年も持たずに死んでしまう下等生物が、なにか救いを信じたがっているとき、よく愛情と口にするので、わたくしも愛情を大切にしています。なんですか、その疑わしい顔は。失礼な。実際に愛情があるかどうかなんて、だれも興味がありませんから、問題が起きた試しはありません。


 さあ、目をつむってください……。

 次に目覚めた時には、どうせ発狂しているんですから、一瞬ですみますよ。

 もちろん貴方にとっては永劫の責め苦に等しい時間なのですが。

 わたくしは気にしていません。

 動物の苦しみなんて観測しなければ存在しないのと同じですからね、くすくす。


 そう、人間というフラスコの中身など、だれも観測できないのですから……

 フラスコを火に焚べることには罪がないんです。くすくす」


 殺す……。

 殺してやる……。

 たとえあの世がなくとも、無理やりあの世をつくって、この女を、不滅者どもを全員一億回でも殺してやる……。


 血縁も許さない……

 愛する子供も、親も、恋人も。

 同じ都市に生まれたというだけで。

 いや、同じ人間だというだけで。

 目玉のくり抜いた顔と何年も対面させて、恨み言を言い合わせて、バラバラにして肉を食わせてやる……。


 この女を拷問するために、この世のすべての人間を地獄に叩き落としたっていい。


 全人類を抹殺することになろうとも、この憎悪を……。

 願わくば無限の災厄となりたい。

 恨みを忘れない存在になりたい。


 世界のすべての人間を生贄に捧げたっていい。

 ありとあらゆる拷問の味を、この女に教えてやる……。


 だが、男の願いはかなわなかった。

 力なき弱者の憎悪なんて、ありふれていて、なんの実行力も存在しない


 そうして男は拷問のすえに邪教の生贄にされて死んだ。



 ◆


 ────サクリファイス・エンド。



 ◆



「──ああ、忘れていた……」


 メテウスは眠りから目覚めた。


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