「贄なるもの 二十」
◆
「よぉ、目が覚めたか?」
振動で目が冷めた。
気分が悪い。吐き気が強く、光は目に痛い。世界が棘を生やしているかのようだ。体調の悪いときに見る世界はこんなに悪いものなんだから、あらゆる良し悪しなんて、すべて体調の問題の一種なのかも知れない。信念や思想、愛や憎悪さえ……。
目やにを拭い、なんとか覚醒しようとする。
「よかった、平気じゃなさそうだな?」
……なんて心無いことを言うやつだ。
正気もさだかではないまま肉体を起き上がらせると、白い歯をきらめかせた男が手を貸してきた。
濃い金髪に濃い顔立ちに日焼けした肌色。
歯並びが整って白すぎて気味が怖い。手を掴んでから、気づく。
「……マイティ様?ここは……」
「ボウズ。殺し合えない誓いを立てた間柄だ、義兄弟みたいなものだろう。気軽にマイティの兄貴と呼んでいいんだぞ?」
ニカッ。その笑みが親愛だと信じられるほど、おれは考えなしにはなれなかった。
「……遠慮しておきます」
「チッ、つれねえな。おまえのせいでオレたちは泥だらけなんだぞ?」
狭い幌馬車の中にいる。
装備一式が煤けているマイティを眺めた。殺し合っていたが、今はもう互いに暴力をなせないため、話し合うほかない。
なんて楽なんだ。話し合いで解決するなんて。
先んじて暴力を封じるルールがなければ、知性的な話し合いなど成立しない。
相手を殺したり、脅したりする手が最適解でありうる余地をなくさなければ、互いに不意の暴力に怯えることになって、その恐怖が先攻攻撃を誘発してしまう。
法典による罪と罰という強力な暴力で押さえつけられなければ、話し合いも成立しない生き物。人間様ってのは自覚しているよりもずっとケダモノ寄りの本性を持っているんじゃないか?
親しげに肩を叩かれ、首で振り払った。
「やめてください……友達じゃないんだ、気安く触らないでくれ。苔を食わせたのはアンタ、先におれを殺そうとしたのもアンタだ。殺し合わないってだけで、許したわけじゃない……」
おれはもう面倒になってしまって、素で邪険にしてしまう。
マイティは片腕を肩の高さにあげ、首をわざとらしく振った。
コミカルでムカつくし、もう片方の腕がないだけにジョークみたいな姿で、怒りを維持するのが難しい。おれは、愚かな意味で人が良いのだろう。友好的に接されただけで、怒りが萎えてしまう。表面上の人あたりの良さに惑わされず、揺るぎない恨みと殺意を持ち続けたいものである……
「勘違いしないでください、友達じゃないんだから……」
「子供の声で言われると、妙な気分になるな。謝罪するつもりはないぜ? 姫様の命令だったんだ」
姫……ロワットラの姉御か……。
怒りが完全にしぼんでしまった。あの女に命令されて、否、といえばどうなるかと考えれば、マイティに選択肢などなかったことは明らかだ。
「……腕、悪かったな」
「フン、気にするな。オレはやわなハートじゃない。筋肉を鍛えていれば、いつか腕も生えてくることだろうさ」
絶対そんなわけないだろ巫山戯るなボケナス、と思ったが、やはり口には出さない。
理性よりも筋肉が優位な相手に、下手に敬語を使うと上下関係が生まれてしまうため、おれはあえて邪険に振る舞ってみせた。
子供の強がりにしかみえなくても、強がらなければ殺される可能性がある。
敬意を払うことが自分の価値を高めるような場所とは世界観が違う。
世には下等な人間もいるもので、犬みたいに上下関係を考えては相手を威圧するパワータイプが存在するため、それに対抗するため、ある程度の見せ札としてパワーを纏う必要がある……完全にドツボだし無意味な気がしてならないが……。バランス・オブ・パワー。国家間の戦争もそうして抑止されるというのだから、案外パワーこそ唯一の平和なのかもしれない。マイティが筋肉を鍛えている姿が合理的な姿にみえてきて、おれはちょっと嫌な気分になる。
「どれくらい眠っていた?この馬車はどこに向かってる?」
「一時間も経っていない。おまえのせいでフルーシャの城なんてぶっ壊れちまったから、渓谷の村まで降りたあと、小休止して帰るだけだ」
……フルーシャの城が壊れた?
夢を思い出す。
砂場あそびをする巨人の夢だ。
もしかして……
邪神のニンマリ笑顔を思い出す。
続いて、邪神に託された任務も思い出す。
個人的な印象としては、寒村で崇拝されて生贄をむしゃむしゃ食べてる偽神と同レベルの信頼度しかないが、仮にも神を名乗り超常現象を引き起こす相手との約束を無視すれば末路は一つ。死すらなまぬるい呪われ人になるだろう。というか、するって当人が言っていた。
究極に気乗りしないが、無視ができないのだから、この筋肉ダルマに予定を変えさせる必要があった。
「なあ?坊主、そんな顔してないで機嫌を直せよ。言いたいことは言えよ、なっ?」
「いやなぁ……不戦の契りを交わしたんだ。そちらに恨みがないなら、恨むつもりもない。だけど、ちょっと面倒な話があってだな……」
「あん?なんだ?」
おれは肌着を脱ぎ、胸に刻まれた邪悪なしるしを見せびらかす。
「この胸の神象を見てもらえれば分かる通り、おれは神々の駒にされてる……信じられないかもしれないが」
「いや信じるしかないが……おまえが死んだあと紫色の巨人になって、めちゃくちゃ暴れて殺されそうになったんだから、実感しかないが……」
……紫色の巨人?
おれは動揺を顔面の下の筋肉で必死に押さえつけた。
あの夢は、やはり……。
なにか、邪神に騙されてないか?
詳しい事情とか伝えられず使い捨ての駒にされてないか?大丈夫か、おれ?
「なら話は早い。眠っている間、神勅を受けた」
「ふん?神勅ってのは、よっぽど高位の使徒か亜神の類じゃないとでないって聞くぜ?話半分には聞いてやるが。嘘をついてるとも思えんしな……聞かせろよ」
神勅だの胡散臭い言葉の代名詞を言っている自覚があるので、話半分でも聞いてもらえるのはありがたい。
「あー、お告げでは……狼頭たちの集落に死なせたくない人間がいるんだと。おれは呪われないためにそれを助けなくちゃならない。馬車から降ろして、捨てていってもらいたいが……どうだろう?」
「はぁ」
マイティはどっと疲れるため息をついた。肌が浅黒いので、精力的な中年がふと見せた人生への疲れに見えたが普通に若いので錯覚だった。
「お互い難儀な立場だな。不戦の契りを交わした人間を、バロートじゃ義兄弟って呼ぶ。ハハ、多少不満のある兄弟だが……面倒にならないなら時間をとってやってもいい」
「助かる。礼はする」
「気にするな。だが、気をつけろよボウズ? 恐れ多くも神々は、人間様のことなんて一つも気にしちゃいねえ。殺して奪って与えて救う。それだけだ。忠節を貫いたところで、使い勝手が悪くなったら交換されるだけ、神々ってのはそういうもんだぞ?」
──それはよくわかってる。
◆
渓谷に到着する前に、ガレアーンとイドシオンに話を通した。
「めんどっっっっ。いや……少年?信じられないけど」
イドシオンの反応はまだいい方で、ガレアーンは極度に胡散臭い話をする詐欺師を見る目でおれを見ていた。
神々が人に使命を授けるという伝説は、いくらでも聞いたことがあっても、神の声を聞いたとかいいだす人間が極度に怪しいのは仕方がない。
いかにも詐欺師の常套句だが、こんな嘘をつく経緯も意味もないという点を強調しておく。
「正直、お告げを与えられただけで、とうのおれが半信半疑だ。最悪、置いていってもらっても構わないが?」
下手に正当性を強調しても、逆効果にしかならないため、放置してもらいたいと伝えた。
兜を抱えたイドシオンが、スナギツネみたいな顔でいう。
「全く信じられない。嘘じゃなかったら、故郷の騎士団に勧誘したいくらいだよ。自分と神と思い込んだ精霊に騙される人の話はよく聞く。それじゃない?」
おれは俯きながら言い訳をした。
「当人がいうのもなんだが、おれには選択肢がない。呪われ人にされるか、普通に殺されるか、未来は暗い。もう与えられた神勅を達成するほかない。それだけだ」
戦士マイティが残った腕の筋肉を確かめながら言う。
「おれの腕を奪った小僧だぞ?そこらの百姓が言ってるわけじゃない。どうも今となって考えるとロワットラ様が坊主に肩入れしてるのも意味がある気がしてならないし、ハヴォック家の聞かん坊の世話をしてるガキだ。寄り道してやってもいいだろう」
「聞かん坊!?私そんな評判なの!」
自分の噂にびっくりしているガレアーンに囁く。
「ガレアーン様。うっすら覚えてるんだが、おれが死にかけたとき、化け物じみた巨人の姿になったのは見てただろ?少なくとも呪われてるんだ。半日だけ時間をくれないか?」
「むーん……気に入らない……」
「任務は終わったんだ、戦士ガレアーン。姫様にありのままを報告する前に坊主が呪われ人になっちまったらどうする?アホヅラで報告するのはごめんだぞ」
「うーん」
「──やっぱり……半分ほんとねかもね……少年、もしもほんとだったら、公正騎士団に来ない?」
「公正騎士団?」
聞いたことがあるような、ないような。たしかどっかの騎士にそんなのが……
「知らない?十六都市同盟のディエゴ様の騎士だよ。うちはこんな辺境と違って都会だしね、給金も高いし生まれの身分より実力で地位が決まるんだ。そう、我々はリベラル……あーしも将来有望な子供なら連れていったら評価があがるしね、こない?」
「マジで!?」
こんな蛮族の土地で戦争をしている馬鹿らしい状況が一挙に解決されそうな気配に、瞠目してイドシオンを見つめた。
「おまえ……裏切るの?」
背後に気配を感じた次の瞬間、首と腕が拘束され、人体の可動領域に挑戦する角度へ捻じ曲げられる。
「痛ッ!!いだだだッ!!やめっ助けてくれ!
──ウボァ!」
関節が解放されたかと思うと、空を舞って首から地面に叩きつけられた。
腹を抱えて背面投げをかまされたのだ。
「身体を損なわず最大の苦痛をかける負荷だ──戦士ガレアーン、それがお前の筋肉なのだな」
「オイ死ぬだろ!!!殺す気かァ!」
「まだ意識があるの……?次はもっとやっても大丈夫そうね」
おれは起き上がりダッシュで逃げた。
「少年不憫すぎる……」




