「贄なるもの 十八」
◆
おれは水の中で藻掻いていた。
重たくぬるい液体。手足がとても緩慢で、時間が遅れて進んでいるかのよう。揺れる海草のような黒い光がそこかしこから立ち上り、天へ揚がっている。
──海底?なら夢のなかだろうか? 現実感がまるでない。
おれは必死で足を振り上げ、足元の虫を踏み潰すことに集中している。
理由はわからない。うまくいくと足元で弾ける。
それがなんともいえぬ、霊妙な快楽なのだ。まるで天上の馥郁たる香気を鼻から脳深くまで吸って舞い上がり、恍惚とした光に洗われるような……
浄化されているかのような。
どんどん、ずんずん…
うまくいかないと無駄足を踏む。
ムキになってなにも考えられなくなる。
こんなに気が荒ぶったことはない。
究極のいらだち……。
──この体は、おれの体だというのに、勝手に苛立ち勝手に暴れている。
体の主導権を取り戻そうと足掻く。
膝下の雑草を蹴り倒して歩いてみた。
ポキポキと茎が折れて爽快だった。
破壊を行うたび、自らの肉体を通して、地面の下へ香気が流れ込んでゆく。
なるほど、破壊とはまさに創造と対になる行いに違いない。
奪うでもなく、ただ壊してしまう。
これほどに無意味で、ゆえに高尚な行いはほかに存在しえない……
空虚。あらゆる意味の反対。
破壊とは、創造の背景にあるものを浮き彫りにするための、別種の創造でもあるのだ。
そう考えると気分がよくなって、自分のやっていることがとても正しいことだと感じられる。
しかし思うようにいかない。川に足を突っ込んで歩くように動作が緩慢で、歯がゆさが頭のなかを這い回る。
苛立ち──なぜ自分はこんなことをしているのか、わからない。
気が狂いそうだ。
かすかに残った理性が言っている。
はやく目覚めなければならない、と……。
足にかゆみが走った。
蚊を叩いてバリボリと掻いたような痛痒。
目を凝らす。
濁った水の中のように、明瞭には目視できない。本当に小さな虫はたくさん存在しているが、人間の目には何も見えないのと同じだ。存在の尺度が違いすぎて、害があるときしか存在に気付けない。
小さな……小さな虫が足に取り付き、チクチクと噛んでいる。
暴れる。踏み潰そうとする。目を見開いて凝視するも、視界に縦横の断裂が走り、思わず目を瞑った。
虫が──目を刺したのだろうか?
背を伸ばして立ち上がると、雲海に頭を突っ込んで冷え冷えとした。
あわてて膝をついて、両腕で虫を振り払った。
ぶちゅりと潰れる。真っ赤な……真っ赤な血を流す虫だ。
たくさんいる。また、目が痒くなる。ハエかなにかが舞っている。
拭うが、視界はぼやけたままだ。。
もう片方の目にも、違和感が走り、視界の大部分が欠落する。
回復を願って目を閉じ、開き直すと、視界はモノクロになっていた。
──目覚めが近いのか?
それにしても、つまらない夢だ。はやく終わってしまえばいいのに。
──生きているのと同じだ。夢など、必ず終わるのだから早く終わってしまえばそれでいい。大した違いがあるとは信じがたい……
雑草の生えた砂山を蹴り崩す。
土が緩慢に舞い上がって、紙芝居をめくるようにパラパラ落ちていく。
子供がつくったのか?
石の城があったので、一息に蹴り崩して踏み潰す。
赤黒い蟲がゾロゾロと砂山から湧いて逃げ出すのを、念入りに踏み潰した。
プチプチという感触があった。
ブチブチという感触があった。
大昔、海辺の街でバカンスをとったことがある。
水際で、砂の城を崩して遊んだことを思い出した。
楽しくなってしまって何度も踏み潰す。
子供の頃にできなかった、子供らしい遊びだ。
いくつになっても楽しいのだから、人間が大人になるということはなく、ただ子供が変化して楽しめるものが別になるだけなのかもしれない。
世界がよくなることはなく、ただ変化しているだけで、なにかが進むという感覚は死を前提とした態度だ。死のない世界では、進むという感覚はない。ただ無駄なものが増えたり減ったりするだけで……。
優れているとか、優れていない、そんな考えそのものが、たぶん頭が狂ってしまって無意味な妄想が自生して、離れがたくなっているだけなのではないか?
究極のところ、苦しみからの解放を求めているだけなのではないか?原因が苦しみなのだから、逃避は成功しない……
それとも逃避は成功することもあるのか?
まともな知性を持った生き物が、妄念に支配されて一生をすごすはずもない……
夢の中で、頭が鈍くなってしまった自分にもわかる。
人は、飢えて毛皮にハゲができてしまった野良犬のようなもので、みな病にかかっているのだ。
狂っている……いや。
狂ってしまったほうがよいのか?
だから狂っているのではないか?
地団駄を踏んで虫を踏み潰していると、珍しい虫を見つけた。
なんと、赤ではなく紫色をしていて、にゅるにゅるとミミズが集まったような形をしている。
ばちんと弾けて足にくっつくが、構わず地面に叩き落とす。
ぐちゅ、ぐちゅ……
ぐちゅ……
何度も踏み潰していると、今度は素早い虫が現れた。
嬉しくなる。
また、変な虫だ。
珍しく赤くない器用な虫。
アリの巣に水をかけたり、薪の先に火をつけて虫に押し付けて遊ぶような、童心が沸き立つ。
叩いても、叩いても健気に逃げる。
だが、大ぶりすれば当たらないということはない。
抵抗を笑って払う。
自分の声とは思えない、とても低い笑い声が雑草をざわざわと揺らした。
首が外れたように上を向く。
黄昏の空の下、時間が緩慢に流れている。
前にもこの景色を見たことがあるような気がする。
永遠の中に放り込まれて、無意味なことを繰り返しているような、デジャビュの苦痛に苛立つ。
首筋にチクッと違和感があり、とつぜん体の制御が効かなくなった。
体がボロボロと崩れ落ち、頭がころんと転げ落ちて、視界が流転した。
夢は終わる。
人生と同じだ。
どんな夢も、やがて……
◆
「こんな化け物が出てくるなんて聞いてないぞ!」
「だっっっっる……!だれも死ななかったのウッソでしょ!」
「フルーシャ族の城はぺしゃんこになりましたが……」
「あんな人食いども!」
「種族文化に口出ししないのが礼儀だから城では黙っていたが、狼頭は人間を家畜みたいに食ってるので有名だ。滅んで当然だろう。おい戦士ガレアーン、ボウズ、化け物だったのか!?」
「あたしだって知りませんよ!死んだと思ったら、なんなのあいつ!」
「あれ……あの土塊、動いている?」
◆
「ハァ、ハァ……」
……今度こそ、なんだ!?
頭が働かない寝起き。だっていうのに息苦しい。
全身に圧迫感がある。
布団ではない……土臭い。土の中にいるのか。
エーテルを振り絞って、土の中から起き上がった。
何も考えられない。
なぜか夢の視界と同じく、世界がモノクロに見えた。
夢の内容は急速に失われていくのだけれど、たしか──そうだ、邪神と会った。全部覚えている。そして、変な夢……水の中にいる夢をみた。否。そのまえに、おれは、死んだ……死んだはずだ
じゃあ、なぜ生きている!?
「ア゛オッ!」
「!?」
裂帛の気合に耳を聾する。
目を向けると、大男がハルバードを振りかぶったまま走ってきた。
気合みなぎる大上段が迫る。
泥だらけで、筋肉をむき出しにした大男の目は血走っていた。
「シネェエエエエエエイ!!!」
恐怖を感じる──やはり緩慢な恐怖だが、危機だということはわかる。
足元もおぼつかないまま、とっさに土を握りしめた。
なぜか、とても遅いハルバードの刃先を見つめ続ける。
周りに目を向けると、ひしゃげた大カマキリの死体があった。血祈虫だ。
大鎌を全力で引き寄せ、手刀で根本からちぎり取る。
「ボウズ、恨むなよッ!!!」
──寝ぼけていて気づかなかったが、顔に見覚えが──マイティ!?そういえば、おれはこいつらに殺されて──!?
「──ッィヤ!」
大鎌を両腕で振り回し、ハルバードにあわせたが、力が違いすぎた。
ふっ飛ばされて地面をこする。
背がおろし金にかけられたように皮膚を削られる。肩が外れたのがわかった。
痛みに鎮痛式を施しながら、追撃に跳躍したマイティを睨みつける。
現実感が追いつかない。
やはり時間が緩慢で、どこか夢の中じみている。
焦燥に駆られると、ドンドン時間が遅くなり、やがて止まりそうなほどに動きが遅くなり──声が聞こえた。
『──なんで死にそうになってるの!?
せっかく蘇らせたのに!
んもう……幸い、たくさんの命を送ってくれたね。
縁はますます強固につながっている。
きみに恩寵を与えよう』
「ゥオァ!?」
……痛い!
右胸の神象が焼けるように痛んだかと思うと、目の奥に燐光がほとばしり、呻き声を絞り出す。
心臓が痛い。
ニョキリと異物が生えて突き抜けるような強烈な違和感。。
たまらず手をやる。ジジと焼ける匂いがしたあと、神象から生えてきたのは──黒曜石のような短剣。
ひっつかんで、ちょっと眺める。
「……?」
粗末で原始的な黒曜ナイフにしかみえない。
──これは?
『アークサインだよ』
「???」
『あー、わかんないか。
下界ではなんと言われてるんだろうか?神様から、こう……なんか武器とか貰ったら、なんて呼ばれてる……?』
「はあ!? 神血杯のことか!?」
神が直接鍛えた品々を、古の詩的な言葉では”神血の滴り”と言う。
神血杯、神血武装とも言われる。
神の力を分け与えられた兵装で、亜神なんかが持っている品だ。
神より王権の保証として与えられる宝冠具なんかには一段劣るが、それでもこノリで与えられる代物ではない。
『うん……? たぶん、それじゃないかな。
さしずめバースデイプレゼントといったところ。
これでも神様と呼ばれていたこともあるんだ、小さな子供におもちゃを与えるのは得意というわけ。
あまり地上に干渉できないぼくとしては、簡単に死なれても困るんだ。だからそれでなんとかしていってね!!!』
勝手なことを言われたかと思えば、耳打ちされるような気配は去った。
「……支援があっただけ、ラッキーか……」
神の気配が去ったあと、緩慢な時間が早まりはじめた。
黒曜石の輝きを見つめる。貪欲にエーテルが吸われる虚脱感。
使い方がわかる。確信をもって、マイティのハルバードを振り払うと、鈍い感触とともに相手の獲物はぐずぐずと真っ黒に崩れ落ちた。
──この武器は命を吸う。存在を吸う。なにかを滅ぼす。
”滅ぼす”
それがこの神血杯の意味だ。マイティのハルバードは”武具である”という概念を滅ぼされ、存在できなくなった。
「チッ!? なんだ、それは!?」
警戒して飛び去ったマイティに、兜を被ったイドシオンが叫ぶ。
「突っ込むなマイティ!神の恩寵を受けているんだよ!? 殺してしまえば、呪われるよ!」
「じゃあどうすりゃいいんだ!戦士ガレアーン、なにを傍観している!この化け物を殺すのを手伝え!」
──化け物!? おれは化け物なんかじゃない!と言いたかったが、周囲の山が吹っ飛んだような黒土をみるに、あまり反論が思い浮かばない。夢の光景をぼんやりと覚えている。
白砂色の髪をした少女は、離れた場所で小難しい顔をして腕を組んでいた。
──ちらっ。目が会う。なんとなく手をふると、ハッとした顔で叫ぶ。
「戦士マイティ、攻撃を中断してください。こいつ、意識を取り戻してます!」
「えぇ!? 神々の端末になったんじゃなかったのか!?」
「だって──おまえ!返事をしなさい!こら!首をふるな!」
さんざ叩き込まれた恐怖のせいで、そっと目をそらした。
──あれ、これ、夢じゃなくないか?という現実感が強烈に襲いかかる。これ──シビアな現実か?
嫌いなんだよなぁ、シビアな現実。
傭兵生活は面白いものではない。都市部では野良犬のように邪険にされ、敵にも依頼主にも、隙あらば殺されかけ、はした金のために仲間が後ろから弓を放ってくる。おっぱいの大きい娼婦と部屋に入ったら下半身になんかデッカイ棒がついてる……自分より強い!そんなシビアな過去の連続が映像としてコマ送りになる。
「うっ!」
おれは夢見心地で悲しい気持ちになる。
……おれ以外の人間がいなければこの世は楽園になるんじゃないのか?全人類おれのために死んでくれないか?だめ?
「ァ──ァアア!」
「邪悪な気配がする。イドシオン、合わせろ!」
マイティが大盾を取り出し、隠れるように前進してくる。
ひとかどの鍛冶師が打った武具だろうか、黒地の金属が鈍い虹色に輝いていた。
視界の端からスッと消えたイドシオン、定石では、どこからから隙を伺っている。
スッと肝が冷えて、鈍い殺意が胸に宿った。
……あいつに、魔導式エーテル銃で頭を砕かれたんだ。
──おれは、後頭部に手をやった。
一度砕かれた頭。
なぜか、治っている。
おれはこいつらに殺されたんだった──。
──敵だ。
またたく間に駆けたマイティを目で追う。
大盾を振り下ろしてくるのを、やはり黒曜石の短剣で振り払う。
「ィ゛ッ!」
まるで刃を伸ばしたように、盾ごとマイティの前腕を切断していた。そして、その傷から黒いグズグズがマイティの肩へ忍び寄る。
「イドシオン!腕を撃ってくれ!」
「──りょ!?」
りょ?
魔導式エーテル銃は、エーテルを溜め込む鉱石に爆発の術式を刻み、その爆発力で銃弾を打ち出す武具である。
特有の甲高い音がパァンと響き、マイティの腕は肩口から吹っ飛んだ。
断面が切断されたように艶めかしい。
──所有者のエーテルを吸い取り、弾丸まで生み出す一点ものの高価な銃だ。だから弾丸にカマイタチのような効果が付随している。
……それが逆にグロテスク。断面に骨やら黄色い脂肪がみえて、ぬらぬらと血に濡れてゆく。め、めっちゃ痛そうだ……
「おお……痛そう……大丈夫か?」
おれは素で聞いてしまった。
マイティがいきなり目を見開いて、こちらを凝視する。
「ぼ、ボウズ!? おまえ、意識があるのか!?」
「いや……それはなんとも……」
「ハッキリしろ!!!!」
腕から吹き出した血をムン!と筋肉で止血したマイティ。
その必死の形相に、戦いを続ける気にもならず、ちょっと気まずい感じすらする。
おれは今更ながら小芝居をした。
「うーん……ここは……ハッ。ゆ、夢を見ていたような……あなたはたしか戦士マイティ?ここはどこですか?」
「おお!目覚めたか!ではその剣をおろせ!わかるな?」
黒曜石の短剣をみつめる。湾曲したみすぼらしい剣だが、命綱だ。これがなければ確実に殺されていた。いま、これをおろせば、おれは……殺されるんじゃないか?
「な、なぁ。あんたら、おれを殺したよな……?」
「イドシオン!来い!」
距離をおいて、景色がぶれてイドシオンが現れた。いかなる方法かわからないが、迷彩で隠れていたのだろう。
「……バカマイティ、大丈夫なの?」
多少目は血走っているが、マイティは白い歯をきらめかせた笑顔で話してくる。
……なんで笑ってるんだ?この期に及んでホラーに似ている。めっちゃ怖いわ。
「ボウズ、手打ちにしないか!?
姫様の実験動物なんざ、簡単に殺せるとタカをくくっていたが、心得違いをしていたらしい!
どうやらおまえは恩寵者だ!これ以上戦えば、双方タダではすまん!
おい、そんな不信に満ちた目で見るな!
戦士ガレアーン!説得に加われ!!」
頭を砕かれたんだぞ?
その相手を信じようとはとても思えなかった。
だが──あの邪神はなんといっていた?
恐怖を奪った、と言っていなかったか?
一度死んで自分が自暴自棄になったと考えていたが、思えば、それにしてもバカなことばかりしていた。ガレアーンやロワットラのような貴族に口答えをするなんて、プチ頭脳派を密かに自認しているおれのやることとはとても思えない。
そうだ、すべてあの邪神のせいだったんだ……。
おれはひとまず、過去の愚かな行いをすべて邪神のせいということにした。
自分が本来感じるべき危機感を、感じ取れていない可能性がある。
マイティが大嘘を言っていて、殺しに来る可能性を冷静に勘定する。
頭がこの上なく回る。
あたりは異界だというのに、樹木が根こそぎ引っこ抜かれ、土砂と魔獣の死体混じりの凄惨な様になっている。
まるで、巨人が暴れたかのように──
「──メテウス、死にたいなら暴れれば?」
ガレアーンが何気なく歩んできた。
がちゃがちゃ、外套と武器帯は鳴っているのに、重心がぶれない。
丹田を動かさずに滑るように歩く、武を納めたエーテル遣いの動き。
剣を抜いていない。
──砂色の髪をした少女。刃を向けようとするが、ドルツカ基地の死地で協力した記憶が頭を駆け回る。戦場で生死をともにした人間は、ときに肉親や恋人よりもはるかに近しく感じてしまう。
──そうだ、こいつは敵じゃない。
クソ生意気な貴族のお嬢様で、暴力で人を従えようとする最低最悪の性根をしたサイコパスだが、だが、戦友だ。無視はできない。
「……」
気が抜けてしまって、短剣を取り落としそうになる。
マイティとイドシオンの顔を見回す。泥だらけで、なにか激しい戦闘のあとだとわかる。
周囲を見回す。真っ赤な山はふっとばされたようにぐちゃぐちゃの黒土になっていて、ひっくり返った木の根っこや、赤い血の海の残痕が痛々しい。
「うーん……」
覚えがある。
夢をみた。
巨人になって、砂場をひっくり返す夢。
目を反らしたいが……夢じゃなかったんじゃないか?
「ボウズ、殺そうとしたのは悪かった。
オレの腕を奪ってしまったから、警戒してるんだな?
報復の連鎖を断ち切ろうじゃないか、ほら見ろ」
マイティが蔵遮腑から、大仰に箱を取り出した。
それは幾何学的な紋様の刻まれた、虹色に光る八角形の宝石だ。強い魔獣の体内からえぐり取られた晶核 は、様々な奇跡に使われる品で……高く売れる。
成長しつづければ世界を纏う人間の天敵たる魔獣たち。その体内で結実した晶核 は、価値に応じて、銀核、真核、界核といった具合にランク分けされている。あれは、宝核武装の核に用いられるような、価値のあるものだと一目でわかる。
「もったいねえが、しかたない。
契約だ。
──三界の呪約を司る〈審判者クミョニルと天秤ゴスロラ〉の双頭神よ。
五分と五分の誓約の守護者、殺戮に歓ぶ獣を憎む善神よ。
我々は、ここに天眼を借りて誓約を契らん──
バラキの戦士マイティ・グラドールは、このメテウスを自衛以外で害さない。そちらは?
……知ってるよな?
〈ゴスロラの神前契約〉
長命種なんだからよ?」
当たり前のように古い神前契約を言い出されたが、〈審判者クミョニルと天秤ゴスロラ〉を持ち出されて、それを嘘だと疑うことはできない。神々はエーテルに偏在し、その名を騙るものを決して許さないからだ。
しばし無言。
──いい加減、手打ちにしないと、これを断れば確実に殺されるな……。
破れば、神に呪われる呪約。
本来は、国家間の停戦条約なんかで王同士がしかたなく結ぶような儀式だ。単なる契約で用いられることは少ない。
……これが生き残る最後のチャンスかもしれないな。それに、こいつらと戦うにしても、どうもガレアーンをぶっ殺す気にはなれそうにもない……。
誤魔化しの効かない契約を受けることにした。
双方に利益があり、ある程度は対等な立場でないと、この儀式は成立しないことも後押しする。奴隷契約なんかには用いられない、五分と五分の契約だ。
「──了承する。
今となっては無所属だが、シャルナクク傭兵団のメルディウス・コンランド。
〈審判者クミョニルと天秤ゴスロラ〉の神前にて、五分と五分の誓約を承る。
私は、自衛以外で戦士マイティ・グラドールを害することがない」
巨大なエーテルの影がかすめる。
重圧で頭痛がする。
天より地を覗き見しているような、吐き気のする視線が、ぬるりと傍らをかすめた。
──神々の高位分体が、実際に場を観た気配。
「う゛っ!」「ッ!」
地面から契約紙を掴んだ手が突き出て、それぞれの胸の中に誓約書が突っ込まれ、腕は地面の中に消える。人間なんかに逆らえないことがひと目で分かる光景だ。
「よし、なんとかなったか……もうあの巨人と戦うのは無理だ」
「はぁ、はぁ……」
場に安心感が満ちた。
個人と個人の契約においてこれ以上のものはない。
破れば、神の名において死ぬのだから。
不本意ながら、戦士マイティは──この世で唯一、おれを害さない人間になってしまったのだった。婚姻契約や騎士誓約より重たい契約であり、正直、こんな決闘まがいの停戦で用いる方法ではない。
「イドシオン、戦士ガレアーン、坊主を看病してやれ!」
「──バカマイティ、腕は?」
「しかたねえ、気にするな」
緊張が途切れ、弛緩した空気にあてられる。
テクテク歩み寄ってきたガレアーンのぶすっとした無表情がおかしくて、笑いかけた。
砂色の髪をした少女は、口を”への字”に結んでいる。とても余計な心労をかけたような気がする。
「おまえ……それでよかったの?殺されたのよ?暴れたかったんじゃないの?」
「……恨みなんてないんですから、なんとかなったということでしょう」
「そう……」
肩を捕まれ、「?」と少女をみると、振り上げられた拳がまさに降り注ぐところだった。
「一つくらい、私の命令聞きなさいよ!」
「へぶっ!」
疲労と衝撃が重なりおれは気絶した。




