「贄なるもの 十七」
◆
開き直った。
じたばた足掻いてどうにかなるような状況ではない。
ほのかに温かい真っ黒な粘液に浸かり、邪悪な空を眺めていると、ふいうち気味に声をかけられた。
「キョーダイ……」
「うん?」
振り向くと、仮面を被った巨体の怪人がいた。
そんなことある?
すん…と前触れなく表れたので、おれも驚愕してしまって、しゅん…としずかになる。見つめ合った。
「……………………」
「……キョーダイ……」
──あの邪神! 話し相手を呼ぶとか言ってたな!? これか!? この怪人か!? どうせ呼ぶならもっとまともなのを呼べやクソッタレが!!!
「────ッ!」
でも怖いので口には出せない。
仮面をかぶった怪人の体躯は3レヌトに達するだろうか。手足が長くて針金のようで、背には真っ黒な翼が生えている。人間離れしているというか、ヒトガタをしている化け物だ。
かぶった仮面の相貌は恐ろしい。
紫と白で左右に分割され、緑の目が6つ描かれていて、奇怪な風習のある部族みたいだ。乱視の視界じみて目が霞んで気味が悪い。
……これ殺されないか?
おれは勇気を振り絞った。
「どっ……どなたでしょうか……?」
「カミは仰られた。ブーチンにキョーダイ うまれた、と……。
カミは仰られた。仲良くしろ、と……。
ブーチン仲良くする、キョーダイ……」
とりあえずブーチンさんと言うようだ。そして義兄弟になっているようだ。
錆まみれの金属をこすりあわせたような声に慄きつつ、かろうじて頭を下げた。
「それはどうもご丁寧に……」
硬直する。
微動だにしない仮面がこちらを見下ろしている。
スキャンされている気がした、とても気まずい。そんなはずはないのに、内心を見透かされている錯覚……。
そして、のそのそ怪人は動き出した。
くるぶしまで覆うマントから突き出した腕を持ち上げ、ヘドロみてぇな風呂にのっそり入浴してくる。
「……お湯加減は……?」
おれはバカみたいなことを言った。
「我がカミの子宮に浸かる。
血潮に浸かる。
ブーチン、安らぐ。
だからブーチンは嬉しい。
千の月を何度か数えた、ひさかたぶりに我がカミの領域に招かれた。
ブーチンは報われている……」
「そうですか……」
なに言ってんのかさっぱりわからん……。
「キョーダイが生まれた。
ブーチンよりも若い。
だから弟よ。
チカラだ……。
我がカミのチカラ 戻ること
ブーチンは長く夢見ていた。フォ、ファ、フォ」
……また弟呼ばわりされた!
そして笑い方きもい!
ロワットラとかいう姉もどきに、ブーチンとかいう兄もどきが続く。意味不明な兄妹ばかりが増えていく。
──こいつ、やはり亜神だな……。
神々に直接創造された眷属を亜神という。
フォファフォと唸っている怪人は、露骨に”亜神”の類だ。
神の祝福を受けた恩寵者や、神の声を聞いて使命を授かった使徒と違って、亜神は神が自らの力を分け身して地上に伸ばした手足であり、もとが人間でないから、人間的な価値観は期待できない。
亜神にとって人間は本当に下等生物なので、人間がアリの巣を潰すノリで街とか国をぶっ壊したりもする。怖い。
「へへ……」
緊張で脂汗をかいたので、ヘドロみてぇな風呂の水で顔をパシャパシャする。
唇に残ったヘドロは味がなく塩っ気がした。すこし金属質で生臭い。温泉地には泥風呂があるというが、案外このヘドロもそういう健康的なアレかもしれない。成り行き上そういうたぐいのものだと信じるしかないので、おれは健康になった錯覚がした。
「ブーチン様、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「サマ……? 基底人が生み出した無意味な敬称だ。ブーチンは考える。ブーチンをブーチンと呼ぶべきである……」
「し、失礼しました。ブーチンは……長く神様に仕えておられるんですね?」
「長い……長い使命が続いている……。
キョーダイもわかっているとおり、我がカミは清らかなる女神だ。敵もオオイ」
き、清らかなる女神……?
おれは呆然と景色を見つめた。
紫の空に真っ黒な双子太陽がコロナをまとって鎮座している。
なぜか”前回”と違って遠くを見通せる。黒土の果てに水平線はなく、盛り上がるように大地が山脈のように空の果てまで伸びていた。遠く遠くの果てでは、紫の巨人が何体も蠢いていた。
──清らかな感じは一切ないし、邪神のアバターが少女ってだけで、女神かどうかも怪しいが、とりあえず頷いて同意を示す。
「我がカミは神聖にして不可侵。
常に正しい。
ゆえに妬まれ、封印された。
ユルセヌ……
よこしまなるカミガミがよってたかって、正しい神を貶める。
ユルセヌ……。邪神めら……。
我がカミは奪われたチカラを回収するため、ブーチンを地上に遣わした。
ブーチンは魂を刈り取り、我がカミにささげている……」
ほら!死神じゃん!死神じゃんこいつ!魂を刈り取るとか言ってる!
そしてよくよく考えたら、おれは死神候補としてリクルートされたのだった。死にたい。
「て、敵がいるんですね……」
「悪しきカミガミがいる……
忘恩の光冥府。油断デキヌ……。
彼奴らは基底人に”光のカミガミ”と呼ばれている。
キョーダイよ、使命がある。
我々は悪しきカミガミがのさばる地上を解放するために戦っているノダ……!」
ほら!
これって、邪神サイドの視点じゃないか!
光の神々から地上を解放するとか言ってる!
じゃあこっち闇じゃん!光と戦ってる闇の勢力じゃん!闇の勢力サイドの理屈じゃん!
おれは突っ込みかけたが、怪人の仮面の裏からにじみ出る信頼を受け、それを裏切ることができなかった。
怪人の頭は黒い髪がトゲトゲになって伸びていて、先には小さな金属球が飾られており、頭を揺らすたびにぶつかってリンリン鳴いている。おそらくおれを殺すときも大して揺れないだろう。リン──とか鳴いてつぎの瞬間にはおれが倒れているのだ。容易に想像できる。
「ぶくぶく……」
諦めの境地にいたり、無言でヘドロ風呂に浸っていると、前触れなく空が明滅した。
漆黒の双子太陽がコロナを揺らめかせ、赤黒い円を幾重にも空に放っている。この世の終わりみたいだぜ。
「な、なんだあれ……? 露骨によくない感じがする……世界が滅ぶ前兆か……?」
「おお……我がカミがチカラを行使されている……
……チカラを取り戻されているのだ……
拝顔する栄誉は恐れオオイ……。ブーチンは地上に戻ろう……。
キョーダイよ。カミのしるしに願うがよい。ブーチンはいつでもおまえの求めに応えるであろう……」
怪人は勝手をいうと、忽然と姿を消した。
怖い……。なにが怖いって、あの怪人の好意が裏返ったときが怖い……おれ、どうなっちゃうんだろうか?
「あれ?せっかく呼んだのに、ブーチンは帰ったの?」
思わず二度見する。隣には、いつのまにか裸体の少女が両手を枕にして、ヘドロ風呂を満喫していた。
「なんか、顔を合わせるのは恐れ多いとか言ってた……」
「なんだ。せっかく招いてあげたのに。
きみ、ブーチンと親交は深まった?
たった二人の眷属なんだ。仲良くしないとだめだよ」
「二人の眷属!? 死神って二人しかいないのか!?」
「しにがみ……?なんのこと……?
こほん。みてのとおり、ぼくは封印されているからねえ。力を回収するための駒も少ないんだ。
ラッキーだったね。もしも駒が多ければきみなんて使い捨てがせいぜいだっただろうに。
こんな良い時節にぼくの眷属になれて、感謝し給えよ?」
死ねよ。
「おっと、そろそろ時間か。
きみの死体から滲み出たぼくの神域が暴れている。
別れは寂しいものだが、もう行くといいよ。
旅立つ人を引き止めることは人を殺すよりも悪しき行いだ。
ぼくのような善い神様は、人は殺せても人の運命を捻じ曲げるようなことはできないものだから。
さあ、友人よ。次に会うときはもっと良い風を頬に受けて、もっと明るい空の下で会えるといいね」
紫の瞳をうるませ、少女がおれの左胸に刻まれた神象へ手をやる。灼熱の痛み。
「サービス回というやつだね!」
コズミックホラー感満載だったが、少女は服を脱いだことでサービスになると思い込んでいたらしい。
満面の笑みを浮かべた少女は人間的ではない。
リラックスした姿勢のまま、ヘドロの海に沈んでいった。
「き、消えやがった……」
足でさぐるが、肉体が残っている気配はない。
「──は、はは……。なんだ、これは……おれは、やっぱり失敗していたのか」
いまさら、運命からは逃れられないということに気づく。
やはり死んだのに生きているということには、途方もない代償が付随していた。
双子太陽が陰る。
いつのまにか遠くに屹立している、天をつくような山。
あらゆる種類の内臓を集めて膠で固めたような、おどろおどろしい山が蠢き、空へ六指の腕を伸ばしている。
──あれが少女の真の姿だ。
──理屈ではなくわかる。
──ドン引きだ。邪神丸出しすぎる……。
──それにしても失敗したものだ。契約をするほかないとはいえ、こんなものと契約するとは。
──救済はない。この女神に拾われた魂は、永遠にこの闇をさまようのだろう。
ズギリ、と。〈異界〉で戦っていたときから続く頭痛が、脳髄を貫いた。たまらず目を抑えて耐える。
子どもの姿では理解できなかったことが、この神域では理解できる。
──おれはいったい、なにと契約してしまったのか?
──その女神を奉ずる民はなく、その女神を祀れる祠はなく、その女神を示すしるしもない。
その女神は呪われている。世界の敵であるがゆえに抹消された。
──神々が地上から追い出し、されど封印するほかなかった、まつろわぬ神。
忘却より覚ましてはならない、特等の邪神。
おれは邪神の手駒としてのイニシエーションを終えたというわけだった。




