「贄なるもの 十六」
自由を得るために魂を売り渡してなんになる。
──あの抹消された呪神のように。
私は魂の自由のために死のう。
人間が奴婢として生まれる煉獄ならば、喜びを求めたところでなんになる。
──あの抹消された残酷神のように。
私は鎖に繋がれた子供たちのために死のう。
地上のすべての富と永遠の命を得たところでなんになる。
──すべての人間に尊厳と武器を与えた咎で抹消された、残酷神ダラナクのように。
私は一片の薪として、祭壇と炉に血を捧げよう。
空虚の中に生まれた者は死の中に生を得る。
すべてを放擲した者は空を巡る血の声を聞け。
──渾沌府を開闢し、業淵から落とされた呪神ルーレイシェンのように。
私は無限の寂寞と責苦の中で死のう。
かねて祭壇と炉のために。
人は、みな祈りの中にいる。
──エッゼの書「抹消された神話」より
◆
「ここは──神域か……?」
気がつくと、じりじり闇を照射している邪神の領域にいた。
この光景。いつ見ても慣れそうにない。
紫の空に真っ黒な双子太陽が鎮座している。暗闇のようでいて、均一な紫の薄明かりがどこまでも伸びている黒土の荒野。
無底・無限の辺土。
「──あ、ああ──そういえば」
おれは邪神と契約したのだった。
なぜ記憶が曖昧になっていた?
否、なぜおれはここにいるんだ?
なにもわからない。
手を広げて口元にあてる。
瘤じみて関節の肥大化した疲れた大人の手だ。
前世の体に戻っているせいで、視界の高さに一瞬めまいを覚える。
神経が狂ったのか、手汗がひどい。
恐ろしい光景だった。
いまいる場所は小高い丘になっているようで、見渡すと、探すまでもなく目的の相手は見つかった。少女の姿をした邪神は、丘先に掘られたヘドロのような粘液のプールに半身を浸かっている。
真っ白な少女の人形が、紫の明かりに照らされている。
景色を眺めるようにしながら、真っ黒な卵にストローを刺して、トロピカルジュースの闇落ちverみたいなのを吸っていた。
「お、おい……悍ましいもの食べてるな?」
「ッ!?……きみか!ようやく来たのか!」
真っ白な肌に張り付いた、黒いドロドロの残滓を振り落としつつ、邪神(仮)は立ち上がる。真っ白な貫頭衣を虚空から魔法のように取り出して身にまとい、助走をつけて飛び上がり、なぜかドロップキックをかましてきた。
「なんで契約を果たさないんだばかーっ!!」
「うおっ!……なにするんだ!?痛いだろうが!」
「神罰てきめん!神罰てきめん!」
「うぶっ!」
勢いでマウントをとられ、ぺちぺち殴られる。地味に痛い。
「へぶ! へぶぶっ! この! ふざけんな!」
体重差を利用して上下を入れ替え、腹パンを一発ぶちこんだ。
おれに油断はない。少年兵に同情して殺された傭兵の話なんて腐る程聞いた。子を持った同僚が少年兵を殺せず、死んだのも見た。ナイフを握れる年になった子供なら普通に薬物で洗脳されたりして刺してくるため、油断することはできない。
なぜか子供を殺すことのできない人間も稀にいるらしいが、すぐ死んでいくのでたぶん愚かな迷信だろう。生き残るためには、殺されるくらいなら殺すってガッツが大事なのだ。ましてや子どもの姿をしているだけで、中身は化け物。躊躇などない、邪神への怒りは有頂天に達していた。
「死ね!死ね!」
パチン!パチン!バチン!
「う、うげっ……えーん……なんてね!びっくりした?神様に腹パンなんて利くと思ったのか、愚か者め!痛くなんてな……え?泣いてるの?」
おれは泣いていた。迸る涙がポタポタ邪神に降り注ぐ。
「泣いてない!」
「ええー……。大人の男がいきなり泣き出すのってちょっと引いちゃうなぁ」
無駄に整った顔の子供がドン引きしているのをみて、思わず首元を掴んだ。
「うるせえ!おまえに俺のなにがわかる!!おまえなどに!!!」
滂沱の涙を流しつつ、叫んだ。
「なんでわけのわからん蛮族に生まれなくちゃならないんだ!そりゃあね?おれだってね?あんな地獄の戦場を生き抜いたんだから第二の人生ちょっとはうまくやるぜウシシ、くらいの気持ちがなかったとはいえないさ!でも、これはないだろう!?
あげくおまえの刻んだ神象のせいで、腫れ物扱いされてるし!なんとかしろ、おまえは神様なんだろ!?おれはこれからどうやって生きていけばいいんだ!?」
虚を突かれたようなまん丸の目で、少女神は疑問符を浮かべる。
「……うーん?いや、記憶は読み取れるからわかるんだけど──きみ、死んだよね?」
「……?」
「『どうやって生きていけばいいんだ』って、まったく脳天気だなぁ。死んでるのに……」
「……えっ!?」
よ、よく考えたらそうだった。
おれ、死んでたわ。
第二の人生、堂々の完結か?次回作に期待するしかないのか?
おれが茫然自失していると、子供はペタペタと腰を叩いて再起動させようとする。
「むー……これだから人間を駒にするのは難しい。神象を刻んだのだって、ぼくが祝福してあげたんだから、下にもおけぬ扱いを受けると思って……親切にしてあげたのに!もしかしてだめだった?」
「まつろわぬ神の神象が刻まれてる!とかいわれて奴隷扱いされたわ!」
「ええー?な……なるほど、そういうこともあるのか。ぼくが地上にいた時代だとそんなことなかったんだけどなぁ。純粋に運が悪いね。うん。すべて不運のせいだった、だれも悪くない、そういうことで、うん。」
「あげく、普通に使い捨てにされて死んだぞ!?どう考えても失敗したのはおまえだろうが!」
「いや、それはさあ……自業自得じゃない? だって相手が『殺さない』って言ってたのに、きみ、無駄に反抗してるし……うわぁ、記憶を読めば読むほどなんだか悲しくなっちゃうなぁ。ぼくの駒ポンコツすぎる……」
つられて、死に様を回顧する。いまさらながら『なんで抵抗したんだ?おれはバカなのか?』と我に還る。
よくよく考えると、おかしなことが多い。
「……信じられなかったっていうか……いや、なんで……? どうしておれはメスガキにぶん殴られまくってるのに、平気で軽口叩いてたんだ? ロワットラなんて化物みてぇな貴族に生意気してたんだ?おれ、バカじゃないのか?」
「まあ、その件についてはきみだけの責任というわけでもないかな」
真っ黒な卵型のトロピカルジュースを丁寧に地面に置き、真顔になった邪神は丁寧に頭を下げた。顔が引きつる。
「ごめん……ごめんね? 蘇りの代償として──恐怖を奪ったから」
「恐怖、を、奪う……?」
「ハハ。そのせいかもしれない。かなぁ?」
「かなぁ?じゃないだろうが!!全部おまえのせいか!!」
ブーツで子どもの胴体を全力で蹴り上げるも、クルンと回転して片手をついて着地する。
シュタッ。格好良いポーズだった。まるで堪えていない。
「文句を言ってもしょうがないだろ?だって、蘇りには対価が必要なんだ。
きみが地上で受けた恐怖を、ぼくが信仰として受け取る。
それがぼくたちの信仰のカタチなんだから。
関係性のカタチはそれぞれピッタリのものがあるんだから──
受け入れないと。
それとも、死んで終わりにしたかった?ぼくとしてはそっちでも一向に構わないけど……?」
「う、うーむ……」
怒りは消えないが、下手に責めても本当に地獄に叩き落とされる可能性がある。
この神域では恐怖が正常に働くようで、軽口をたたけない。
「だいたい、アリやノミと大して変わらない哀れな人間に対して、ぼくとしてはかなり配慮したんだよ?人間性を破壊したわけじゃないんだ。生の恐怖を吸い上げるだけで、記憶から生まれる再現的な恐怖は残っていただろう? きみは恐怖していないわけではなく、リアルタイムのプリミティブな恐怖を感じる権利を奪われただけだから、大した問題はなかったはずだけど?」
おれは抗議した。
「いや!? そのせいでまた死んでしまったんだが……。マイティのクソヤローも、いま考えると本当に殺すつもりはなかったみたいだし……無駄じゃん!」
天使スマイルを浮かべた子供は、得意げに指を立てる。
「ちっちっ。そればかりはいたしかたない。死体とは運命を失った水子。死産した魂の残滓。そこにぼくの権能で命を封じ込め直してあげたんだから、運命を凌駕しなければ、その生も死も無意味に行き着くのは当然のことだ。
運命は慣性を持つ。捻じ曲げるための力は、魂からしか生まれない。べインレーテルの掟だ。
それよりも契約はどうしたの。ぼくはどうしてもという君と契約してあげて、この神域を永遠に彷徨うはずだった君を哀れにおもい救ってあげて、生者として地上へ送ってあげて、第二の人生を与えてあげた。贈り物をしてばかり、ぼくってお人好しなんだろうなぁ。ねえ、きみは些細な代償として魂を捧げるという契約だったはずけど……なぜ?」
五歳かそこらの、天使のような無垢な少女の仮装は剥がれ落ちる。
先程までいかにも人間らしい仕草をしていた邪神は、話をすすめるにつれ無表情になって、こちらを見つめる。
これが本性。
やはり人間ではないのだ。しかしもうどうにでもなれという気持ちが大きい。なんなんだこいつは?おれをおもちゃかなにかだと勘違いしているんじゃないか?
「だいたいよぉ、お前はなんの神なんだ?ていうか本当に神なのか?暗黒神に仕える悪魔とかじゃない?」
股下の少女神は小首をかしげ、瞳孔がすぼまる。ちょっと怖い。
「え?わからない?」
そっと腕を掴まれる。
「なんだ?」
小さな手なのに、振りほどこうとしてもほどけない。
握力が徐々に増していく。
「おい、ちょっと痛いって。痛い……痛いって!」
「ちょっとだけ。ね?先っぽだけだから」
「ちょ、ちょっだけ?おま!おいなにするんだキサマ!痛いっつってんだろ!」
爪を立てて引き離そうとするも、細枝のように細い腕はけれど大理石を叩くように微動だにしない。違和感で恐怖が増していく。
やがて腕からミチミチと音がなり、痛みが臨界点を超えた。
「うぉ……うぉ!?おおおおお! あああああああああああ!!」
ブシャーッッッッ。
まるで巨人用の鋏にかかったように、前腕のあたりで腕をちぎられた!
気違いになりかけた気分で頭を小刻みに振りながら、頬を噛んで目を見開く。
「ォっ!? おま、おまえーっ!!!!人間がなー!人様の腕をなーっ……! え?食ってる?」
「うまうま」
ぴちゃぴちゃ。筋や神経の滴る断面にかぶりついた少女神の口元からは血が滴り、白い薄衣を染めている。
え?
金属質の怖気に襲われつつ、俺はそれを凝視しつづけた。
えっ?なんだこれ?
真っ白になっても、奇妙に腑に落ちるものがあった。愛らしい子どもの姿をしているようで、妙にチグハグなこいつの言動を俺は信じていなかったからだ。
人の腕を夢中で咀嚼し、口元を汚している子供。美味なのか頬を紅潮させ、好物にありついた愛らしい幼子のように嬉しそうにしている。
そう、これが本性なのだ。この邪神の本当の姿なのだ。人を食っている。どうせ魂も食うんだろう。もうそうとしか考えられない。
ぴちゃぴちゃ。ばりぼり。
みるみる骨も爪も綺麗にたいらげられた。腕一本分ぽっこり膨らんだ腹部を撫でつつ、邪神(もう邪神で確定だ)は、まるでもう一本腕があるな?といわんばかりにこちらを見つめる。おれはこころもち斜めになって残った腕を隠した。
にっこり。ぽっこり膨らんだお腹をさすりつつ、邪神はてくてく近寄ってきた。その中身が人の腕だと思うと二重に怖い。
「自己紹介をしていなかったね。
ぼくは悪食の神と呼ばれている。
ぼくの司る神象は”無底なる豊穣”であるがゆえに。
いいかい、君は悪食の契約者になったんだ!
力ある生命を殺し、その魂を喰らって捧げなくてはならない。
その義務が理解できていなかったようだね!
神聖!これは神聖なる義務といっていい!!
祈りを、魂を、エーテルを捧げて契約を果たすといい。
説明が足りなかったようだけれど、本能でどうせ理解できるからと考えていた。これはしたり申し訳ない。でも義務だからしかたないだろう?
うん、もう体を自由に動かせる年になったようだし、契約を加速させよう。
──記憶を奪い取れば自然にやってくれると考えていたのに、うまく動かなかったようだし、大サービスで記憶も返してあげようじゃあないか!!
これから君は、エーテルを捧げないと飢えに苦しむようになる。
果てしない空腹に苛まれる。ぼくと同じだね!やったね!
君は殺さなければならない。魔獣や人間を殺したときに散華する魂は人の器を満たすものだから。
君は食べなければならない。食物に含まれる微弱なエーテルとその魂の滋養がぼくの権能を満たすものだから。
できない?
さもなくば君は呪われる。
神々に呪われたものの末路は悲惨だというが、ぼくは慈悲があるので、食欲だけは残してあげることにしているんだ。きみの飢えが臨界点を超えると、飢える餓鬼となって目につくすべてのものを食す呪い人となって、死したあともまたこの神域で彷徨うことになる。えへへ。
嫌?まあ、嫌だよね。ぼくは人の気持ちがわかるんだ。これは神には珍しいことだから喜んでくれていいよ。
呪い人になるのが嫌なら、契約を果たすといい。
方法にはこだわらない。結果ではなく過程を重視する習性は、寿命に限りのある下等生物が、その限りある時間を神格化しているさいにつくりだす無意味な悪習で、ぼくのような神性を持つ者にとっては結果だけが重要さ。
殺すんだ。
殺人鬼になって人を殺してもいいし、狩人となって魔獣を殺してもいいし、戦士となって戦争で人を殺してもいい。蘇りのための膨大な対価を支払う前に死んでしまえば、やはりこの暗闇で永遠に彷徨うことになるんだから、死なないでほしいなぁ。ぼくは人を心配することもできる神さまなんだよ。
捧げるんだ。
ぼくに魂を捧げるんだ。
ほかに道はない。
理解できたかい?」
子どもの見開かれた瞳は、爛々と輝く紫をしていて、空の双子太陽がなんだったのか今更思い知る。
──はは、空に浮かんでいるのは、こいつの”本体”の目なのだ。
……それにしてもこれが邪神か。救いがなさすぎる。
おれは形ばかりの抵抗を示すため意義を申し立てる。
「騙された。十分な説明がなかったから、契約は無効だ。契約を破棄してくれ」
「ぼくは騙さない。べインレーテルの掟は神々の嘘を許容しない。神々は契約を反故にしない。だから人も契約を反故にできない。神と人の契約は常に不可侵で神聖で真実なんだから。
だいたい、何度も死なれて困っているのはぼくも同じなんだよ?
死ぬたびに対価を奪うことになるから、今度はどうなるか……。
記憶を奪うとよく動いてくれないし、味覚か、性欲か、睡眠か……え?嫌?もう、贅沢だなぁ。死なずにすんだ代償として安いものじゃない?
え?安くない?
ぼったくり?
詐欺?高すぎる?安くしろ?
この駒、生意気すぎる……。
だいたいさぁ、そう言うならいわしてもらうけど、ぼくは君に選択肢をあげただろう?人には自由意志というやつがあるんだから、選んだ君の責任だよ。もしもぼくに騙されたという人がいるなら、それは相手が勝手に勘違いしただけなのさ。まったく、失礼なこともあったものだよね」
この女神、詐欺師でもあるようだな。死ねよ。
「じゃ、しばらくその温泉に浸かって休んでいてよ」
おれは真っ黒で粘液質のプールを見つめた。死ねよ。
「工業地帯のドブみてぇなんだが?」
「まったくもう!お風呂に入れるってことがどれほどありがたいことなのかわからないの!?恩知らず!」
死ねよ。
「頑張ってお客さんを歓待してるっていうのに、贅沢だなぁ!
そこらの不死者に恩寵者が蘇るのと違って、『真の死』を受けた人間を蘇らせるのは、いろいろと時間もかかるんだ。
しかたがない、お話相手を呼んであげよう! ぼくもお人好しだなぁ!」
死ねよ。




