「贄なるもの 十四」
◆
「じゃあ、逃げるしかないか……」
メテウスは設営を手伝いつつ、タイミングを見計らった。
逃亡するは我にあり。成功率が高くなくとも、いまドサクサに紛れて遠方に逃げ出さなければ業病で死んでしまう。メテウスは病に苦しむ民とかと関わりたくなかった。
作業をしつつ、メリットとデメリットが、グルグルと頭の中を泳ぐ。
デメリットは、同行したガレアーンたちに対して多少不義理なのと、ブウェイック家に捜索されること。不義理なのはしかたないとしても、ロワットラに捕らえられたさいの待遇は極めて厳しいものとなるだろう。
生意気な犬を可愛がる人はいても、勝手に逃げたり、人を噛んだりする犬の末路など相場は決まっている。犬鍋か……殺処分か。
だが、選択の余地はない。
疫病が流行っている場所に長居するなど、自殺の亜種としか思われなかったため、メテウスは逃げ出す決意を固めた。
簡素で狭い天幕は3つ立てられ、ダンテと同室にされていた。
狼頭がいびきをあげはじめたのを見守り、こっそり抜け出す。
この〈異界〉に夜はない。
夕暮れに伸びる影を不気味に思いつつ、抜き足で離れた。
天幕を離れ、ほっと一息をつく。
エーテルをふりしぼって走り続ければ、任務のために余力を残して置かなければならない戦士たちからは逃げ切れる算段だ。
マイティたちが追跡を諦めるよう、入ってきたのと逆に山向こうへ走り続けるつもりなので、川までいき、蔵遮腑に補充する。瓢箪2つに水用の革袋2つ。疫病のある場所なのでできれば飲みたくはないが……必要だ。革袋は酒をいれるためのものだから、比較的はやく水が腐ってしま……
「ボウズ、なにをしている」
「ヒエッ」
──くるっ。
振り返ると、マイティが腕を組んでいた。
ダンテが照れ顔でイドシオンから干し肉をもらっている。
旅装で天幕から抜け出すのをチクられたのだろう。
……あのクソ渾沌人、しょせん人もどきだったか。かばってやったのにな……
「これは皆様お揃いで。喉が乾きまして。へへっ」
「無理があるでしょ?」
ちょっと含み笑いをしているガレアーン。痛めつけてやろうと考えて、ちょっと楽しくなってしまっているのが阿吽のテレパシーでメテウスに伝わった。
……警戒しようと言い出したのはおまえか?
サディストめ。ろくな大人にならないだろうな……
「ボウズ、任務の意義を教えていなかったな。我々が伝染病の調査をしなければ他の人間がやることになる。治癒も遅れる。逃げ出すなんて……恥ずかしいとは思わないのか?」
……勝手な言い分だ。だれがいくら死のうがおれの知ったことか!
「……好きに言ってください!死にたいなら勝手に死ね!おれを巻き込むな!」
開き直り、猫に追い詰められた鼠のように静止したメテウスは逃げ道を探した。
「本性をあらわ……いやもともとこうだったわね……。いちおう、従者でしょ。義務を果たしなさい」
「な、なにが義務だ!疫病で死ねってか?義務なんて言葉、おれの辞書にはない!だって死ぬじゃないか!こんな見るからにヤバイ伝染病に関わりたいならおまえらだけで勝手に関わって勝手に死ね!」
「さんせ~い」
イドシオンが控えめに手をあげて賛成していたが、全員に無視されていた。
ちょっと空気の和んだのをすきとみて、メテウスは唱える。
「空を駆る光輪の如き──〈白き船のマーサンドゥーハ〉!
斥力と引力の手綱をとり、空と大地に美酒を捧げたる逆光の船主よ!我が肉を持ち上げ給え! 〈吊人〉!」
重力属性法術第二位〈吊人〉が発動する。メテウスの捧げたエーテルを受け取った神マーサンドゥーハが、斥力の権能を行使してメテウスの肉体を身軽に変えた。
メテウスは全力で木立に向かって駆け出した。
とても素早い。
「油断したな!この距離でッ!追いつけると思うか!」
パァン!
どさり。
「うっ……! う、うそだろ……」
片足が弾け飛ぶように痙攣し、メテウスは片膝をついた。
振り返ってみたものは、白煙をあげる長い筒。黒光りしていて──
「じゅ、銃だと!?」
「ひっとー」
イドシオンが折り目正しい姿勢でエーテル銃を立射し、メテウスのふくらはぎに穴を開けたのだ。
「慈悲とかないのか!? 飛び道具を使うなんて……卑怯者ーッ!」
「や……ごめんね?でも、逃げ出した少年のほうがよっぽど卑怯じゃない……?」
「イドシオン、なんで謝ってるんだ。乗せられてるぞ……まったく、緊張感のないやつらだな……」
マイティがどしどしと近づき、もだえるメテウスに手を伸ばした。
「抵抗したら、どうなるかわかるな?」
「嫌だぁ!逃げないから、許してくれ!」
「もう遅い……」
肩を捕まれたメテウスは、一瞬、ピンと全身を硬直させて倒れ伏す。エーテルを動かせない虚脱感で身動きができない。
「オレのエーテルを体内に差し込んだ。光縛術だ。エーテルを使えば死ぬかもわからんから、無理をするなよ」
「あんまりだ……。ガ、ガレアーン様……たすけて……」
「こいつ……変わり身が早いわね……首輪でもつけたほうがいい?」
げしっ。軽く蹴られたあと、へつらい笑みを浮かべるダンテに背負われ運ばれた。
◆
「おまえ……マジ……ぶっ殺すぞ……冗談じゃないからな……耳の先っぽから寸刻みにして……犬鍋……えのころ……」
「へっ、坊っちゃん、許してくだせえ!マイティの旦那に命じられてたんでさ!怪しい動きをしたら知らせろって!」
「う、恨みはらさで……」
「恨むならマイティの旦那を恨んでくだせえよ! へっ、へっ、へっ」
ダンテの笑みはあまりにも胡散臭い。
……意図的か?メテウスは、ここにいたって『こいつ、全部わざとやっているのでは?』と疑念を抱く。ガレアーンたちがダンテに冷たくしているのは、自分が見逃している理由があるのではないか?
無言で歩くマイティの背を追った。
ガレアーンに目で助けを求めると、ぷいっと首を逸らされた。
城壁に近づき、調査した小屋まで連れてこられた。
……なぜだ? なぜこんなところに? 鎖でもつけて繋がれるかと思ったら……
マイティは、また死体の調査をしようというのか、皮の手袋を身につけ、扉を開けた。
ドンと背を押され、中に入るよう促される。
あやうく苔の塊と化した死体を踏みそうになってたたらを踏んだ。
「なにするんですか!?」
「……恨むなよ」
「!? うぶッ!!」
──事態は思わぬ方向へ向かった。
まず感じたものは、青臭さ。嫌悪感。顔を打った痛み。
顔面を引っ掴まれ、死体の苔を何度も口に突っ込まれる。
「オッ!お゛ぇ゛っ!!」
嘔吐反応で胃から逆流するも、抵抗できぬ膂力で押し込まれる苔とぶつかりあって圧力の行き場がなくなり、発狂しそうになる。
「あ゛ぁ゛!」
──なにがどうなっている?
──この苔に直接触ったものは、疫病になると、あの狼頭が言っていた。
疫病で死んだ人間が変化した、瑞々しい苔。自分が飲み込んでいるものを理解して、青黒い絶望が胃の中で膨らむ。
「え……? な、なにしてんの……処刑?」
「黙ってろイドシオン……剣を置け、戦士ガレアーン」
「理由を説明していただけるのですよね?」
「ああ」
しまいには、口と鼻を抑え込まれ、苔を飲み込んでしまった。
「は゛ぁ……!ぜ、はぁ……! がぼッ!」
──パニックに陥ってわけがわからなくなる。胃酸で口の中が焼ける 。ここは地獄か?涙と鼻水を漏らし、必死に嘔吐しようとするも、少量の胃液と苔が混ざってでてくるだけだ。
「説明を求めます!」
少女の怒声。ガレアーンが剣を抜いているのを、意外な気持ちで見やる。
処刑された等しいが……抵抗しない理由もない。
なんとか抵抗しようと、腰帯に手を伸ばしたメテウスは、手ごと踏みにじられてもんどりうった。
ぐちゃり、と人の形をした苔に頭から突っ込む。
マイティの光縛術が重ねがけされ、他人のエーテルが抵抗器として体内に残留しているため、それ以上の反撃ができない。子供の力のなんと弱いことか。
涙があふれる。
顔をぐしょぐしょに濡らしたメテウスが吠えた。
「離せ……!ぢぐじょう!」
「あまり気のすすまない役目だ。動いてくれるな」
もうだめかと思った時、
しゃりん、剣風が髪を揺らし、静かな声が場を満たした。
「それまでです、マイティ様……とても承諾できません」
◆
「指揮官に歯向かうのか?」
さすがに笑っていないマイティは、それでも平静な顔で、スムースにエーテルを熾して臨戦態勢に入っていた。
ガレアーンはぶるりと腹の底が震える。
1つは恐れだ、もう一つは──武者震い。
命令違反?──そのとおり。だが、抗命するガレアーンに躊躇はない。
指揮系統に絶対服従というのは、己で考えることを許されない雑兵の美徳であって、戦士の美徳ではないと考えているからだ。
──この世の理そのものと闘うために剣を取った。
遠隔地に一人で放り込まれ、村落から徴兵して兵に仕立て上げ、一つの戦線を担当することもある戦士は、必要とあらば独断専行に抗命が義務である。
上品でなく矛盾を抱え、ときに罪を飲み込み、謗られることを恐れない。。もちろん、失策で処刑されることもあるが、裏切りにも見える対応をとれぬようでは下級の戦士止まり。ガレアーンは、本物の戦士になるつもりだ。
──この世の理そのものと闘うしかないから剣を取った。
「お嬢様ァ……」
笑える。お嬢様?
いちど逃げ出しておいて。
いまさらに泣きついてくる姿──泣いていても、目が憎悪に染まっていて、まったくかわいくない。
趣味ではないのだ。涙目のメテウスは、とくに可愛くもないし、たいして有能でもない。しかし戦友ではあるかもしれなかった。
それに、使い走りとしては悪くない使い勝手をしていて、死んでしまっても後腐れがないというのが気軽で便利。たとえるなら、絶対に死なせたくない名馬よりも、そこそこ我慢強くて走るだけの並の馬のほうが利便性が高いというか。手駒として殺してしまっても罪悪感のない感じが気に入っている。
だいたいガレアーンは、初陣でともに戦った孤狼児を子分として世話をしてやっているのだ。
ハヴォック家が従者として雇用している。必要なら捨ててもいいが、やすやすと殺させては家名に関わる。返答次第では上官を切り殺さなければ──
戦意がガレアーンの髪を逆立てる。
イドシオンが、いつのまにか蔵遮腑から取り出したエーテル銃を手で弄びながら、言い聞かせるように声を張り上げた
「あー、ガレアーン? あーしもびっくりしたけど、つまるところ、これがロワットラ様から与えられた筋肉ダルマの任務ってことでしょ?落ち着いたら?」
「そうだぞ。神に誓う。多少苔まみれになったが、ロワットラ様の命令が本当なら、この少年は死なない」
ぎりとメテウスが歯を食いしばる。身勝手な物言いだ。
──騙されないよな?とガレアーンをみやる。
少女は剣を……しまった。
「姫様の命令。じゃあ、しかたないですね。戦士マイティ、非礼を謝罪させてください」
「よし。これで一件落着だ」
「!? なんで落着してるんだ!? クソッタレが!」
メテウスは驚愕して抵抗を再開した。
なんとかエーテルを廻そうとするが、他人のエーテルが抵抗器として体内に侵入しているので、経路が阻害され暴発するエーテルで筋骨がぶちぶちと音を立てている。
「こら、大人しくしろ!手こずらせるな」
「っ……納得できない!理由を説明してくれ!」
「察しの悪いやつだな。この城の裏手になにがあるかわかってないのか?」
「……?」
──業いは因果の糸となる。
「この〈異界〉が発生したのはいつだと思う?
冬前、レナツァイト家との決戦の日だ」
「──あ」




