「贄なるもの 十三」
◆
「あれがフルーシャ族の本拠地でさぁ。城塞都市ペペロ」
「弱小部族の城とかどうでもいいから黙ってて」
「キューン」
山中にあらわれた城塞都市は、低く薄い壁に囲まれた石造りの山城だった。魔獣との戦いを主眼に置いた様式であり、攻められるような場所にないことが察せられる。
「──動いた。物見台にだれかいるぞ」
マイティが手をかざした。
目を凝らすと、壁の上にはぽつぽつ人影があって、慌ただしく動きはじめている。
「どうされますか?」
「待とう。無視はされまい」
矢が飛んでこないとも限らないため、相手の対応を待つようだ。
間を置かず正門が大儀そうに開き、人が歩いてきた。一人だ。
目元以外を布で覆っているが、形で狼頭だとわかる。しずしずと歩く姿からまず女、一礼したあと声を張り上げた。。
「フルーシャの地に、何用でしょうか?」
マイティが胸に拳をやる軽い礼で答えた。
「ブウェイック家の者です。〈異界〉の調査にやって来ました。まだ人間がいるとは驚きです、どうやって生き延びておられた?」
「──調査。やはり救援に来られたわけではないのですね……」
女性は落胆しているが、同時にそのことを当然と考えているのもみてとれる。
「遠路はるばる参られた客人を歓待できぬなど、フルーシャの名折れ。恥じ入るばかりですが、我々に関わってもよいことはありません。宿や食料を求めるなら応じますが、お帰りになられるとよいでしょう」
「ご忠告感謝いたします。ですが、そうはいきません。勝手な物言いですが、戦士に与えられた任務です」
「隠し立てすることもありませんね。見てのとおり、私は──」
しゅるり。ターバンを解いた女の顔は──
「ッ!?」
マイティが数レヌト飛び退る。
女性の狼頭は、病んでいた。
ぐずぐずとした緑苔に覆われ、崩れていた。
片方の眼窩は苔に覆われ、口元と鼻は崩れてしまっている。鋭い歯が剥き出しになり、化物じみていた。
笑って歯茎をむき出しにした狼頭はこの世のものではない死靈みたいだ。
「ご覧のとおり。街は病み人が二十人ばかり残るのみ。この病、触れ合うと伝染ります。未来あるあなた方に業病を移すようでは、フルーシャの名折れというもの。どうかお引き取りください 」
マイティは諸手をあげて降参の合図をした。
珍しく辟易とした顔だ。
「……ご同情申し上げることしかできんが、なにがあったか、教えてはいただけぬか?」
「言葉で伝わる未練ではありませんが……。
冬前のことです。ここ、フルーシャ族の本拠近くに〈異界〉が発生し、私たちは決断を迫られました。
雪のなか異界征伐へ繰り出し、兵を失うこと四度。戦士様に唱える話でもありませんが、〈異界〉とは災害のようなもので、征伐できぬとなったら諦めるほかありません。
長老衆は頑強な男と女を連れて新天地を探しにいかれました。助かりたいがためではありません、砂にまみれた道だとみなわかっています。老人は故郷を枕に死ねればどれほど楽な道だったでしょうか、しかし、それが長老の義務なのです。
地縁というものがない我々渾沌人には、放浪の道しか残っておりませんでした。
長旅に耐えぬと捨て置かれた者でも、歩けるものはみな一念発起して出ていき、残されたものは、老いた足弱に手足のない傷病兵、腰より下の子供、なにも持たぬ貧民に、わたしのような役なしの石女。いらぬと捨てられたものばかり。
それでも、子供が生きていた頃は未来がありました。
子連れの敗残者ともなれば、鬼の顔をみせて歓ぶ輩などいないもの。奇跡か、慈悲があれば、あるいは再建の道もあったやもしれません。
──おもえば、運命の書に描かれていたのでしょう。
フルーシャは滅ぶ、と。
戦士の方々、けして侮ってはなりませんよ。悍ましい虫に齧られた者が持ち帰ったこの病──尋常の病ではない。体が腐れて、見ての通りの苔姿になってバタバタと死んでしまいました。
涙も果てたはずの生き残りとて、このむごたらしい仕打ちには泣くしかありませんでした。何十人と死ぬと、みな滅びを受け入れて楽になってしまいました。悲しいが、もう死ぬのだから、しかたがない、と。
なぜ我々に生き残りがいるかというと、魔獣たちはこの病にかかったものを襲わなくなるゆえ。魔獣でさえ食べない、ということでしょうか。それとも長く生きて苦しめという天の差配でしょうか。
天帝の行いは伺い知れず、人の身にはあまりに残酷と感じられてしまうものです。
やがて逃げ出す体力のある奇跡遣いはすべて逃げ出し、残った奇跡遣いもみな病に侵されました。
ええ、そうなのです、いま生き残っている二十人ばかりの同胞は、みな病の者をすすんで看病した奇跡遣いたちなのです。
奇跡遣いはすぐには病にかかりませんでしたから。幼子の汗を拭ったものが同じ病にかかり、子供に老人を憐れんで話相手となったものが運命を呪って倒れ、子供を隔離しようと守った家族はみな苔になって子が飢え死にして朽ち果てる。
思えば、災厄の地から逃げださない、不遜な者は呪われる、と古書にあります。
そのとおりとなった。
いくら無情にみえても、同胞を見捨てて逃げ出した者たちが正しかった。
せめて滅びるまでは故郷を見届けたいと残ってみせた、私のような底抜けの馬鹿者だけがこの地で呪われ、みなの死を看取ることになりました。
いつか〈異界〉が征伐されて、また故郷の山河が戻る日が来ると──希望があるかもしれないと思い込んでしまった。
さあ、ご客人。
どうかこれ以上の苦しみを同胞に与えられぬよう。
みな、醜く苦しい体を恥じております。
業病にかかった渾沌人など、見捨ててしまうほか処方はありません。お帰りになって、だれもこの地に足を踏み入れぬようお伝えください」
──包帯布を顔に巻き付ける女を、みな無言で見つめた。
なによりも早く反応したのはダンテだった。
「長老衆の奥方とお見受けします。その病──おれっちの仲間と同じだ。どれだけ経てば、そこまで進んじまうんだ!?」
ダンテに目をやった女性は笑う。ほとんど腐った死人のような見た目なのに、所作だけが婦人なので不気味だ。
「あら、仲間の生き残り?みなどうなりました?」
ダンテがしばし沈黙する。
マイティがこずいた。
「病の情報を調べなくてはならん。話してやれ」
「──長老連中は、景気づけにいくつか街を略奪したあと逃げ延びたみたいでさあ。バロート人を怒らせちまったから、新天地を探すために遠くに行きたいんだと。そのさきは知らねえ。残ったおれっちみたいな間抜けが、近場で細々と生きているんです。この病、やはり助からないんですかい?」
女は小さく頭を下げた。
「民には酷な話しですが、希望を捨てなさい。
病にかかった者はみな殺しなさい。
優しい眠りのような死など、けして訪れません。みな苦しみ抜いて死にました。
この病をフルーシャの者以外に伝染させてはなりません。
フルーシャは滅びますが、決して災厄とともに語られるようなことはあってはなりません。ひとかけらの誇りを惜しむのならば、仲間を殺しなさい」
いかなる感情も見いだせぬ声でいう。
慈悲を乞うような声にならぬようにしているのがよくわかる。
かける言葉がない。少なくともメテウスだけでなく、全員が黙っているかと思ったが──
「その病、調べさせてもらえぬか?」
マイティは白い歯を輝かせてまた言った。
快活な男もここまでくると不自然で不気味だ。
「オレは、ブウェイック家に仕える戦士マイティ・グラドールという。
確約はできないが、見識豊かな錬金術師か魔女に見せればあるいは治療法も見つかるやも知れぬ。貴方がたの住居には踏み入らぬと誓うから、死体だけでもいい、病状を詳しく調べたい。
なにより、病にかかった者たちがみな貴方ほど誇り高いわけではあるまい。山を超え、病を隠し、食い物を求めて街に入る。現に病人がうちの領地にもあらわれているのでな、協力していただきたい」
しばし瞑目し、うなずいた女性の内心を推し量ることはできなかった。
メテウスは狼頭への印象を変えた。
自暴自棄にならず気品を保っていると言うだけで、このうえない尊敬に値する。
「案内いたしましょう。城外の荒屋にも死体は並んでおりますゆえ」
城には入ってくるな、ということだ。
◆
メテウスは疑念が膨らんでいた。
「質問なんですが……今回の任務って、もしかして病の原因を探ることですか?」
マイティが面倒そうに手をさっさっとする。聞くな、という合図であると同時に肯定でもある。
城壁にへばりつくように並んだ小屋の一つに案内された。
「エオクとエリン。城から離れて暮らしていましたが……。
埋葬をする人手がなかったので、遺体があります。私はもう同胞の死体を見るのが辛くてなりません、情けないですが、外で待たせてください」
中に入ると、狭い部屋に人の形をした苔の塊がひとつ倒れていた。
薄暗く、栄養もないだろうに、妙に瑞々しい緑。ヒトガタの苔が不気味だ。
「オレが見聞する。御婦人に渡せるような、使えるものがないか探しておけ」
楽しいこともないので、黙ってメテウスとガレアーンは小屋の中を捜索した。
「これ、なに?」
バスケット籠に入った苔の塊をガレアーンが発見した。
慎重に地面に置いたのを、メテウスは嫌そうな目でみつめる。
「猫……いや、これ、ゆりかごだ。赤ん坊か」
「埋葬できるようにしてあげましょう」
ガレアーンは珍しく神妙な顔でバスケットを持ち出した。
保存食や清潔な衣服や布がいくぶんか見つかったので、外に出していく。吊られた野菜は腐っているのかどうかもわからないが、口にする気にはならない。
手持ち無沙汰になり、マイティが革袋を二重にしたものに苔を詰めていくのを忌々しい気分で眺めていると、話しかけられた。
「言いたいことがありそうだな?ボウズ」
「……言っていいんですか?」
「聞かせてみろ」
メテウスはさきほどから手足の震えが止まらない。できるだけ感情的にならないように話した。
「……おとぎ話で、異界からやってきた伝染る病ときたら、つぎは国が滅ぶっていうのが定番です。自分たちの手に負えるものとも思えません。素直に退散すべきかと……」
「ふむ。言いたいことはわかるが、まだ任務を果たしたとはいえないな」
「あーしも少年に賛成」
意外にも、イドシオンが手をあげて賛成してくれた。
「あま~く考えてない?逃げたほうがいいでしょう、これ。伝染病の調査なんて、聞いてなかった。アンタもここまでの病だなんて知らなかったんでしょ?帰ろうよ」
マイティは立ち上がり、苔の詰まった袋を蔵遮腑へ入れ、裾を払う。
「想定とはすこし違ったが、やはり任務を放棄できん」
「任務ってなに?病の調査なら、もうできることはないでしょ?」
「おまえたちに知らせる必要はない。ロワットラ様に命じられた任がある。作戦目標を達成したらすぐに引き返す。我慢しろ」
「バカマイティ。つか、引き返さないならあーしだけでも逃げるけど?」
眉間に皺を寄せたマイティは、すこし低い声をだした。
「オレたちには義務があったはずだが?」
「ぶーぶー、そんなの知らない。あーしは契約戦士なんだけど? 時と場合ってものがあるでしょ。皆帰りたがってる。みなよ。メテウス少年なんて、もう顔だけ先に帰ってる」
……そんなことはないと思う。物理的に不可能だし……
メテウスはこっそり頬を撫で、顔面が逃げていないか確認した。たしかにある。当たり前だ。
無言のガレアーンに小さく蹴りを入れられる。みんな真剣なんだから、ふざけるな、という意味。
「ガレアーンはどうする?バカマイティの意地に付き合って、業病なんてもらったら馬鹿らしいでしょ?」
「……私は」
「待て。任務を任せられたのはオレ、配下になったのはおまえたち、リーダーはオレだ。余計な口を叩くな。意見など聞かん!簡単なことだろう、義務を果たすだけだ!さあ、城壁沿いにキャンプを張るぞ!」
これに反論すれば、次は暴力沙汰だという声色で、みなが押し黙る。
不和を残したまま外に出た。
食料を渡し、赤ん坊だけでも埋葬するか?と狼頭に聞いたが、「伝染る可能性があります。エオクの側に置いてあげて」と静かに涙を流した。
これにはさすがにうっときて、もらい泣きしそうなメテウスだったが、マイティは湿度のない声で呟く。
「……情けない。泣いてみせるなど、同情を乞うようで見苦しい。
あの女は貴人だぞ。民ならば流してよい涙でも、貴人ならば罪となる涙がある。
ただの人間ならば泣くことは許されよう。
しかし、滅ぶ民族の誇りを背負った貴人に無様を晒してよい理由などないのだ。
無力を知りたいならば自害すればよい。
あの赤ん坊を殺したのは、自分だということが本当にわかっていないのか?」
とか冷酷すぎることを言っていてメテウスはドン引きした。
……なにを言ってんだこのサイコマッチョは?マッチョになるために悪魔に情を奪われたのか?
メテウスの意見は違う。誰だって泣き叫んでもおかしくないような状況で、理性的なふりをできているというだけで満点なのだ。それ以上を人に求めるなんて、あまりに酷な話で、価値観の違いを切に感じる。
人間性もへったくれもなくなりはじめているホームレスのおっさんだって辛ければ泣くんだ、貴人だって泣くときは泣くだろう……
いよいよ、考えどきだ。
寝て起きるだけの簡易天幕をはりつつ、メテウスは顔がこわばっている。
ガレアーンが「どうしたの?」と耳打ちしたので、思わずと愚痴をこぼした。
「普通、エーテル遣いは病にかかりづらい。
エーテル遣いまでかかる伝染病なんて、絵本のなかの魔獣か魔女くらいしかつくりださねえ、おとぎ話の代物だ。現実にあったらすぐ国が滅ぶからな。
正直、マイティの旦那をぶっ殺して逃げないおまえたちが不思議だ。ガレアーン様、あんたはどうするんだ?」
「義務だからね、しかたない」
すこし誇らしそうに言う少女に、メテウスは舌を出してみせた。
頬を引っ掴まれ真顔でギリギリと圧縮され、小刻みに首を振って謝りつつジタバタする。
「フン……逃げたいなら逃げれば?臆病者……」
◆
「よし、逃げるか!」




