「贄なるもの 十二」
◆
──それはまるで無窮を求める一羽の小鳥。
遠く、ただ遠く、
空よりも遠く。
星よりも遠く。
魂よりも遠く。
すべてより彼方というベクトル。
道なき中心を指し示す羅針盤。
いつしか方向性は無へ転じていき、気が付いたときには遺忘のなかにいる。
すべてよりもの彼方において。
人間的な意味はなくなってしまう。
憂いと忘却の果てに佇む貴方は、空虚の中にこの上ない富をえて、なにものからも離れる必要はなくなっている。
エッゼの書『不滅火』より
◆
──脳髄を絞りきったような、とてつもない頭痛。
一瞬、すべてを忘れた。
「なにボサッとしてるの!」
目を見開き、慌てて手斧を構え直す。
真っ赤な地面に真っ赤な空。頭がクラッときてしまう。
──そう、おれたちは〈異界〉に突入して、魔獣の群れにみつかり──
まさに眼の前に、巨大なカマキリが迫っていた。
「GYYYY!」
「──ッ!」
真紅の大鎌が迫りくる!
メテウスは手斧を両手に持ち直し、迫る大鎌にあわせて重心を回転させるようにカチあげる!
──がちん!
「──畜生、弾きやがった! ほんとにこいつら虫か!? 刃が欠けやがる!」
「泣き言いってないで!耐えてなさい!」
無機質な複眼がむりょむりょと蠢き、メテウスの首を凝視した。股間がヒュンと寒気で縮む。
左右非対称の姿をした、大鎌を振り回す魔獣……〈血祈蟲〉とでも名付けるべき、悍ましい血色をしたカマキリは、群れをなして一行を襲っていた。
メテウスは防戦を強いられる。
血液じみた体液をしたたらせ、大鎌をこすり合わせては擦過音を撒き散らす〈血祈蟲〉は、幸い、知能がさほど高くないようで不意をつかれるようなことはない。
「ぐッ、ラァッ!」
──ざくり!
隙をみつけて複眼に斧を叩き込んでも、怯む様子もない。痛覚に乏しいのだ。ジリ貧だが、メテウスは焦らない。なぜなら──
「──避けろ!」
2匹の〈〈血祈蟲〉を処理したガレアーンが、魔獣の背後から剣閃を放つ。地面をこする逆袈裟で、〈血祈蟲〉の足を巻き上げ斬り落とした。
「助かった!とどめをさすぞ!」
「生意気な……!」
動けない魔獣など脅威ですらなく、挟んですぐに殺傷した。
「すこし時間はかかったが、及第点だな」
ダンテを背負ったまま傍観していたマイティが、グッと親指を立てた。
あくまでガレアーンの戦士としての訓練を兼ねている、ということ。青色吐息のダンテは「こいつら正気か?」という目で怯えきり、ぜぇぜぇ青色吐息だった。
筋肉ダルマ、おまえも戦闘に参加しろよ、という言葉をメテウスもぐっとこらえた。
──けっきょく、貧乏くじを引かされちまった。
宝核剣ヌエンキを血振りしたガレアーンが肩を寄せ、怪訝な顔でメテウスを小突いた。
「おまえ、さっき戦闘中に気を抜いたでしょ?死ぬわよ?」
「ぐぅ」
ぐぅの音で返事をする。言い返す言葉は見つからない。
砂色の髪をまだらに血に染めた少女は、口調よりもずっと真剣だ。背中を預ける人間が頼りにならないことを心配している。メテウスはあえて軽く笑って見せた。
──この異界に来てから、ずっと頭が痛む。まるで重たい何かが溜め込まれて中身を押しつぶしているような痛み──だが、悟られるわけにはいかなかった。
戦場で不調を隠すことは愚かだし、迷惑極まりない。
他人がやっていたら殺意が湧くけれど、隠さなければあっさり利用価値がないとして置いていかれる可能性がある以上、全滅の危険がいくらあろうと不調を隠すことがメテウスの利益なのである。そこに信頼のようなものはない。
冒険家や軍人は、メテウスの選択を非難するだろう。だが、正しいセオリーが通じるのは、問題への対処が公正明大に判断されるという前提ありきのものである。いうまでもなく実際の人の世は公正でもないし明大でもない。そうあるべきという話と、実際にどうするべきかは全く別の話だ。
現在のご主人様(仮)のガレアーンなどその典型。
貴族の少女らしい端正な顔つきで、ガレアーンはさも当たり前のように言い募る。
「従者なんて替えがいくらでも効くのよ? 足手まといだったら、置いていくんだから」
「あー、悪かったよ。ぼけっとしてしまったのは……いやに景色が綺麗だと思ってな」
「なまけもの!」
ぽこん!と頭を叩かれた。
ノリは軽いが魂膜を纏っていなければ脳挫傷で死にかねない威力だ。メテウスは五秒ほど膝をついてタンコブができないよう治癒に集中した。
すくっと立ち上がり一向に追いつく。
一瞬で回復してくる子供に、マイティとダンテがちょっと引いていた。
「このガキ丈夫すぎる……」
「戦士ガレアーン、そこまでにしてやれ。おまえたちは〈異界〉に入るのがはじめてなんだろう?奇景に目がとられるのも無理もないさ。はは!」
笑いかけられ、メテウスはニコッと愛想笑いを浮かべた。
マイティの人の良い笑みは、安心感と同時に『こいつに話は通じないな』と感じさせる得体の知れなさがあった。社交の場でもないのに愛想を振りまくバロート人というのはとにかく希少で、奇人変人の部類に入る。
あと、快活な笑みを浮かべているマイティだが、背負われたダンテの死にかけの喘息持ちみたいな呼吸を気にした様子もない。完全に荷物扱いだ。メテウスはちょっと狼頭を哀れに思った。
「……あとでお仕置きだからね」
「へへっ」
「返事!」
「うぉっ!」
ブーツで蹴られかけたのを、メテウスは手慣れた様子でさっと離れ、治癒に専念する。
〈異界〉に慣れていないガレアーンはいつもよりピリピリしていて、手が出る速度が早い。
ちょうど木立が途切れる。
ガレアーンは山間を眺め、ぽつりと呟いた。
「それにしても、〈異界〉の中からは本当に外がみえないのね?」
紅の黄昏がそこにはあった。
〈異界〉とはよく言ったもので、尋常の世界と地続きの場所ではないということが一目でわかる光景である。
景色は一面のクリムゾンレッド。真っ赤な動植物が、山を飲み込み視界の果てまで続いている。一行がゆく道は、もとは温帯林だったであろう痕跡はあるものの、いまとなっては異形の動植物の巣だ。
大小の真紅の昆虫型魔獣がうごめき、さまざまな習性に応じて共食いをしていた。
彼らは一様に左右非対称で、血のような液体をしたたらせ、吸血用の長い口吻を備え、共食いを厭わない。
水の代わりだろうか?血の溜まった池がそこらじゅうにあり、水底から幼体の魔獣が生まれては一足先に生まれた魔獣に食われて餌となっている。
どうして魔獣が生まれ、なんのために共食いをするのか?
理由などわからない。尋常の理の通じる世界ではないのだ。
別世界の理を顕現した〈異界〉には、普段の経験則など通用しないものだから、こんなところにすすんで足を踏み入れるのは、英雄志願の冒険家か、任を持つ兵隊か、はたまた天才か阿呆と相場は決まっている。メテウスとしては自分が阿呆でないことを祈るばかりだ。
「でも悪い景色じゃないんだよなぁ。風光明媚な感じは一切ないけど、なんか神秘を感じるっていうか……」
「空だけみてればね。あとその干し肉、よこしなさい」
「!?」
「うまそうだな、俺にもくれ」
「!?」
自分のためにたくわえていた干し肉を根こそぎかっさらわれたメテウスはシュンとして景色に見入った。
木の葉の隙間から覗く空は、荘厳な夕暮れ。
太陽は方角を見失い、あらゆる方角から出入りするにも関わらず、目を焼く黄光が雲を染め上げ、地上を照らしている。
永遠の逢魔が時。積乱雲の陰影が、まるで空に浮かんだ城のよう。
人間の力など、この〈異界〉でいかにちっぽけなものか、教え込まれているのかもしれない。
スチャッという音ともに、前触れなく梢からあらわれた戦士イドシオンが落着し、面頬をカシャンと上げて冷たい目を晒した。
「……オオカミさんの言っていた道は正しいみたい、かも……? 先に城がある。でも、そのまえに百足の群れがたくさんいるね。どうする?」
「斥候、感謝いたします。そうですね。うん……」
ガレアーンが唸る。
迷いは一瞬だった。
訓練の一環で戦闘指揮を任せられたガレアーンが義務のとおりに決断を下す。
「殲滅しましょう。後ろから襲われるよりも、手間をとるべきと判断します」
「妥当だ。イドシオン、頼む」
「おっけー……ついてきて」
太ももをたわめ、イドシオンが跳躍して樹木の枝を蹴る。
ガレアーンとマイティが追従する。マイティの背に乗ったダンテが不安そうに首を左右に振っていた。
メテウスは慌てて臨戦状態のエーテルを廻し、あとに続いて飛び上がる。
『子供への配慮とかないのか?』と一瞬文句をたれそうになるが、『ついてこれなくて死んでも別にいいし……』と返答されたらめっちゃ気まずいので無言でついていく。
やがて木立が途切れ、広大な血の池の浜辺に、数十体の百足が集まっている場所へ出た。
ガレアーンは宝剣を横薙ぎに構えて魔獣の群れのまっただなかに落ちた。
道中のしずしずとした姿はなりをひそめ、少女は興奮から目を空色に輝かせ、残光を引いて一匹目の頭をかち割る。
「殲滅します!お二方は離れて戦ってください!
メテウス!私が倒していくから、邪魔なのを引きつけなさい!一匹でも通したらあとで棒打ちよ!金属の棒でね!」
人使いがめちゃくちゃ荒い。
◆
百足型の魔獣たちはすぐに屍を晒した。
バロート戦士が三人いれば、異能を持たない単なる魔獣など敵にもならない。
なお、ぽつねんと荷物みたいに浜辺に置いていかれたダンテは小さな百足に足を噛まれて泣きわめいている。
「っくしょ!離しやがれ!助けて!早くして!戦士の方々!後生です!お助けつかぁさい!!」
血を拭う戦士たちはチラッと冷たい目で視線を向けたあと、0.2秒で武具の手に入れに戻った。えげつなく目が冷たい。
「ぐわーっ!食われる!死ぬ!死んでしまう!」
ダンテは手持ちのナタで赤ちゃん百足を両断するも、頭だけでぴちぴちと元気にふくらはぎに噛みついている。長い体毛のおかげで血が滲む程度ですんでいるようだ。
できの悪い寒い演劇を見物する、お寒いノリで全員がそれを見つめていた。
……渾沌人の賊といったら、ゴキブリや徴税人より嫌われているものだが……それでもちょっと冷たすぎないか?
メテウスは可哀相になってしまったので近寄り、手斧を一閃した。
「あっ……ありがてぇ!」
「いいってことよ」
ガレアーンが冷酷な目で言う。
「助けなくてよかったんじゃない?」
「キューン」
子犬みたいな鳴き声を出す、たいして可愛くもない狼頭のオッサンはひどく哀れだ。
「ガレアーン様、冷たすぎません?そんなこと言わないでいいじゃないですか……別に悪いことしたわけじゃあるまいし」
「いや、追い剥ぎしてたじゃない。賊だったじゃない。態度に騙されてる?そいつ、街を襲わせた内通者なのよ?」
「せ、戦士の嬢ちゃん。そいつは誤解ってもので」
ガレアーンの目はいよいよ殺意を孕み、爛々と険を帯びている。賊風情に話しかけられるのが不快なのだ。
眉間に皺をよせた少女の目には、メテウスもちょっと腰がひけてくる。
「おまえ、私のことをバカだと思ってるのか?
商売人のふりをしていればやり過ごせると?
舐めてる?
やっぱり、いま殺したほうがよくない?」
冗談成分ゼロだ。
急な殺意に尻尾と耳を丸めるダンテが哀れなので、メテウスは謎の弁護を開始した。
「ガレアーン様。こいつだって成り行きとかしがらみとかあったんでしょう……」
「それで賊になったから許せって?」
「渡る世間に鬼はなし、別に殺さなくても……」
「害虫を踏み潰すのに不快って以上の理由いらなくない? ほら、言い訳してみなさいよ。犬っころ」
さすがに思うところもあったのだろう、勇気を奮い立たせたダンテが口を荒げる。
「お、お嬢ちゃん!あっしらだって泥水はすすれてもカスミを食って生きられやしやせん。故郷の連中の破滅に巻き込まれて、商売しようがなくなったってさぁ、ガキに女もいます。みな、生きてしまっているのだから、生きていかなくてはなりやせん……!」
「なんで生きていかなくちゃならないの?
おまえら、別に死んでもよくない?」
「ふぇっ?」
「おまえら生きてるだけで邪魔だし……」
「ふぇぇぇ……」
ぺたんと耳を畳んだ狼頭は幼女みたいな声を漏らした。
ガレアーンは一欠片の悪意すらなく真顔だ。
「賊にも五分の魂とは言うけれど、賊になるくらいなら死ねばよかった。
カスミが食べられないなら土でも食べて、腹を壊して死ねばよかった。それが飼い主を失った犬の末路じゃない? 犬畜生が無駄に生き残ったって、どうせ全滅するんだから、罪を重ねる前に死ねばそれでよかったでしょうに。あー、誇りのない獣に話したって無駄よね。誇りがないんだから」
ひとりで勝手に納得したガレアーンは、手綱を握るように、とメテウスにジェスチャーを残してテクテク歩き去った。
マイティたちと相談でもするのだろう。
「ま、まじか……怖い……おれっち、生きて帰れるのか?」
極めて厳しいプレッシャーにさらされ意気消沈するダンテ。その肩をポンポンと叩いたメテウスは同意する。
……おれは、生きて帰れるのか?
ダンテは、人間として最低限の同情を得られると誤解していたようだが、弱者の武器というものは両刃のつるぎでもある。
泣き叫ぶ人間も、殴れば物理的に黙ると考える手合いに涙は一切意味がないからだ。
不幸を語り、泣いてみせても「うるさい」とか「黙れ死ね」と言われたら涙も引っ込めるしかない。殴られるからだ。
……ガレアーンの態度は理解しがたいが、マイティたちも同じ反応をしている……つまり、おれには理解できない何かがあるのだ。上品な都市育ちが賊を白眼視するのはわかるが、戦士たちがあそこまで嫌っているのだから、なにか見逃しているに違いない……。まあ、どうせダンテはすぐ死ぬからいいか!
賊働きで戦士の不興を買っているダンテは、ほぼほぼこの探索で死ぬだろうが、メテウスにも他人事とは思えない光景でもあったが──他人の心配をできるような身分でもなかった。




