07「悪夢 七」
『世界都市標準レーナム歴6877年143日12:16』
「……今日、おれは死ぬんだろうなぁ」
傭兵は嘆息をこぼした。要塞から見下ろす眺望に希望はない。地平線の彼方まで獣が蠢いている。
「……終わってみればあっけないもんだったな?ハハ」
魂を捕食し、力をつけた魔獣は人知の及ばぬ力を持っている。この瞬間にも泰山の如き魔獣から生体砲弾が射出され、要塞の形而下魔象防壁にぶつかっては七色に輝いていた。
タイムリミットはそう長くない、と思う。
「あーあ。防壁なんかに虎の子の金塊を使っちゃって。もうあとがないんだろうなぁ」
「愚痴るな。行くぞ」
振り返ると、厳つい人相の兵士が親指を下に向けていた。城壁の下へ。
「地獄いきか?」
「極楽にいけるタマかよ。残念、特別な作戦があるって話だ、あつまれってよ」
ハハ。アハハ、ハハハと平坦な声で笑って見せた傭兵。
兵士は真顔のままだった。
「は、は……。おい懲罰三等兵、一面の魔獣景色だ。作戦がどうの本気で言ってると思うか⁉」
「ありがてえ話じゃねえか……戦って死ねるなんて」
兵士は例になく朗らかに笑っていた。状況が絶望的すぎて、己の無力に安心している顔つきだ。
「おい、なんだ、つまり最後の玉砕作戦ってことか?言わなくちゃ……司令官どのに礼を言わなくちゃ。さんざ勝てるだの生きろだの連ねて、この結果か? いままで騙してくれてありがとうってな」
「ベロニカ様にそんなクチを叩くのは、もうおまえくらいだよ」
「ハハ」「ハハッ」
空々しい応酬に互いが苦笑してしまう。
終末を前に、なにもかも喜劇じみている。
監視塔からざっと300レヌテの高さを飛び降りた二人は、エーテルによる身体強化を用いて衝撃を殺した。
王政復古記念広場は人影が多かった。
思い思いに固まったり、一人寝転んだり装備を繕ったりする、厳つい男女がおよそ二千人。二人の鼻をかすめる、酒と血の匂い。空々しい笑い声が空に吸い込まれる。酒保は無料で在庫を開放し、従軍聖職者の説法を憲兵が囲んでいるかと思えば、その後ろで拳闘賭博が盛り上がり、ちょっとした祭りじみている。
傭兵は人混みに顔をしかめた。
「人が多すぎて気分が悪くなっちまうなぁ」
「閑散としているが。要塞に篭もりはじめた日の閲兵式は、五万人もいたんだぞ」
「人間なんかどれだけくたばっても、まだまだ多いのさ」
「お得意の減らず口もこうなっちまえば滑稽だぜ。せいぜい死に惜しむなよ」
「うるせえ。わかってら」
赤みがかったくもり空。
生ぬるい日差しの午後。
人類はこうして落日を迎えた。
浮遊要塞都市バビオドは中空に浮かんだ魔象陣の塊だ。古代文明の空中庭園を改造し増築された牙城は、莫大なエーテルを用いて浮遊し、魔象技術で遠距離攻撃に耐え、食料を生み出す牧場に畑もあって、長く魔獣の攻勢に耐えてきた。
当初、要塞都市に逃げ込んだ人数は約十万人。魔獣の軍勢に対抗する策源地として、戦う力を持つ者とその家族が集められたが、皮肉にもエーテルを扱えない民間人は環境や瘴気に耐えられず死んでしまい、守るものを失った戦士だけが要塞に残った。
バビオドは終末を生き延びた。
やがて遠方からの通信はなくなり、激戦で戦闘技能者の半分が死んだ。半分、そしてまた半分……。
魔獣を誘引するという名目のもと、高山へ逃れた要塞から見えるものは絶望の景色ばかりだ。遠視の魔術で大陸中に満ちていく魔獣の軍勢を見守る毎日が続いた。
傭兵は思う。人類はよく戦ったはずだ、と。
神々がそれぞれの冥府へ逃げ帰ったあとも、存亡を賭けて開発された魔象技術で余命を伸ばした。世界そのものに理を刻印する魔象技術はエーテルの極致だ。だが、限界はあった。
大規模儀式魔導を発動する光が大陸のどこからも観測されなくなり、滅びを待つばかり。もう抵抗する人類はどこにも残っていない。
人間を喰らいつくして増殖した魔獣が高山のいただきにまで雲母と迫り、いよいよ抵抗するすべはない。発狂する素養のあるものは全員発狂し、自殺するものは全員自殺したあとなので死人もでない。
だから今日、要塞の皆は浮かれている。
もう戦わなくていい。救いのような敗北がすぐそこにある。
死んだ家族が夢に出ることもなければ、戦友を介錯することもない……。
広場で騒ぐ戦友たちを眺める。
曇る空から筋となって差し込んだ、真紅の灼光が生き残った人々を照らしている。
「ま、こうなるわな。人間が全員死ぬ、それだけの話。よくやったほうだ」
傭兵は晴れやかな気分で、いざ土壇場がきたって人間は変わらない、と思う。あいかわらず喧嘩して憎み合って愛し合い、小銭や勘違いで揉めている。賭博で負けたやつが笑われ、半裸の女に男が集う。くだらない騒動もここまでくれば真実だろう。特別なことなんてなにもない、人間が滅ぶだけの一日だった。
「諸君」
一人の女が拡声術式を発動する。
みなが静まり、そして見上げた。
「破格の戦士たち。我が兵よ――聴いてくれ給え」
城壁の縁に片足をかけ、赤紫の空を背負った人影がある。
女だ。光芒にも似た気配を放ち、東方より昇る明け星を連想させる女。
傭兵は豆粒みたいに小さな人影を見上げ、こう思う。
――自分では、決して手に入れることのできない栄光を見たことがあるだろうか?
おれはある、と。
〈心臓架構要塞バビオド〉の司令官、億人の死体を経て見出された将軍。
光輪を抱く者、核喰いの外法師、王族殺しにして救国卿、稀代の成り上がり者〈ベロニカ・エジスピード〉が口火を切った。
「ノヴェイク曰く。一つの真実は、人を救うすべての嘘よりも尊い――ゆえに私は告げねばならぬ。
我々は敗北した。
真実を拝するがいい、我が兵士たちよ。最早勝利は望めぬ。
人間という生き物は、今日、滅びるのだ」
そうして、人類絶滅の一日がはじまった。
◆◇◆◇◆◇◆
世界は終わる。
それは真理の顕れだった。
しかし、真理は時に人の目には別の姿を映すこともある。
世界が終わり、傭兵は死んだ。
世界は終わらず、傭兵は死なない。
どちらの答えも別段、間違ってはいなかった。
◆◇◆◇◆◇◆




