「贄なるもの 八」
◆
メテウスが小一時間ダッシュで探し回り、ようやく見つけ出したリージェントに「ロワットラ様?いまはお城におられませんよ?」と言われ、八つ当たり気味に「なにが訓練だ!死にかけた!いや半分死んだぞ!」と苦情を入れると、シーツを抱えたままメイド少女は「えっ⁉春のメンネルブントを耐えたんですか?」と驚愕していた。
メテウスも驚愕した。
……放置されてたのかよ⁉ 監視してなかったの!?
放置されていたのなら、逃げても大丈夫かもしれないという希望も生まれた。
メテウスは城壁から奈落へ愛する男を手放した姫ばりに芝居じみて両手を広げた。
「リージェント様!教官に才能がないと言われました。自分は役立たずなんです。古来、足るを知る者は気息整わぬと悟れば自ら進退を定めて勇退すると聞きます。無能をさらすのも忍びなく……もう故郷に帰ってもいいですか?だめ?」
「メテウスくん、故郷ないでしょ。帰る場所なんてあるんですかぁ?」
ぐさり。メテウスは厳粛な面持ちで悲しみに震えた。
「言ってることぜんぶ嘘にしか聞こえませんし……悪いことは言いませんから、お姉ちゃんの言うことを聞きなさい。逃亡もだめよ? ロワットラ様に山狩りで捕まったら、戦から逃亡したという扱いで戦奴にされますよ? 面倒をかけたらそれ相応の扱いになります……確実に」
「理不尽すぎる……!なんだその扱い⁉いまだって戦奴みたいなもんだろうが!!同じだ!!」
ぽふっ!シーツをぶん殴ったメテウスが叫ぶと、リージェントは理知的な顔つきでシーツを畳みなおしながら言う。
「いまのメテウスくんは、ブウェイック家に縁のある自由民という扱いなので雲泥の差がありますね。戦のたびに狂戦士の呪術とお薬を与えられ、消耗品として最前線に放り込まれる戦奴は罪人より下の扱いなので、おすすめできません。ね?」
指を立てて説教するお姉さんぶったメイドさんを殴るわけにもいかず、メテウスは腕に爪を立てて嘆く。リージェントはいい加減慣れてきていて、少年が深いことを考えていないと見抜いているので余裕の表情だ。ワンパクでませた少年、くらいの取り扱いである。
「くそ……!こんな家滅んじまえばいいんだ!」
「まあまあ。そう言わずに。ロワットラ様が帰られたら、また命令が与えられます。お城に部屋も用意しますし、ご飯もでます。悪い扱いというわけではないでしょう?」
ぽんぽん。
リージェントはせっせと清掃しているベッドを叩いた。
「……これおれの部屋なの⁉」
メテウスに戦慄が走る。
「いつのまにか罠にかかっていたのか⁉」
「いや釣り糸も垂らしてないのに勝手に入ってきたんですが……ほら、お姫様。観念してシーツのそっち持ってください。せーのでベッドに……」
「おれは捕らわれのお姫様なんかじゃない!」
ダッ!
城から逃げ出したメテウスは、門番に「夜は橋があがるからな」と味方みたいに話しかけられつつ出奔した。広場のメンネルブントは良い見世物になっていて、小さなメテウスは顔を覚えられてしまったようだ。
逃げたはいいが、ゆくあてがなく、ガレアーンの家におそるおそる顔を出した。従者とか言っておいて、簡単にロワットラに捧げられた身としては門をくぐりづらかったが、意地や確執に固執できるのは、追い詰められていないうちだけだ。背に腹は変えられない。まぁまぁと手を合わせた使用人のおばちゃんに家出した子供みたいな扱いで迎えられた。
◆
「げっっっっそりした顔してるわよ? 大丈夫?」
「あまり大丈夫では……土産の一つもなくすみません、ところでガレアーン様は?」
「レアちゃん一昨日帰ってきたけど、任務とか言って出ていったわね……帰ってくるまで休んでいたら?」
「ご厚意に甘えさせていただきます」
ぺこり。メテウスは恨みもない相手に無礼を働けないし、胸の大きい女性に弱い。
胸部に平均を逸脱した盛り上がりの認められる女性に対して悪意を抱けないという弱点があって、傭兵時代はよく娼婦に利用されていた。おっぱいの大きさ以外関心がないともいえる。
けだるげな夫人にすすめられるままに湯あみをすませ、ほっこりした顔で、なぜか用意されている服を着こむと、昼食の用意ができていると伝えられた。
他人の家にあがりこんで、食事をぶっちする無体はできない。おそるおそる食堂に座る。吹き抜けの二階廊下に囲まれた食堂に一人で座り、記憶の片隅にしまいこまれた食事作法をなんとか引っ張り出した。
夫人がやってきたのを合図に、前菜が運ばれてきた。おばちゃん使用人は陽気で楽しそうだが、夫人は無言だ。
リヤルトの妻の一人であり、ガレアーンの母ともなれば身分違いもはなはなだしい。もくもくと食べていると、なぜだか嬉しそうにしている夫人に観察され、もじもじとした。
真っ赤な巻き付けるような衣服を纏った夫人はけだるげに、二日酔いでふらふらしていて、作法もなにもあったものではない肘をついた姿勢でスープをすすっている。これがまともな貴族の生まれともなると本能的にそういう作法知らずの行いができないので、あまり高い身分の生まれではないと知れた。
「あたし幾つにみえる?」
「え……?」
メテウスは鳥の香草焼きにむしゃぶりつく手を止めた。
普段はあまり回転しない頭が急回転し、十秒黙り込む。
──夫人は30の山を超えていないように見えるから、お世辞で「20歳くらいのお姉さん」なんていうべきなんだろうが、ガレアーンの実母ということはわかっているので、冗談にもならないだろう。15にもならないガレアーン、かといって見たままに言えば夫人のような女性は確実に機嫌に悪くする。
こういった試しじみた質問をする女性が求めているのは、自分が配慮され大切にされているというウィットに富んだ空気感であって、自分が実年齢より若くみえることはそもそも当然のことだと考えているし、変なユーモアをみせて皮肉をいえば根に持つだろう──
メテウスは無垢な子供の顔できょとんと答えた。
「25?」
口を尖らせた夫人は呟く。
「バカじゃないの?レアが14歳よ?私がいま25なら子供産める歳じゃないでしょ?わからない?まだ子供だものね。レアが、普通の子供と思うな、なんて警告するから誤解しちゃった」
メテウスは夫人が機嫌を損ねたと判断した。
実際には上機嫌になっているのだが、複雑な女心に興味も持ってない人間の空気読みには限界があった。
出されたパスタが旨いので、おかわりをするのは無作法かと躊躇するも、おばちゃん使用人が笑顔でもう一皿?と聞くのでうんうん頷く。
鍋ごとパスタが登場したのをみてメテウスは顔を輝かせた。
「ちょっと、あたしの話聞きなさいよ」
「聞いていますが……?なんだこのパスタめっちゃうめぇ」
「好きなだけ食べなさいな。ねえ、レアはちゃんとご飯食べさせてあげてないの?男の子なんだから、女戦士の従者になって不満とかないのかしら?」
「特段そんなことはありませんが……あ、ソース大目でお願いします。ありがとうございます」
「ああ、もう!……ねえ、レアとどういう関係なの?」
人との食事で本当に食事の味しか気にしない人間を夫人は想定していなかった。
話術が通じぬとみて、本題に入ったのだが、メテウスにはわからない。
「はい?戦場で拾われて……牧場にいたら従者に任命されました」
「あー、もう、そうじゃなくってさぁ……ん?これ食べる?」
白身魚のムニエルを一口食べただけで、夫人はもういらないばかりに皿をおしやっていた。メテウスはカクカク頷く。夫人用の小量なので一瞬で食べ終えて不満そうにする。
「ここまで食べられると爽快ね……餌やってる気分になってきた……んもう、そんなに急がないでいいの。パーティーのために食べ物はちゃんと用意させてあるからご安心なさいな。ほら、口拭いてあげる……男の子の育児が大変ってよく聞くけど、すこしわかっちゃったわ」
「もきゅもきゅ」
人間は食いだめができると信じているメテウスはたらふく食べたあと、かろうじて礼儀を意識して口元を拭いた。
「御馳走様です」
「はいお粗末様でした。いやめちゃくちゃ食べたんだから満足したわよね?」
「これは恥ずかしいところをお見せして。メリダ様、ラト様、ご厚意に感謝いたします」
夫人がメリダで、ラトがおばちゃん使用人である。おそらく略称だ。
「あらまぁ、メトちゃん。様付けなんてやめておくんなまし。作り甲斐があって楽しいんだからさぁ」
「なにも聞けなかった……」
夫人はすこし落胆していた
社交界や男女の手練手管で鍛えた話術がメテウスに一切通用しなかったので、直截にものをいうような下品な交流に慣れない夫人は、ガレアーンの牧場での様子など聞きたいことが聞き出せなかった。メテウスが子供とは思えぬ賢さをしていたので、見当違いをしている。
ディスコミュニケーション。一つの文化に属していると忘れがちだが、非言語的な暗意に頼ったコミュニケーションは、同じ背景を持つ人間同士でしか通用しない。さらに言葉で言われないとわからないメテウスのような人間には押し引きや駆け引きが意味をなさないため、二重で夫人は失敗していた。普段はバロート人を蛮族と蔑んでいるメテウスとて、都会人の前では野人にも等しい。
こういうときはお酒を飲むに限るとばかりに、ワインを空けた夫人は子供相手に馬鹿らしくなって、肘をついて煙草を吸い始める。口先で煙草を吸うしぐさが堂に入っていた。
「ふぅ……ねえ、レア、あのくだらない牧場で元気にやってる?」
「? ガレアーン様ですか? はちゃめちゃに元気ですが……」
「ホント?いじめられてない?」
「い、いじめ?どうやって?誰が、どうやってガレアーン様をいじめるんですか?大人の男をぶん殴って高笑いしてるの何度か見たことありますよ?」
うーん、と夫人は可愛い娘の痴態をなんとか想像しようとした。暴力などあまり目にしない生活を送っているので、娘型の人形がぽかぽか戦う姿しか思い浮かばない。
「……レアが?うーん……ほら、あたしみたいな社交界の華は、あんな世界の果てみたいに田舎の牧場じゃ、好き勝手言われるものだから。
あの子も生まれで苦労してるんじゃないかと思ってたんだけど……あたし、血筋じゃ外様だからさぁ……」
「いえ、心配には及ばないというか……あの、ガレアーン様って、戦士ですよ?」
メテウスは死ぬほど的外れな心配をしている夫人を安心させるため、悲しい事実を告げた。
「こう言っては失礼ですが、お祭りの夜とか、牛みてぇなデカい熊と素手で殺し合いして血まみれで雄たけびあげてましたよ?なんか勘違いされてませんか?あなたの子供、そんな感じですよ?」
「えぇ………………いや………………マジ?」
「マジですが……」
「ウッソでしょ……どうしてそんな気質の子になったのかしら?
品のある私と正反対じゃない?」
メテウスはまじまじとメリダ夫人を見つめた。
顔立ちは美人だが、化粧もアイシャドウも濃いので、見せたい顔があるだけで人となりがわからない。
ギラギラと巨大なエメラルドの耳飾りをしていて、小さな顔には不釣り合いすぎて逆にそれもありかな、という塩梅になっている。巨大な輪っかを耳につけてる女性のエメラルド版だ。
うっすらと肌着のすけた真っ赤な服を巻き付けて、もう流行なのかバカなのかよくわからない。
背は小さいが、代わりに胸がでかいのでメテウス的には満点だが……どうみても品があるタイプではなかった。
──よくて若奥様、悪くて人気の娼婦、順当にいけば金持ちの妾といったところか──そういえばリヤルト様の妾だったな──
メテウスの頭脳が音を立てて唸る。
「お二人とも、高貴な方だと一目でわかります 。ガレアーン様も所作に気品のあるかたですし、似たところのある親子だと思いますよ、ええ」
メテウスの頭脳はあまり高性能ではなかったので、出力されたオブラートはとても薄かった。
ジト目になった夫人がほっぺをつまむ。
「い、いふぁい(痛い)」
「あんたね、あたしをバカだと思ってるでしょ?もうちょっと腹の中を隠しなさいよ」
「⁉」
メテウスは口上での駆け引きが得意ではない。
嘘もまともにつけない、あの哀れな現代原始人の一人なので、現代的な人間とディスコミュニケーションをよく起こしていた。
「メトちゃん!お菓子食べるかい⁉」
炊事場から大声で叫んだおばちゃんに、メテウスは怒鳴り返す。
「いただきます!!」
話しているうちに腹がまた空いてきたのだ。
夫人は原始人を見る目つきで、もきゅもきゅ焼き菓子を食べ始めた少年を見つめた。おばちゃん使用人は腕の振るい甲斐のない屋敷に、突如としてあらわれた大食いの孫を見るかのように嬉しそうにしている。
「──よく食べるわねぇ」
「ここのところムール芋ばかり食べていたので。すみません」
「いいけど──そんなに食べて大丈夫?おなか痛い痛いするわよ?」
「味がとても美味しいのでいくらでも食べられてしまって……食いだめできるときに食いだめしておかないと……」
「……食いだめってなによ。孤児だったっていうのはほんとか……。
孤児なんて狼みたいなもんだって考えてたんだけど。たまに見かける、あの汚い子供も、拾ってみれば案外あんたみたいに話ができるのかな?」
メテウスは機械みたいな目になった。
「無理ですね。もとの印象で合ってますよ。孤児なんて盗み殺しに忌避感のあるやつから死んでいくものですし、関わってよいことなど一つもありません。断言できます」
メテウスは、人の死を自然現象の一種だと考えていて、基本的に見知らぬ他人の死に感傷などないし、孤児ともなるとむしろ早く死ねてラッキーなんじゃないかとポジティブな意見を持っている。ろくでもない半生が透けて見える価値観であった。
「フーン……でもあんたって、孤児なのに普通の子供じゃないよねぇ。なんでそんな大人みたいな話し方するの?孤狼児ってそんなもの?」
「自分は奴隷として売られて、教育を受けたあと脱走した変わり種ってだけです」
「奴隷?う、売られた子供って逃げられるもんなの?」
「おっさんかおばさんかよくわからない奴隷商に犯されそうになったので、薪でぶん殴ったらもう逃げるしかなかっただけです。それでも孤児になるより奴隷になったほうがマシかもしれなかったですね」
「はぁー。わかんない。意外と波瀾万丈ねぇ……もう満腹?」
お菓子を食べ終えたメテウスは上品な仕草で礼をした。
「はい。ご相伴に預かり光栄でした奥様。でわ……」
これ以上どうでもいい話をして機嫌をとるのが面倒になったメテウスは逃げようしたが、満腹で極端に動きがのろかったので、捕食者のいない孤島で繁栄した飛べない鳥みたいに容易に首元を捕らえられた。
「……なんでしょうか?」
「今日暇?」
「……急な用事がないといえばありませんが」
「ちょうど見に行きたい劇があったの。桟敷席は あっても、エスコートしてくれる殿方もいないのに顔をみせるわけにはいかないでしょ。きみ、目は悪いけど、遠目には綺麗な顔立ちしてるから、執事見習いということにして芸術鑑賞にいくわよ」
「げ、劇……?」
劇?ああ、金持ち向けの娼婦が歌って踊るあれか、と考えているメテウスは、そういった文化的な共興に一切の知識がない。
サーカス団やエロい踊り子がくると猿のおもちゃみたいに手を叩いて喜ぶのだが、音楽だとか演劇だとかは付き合いで見る機会があるたびに爆睡していたので、そこに芸術的なものがあるという認識すら持っていなかった。
「楽しみだったのよねぇ。アペイロン王国から、バレエを取り入れた劇団がきていてね、演目は『新パルパット王』。それがもう泣ける悲恋だって評判なの。名前だけ知ってる男前で有名な役者も来てるし、一度はみておかないと。ね?良い話でしょ?」
演劇に一切の興味がないメテウスには、ある珍しいフンコロガシの生態について有名学者が講演にくる!とささやかれた気分だった。悲恋だのイケメンだの言われても、フンコロガシの一種にしか聞こえない。興味がない事柄について人間は詳しくなる糸口すら掴めないのである。
怯えた半笑いをしたメテウスは言う。
「お、奥様。あのう、自分には貴族様の付き人などできませんし……粗相をしでかして恥をかかせるわけには。心配で心配で」
「なに?女の手を引くだけの、簡単なエスコートもできないの?自信ないんだ?経験ないの?」
メリダの含み笑いに、メテウスは胸を叩いた。
「や、やってみせましょう!」
このあとめちゃくちゃ買い物に付き合わされて疲れ果てて帰宅して寝た。
演劇場ではイケメンにきゃーきゃー言っているメリダがやたら早口で解説するのを聞き流しつつ、少年は彩度のないレイプ目で相槌を打つ作業に終始した。
夜が近づくにつれ元気になり酒を入れ始めたメリダは、含み笑いをして夜の社交界とやらに出かけた。たぶんエロいことをしているので腹いせにガレアーンに告げ口しようとメテウスは目論んでいる。
◆
深夜に帰宅したガレアーンは疲労困憊していた。
外套を引きずるように不機嫌な顔で帰宅し、おばちゃんと談笑していたメテウスをギロリと睨む。頬がちょっとコケて煤けていた。
「まぁお嬢様。お湯はどうされます?」
「いらない──日の出に起こして」とつぶやき、自室のベッドに倒れこんだ少女のまき散らした衣服を集めておばちゃんに渡し、メテウスはあてがわれた部屋で目をつむる。
どうせ、早朝になると──
「……もうちょっと寝るから、湯を用意しておいて」
半分寝たまま言う少女に、メテウスはしぼったタオルを押し付けた。
「顔を拭けよ、汚れてるぞ」
「むむぅ……」
布団に逃げ込もうとしたのを無理やり振り向かせ、強引に顔を拭いてやる。
「へぶぶっ……」
「この時間に起こしてほしいって言ったんだから、用事があるんだろ?湯は用意してある、起きろ」
「うにゅ……」
低血圧まるだしのガレアーンを強引に湯殿へ引きずる。キャミソール姿で歩くのはみっともなくて、メテウスの内なる母性が「仮にも女の子なんだから、たとえ邸宅の中でも身だしなみ・おしとやか……」と説教をはじめた。
ガレアーンは半分寝ているのに「”仮にも”女ってなに……?」と耳ざとく咎めてきたので黙りこむ。
ブウェイックの城下町は蛮族にしては上水道が整備されており、風呂を沸かす手間もエーテル遣いならば大したものではない。水を大量につくりだせばエーテルは簡単に枯渇するが、熱を加えるだけなら楽なもの。
昨今の、魔導列車まで停車するような都会では上下水道に驚かないが、そのへんの農夫人が乳まるだしで歩いているような辺境では、真新しい水道が整備されているのは都会感がすごい。
メテウスは感覚がバグってブウェイックの城下町を都会だと思いこみ始めていた。
暗い屋敷のなか人を起こさないように歩く。
エーテルを振り絞って沸かしておいた湯殿にガレアーンを突っ込んで炊事場へ足を向ける。
手早く氷水に晒した玉ねぎと肉を用意し、焼き置きの白パンを竈に突っ込んだ。
白湯をコップに用意し、パンに具材を挟んで特性の肉汁ビネガーソースをかけて四つ準備する。
ホカホカのガレアーンがやってきたのを「ほら、髪はちゃんと拭け。まったくもう……年頃の娘がはしたない」と白砂色の渦巻いた髪を拭いてやり、具入りパンを渡して食事をはじめた。
「もぐもぐ……。
もぐ……? ハッ!」
少女は目をぱちくりした。
「………………お、おまえは私のママか!」
「ママじゃないが……?」
「なんとなくお風呂まで入っちゃったけど……なに使用人みたいになってるのよ。パンまでつくって……」
「従者にしたのはおまえだろうが……おれは己の義務を果たしているにすぎない……」
「えぇ……」
いつのまにか実家に少年が溶け込み、使用人として働きはじめて世話をされていることに危機感を覚えたガレアーンは、ジト目でパンにかぶりつきながら言う。
「味が下品だわ……濃い……ソースが家の味じゃない……」
「わがまま言うな!」
「……そういえば、春のメンネルブントを耐えたんだって?ま、褒めておいてあげる。夏のメンネルブントはどうするの?」
「夏の⁉あんなのが夏もあるのか⁉」
メテウスはそのときはじめて地獄の訓練に四季の名がついている意味に気づいた。
「チッチッ。春のメンネルブントで物おじしているようじゃあ、ダメね。そのへんのお嬢様でも通れるような訓練じゃない」
「あんなん歴戦の傭兵でも普通に逃げ出すわ。騙されて放り込まれただけだ。もう二度と行かないぞ……」
「ま、上級戦士になりたくないなら、やめておいたほうがいいんじゃない?秋と冬のメンネルブントは死人もでるものだしね……」
「死人⁉訓練で死人だすなよ⁉」
「なに言ってるの?数頼みの兵卒じゃなく戦士の訓練よ?どうせ実戦で死人はでるんだから、訓練で先に死人をだしておいたほうが効率的にモノノフが育つじゃない。合理的よね」
「うーん……合理とは……モフモフ……」
遺族とかマジギレしそうだけど……小綺麗に着飾ってるだけでこいつらやっぱり蛮族だよな……と、メテウスは胡乱な目をした。
「そういうガレアーン・サマは、おれが死にかけている間いったいなにをしていたんだ?」
ガレアーンは遠い目をする。水平線を眺めるように茫洋としている。
「死闘だったわ……。ルモネの街を解放していたの。戦士8人と兵隊で千の敵に立ち向かう……狼頭のエーテル遣いを三人殺したわ。まさに三魂一体。恐るべき連携を仕掛けてくる歴戦だった……死闘だった。囮がいればどれほどよかったことか……」
いつのまにか死線をくぐりぬけていたようだ。
ガレアーンは『従者の仕事をサボって』みたいな目でジロリと睨むが、囮とか言われているのでメテウスはなにも悪いとは思わない。
悪びれないメテウスにガレアーンは鼻を鳴らして生意気ね、と呟く。
双方、形式的には主従だが内実にそんな気持ちが一切ないことは了解していた。
殴られようと、生意気な口を叩かれようと、戦で共闘し生死を分け合った間柄はそれだけ重たいものだ。戦友とは実の血縁よりも近しく感じることがある。
「あー、目が覚めてきた……今日は朝からロワットラ様に呼ばれているから、ちゃんとした服で行くのよ?」
「……おれも?わけわからない訓練に放り込まれた恨みがまだ残ってる。ロワットラ・サマーになに言うかわからないぞ?」
「別に平民になに言われたところでロワットラ様は気にしないでしょ」
メテウスは思わず『おれも1パーセントくらい貴族なんだ……そう認められている……』となけなしの自尊心をチラリのぞかせたが、どう考えても馬鹿のセリフなので自重した。
「チッ。今度はなにをさせられるんだろうか……むーん」
メテウスは半ばやり返せないとわかっていて、脳内で呪殺を試みた。
ガレアーン、白砂色の髪をかきあげ、ふふと含み笑い。
「戦に決まってるでしょ?姫様も忙しいんだからほんと余計なこと言わないでよ?」
「あれで?」
たびたび呼び出される身としては、暇をした貴族の道楽としか思えなかった。
◆
同じ時、ロワットラは古文書を読んでいる。
◆
ユガ家の初代”混じりけなし渾沌”のウルルは、栄冠栄耀きわまる空中都市の滅びを当然と思った。
「永遠の者どもよ、奴婢の恨みを知るがよい」
祝福された種族〈光人〉は地に墜えた。
神々の呪いを受け、死後の安らぎさえ失った光人に故国はなく、王冠を与えた護神は発狂して荒神と化したすえに、殺神の儀を受けた。
禁忌の代償は重たく取り返しがつかない。
神を失った民族に、手を差し伸べる者などどこにもいないのだ。
宝冠は輝きを失い、王衣は罪人の衣となって、光に近き種族と謳われし光人を永遠に呪いつづけている。
”混じりけなし渾沌”のウルルは同胞に新しい世界の創造を宣言した。
「暦が終わる。ふるい時間が終わる。あたらしい時間がはじまったのだ。無限のなかに、命という切り取られた時間を与えられた私たちは、あたらしい世界に抱かれる。さあ、古い時間をすべて終わらせよう。古い支配を覚えている者たちは、みな死ぬがよい」
侵略がはじまった。虐殺がはじまった。別の文明もはじまっった。
かつての主、地に堕ちたる支配者に対して油断するほど、ウルルは愚か者ではなかった。
半光人のウルルたちは、呪われた大地で光人の時代を抹消しつづけることを血の責務としたのだ。
胸に宿るは新しき神の威光である。
光人の矜持を、その護神ごとに殺神せしめた2つ目のスモルクを崇め、祭祀を惜しまなかった。
「”かねて、祭壇と炉の為に”」
みなが合言葉を唱えた。
流血は贄となる。
戦いは祭祀となる。
嘆きと歓びは歌となり、凄惨と栄光は絵となり、恨みと愛は美酒となる。
残酷さえも報われる。その死をもって我々はすべて聖供となるだろう。
そう、祭壇と炉のために。
我々はそうして生きて死ぬのだと、かつて人であったスモルクの言葉を記し、ウルルは聖典を定めた。
2つ目のスモルクは戦を司る神となったのだ。
旧きスモルクの名を奪い、神へと昇る、二代目”赤き”スモルクを崇拝したウルルたちは、かつての主人、光人たちを狩り尽くす虐殺をスモルクへの供物とした。
スモルクは血を求める神だ。
本物の神が我々を見守り、その死と栄光を記憶する。
永遠の儀式戦争だけが、”赤き”スモルクの飢えを満たすことだろう。
「光人を抹殺するだけでは飽きたらぬ。子々孫々まで獣に貶め、永遠に苦しめる。我々がそうされたように、すべて同じままに」
その際限なき憎悪にも無理はない。
半光人とは、光人が生み出した奴隷種族であり、下等な人間を犯して生まれた奴隷の血の種族として長く支配された。
純潔でない、まがいものの人間。
純血ではない、まがいものの光人。
”混じりけなし渾沌”のウルルは、古い時代そのものが、おのれを奴婢として貶めていると知っていた。
ふるい時間が終わる。
ふるい宇宙が終わる。
あたらしい時間が始まり。
あたらしい宇宙が生まれたのだ。
古い神を弑逆させしめた、新しい神の昇天のもと、世界は血を流して次の世界になったのだ。
一方、長命種のなかでも希少にして究極。
不老種として、死ぬことのできない光人たちの放浪に果てはない。
ウルルたちは彼らを駆り立て、男を殺し、女を犯し、子供を奴婢として、赤子を売り払い、その名を貶めた。
光人は例外なく貴族であり、空中都市の王宮にて王にはべりこの世の栄華を極めた。
いまとなって、滑稽なるは王を失った宮廷貴族たち。
野人と蔑んだ只人に野の獣と同じように狩られ、奴婢と蔑んだ半光人に奴婢とされ、戦で勝てぬ彼らに救いはなく、永遠の命は時代を下って長命になりさがり、数を減らして辺境の部族にまで衰退した光人たち。
皮肉なことに、もはや種族としては半光人と同じに成り下がった。されど高慢と瀟洒の病は抜けず、外部と血を交えることを忌み嫌う。
救いのない滅びゆく種族に成り下がったが……
────千年のち、繁栄の兆しもみえぬ彼らを憐れんだのだろう、とある神が手を差し伸べた。
「不滅を願う者よ、宇宙の心臓を捧げよ。さすれば──」
――〈シェン記〉より抜粋。
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