「贄なるもの 一」
◆
戦は踊る。鉄は血を吸う。命の坩堝が白熱の融合を果たし、二つの命は潰え一となる。
「畜生……! フルーシャの奴ら……!」
煌々とした夜だった。月隠りの夜だった。
火炎に追われ、人が焼けている。
街は付け火で煙たく、雲は赤黒く染まり、叫び声がそこら中に響いていた。
そんな魔界と化した街を、裏路地に伝うようにして一組の夫婦が逃げ惑っていた。
「街を出るっていっても、馬は⁉ ないと、逃げきれないよ!」
「盗むしかねえだろ!」
顔を真っ青にした夫婦は何かに怯えている。
冷静を欠いて怒鳴りあった過失に、二人が気づいたのもつかの間、怒声が飛んできた。
「止まれェェエ!」
大通りから土をこする足音が響く。男が足を止めた。
「あんた、逃げようッ」
「振り向くな、走れッッ!!!」
武装した男どもが迫っている。揃いの陣羽織ではあるが、中身は継ぎはぎの鎧に錆の浮いた武具。雑兵と見て取れた。
「逃げろ……!」
一山いくらの荒んだ雑兵、しかし街中、剣を振らない人間にとっては鬼人と同じだ。
「そこな男、寝転がれ。命だけは助けてやろうぞ」
赤子を抱く女が走り去るのを確認したあと、男は時間を稼ごうというのか、決死の顔つきで短刀を構えた。雑兵は、ニタニタと弛緩した顔で笑い、酒をあおっている。
「何が、おかしい……!」
首筋まで血を登らせた男は、手と膝がぶるぶる震え、汗で滑った短刀を取り落としそうになった。
「チャンバラ下手だねぇ。へハハ」
命の危機に瀕し、男は目の前の武者を疑問に思う。顔つきは昼から酒場にたむろするロクデナシと変わらない。野放図な髪に髭、油じみた身なり。ごろつきだ。
腑に落ちないのだ。自分をせせら笑う男の身なりが汚れていることに。状況を理解していないわけではない。だが、あのような人種が、ニタニタとした顔つきで自分をはやし立てていることが──どうしても腑に落ちない。
街では下に置かれぬ扱いを受けていた。
街長を何度も輩出した古い家に生まれ、人よりも頭も口もよく回った。
王国へ留学をしたあとは、田舎町では格上の男として扱われた。
才気ある若頭と呼ばれた男は、兄弟を押しのけて家長になることを約束されていた。
兄弟は、おまえを支えるためならば、と言って弟を立ててくれる。良い人間にはその善に見合ったものがあるべきだ。飲み込めないものを飲み込んで、生意気な弟を立ててくれる兄たちに報いなければならなかった。
実際、兄弟それぞれが奮闘して家は大きくなった。地縁のヤクザ者も頭を下げる立場がある。男は偉ぶってなどいないし、無礼をされても笑って許せる度量があった。だからこそ──敗残兵や山賊じみた男などに、嗤われることは許されない。そう、それに、このような戦士崩れは金目当てのはずだから──。
「おまえッ! 雇われ者だろう! 隠し蔵に金がある、だから──」
「うるせえ、死ね」
「ッ──」
呆気ない、結末。
腹に灼熱が迸り、膝が崩れ倒れる。
男は緊張し、限界まで目を見開いていたつもりだ。しかし雑兵の剣がどういう軌跡で自分の腹に刺さっているのか、まるでわからなかった。現実味さえない。弛緩した口元をした、甘やかされた子供のような顔をした雑兵は、流麗な所作で剣を引き抜き血ぶりをすませた。
芸術のようにこなれていた。
これが戦士。人殺しの訓練に半生をかけた業。
あっけなく人生が終わることを彼は理解した。
恐怖が吹き飛び、自分をせせら笑う。
いったい、なにを勘違いしていたというのか。
獣に言葉など通じるわけがないではないか。
わかっていたはずだ。ぐずぐずしていたらこんな結末を迎えることは。
戦火が街に及んだと知ったとき、馬を駆って逃げるつもりだった。
だが、そうすべきとはうらはらに、真っ白に煮えた頭で、屋敷の様子を見に行ってしまった。そして足手まといを連れた。そう、妻のせいだ。すべて妻が悪い。家の繋がりで否応なく娶った妻は存外に愛らしく、子が生まれたときは腰が抜けて立てなかった。そのせいだ──
妻は、逃げられただろうか。
それだけが気がかりだった。
男の頭が血だまりに染まり、目から光が消えうせると同時、泣き叫ぶ女を背負った兵が近づいた。
「アナタッッ!!!」
「この女、おまえの獲物か? 捕まえたのは俺だけども──」
「いや、いい。獲物はいくらでもいる」
「そか。売ってくるわ」
「ねえ、赤ちゃんがいるの! 早く、落としたから、帰して──」
「うるせえッ!」
手早く顎を殴り、気絶した女の足の腱を切った兵は小走りにかける。戦場にはつきものの従軍商人のもとへ向かったのだろう。
奴隷は売れる。とくに妙齢の女は、兵の慰撫のため即席の商売女として軍が買い取ってくれる。儲けだ。
「……下種が」
男を殺した兵は、女子供を売り買いする輩を嫌悪した顔で歩み始めた。
雑兵には誇りがあった。昇竜の夢がある。戦士となって大軍を指揮し、神の記憶に名を遺すのだ。罪で身を落とすわけにはいかない。男の死体から手早く財布を抜き取った潔癖な男は、泣き叫ぶ赤ん坊を見つけ、男の死体へ放り投げて後を去った。
情け深い。死体の上にのせておけば、踏み殺されず、情けをもって拾う者もいるだろう。
父の死体に寝転ぶ赤子は、本能の鳴き声をあげる。
紅蓮の夜空に響く歌に、赤子の鳴き声が加わった。
戦は踊る。鉄は血を吸い、火馬が大路を駆ける。
砲火は嘆きを破裂させ、崩れた家屋は即席の墓標となりはて、運命に涙した男は非業を枕に自刃する。
命の坩堝が白熱の融合を果たし、二つの命は潰え一となる。弱きは喰らわれ、糧となる──
バロートではありふれた一夜であった。
◆




