「ミディアムレア 四」
◆
牧場の母屋はいつも人影があるものだが、奇妙に人のいないスポットがあって、少女がぽつねんと座っている。手慰みなのか石つぶてを片手で投げてはキャッチしていた。メテウスは露骨に人の寄り付かない少女の姿に、他人事ながら寂しい気持ちになった。
白砂色の髪を翻して、少女は不機嫌そうな顔を向けた。
じろり。ガレアーンが屋外テーブルに腰掛けているのを見るや否や、ナハトは「じゃ」と一言つぶやき煙のように消え去った。さきほどまで感じていた友情が無に帰りそうな素早さである。
少女の額に歳に見合わぬ皺が刻まれているのを目視確認し、メテウスはいまさらながら駆け出した。
少女の目の前で膝を掴んで荒い呼吸を繰り返す。
「ぜー、はー、ぜー……なにか御用ですか? ふぅ……」
「……ッ!!! 歩いてきたのは気配でわかってるのよ!! おまえ十秒も走ってないでしょうが!!」
強烈な蹴りをスウェーで避けたメテウスは、耳元をかすめた風切り音に戦慄する。ハイキックであった。
「!?」
「素直に蹴られなさい!」
「待たせたら悪いと思っただけなのに……! だいたい、歩いて近づいてもどうせ蹴りそうな顔してたじゃないか!悪くない!おれは悪くないぞ!うぉっ!? ローキックはやめろ!」
「がるる……」
遠巻きにチラ見していた牧童は驚愕した。
ガレアーンの安直な暴力と、それを避けて平気な顔をしているメテウス、どちらもおかしい。
ガレアーンにつけられた従者はだいたい今の蹴りで気絶して牧場に顔をださなくなるものだったから、ついに気難しいお嬢様に従者ができた!と喜んでいる古参の下働きもいた。
直情型のガレアーンの怒りが収まり始めたころあいで、行商から買っておいた苺味の飴玉を差し出した。好物を口に放り込んだガレアーンのゲージが減ったことを確認し、話を戻す。
「で、何用ですか?」
「むー……来なさい。父上が呼んでいるわ」」
ガレアーンは風を切って歩き出す。
◆
ぶっ続けの宴会跡に、従者を率いて座るリヤルトは、近づいてくる二人の子供をみて破顔した。
理知的な顔つきの壮年の男。パッと見はダンディな紳士だ。ガレアーンよりも色素のない面立ちで、立派な髭を蓄えている。灰色の狼のようだ。
ハヴォック家当主のリヤルトは、ガレアーンと血が繋がっているとは思えない温和な人物で、メテウスは最初に挨拶した以来だが、いっさいの干渉もなく生活の場を与えられたことが格別の配慮だと理解していたから、淡い好意がある。
貴族の当主ともなればメテウスと身分が五段階くらい違うので、目を合わせるのも恐ろしいものだから、できるだけ存在感を消してガレアーンに続いた。
「ハルニバルの子メテウス! レアと仲良くやってくれているようだな!」
「はい……」
ふんす、と不機嫌そうにする少女をちらりとみて、メテウスは控えめにうつむいた。
「健やからに暮らさせていただいています……」
「カマトトぶってる……?」
ガレアーンは胡散臭そうに『なに可愛げのあるふりをしている……』みたいな目で見てくるが、無視している。
「ついてこい。戦勝を祝いに友人たちが来てくれた」
なんでおれも?と思いつつ、メテウスは続いた。
「君の父、ハルニバルは馬乗りたちに人気があった。だから、顔だけでもみせてやろうと思ってね」
理知的な物腰のリヤルトが恐ろしいメテウスは従順に頷いた。
牧場の一角には天幕が数十かたまっていて、遊牧民と思しき一団が鍋を囲んでいた。
挨拶もそこそこに、メテウスは墨を顔にいれた長老格に顔見せされる。
「へぇ。こやつがハルニバルの子か。荒んだ目をしておる……ほんに目が悪い」
「馬に乗れないなんぞ、血を受け継がなかったんじゃろうな」
「リヤルト様、この子、どうすっべ。どうにもしようがないなら知り合いの奴隷商人に売ってやってもいいが」
「売らんが」
「じゃあ飯食わせてる意味ねえんじゃねえか?」
──このクソジジイども。
「ろくすっぽ馬も乗れねえって聞いたじょ。ハルニバルは面白い男じゃったが、こんな邪眼をしたガキなんぞ使い道なかろうて」
メテウスは震えた。
目つきが悪いとはよく言われるが、邪眼よばわりされたので傷ついている。
「そう悪く言うな。レアが戦場で死ぬところを助けられたんだ。ブウェイックも期待している子だぞ」
かつてない評判の悪さをカバーしてくれるリヤルトが相対的に聖人に見えてきた。錯覚かもしれない。
くっちゃくっちゃ噛み煙草をやる老婆が、重々しく目を瞑って言う。
「ガルレアの嬢ちゃん、男遊びはほどほどにしなせえ。片輪の阿呆つれとったらなめられっぞ」
「大婆様!メテウスはそういうのじゃない!」
ガレアーンはぷんすかしながら臓物の煮込みを食べまくっている。
どうやら遊牧民たちは血の繋がった身内で、身内すぎてあまり格式ばって話すこともないようだ。
老婆が煮込みをよそい渡しながら言う。
「よーわかるよ。役立たずのバカほどかわいいんだワな。
うちの爺様もの、家畜もないわ戦にも出ないわ、哀れな甲斐性なしの赤っ恥じゃったが、ワッシが世話してやらなと女が上がったわ。
まあ馬に乗れん味噌っかすを好くほどワッシかて狂っとりゃせんかったが……どうだい? 馬と剣だけ与えて草原にしばらく放っておいたら? 生き残っても死んでも今よりはよくなるじゃろ。今かって馬に乗れんつーことは半死人の片輪者なんじゃし」
──このクソババア。無駄に生き伸びた年甲斐のない老人どもめ、早く死なないかな。
遊牧民は厳しい環境で生活を営むため、定住民よりもシビアな判断が早い。
馬に乗れないということは他人に運んでもらわなければ移動もできないということで、言葉を話せない人間よりも重大な障碍を持っていると認定されていた。
役立たずは身内に殺されることを忌避して、自ずと群れを離れて死を迎えるものなので、遊牧民の目からみると、メテウスは生にしがみつき群れに寄生する邪悪な存在か、まったくなにも理解できていない頭の弱い子供に見えているようだ。
目は口ほどにものを言う、という。
白い目でみられる、という言葉があるが、メテウスは人間の目が本当に白くなることを今まさに実感していた。
だが、そこで委縮するほど優しい性根をしていない。
倫理観に欠けた遊牧民を見下しつつ、メテウスは密かな殺意さえ抱き始めていたが、ナイフを抜くわけにもいかず、聞こえないふりをして臓物の煮込みをすする。うんうんと頷いて舌鼓をうつ姿に周りは呆れ果てた。
「こんだけ言われて、儀も申さんか」
「タマもないたぁ、どうしようもねえな」
「男妾にして売るしかなかっど」
「うちで飼ってやってもいいぞ、ドァハハ!!」
蛮人に何を言われようがどうでもいいの境地に達したメテウスは、言葉が理解できないような顔つきで老人をじっと見つめた。油膜の浮いたヘドロのような暗い緑の目。その目から思わず目をそむけ、老人は「ハルニバルの子、か……」とつぶやく。意味がわからない。
どうやら目つきの悍ましさだけで若干評判を持ち直したようで、老婆たちがひそひそとガレアーンに囁く。
「まあ、嬢ちゃんの遊び相手にはええんじゃないかい?血筋はたしかなんじゃし……」
「いや……でもこの目……嬢ちゃん、気を付けろよ。犯されたらちゃんと報復で殺さんと女戦士は終わりじゃど。殴れば黙る女やおもわれたら、一生そうなってまう」
「男なんざチンポが本体で言っとることすべて出鱈目じゃ。舐めらるくらいなら金玉つぶしたれよ」
「おかっ!? たまっ!? お、犯されないし……!」
恥ずかしそうにぷるぷる震えたガレーアンが脛を蹴ってくるのと、このままだとメテウスは自分がなにを言うかわからないので無言で退散した。
化外の蛮族めら!けだもの馬乗り!とか言ったら普通にナイフを抜いてくる相手であり、殺し合いになったらなんやかんやメテウスが死ぬことは間違いない。
「失礼すぎるだろ……あいつらなんなの? それにしても馬に乗れないの、マジで評判が悪いな……」
「あたりまえじゃない!私に恥をかかせるなんて──!明日は特訓よ、特訓!」
遊牧民の集う一角には牧童向けの露店まであったが、評判が悪い意味でいきわたっているようで、メテウスが話しかけても普通に無視される。
無視は差別の初歩であり、無形の暴力である。
バロート人は元は遊牧民が定住民となり王国を築いた半遊牧民族であり、遊牧生活の名残を色濃く残した田舎の人間にとって、馬に乗れないメテウスはワガママお嬢様のがヌイグルミ代わりに連れているおもちゃ扱いである。貴族のお嬢様が子猿を飼ってる微笑ましい光景の人間verだ。
貴人として丁寧にあいさつされているガレアーンとの対比はモノクロみたいだ。
歩けば指を差して子供たちが侮辱的な仕草で笑い声をあげる。女たちは穢れを避けるノリで大周りでメテウスを避け、男たちはみなゴミみたいな目でみてくる。あげく「玉なし」だの「ハルニバルの残りかす」だの「レア様の家畜」だの聞こえる音量で噂をされていた。
──さ、差別ってレベルじゃねえぞ。あな呪わしやバロート人……
メテウスは過度のストレスで発熱して体調が悪くなった。
リヤルトには「古い一族の人間だから気にしなくてもいいよ」と言われたが、そういう問題ではなかった。
特訓だ。
◆
「ほら! 馬に乗れないとか人間じゃないってことよ! 街から年中出れない羽化できないカイコみたいな大人になってもいいの!?」
「そこまで言うことないでしょ」
ガレアーンは姉御肌なので、教えるとなったら丁寧に何度も何度も根気強く世話をしてくれた。
「アタシが仔馬から育てたミストラルから試してあげる!」
「ヒィーン!」
メテウスは吹っ飛んだ。
折れた腕を抱え、土に汚れたメテウスが次に乗ったのは老いぼれた馬である。
「もう一日の七割がた眠ってる死にかけのニーテよ! 暴れる元気もないわ! はじめての馬には最適かもしれない!」
「う、動かない……!」
ガレアーンが乗ると綺麗に動くのに、メテウスが乗ると眠り始める。
「ニーテ!ちゃんと意識があったのね!よかった!
メテウス、おまえは悪いわ!
こうなったらとっておきのヒンシを……!」
首元を赤くして興奮したガレアーンは、一匹の馬を連れてきた。
白い毛並みに黒い点々がついた、潤んだ目をした気品ある葦毛である。
馬具にヨッと乗せてもらった。
「ブヘルルベベッ!!!」
「うぉっ!?」
くるくる回りはじめた。
「ヒンシ!? どうしたの!?」
ガレアーンが触るということは聞くのだが、メテウスだけになると勝手に止まったり、てんでいうことを聞かない。
手綱を引くと、なぜかバックしはじめた。
「ばかにして!」
頭をぽこん!と叩くと、膝を折って『降りろ』と合図される。
馬は賢いもので、悪い意味でも意思疎通が成り立ってしまうのだった。
「……ガレアーン様、助けて」
「う、うちの優しいヒンシが意地悪をするなんて、アンタなにしたの!」
何もしていない。
メテウスは、『おれは悪くねえ!』と反論したいが、ガレアーンがパッと飛び乗ると優雅に草原を滑るようにして大地を駆けていく。
草原を大周りしたあと、首元をポンポン叩かれ、嬉しそうな馬にメテウスが乗ると、曲芸みたいに足を動かしてバックする。
「……もしかしておれが悪いのか?」
「メテウス。アンタ、才能がないわ。一度死ぬしかないかもしれない」
──人間型の家具とか芸術作品みたいにして海外に売り払うぞ、このアマ。
見守っていた骨爺も頷く。
「『馬に乗れない』という才能がある……そう自分を慰めるしかないな。意味はないが……」
──骨型のパズルみたいにするぞ、この骨格標本め。
骨に対する語彙がないので罵倒も弱めだ。
一同、しばらく頭を悩ませた。
「──そうだ」
悩んだメテウスはよい方法を考え付いた。
問題の焦点は、馬がメテウスを乗せるのを嫌がってしまうという一点に尽きる。
──そう、馬に意思があるからいけないのだ。
メテウスは猿の干物みたいな笑みを浮かべて馬を見つめた。
馬に嫌われたことで深く傷ついてしまった。
──動物は好きだ。だが、それは自分に害をなさないうちだけの話。愛らしいペットは家族でも、人間に害を成すなら殺される。可愛い犬だろうが愛らしい猫だろうが問答無用で殺処分されるのが世の常である。
馬の好悪一つで将来が閉ざされるというのならば、馬に意思など必要ない。
メテウスは己が善良な動物好きだという自己像を一時的に捨て去り、馬への的外れな憎悪を募らせていた。
──もちろん、馬は人間の友だ。だがしょせん家畜でもある。家畜の分際で人をえり好みするなど言語道断、おごり高ぶったすえの帰結と言えよう。おれを放り投げる馬に慈悲などいらん──こんなに悲しいなら友などいらん!
──馬の意思を奪えばいいのだ。
魔獣調教師が、魔獣を御すために使う神薬。
魔女が外科手術に使うという催魂香。
あるいは、聖職者が儀式に用いる魂を肉体から離脱させる物質化エーテル。
とくに凶暴な魔獣を操るための薬は魔女謹製の代物で、人間には効かないように調整されているが、馬などイチコロのはずだ。
心身を喪失させ操り人形に仕立て上げる薬。それを馬に使って……催眠術で言うことを聞かせる!それしかない!
メテウスは催眠術師になることを決意した。
◆
「は、発想が人じゃない……」
メテウスがさも良いアイデアを思い付いたといわんばかりに語った内容に、ガレアーンは形のよい眉を震わせてドン引きした。
「ごっ、誤解しないでくれ。
ブウェイック城のバハイって魔女がいる。おれは友達だ。そいつに薬をつくってもらうだけですむんだ。金ならある。バハイは稼げてWIN、おれは馬に乗れてWIN、馬は本当は乗せたいのになぜか乗せられない主人を乗せられてWIN、ガレアーン様は城まで散歩ができてWIN。全員幸せになるって寸法ですよ?」
「私が散歩好きにされてる!?」
ガレアーンは戦慄した。自分に都合のよい戯言をさも素晴らしいアイデアみたいに話したあげく、ブウェイック城までの道のりまで勝手にガレアーンの趣味の散歩みたいにされていた。
ガレアーンはうーんと頭を悩ませたあと、ふつふつと湧いてきた怒りを抑え込んで澄んだ微笑みを浮かべる。
「あのね、あたしはこれでも我慢してきたの……」
成人してから『わたし』と言うようにしているガレアーンが『あたし』と幼い頃の言葉を使うのは、感情の制御を失ったときだけだ。
「前の戦で曲がりなりにも命を助けられたのは事実だし、初陣を果たせたのはおまえのおかげでもあるしね。身分が違うけれど戦友みたいなものだと思って、無礼を必死で我慢してきたの……」
「そ、そんな恩に着ることはないんだぞ?へへっ、なぁ──ひっ!?」
メテウスは不穏な空気を察して肩を叩いたが、ガレアーンの目がぴくぴくしているうえ、拳が握りしめられぷるぷる震えているのを目視確認した。どうみても切れてる。
「こ、これっ!」
メテウスは蔵遮腑からサッと金棒を差し出した。
「────────
────────これは、なに?」
怒りに水を差すとはこのことだろうか、ガレアーンはぶん殴ろうとしていた少年がいきなり金をとりだしたのにあっけにとられる。
「賄賂だが……」
「わい……わいろ……?」
幼子がはじめて発生するような、舌ったらずな少女の声色に、メテウスは勝機をみた。
「賄賂って言葉が嫌なら、馬代と言い換えてもいい」
「……金であたしの意見を変えようっていうの?」
「おいおい、そんな言い方をしないでくれ。便宜をはかってくれた人間に敬意と尊敬をこめて謝礼を渡す。それのどこが悪い?
そう、ローションだ。機械は油なしでは動かない。潤滑油なくして人間は生まれない。道理とはそういうものだ。おれはガレアーン様を尊敬しているから、先んじて金を渡したくなった。誠意を示したかったんだ。つまりローションだ。ところで、どうかな?一人でブウェイック城まで行ったら脱走したことになりかねない。ここは一つ、ブウェイック城まで連れて行ってくれないか……!?」
この世に鼻薬が嫌いな人間なんていない。物理法則に近い。むしろ物理法則より確かじゃないか──?というメテウスの信念は、0.5秒に鼻骨とともにへし折られることになる。
「このバカーっ!!!」




